鮮明な月

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間章 ソノサキの合間の話

間話12.生まれついての

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生れつき

その言葉が、自分は何よりも大嫌いだった。どんなに自分が必死に死に物狂いに努力してきていても、何をどうしても『生まれつき』持っている人間には絶対に敵わない。その一言が他人の口から放たれると自分には、どうやってもアイツに勝ち目なんかなくなってしまう。これまでの何もかもが全て一瞬で無駄になってしまう忌々しい呪文。

仕方がない、生まれついての才能には敵わないんだから

そう簡単に他人に言われても納得なんか出来る訳がない。それなのにこれまで何度自分はその言葉に膝をつき、苦く不味い煮え湯を飲まされてきたか。自分と殆んど年齢差のない筈の存在が、生まれつきの一言で自分より遥かに優位に道を歩く。その背中を只管に睨むだけの自分の存在。そして忌々しいことに『生れつき』を身に付けている相手は、大抵はそれに微塵も気がつきもしない。先を悠然と歩きながら振り返ることもなく、そして自分が恵まれていることにすら気がつく筈もないのだ。そして、それを知った時から自分は、相手の唯一の理解者になったのだった。

アイツの真の価値を理解しているのは自分だけ

どんなに理解したつもりで傍にいても、アイツの本当の価値を理解しているのは自分だけ。どんなに仲がよさそうにしていて表だった顔が笑顔になっていても、アイツの瞳に浮かぶ空虚な視線は変わりようがないものだ。これまでずっと何にも興味が持てずに乾いた視線を恋人や友人に向けて、興味なさそうな硬い壁に包み込まれた心を押し隠して作り物めいた仮面を着けている。

それが自分の知っている狭山明良だ…………

ほんの幼い頃には道場でも有数の才能を発揮していた明良に、それ程歳の違わない陸斗はどうやっても追い付けない。どんなに倍も練習したって、自分より華奢な筈の明良の方が桁違いの威力の蹴りを放つ。それはその身体に組み込まれた遺伝子からして違うのだと、片手で歳を数えられる内に早くも突きつけられて来た。

異彩…………

何をしていても、同じ年頃の群れの中でも光を放つ存在。それなのにその事に傲るでもなく淡々と鍛練を繰り返す明良の瞳が自分に向けられた時、初めてその瞳が何をみているのかと思った。初めて陸斗が明良に出逢ったのは、自分は5歳で明良はまだ3歳。しかも狭山家特有のあの顔立ちのせいで、明良は可愛らしい女の子にしか見えなかった時だ。それなのにその3歳児が冗談ではない天才なのだと突きつけられたあの時のことは、いつまでも記憶から消える筈もない。そしてそこからずっと明良を傍で見続けている自分が、誰よりも明良を理解しているのは覆しようがない事実なのだ。

余りにも天才過ぎて…………だからこそ明良は孤高……孤独で何者にも追い付けない

天才だからあっという間に学ぶことを学んでしまった明良は、何にも興味が持てないように常に凍りついた瞳をしていた。何一つ明良の瞳に熱を灯すこともないし、それは陸斗にだって同様の瞳を向ける。それでいい、それでも自分が明良の一番傍にいるのは分かっているから。そう思ってきたのだ。

「…………庄司?」

不思議そうに視線を向けてくる長身の青年に、庄司陸斗は物思いから我に返って目を瞬かせていた。声をかけてきた先輩・風間祥太も、基本的にはその生まれつきに恵まれた部類の人間だと思う。

頭の回転もよく、剣道の有段者でもあり、本来ならエリートコースを進めた筈の逸材。

その筈なのに、自ら意図して下っ端からキャリアを積む奇特な存在だった男。正義の味方の手本みたいな完璧な人格者で完全無欠、しかも、それをひけらかすこともしない稀有な人柄。ある意味ではお手本みたいな完璧人間だからこそ、風間は要注意人物として上がってしまったのだ。そんな風間の相棒役にまだ刑事になったばかりの陸斗が抜擢されたのは、自分が有能だからではなく有能すぎる風間の動向を逐一上層部に報告するためだった。風間は遠坂喜一の後継者なのだと誰もが思っている。

