631 / 693
間章 ソノサキの合間の話
間話77.悲しい恋の行方
しおりを挟む
邑上誠に遂に退院許可が出されて、しかも当人の記憶障害と身体に残った障害のお陰で逃亡の危険性もなく、責任を取ることも出来ないと判断されたのは既に秋口を過ぎて冬の気配が漂い始めている11月のこと。
それまでの三科悠生は、社長の藤咲信夫のマンションに五十嵐海翔達と一緒に暮らしていた。色々なレッスンを受けたり仕事のための体調管理とか藤咲のシェアハウスは利便性が高いし、食事なんかも提供してもらえるから金銭面としても助かる。夏頃の騒動で自堕落にしていた生活も整って、仕事の方も榊仁聖のサブ的な立ち位置から始まった『multilayered.E』のモデルを半分主体的にやらせてもらえるようになってから格段に安定していた。
良くなったわね、表現の幅も広くなったし
江刺家八重子…………そろそろ事務所内では藤咲八重子に変わりそうな噂ではあるが…………から、そう合格点を貰えた事で他にも仕事が入り始めていた矢先ではある。それでも邑上誠の日常の世話をしながら暮らすには、他人がいるシェアハウスみたいな場所では無理があった。どんなに責任能力がないと判断されたとはいえ誠は未だに警察の監視下にあるのと変わらないし、何か思い出したら即時拘留されてもおかしくはない人間なのだ。
それだけの事を誠はしている…………
それは良く分かっているし、これまで誠がしてきたことが何一つ消える筈がないのも分かっている。それでも中古のバリアフリーリフォーム済みだという建物を藤咲がコッソリと近郊に確保してくれて、悠生は誠と2人でそこで暮らすことに決めたのだった。
「にぃさん?ここで暮らすの?僕。」
悠生自身は仕事はこのまま続けるつもりだけれど、この少しの間に誠が2人で暮らす環境に慣れるまでは傍を離れるつもりはない。慣れてきたら自分がいない間に少しだけ誰かの手を借りるようにして、それ以外はなるべく自分独りで誠の世話をするつもりだ。そんなの甘いと言われるかもしれないが、それでもまだ自由に身体を動かすことの出来ない誠を車椅子に乗せてユックリと2人の新居に足を踏み入れる。
「そうだよ、誠。ここで俺と2人で暮らすの。」
やっと誠と呼ぶのに慣れて悠生が名前だけて呼ぶようになったら、誠は嬉しそうにしていて良く笑うようになった。誠が見ているのが自分ではなく瓜二つだった自分の父親・邑上祐市であるのは分かっているし、20年近くの記憶を失った誠には赤ん坊の頃から育ててきた筈の悠生の記憶が何一つない。それでも長年自分を育ててきたのは誠だったのは事実で、誠が悪事を働き続けていたと分かってもその恩は変えられない事だ。だから、自分では料理どころか着替えすら自由にまだ出来ないままの誠と、こうして一緒に居ることに決めた。
「僕、迷惑かけるね、にぃさん。」
「気にしなくていいよ、誠は大事な家族なんだからね。」
そう言うと誠は奇妙に寂しそうに、それでいて心底幸せそうに微笑む。
それはとても奇妙な2人暮らしだと、悠生も思う。何しろ子供の頃から一緒にいた誠は何時も氷みたいな冷淡な態度で、笑うこともなく悠生の話しなんか1つも聞きもしない。それでも今にして思うと何一つ過不足のない準備が常に整えられていて、飢えることもなく気がつくと悠生は不自由なく学校に通い暮らしていた。両親がいないということで虐められたこともなければ、誰かにからかわれた記憶すらない。まるでそこには誰も触れなかったみたいに、順当に何事もなく悠生は進学して、街中でモデルにスカウトされ気がついたら仕事をしていた。ただし恋人とか恋愛に関しては少しでも誰かとその気配が滲むと、影のように誠の気配がしていて。
もしかして……恋人以外の事でも、誠は影で動いてたりするのかな…………
ふとそう今更だけど思ってしまう。何一つ過不足なく何事も準備されていたのは誠が密かに自分の周囲に必要な物を調べて準備していたからで、不自由なく学校に通えていたのも誠が背後で綿密に計らっていたからで、誰からも親の事でからかわれることなく過ごしてきたのも…………そんな風につい考えてしまう。でももう真実は誠から引き出せないし、もしそうだとしても最初の恋人がレイプされておかしくなって発見された現実も変わることでもない。
「にぃさん?」
「あ、ごめん、誠。ほら、ここが誠の部屋だよ?」
リビングから続く1部屋はキッチンからでも良く見えるし、引戸1枚の隣は悠生の部屋にしてある。鬱陶しいと誠が思えるくらいに自由に平屋の家の中を車椅子で動けるようになれば、部屋の事は考える必要があるだろうが今の状況ではこの距離感で我慢してもらうしかないだろう。そう言おうとした悠生の事を肩越しに誠が不安そうに見上げる。
「にぃさんは何処の部屋なの?ここにいてくれないの?」
何故かその言葉に胸の奥がチクリと痛む。一緒にいて欲しいなんて素直な気持ちを誠が口にするなんてと驚くことよりも、誠が傍にいて欲しいのは自分ではなくて父親の祐市なのだ。性的に虐待され続けて狂い始めていた誠の心の支えになっていたらしい祐市のことを、祐市が死んだ時にはまだ赤ん坊だった悠生は何一つ知らない。
「誠は…………俺に傍にいて欲しい?」
『祐市』ではなく、『悠生』にいて欲しい?そう問いかけてしまいたい。でも、それを問いかけても障害のある誠は混乱するだけで、何も利益にならないのはもう分かっている。
「…………ぅん…………、僕は……にぃさん……祐市さんといたい。」
ホンノリ頬を染めてそうはにかむように微笑む誠を見つめると、ギュッと胸が締め付けられてしまう。昔の誠はこういう風に祐市だけを頼りに生きていたのだろうか。それが自分の知っている悪人の誠に変容したのは、祐市が独り先に死んだせいなのだろうかと思う。それを思うとキシキシと胸が軋み、自分でも良く分からない感情が沸き上がる。
自分の知っている誠は氷の暴君のように冷淡に、多くの人を足元にひざまづかせて虐げていた。何人も誠の足元で犬のように交尾をさせられたり嬉々として誠の靴を舐める人間の姿を、悠生自身がこの目で見てきたのだ。狂人で残忍で極悪非道な暴君の姿を確かに見ていたのに、目の前の無垢に微笑む誠はその片鱗すら見えない。
「父さんに見つからないといいな…………ずっと…………。」
ポツリとそう不安げに呟く誠に思わず背後から車椅子ごと痩せた身体を抱き締めて、大丈夫だからと悠生は囁きかける。病院にいる最中からずっと誠は常に父親……邑上市玄が来ると怯え続けていた。誠が何に怯えているのか分からない悠生は、傍にいて落ち着かせながら何がそんなに怖いのかと問いかける。何しろ市玄ですら悠生が小学生になる前には死んでいたから、悠生には戸籍上の義理の父親である市玄のことも分からないのだ。
…………父さんが来たら、また奴隷に戻らないとならないでしょ?にぃさん?