結局は有能すぎても良くない

この社会には正義の味方の中にも、必要性のある悪意が多々存在している。勿論それらの中には必要がない悪意だって少しは存在していて、当然ながら甘美なそれに浸りきる者も存在するのは言うまでもない。自分が風間の相棒に命じられる理由の一つである遠坂喜一という人間の存在は、ある意味では正義の裏側の悪意そのものだったのだろう。腐敗した悪意を裏側から表に掃き出そうとした正義の裏側に潜む悪意の一つ、だけどそれを完璧に突き詰める前に遠坂喜一は失敗したのだと言われている。何に失敗したのかまでは知らないが、遠坂は完遂前に失敗して自殺した。それでも遠坂の影響力は甚大だったから、その後を引き継いだと思われた風間に自分はこうしてお目付け役として貼り付けられたのだ。

「どうした?ボーッとして。」
「少し考え事してました、先輩。」

賑やかに笑い顔を浮かべて見せながら、風間に陸斗はヒッソリと思いを馳せる。遠阪喜一は世に言うアンダーグラウンドなんて胡散臭い世界の住人達に顔が利いて、彼らを自分の味方にしていた手足として使っていたとされていた。アンダーグラウンドなんて小説だけの物だと思っていたけれど、悪意が存在して脈打つ世の中にはどうしても影が生まれてしまう。情報戦だけでなく影では何が起こるか分からないと言うのは、三浦和希関連の事件を知れば分からなくもない。

アンダーグラウンドの住人が悪意をもって世の中に生み出し、解き放ったモンスター

それを正義の名の元に裁けなければ、影を使って裁くしかないのだと言うことも言われなくても理解はできる。それを実践したのが遠阪喜一で、でも成功しなかった。遠阪は成功しなかったけれど、その力は大きくて誰もが手にしたがる権力に近い。遠阪の死後に影の世界との連絡はリセットされ失われる筈だったのに、遠阪には風間と言う後継者を残す余力があったのだろう。だから密かに風間が再びアンダーグラウンドの住人と連絡を取り合っていると考えている者は多いし、自分が風間を見張るようになったのもそのせいだ。そしてその一端は三浦和希なのだと思われている。三浦和希がアンダーグラウンドの王だったと思われる男の後継者だと、上層部は考えているのかもしれない。

…………その三浦和希を探しだすために、風間が秘密裏に動いている

風間はここまでも再三にニアミスに近いまで、三浦の影に肉薄しているのだ。それでもモンスターであるからこそ完全には三浦は捉えきれないとはいえ、一課でほとんどの三浦事件を担当していても風間の行動は群を抜いている。

「明日は非番だろ?ちゃんと休めよ。」
「そりゃちゃんと休みますよー。ここ最近全然休ませてもらってないですから。」

呑気そうにそう答えると、風間は珍しく笑って確かにと自分の言葉を肯定する。
三浦事件の殆どが今では風間の担当になってしまっているのは、アレが特殊すぎる事件だからだ。何もかもの発端になった連続殺人事件は、警察官は関係しているとは言いきれず関係したのは警察官の身内だった。それでも、時を経ていてく内に三浦事件は大きく変容していく。現職の刑事を含めて何人もの被害者を出し、未だにその犯人は逃走を重ね続け、しかもその犯人は地方に逃れたわけでもなく悠々とこの街の中を蠢く。しかも三浦自身長年鍛えていたわけでもないのに、恐らくは自分達では取り押さえることも出来ない本当の化け物に変容しているのだと言われている。そんな状態なのに風間は、まだ完璧な信頼を置けない陸斗にはアンダーグラウンドの端すら臭わせもしない。
就業を終えて帰途につく風間のその背中を眺めながら、休みと言いながらも風間はここから密かに何か秘密裏に動くのではとも思う。当然なら自分も追いかけるべきかもしれないが、風間は跡をつけてもバレてしまうのはここまでの1年で理解した。そして上からはそれをどうにかするのを執拗に求められていて、それに陸斗自身が集中している間にあんなことが起きてしまったのだ。

明良が…………誰かに奪われるなんて…………

これまで何度も何度も、狭山明良が目を向けた相手を明良から遠ざけてきた。大人になってからは明良自身があまり交遊関係を深めなくなっていたから周りに近寄る人間は余り新たな動きを見せなくて、しかも仕事で営業に移動になった明良は慣れない営業職に新たな交友なんか作る暇もなかった筈だった。それなのに本の少しの間陸斗が目を離したら、これまでなんか比較にならない程明良を虜にしてしまったのがあの男。そんなことを忌々しく考えながらも、陸斗は思わず溜め息をついてしまう自分に気がつく。