奴隷。養子とはいえ我が子を表現するにはあんまりな言葉だ。でも誠は事実長年にわたって市玄に性的に虐待され、言葉通り奴隷扱いされてきた。時には市玄の慰み者になり命令されれば他の男に身体を開き、市玄の好きな時に鞭打たれ縄で縛られてきたとまだ意識障害を起こす前に誠は話していたのだ。それがどんな生活だったのか想像も出来ないが、記憶を失って過去に戻った誠はその奴隷だった頃に今もいる。
「もう絶対に大丈夫だよ、俺がいる。」
突然に抱き締められたのに少し驚いた様子だったけれど、その言葉を聞いて誠は安堵にまた子供のように微笑む。その姿を見て何故か更に、胸がギュッと締め付けられるのを悠生は感じ取っていた。
※※※
足も立たないし、手も上手く握れない…………
それがなぜ起きたのか記憶がなくなっていて、気がつくと祐市がずっと傍にいて大丈夫だからと微笑みかけてくれていた。記憶の中でそんな風に祐市が微笑むなんてことはそうそうなくて、たまに上手に奉仕出来たと頭を撫でながら悲しげに微笑むことはあっても今みたいに穏やかに微笑むなんて見たことがない。それでも祐市が『大丈夫たから』と言ってくれれば、誠にしてみれば何よりも信じるに足りる。
真っ白な病室で目が覚めた時、正直何が起きているのか分からなかった。
恐らくは父親・市玄の何時もの無理強いで、縄でくびり上げられでもして失神したに違いない。とは思うが、そのせいでなのか記憶が曖昧になっていて、何が起きたかまるで分からなかったのだ。その癖普段なら吊るされたまま目覚めるか、地べたに放置されて目覚めるかと思ったのに、気がついたらベットの中で。
何があったか覚えているか?
キツい視線で問いかけるスーツ姿の男達に囲まれ、これは大変なことになったと慌てふためいた誠がパニックになったのは言うまでもない。これは父親が自分を奴隷にするための対価として消してくれた筈の過去を、自分に飽きたとか言う勝手な理由で市玄が放棄したのだと思ったのだ。しかもパニックになり泣きわめくしか出来なくなっている自分に、何が起こっているのかまるで理解できない。手足が上手く動かない、言葉も上手く吐き出せない。誰かに助けて貰いたくても、誰を頼ればいいのか分からないのだ。
そんな時にまるで夜道を照らす月の明かりのように、目の前に光になって現れたのが誠にしてみれば義理の兄である祐市だった。
にいさん!!
奇妙なのはもう少し歳をとっていた気がした祐市が若々しい声で自分をそう呼んだ事で、お陰で何かが狂っているのだと誠は更に泣きじゃくるしか出来なかった。それでも状況が落ち着くにつれ祐市だけは、誠のことを全身全霊で守ってくれているのが感じ取れる。そして、これまでだったら願っても叶わなかったのに、父親から逃げて2人で暮らそうと言ってくれたのだ。
いいの?でも…………
五体満足な自分なら兎も角、自分は手足も痺れて動かせないし上手く話すことも出来ない有り様だ。そんな自分を世話しながら父から逃げるのは難しい筈だと言うと、そんなことは気にしなくていいと祐市は悲しそうに微笑む。そうして本当に祐市は自分を病院から引き取り、2人だけで暮らす家に連れてきてくれた。
いいんだろうか…………
自分はまだ何も録に自分のことすら出来ないのに、祐市は当然みたいに何から何まで自分の身の回りの世話をしてくれる。そんなことはあり得ないと内心では思っているのに、朝から晩まで丁寧に自分を世話し続ける祐市に誠はベッタリと甘えてしまっているのだ。
こんなの……甘えてたら駄目だよな…………
本来なら誠の方が奉仕して世話をするべき立場な筈なのに、祐市は何もそれには触れないまま。こうして痩せてしまった身体を労るように抱き上げ、風呂にまで入れてくれる。それ様にちゃんと座れるよう設えてあるバスタブの段差にそっと下ろされ、覗き込むように微笑みかけ祐市が問う。
「湯加減は?熱くない?誠。」
フルフルと頭を振って大丈夫だと伝えてから、服を脱ぎもせず問いかけてくる祐市に少しだけ戸惑いの滲む視線を向ける。以前の祐市なら先に裸になって、股間を誠に押し付け奉仕を命令する筈だ。でもあれば市玄がカメラ越しに見ているのを知っていて、わざと祐市が誠にさせていたのも知っている。あれをしてくれなければ市玄自らがやってきて、吐く程辛い調教を誠が受けなければならないのを祐市は知っていた。だからわざと自分が率先してやってきて、カメラに派手に写るような具合で調教を密かに手加減して施してくれていたのだ。
それは確かに父さんがいないなら、必要ない…………
必要はないことだけれど、何も役に立てない自分に出来ることが分からない。手も足も言葉すら自由にならない自分に祐市のために出来る事なんて、考えるとホンの少しだけしかないのだ。
「にぃさん…………あの。」
「何?もしかして温い?」
「ち、違うよ……。でも、あのにぃさんは入らないの?」
「2人では狭いから、後ではいるよ。気にしないで。」
そう言う意味じゃなくて奉仕するからと言おうとしたのに、何故かその言葉が口からは出せなかった。今目の前にいる穏やかな祐市はそんなことは何一つ考えていない気がして、それを口にしたら悲しまれてしまう気がしてしまったのだ。そんな筈はないと思う気持ちと、それが正しいと思う気持ちが複雑に絡み合って戸惑う。自分の知っている祐市とは違う人のように見えて、それなのに酷く大事で愛おしいのは変わりなくて。
「…………もしかして逆上せた?誠。」
「え?」
「大変、浸かりすぎか。抱き上げるね。」
え?と戸惑う声を上げる隙すら与えず、軽々と祐市は誠のことを湯から引き上げ抱きかかえてしまう。かなり入院で痩せてしまったのは事実だけど、こんなにも簡単に抱き上げられるなんて流石に誠だって面食らう。祐市は実際には自分より遥かに歳上の筈なのに、まるで全てが逆転してしまったみたいに感じてしまったのだ。
それまでの三科悠生は、社長の藤咲信夫のマンションに五十嵐海翔達と一緒に暮らしていた。色々なレッスンを受けたり仕事のための体調管理とか藤咲のシェアハウスは利便性が高いし、食事なんかも提供してもらえるから金銭面としても助かる。夏頃の騒動で自堕落にしていた生活も整って、仕事の方も榊仁聖のサブ的な立ち位置から始まった『multilayered.E』のモデルを半分主体的にやらせてもらえるようになってから格段に安定していた。
良くなったわね、表現の幅も広くなったし
江刺家八重子…………そろそろ事務所内では藤咲八重子に変わりそうな噂ではあるが…………から、そう合格点を貰えた事で他にも仕事が入り始めていた矢先ではある。それでも邑上誠の日常の世話をしながら暮らすには、他人がいるシェアハウスみたいな場所では無理があった。どんなに責任能力がないと判断されたとはいえ誠は未だに警察の監視下にあるのと変わらないし、何か思い出したら即時拘留されてもおかしくはない人間なのだ。
それだけの事を誠はしている…………
それは良く分かっているし、これまで誠がしてきたことが何一つ消える筈がないのも分かっている。それでも中古のバリアフリーリフォーム済みだという建物を藤咲がコッソリと近郊に確保してくれて、悠生は誠と2人でそこで暮らすことに決めたのだった。
「にぃさん?ここで暮らすの?僕。」
悠生自身は仕事はこのまま続けるつもりだけれど、この少しの間に誠が2人で暮らす環境に慣れるまでは傍を離れるつもりはない。慣れてきたら自分がいない間に少しだけ誰かの手を借りるようにして、それ以外はなるべく自分独りで誠の世話をするつもりだ。そんなの甘いと言われるかもしれないが、それでもまだ自由に身体を動かすことの出来ない誠を車椅子に乗せてユックリと2人の新居に足を踏み入れる。
「そうだよ、誠。ここで俺と2人で暮らすの。」
やっと誠と呼ぶのに慣れて悠生が名前だけて呼ぶようになったら、誠は嬉しそうにしていて良く笑うようになった。誠が見ているのが自分ではなく瓜二つだった自分の父親・邑上祐市であるのは分かっているし、20年近くの記憶を失った誠には赤ん坊の頃から育ててきた筈の悠生の記憶が何一つない。それでも長年自分を育ててきたのは誠だったのは事実で、誠が悪事を働き続けていたと分かってもその恩は変えられない事だ。だから、自分では料理どころか着替えすら自由にまだ出来ないままの誠と、こうして一緒に居ることに決めた。