今回は…………失敗した…………

何時ものように明良の周りに群れる邪魔な羽虫を払おうとしたつもりだった。幼い頃から続けてきたのと同じことだけど、今回に関しては想定外の自体に何時もよりも露骨だったのは認める。何しろ陸斗が久々に明良の周囲を伺ったら、見知らぬ男の同居人が生まれていて、しかも2人で暮らすために引っ越しまでしていたのだ。慌てて調べてみたら、その見知らぬ男をパートナーとして扱っているときた。

そんなの許せるわけがない。

邪魔をする存在を密かに追い払うのは、ある意味では幼い頃からの陸斗の使命のようなものだ。繰り返してきた鍛練のせいでタコができている自らの手の甲を見下ろして、陸斗は思わず目を細めている。

思ってたよりも……遥かに勘も良いし、頭が良い…………

そんな風に羽虫に感じたのも初めての事だ。本当なら何時もと同じように上手く相手を自分に依存させておいて、関係に少しずつヒビをいれていくつもりだった。だからこそ飲み屋で鉢合わせたフリをして二人の間に割り込むつもりだったのに、想定よりもあの結城晴という男は勘が良い。飲み屋で自分の方が狭山明良のことを理解しているのをアピールしてやったのに、結城は自分に歯向かうこともなく自分の言葉を飲み込んで容易く受容した。

『明良の友達なんだ?そっかぁ』

そう呑気に酔って笑いながら、再三に皮肉を放つ陸斗の言葉を何一つ問題と捉えもしなかった。そう、再三だ。陸斗は真っ先に恋人として明良から紹介された苛立ちに、幾つも幾つも言葉に嫌味を織り交ぜ、自分の方が明良のことを知っているのを匂わせた。それに加えて何度も自分の方が知っていると思わせる言葉を投げつけてやったのだ。

それなのに

結城晴という男は、それを全く傷つくでもなく受け流してみせる。しかもこれまで何一つ武術を習うこともなかったという結城は、自分には何も出来ないことすらもあっけらかんと認めて見せる。自分が弱いことを隠しもしない上に、自分が守られていることすら容易く認めてしまう。

『明良が守ってくれるから。』

天真爛漫といえば聞こえは良いが、能天気なだけで、明良の稀有な才能を一片も理解すら出来ない男。そう思ったのに、あの男はある意味では全く違う面から明良のことを理解していたのだ。
陸斗には出来ない明良の見たことのない幸せそうな微笑み。
それを守ってくれるの一言で簡単に引き出して、その明良の何もかもを一身に惹き付けてしまった男に、陸斗は正直いうと愕然とさせられていた。自分が風間に貼り付けられる事になった2ヶ月か3ヶ月という短かい期間で、これまで誰にも出来なかった事をアッサリとしてのけた結城晴。これまで誰にも攻略できなかった明良の高い心の壁を、こんなにも短い時間で乗り越えただけでなく瓦解させて明良の心を鷲掴みにしてしまった。そう陸斗は、完全に結城に明良を奪われてしまったのだ。あんなにも高く硬い籠城めいた心の壁で、誰一人そこに近づけなかった明良。孤高の花のように遠くから眺めるしかない明良に、一番近くにいたのは自分だった筈なのだ。だからあの男を早々に排除するため先ずは影からソッと揺さぶりかけて、互いに不信感を持たせるだけのつもりだった。それなのに、ついあの男に何よりも痛いところを一点突破とばかりに突かれて、あの時に関してはいつになく陸斗はカッとなってしまったのだ。

これは…………あの男がいうような汚い感情じゃない

好きなのかと問われた言葉に腹が立ったのは、陸斗が明良に持つのは好きとか嫌いとかそんな陳腐な感情じゃないからだ。もう陸斗が明良に持っている感情は、恋慕なんて甘い一言で表現できるようなものではない。20年以上も長年陸斗が持ち続けてきた明良に対する感情は、ある意味では崇拝にも近いのだと思う。孤高で凛とした高嶺の花のような孤高の王の存在であり続ける筈の明良には、あの満ち足りた幸せそうな笑顔は絶対に相応しくない。

明良は誰にも支配なんかされないし、誰かのものになんかならない。








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