「僕、迷惑かけるね、にぃさん。」
「気にしなくていいよ、誠は大事な家族なんだからね。」
そう言うと誠は奇妙に寂しそうに、それでいて心底幸せそうに微笑む。
それはとても奇妙な2人暮らしだと、悠生も思う。何しろ子供の頃から一緒にいた誠は何時も氷みたいな冷淡な態度で、笑うこともなく悠生の話しなんか1つも聞きもしない。それでも今にして思うと何一つ過不足のない準備が常に整えられていて、飢えることもなく気がつくと悠生は不自由なく学校に通い暮らしていた。両親がいないということで虐められたこともなければ、誰かにからかわれた記憶すらない。まるでそこには誰も触れなかったみたいに、順当に何事もなく悠生は進学して、街中でモデルにスカウトされ気がついたら仕事をしていた。ただし恋人とか恋愛に関しては少しでも誰かとその気配が滲むと、影のように誠の気配がしていて。
もしかして……恋人以外の事でも、誠は影で動いてたりするのかな…………
ふとそう今更だけど思ってしまう。何一つ過不足なく何事も準備されていたのは誠が密かに自分の周囲に必要な物を調べて準備していたからで、不自由なく学校に通えていたのも誠が背後で綿密に計らっていたからで、誰からも親の事でからかわれることなく過ごしてきたのも…………そんな風につい考えてしまう。でももう真実は誠から引き出せないし、もしそうだとしても最初の恋人がレイプされておかしくなって発見された現実も変わることでもない。
「にぃさん?」
「あ、ごめん、誠。ほら、ここが誠の部屋だよ?」
リビングから続く1部屋はキッチンからでも良く見えるし、引戸1枚の隣は悠生の部屋にしてある。鬱陶しいと誠が思えるくらいに自由に平屋の家の中を車椅子で動けるようになれば、部屋の事は考える必要があるだろうが今の状況ではこの距離感で我慢してもらうしかないだろう。そう言おうとした悠生の事を肩越しに誠が不安そうに見上げる。
「にぃさんは何処の部屋なの?ここにいてくれないの?」
何故かその言葉に胸の奥がチクリと痛む。一緒にいて欲しいなんて素直な気持ちを誠が口にするなんてと驚くことよりも、誠が傍にいて欲しいのは自分ではなくて父親の祐市なのだ。性的に虐待され続けて狂い始めていた誠の心の支えになっていたらしい祐市のことを、祐市が死んだ時にはまだ赤ん坊だった悠生は何一つ知らない。
「誠は…………俺に傍にいて欲しい?」
『祐市』ではなく、『悠生』にいて欲しい?そう問いかけてしまいたい。でも、それを問いかけても障害のある誠は混乱するだけで、何も利益にならないのはもう分かっている。
「…………ぅん…………、僕は……にぃさん……祐市さんといたい。」
ホンノリ頬を染めてそうはにかむように微笑む誠を見つめると、ギュッと胸が締め付けられてしまう。昔の誠はこういう風に祐市だけを頼りに生きていたのだろうか。それが自分の知っている悪人の誠に変容したのは、祐市が独り先に死んだせいなのだろうかと思う。それを思うとキシキシと胸が軋み、自分でも良く分からない感情が沸き上がる。
自分の知っている誠は氷の暴君のように冷淡に、多くの人を足元にひざまづかせて虐げていた。何人も誠の足元で犬のように交尾をさせられたり嬉々として誠の靴を舐める人間の姿を、悠生自身がこの目で見てきたのだ。狂人で残忍で極悪非道な暴君の姿を確かに見ていたのに、目の前の無垢に微笑む誠はその片鱗すら見えない。
「父さんに見つからないといいな…………ずっと…………。」
ポツリとそう不安げに呟く誠に思わず背後から車椅子ごと痩せた身体を抱き締めて、大丈夫だからと悠生は囁きかける。病院にいる最中からずっと誠は常に父親……邑上市玄が来ると怯え続けていた。誠が何に怯えているのか分からない悠生は、傍にいて落ち着かせながら何がそんなに怖いのかと問いかける。何しろ市玄ですら悠生が小学生になる前には死んでいたから、悠生には戸籍上の義理の父親である市玄のことも分からないのだ。
…………父さんが来たら、また奴隷に戻らないとならないでしょ?にぃさん?
奴隷。養子とはいえ我が子を表現するにはあんまりな言葉だ。でも誠は事実長年にわたって市玄に性的に虐待され、言葉通り奴隷扱いされてきた。時には市玄の慰み者になり命令されれば他の男に身体を開き、市玄の好きな時に鞭打たれ縄で縛られてきたとまだ意識障害を起こす前に誠は話していたのだ。それがどんな生活だったのか想像も出来ないが、記憶を失って過去に戻った誠はその奴隷だった頃に今もいる。
「もう絶対に大丈夫だよ、俺がいる。」
突然に抱き締められたのに少し驚いた様子だったけれど、その言葉を聞いて誠は安堵にまた子供のように微笑む。その姿を見て何故か更に、胸がギュッと締め付けられるのを悠生は感じ取っていた。
※※※
足も立たないし、手も上手く握れない…………
それがなぜ起きたのか記憶がなくなっていて、気がつくと祐市がずっと傍にいて大丈夫だからと微笑みかけてくれていた。記憶の中でそんな風に祐市が微笑むなんてことはそうそうなくて、たまに上手に奉仕出来たと頭を撫でながら悲しげに微笑むことはあっても今みたいに穏やかに微笑むなんて見たことがない。それでも祐市が『大丈夫たから』と言ってくれれば、誠にしてみれば何よりも信じるに足りる。
真っ白な病室で目が覚めた時、正直何が起きているのか分からなかった。
恐らくは父親・市玄の何時もの無理強いで、縄でくびり上げられでもして失神したに違いない。とは思うが、そのせいでなのか記憶が曖昧になっていて、何が起きたかまるで分からなかったのだ。その癖普段なら吊るされたまま目覚めるか、地べたに放置されて目覚めるかと思ったのに、気がついたらベットの中で。
何があったか覚えているか?
キツい視線で問いかけるスーツ姿の男達に囲まれ、これは大変なことになったと慌てふためいた誠がパニックになったのは言うまでもない。これは父親が自分を奴隷にするための対価として消してくれた筈の過去を、自分に飽きたとか言う勝手な理由で市玄が放棄したのだと思ったのだ。しかもパニックになり泣きわめくしか出来なくなっている自分に、何が起こっているのかまるで理解できない。手足が上手く動かない、言葉も上手く吐き出せない。誰かに助けて貰いたくても、誰を頼ればいいのか分からないのだ。
そんな時にまるで夜道を照らす月の明かりのように、目の前に光になって現れたのが誠にしてみれば義理の兄である祐市だった。
にいさん!!
奇妙なのはもう少し歳をとっていた気がした祐市が若々しい声で自分をそう呼んだ事で、お陰で何かが狂っているのだと誠は更に泣きじゃくるしか出来なかった。それでも状況が落ち着くにつれ祐市だけは、誠のことを全身全霊で守ってくれているのが感じ取れる。そして、これまでだったら願っても叶わなかったのに、父親から逃げて2人で暮らそうと言ってくれたのだ。
いいの?でも…………
五体満足な自分なら兎も角、自分は手足も痺れて動かせないし上手く話すことも出来ない有り様だ。そんな自分を世話しながら父から逃げるのは難しい筈だと言うと、そんなことは気にしなくていいと祐市は悲しそうに微笑む。そうして本当に祐市は自分を病院から引き取り、2人だけで暮らす家に連れてきてくれた。
いいんだろうか…………
自分はまだ何も録に自分のことすら出来ないのに、祐市は当然みたいに何から何まで自分の身の回りの世話をしてくれる。そんなことはあり得ないと内心では思っているのに、朝から晩まで丁寧に自分を世話し続ける祐市に誠はベッタリと甘えてしまっているのだ。
こんなの……甘えてたら駄目だよな…………
本来なら誠の方が奉仕して世話をするべき立場な筈なのに、祐市は何もそれには触れないまま。こうして痩せてしまった身体を労るように抱き上げ、風呂にまで入れてくれる。それ様にちゃんと座れるよう設えてあるバスタブの段差にそっと下ろされ、覗き込むように微笑みかけ祐市が問う。
「湯加減は?熱くない?誠。」
フルフルと頭を振って大丈夫だと伝えてから、服を脱ぎもせず問いかけてくる祐市に少しだけ戸惑いの滲む視線を向ける。以前の祐市なら先に裸になって、股間を誠に押し付け奉仕を命令する筈だ。でもあれば市玄がカメラ越しに見ているのを知っていて、わざと祐市が誠にさせていたのも知っている。あれをしてくれなければ市玄自らがやってきて、吐く程辛い調教を誠が受けなければならないのを祐市は知っていた。だからわざと自分が率先してやってきて、カメラに派手に写るような具合で調教を密かに手加減して施してくれていたのだ。
それは確かに父さんがいないなら、必要ない…………
必要はないことだけれど、何も役に立てない自分に出来ることが分からない。手も足も言葉すら自由にならない自分に祐市のために出来る事なんて、考えるとホンの少しだけしかないのだ。
「にぃさん…………あの。」
「何?もしかして温い?」
「ち、違うよ……。でも、あのにぃさんは入らないの?」
「2人では狭いから、後ではいるよ。気にしないで。」
そう言う意味じゃなくて奉仕するからと言おうとしたのに、何故かその言葉が口からは出せなかった。今目の前にいる穏やかな祐市はそんなことは何一つ考えていない気がして、それを口にしたら悲しまれてしまう気がしてしまったのだ。そんな筈はないと思う気持ちと、それが正しいと思う気持ちが複雑に絡み合って戸惑う。自分の知っている祐市とは違う人のように見えて、それなのに酷く大事で愛おしいのは変わりなくて。
「…………もしかして逆上せた?誠。」
「え?」
「大変、浸かりすぎか。抱き上げるね。」
え?と戸惑う声を上げる隙すら与えず、軽々と祐市は誠のことを湯から引き上げ抱きかかえてしまう。かなり入院で痩せてしまったのは事実だけど、こんなにも簡単に抱き上げられるなんて流石に誠だって面食らう。祐市は実際には自分より遥かに歳上の筈なのに、まるで全てが逆転してしまったみたいに感じてしまったのだ。
0
お気に入りに追加
249
あなたにおすすめの小説
病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない
月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。
人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。
2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事)
。
誰も俺に気付いてはくれない。そう。
2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。
もう、全部どうでもよく感じた。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
【BL】国民的アイドルグループ内でBLなんて勘弁してください。
白猫
BL
国民的アイドルグループ【kasis】のメンバーである、片桐悠真(18)は悩んでいた。
最近どうも自分がおかしい。まさに悪い夢のようだ。ノーマルだったはずのこの自分が。
(同じグループにいる王子様系アイドルに恋をしてしまったかもしれないなんて……!)
(勘違いだよな? そうに決まってる!)
気のせいであることを確認しようとすればするほどドツボにハマっていき……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる