鮮明な月

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間章 ソノサキの合間の話

間話3. 第3の男

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「あれー、仁聖!髪切ったの?」

深碧のと扉の向こうに広がる何時もと変わらない珈琲と紅茶の芳しい香り、それと穏やかな心地よい蓄音機の奏でる柔らかな音楽の流れる空間。改めて言うまでもなくここは何時もの喫茶店『茶樹』で、夏のアスファルトの照り返しに温度を増す暑さから脱兎のごとく避難してきた結城晴の目の前には、ノンビリとカウンターに座る源川仁聖がいる。長閑な声で目にした顔にそう口にした晴が歩み寄る先には、所謂ツーブロックと言える髪型に今迄よりかなり短く髪を切った仁聖がいた。

「うん、もう大分前にね。」

切ってから会ってなかったんだっけ?と穏やかな声で言う仁聖の様子に、晴は少しだけ驚いた風に目を丸くする。確かにあの事件の辺りから少しタイミングがあわなくて、2人は中々顔をあわせることがなかったのだ。元々モデルとして人気が出るだけあって、仁聖は整った顔立ちをしているしスタイルも良い。けれど、何だか髪を切った後の今の仁聖は、グッと一際大人びた雰囲気を全身から醸している気がする。そんな仁聖の傍まで晴が歩み寄ると、その短く刈った蟀谷の辺りに髪の毛に半分隠れるようにわりと大きい傷痕が見えてしまう。

「…………傷、平気?」
「うん、もう糸も取れてるし、大分いいよ。」

後から仁聖があの場に居合わせ拉致されたのは、花街の外れで偶々三浦和希と一緒の晴を見かけて後を追いかけていたからだとは聞いていた。偶々晴を追いかけていて偶々外崎了と路地で出くわしたら、了を密かに追ってきていた邑上誠の部下に背後から角材で殴られてしまったのだ。お陰でモデルとしては痛恨の顔に怪我をしてしまったのは言うまでもない。だが同時に仁聖自身も三科悠生の関係で、邑上誠から狙われていたのだという。タイミングとしては最悪だった訳なのだが、了を気絶させ拉致することになったスタンガンの方が仁聖を狙って追ってきていた男だったというのは何とも皮肉なことだ。
それでも顔に怪我をしてしまったからモデルのバイトも中断中という仁聖の話を聞いていて、スタンガンだったらこの傷痕は残らなかったのだろうかなんて思わず『たられば』の話をしてしまう。

「んー、でもスタンガンで気絶もそんなに経験したいことじゃないしね。」

勿論拉致なんかされないのが、一番なのは言うまでもない。それでもせめて傷痕が付かなきゃよかったのにねと晴が自嘲気味に言うのに、仁聖は呑気にそんなことを笑いながら答えてくる。思わずまるでスタンガンで気絶して拉致された事があるみたいな口ぶりだよねと晴が苦笑いで指摘すると、仁聖はそれに意味深に微笑むだけでYESともNOとも答えは返してくれない。え?ホントにある?と問いかけようとする晴なのだけれど、仁聖が思い出したように話を切り替えてくる。

「…………あ、そういえばさ?」

何気なくスタンガンで拉致からは話をそらされた気がしなくもないが、その先に仁聖が嬉しそうに話したことに晴は驚いて目を丸くしてしまっていた。



※※※



榊かぁ………………

源川仁聖はついに養子縁組して自分が『榊仁聖』になったんだと心から嬉しそうに、『茶樹』のカウンターに腰かけてキンと冷えたアイスコーヒーを飲みながら晴に話したのだった。
昨今の世情から地域によっては、その区の条例なんかで同性のパートナーを認める地区は出てきている。とは言え法律上は、まだ国内での同性婚姻は認められていない。そうなると法律上認められて家族となるには、外崎宏太や了のようや養子縁組をするのが家族となる方法ではある。了達のように仁聖は以前からずっと榊恭平と一緒に暮らすだけでなく、恭平とちゃんと家族になりたかったのだ。それが叶ったと仁聖は穏やかに幸せそうに言っていて。

家族かぁ

一緒に暮らす狭山明良もいつかはそれを望む時が来るのだろうかと、晴は1人ボンヤリと考えてしまう。確かに晴は明良が心底好きで愛してて一緒に暮らしているけれど、戸籍やなにかという点では自分達には法的な拘束力はなにもない。でも別段それでも今の状況では、晴達の暮らしとしては大きな問題がないといえなくはない。同居人として何かそういうものが必要な状況に陥ったことがないし、既に2人の関係を知っていてマンションを借りることもできていたから(たまにマンションを借りたりするのに同性同士のルームシェアなんかで、関係性を気にすることもあるとか。ただ今のマンションはオーナーの鳥飼信哉と晴達が知り合いだし、実際には他にも男性だけの複数人同居が数件あるから気にしなくて良いのだと言うことらしい。)問題を感じる事態が起きていないのだ。でもそんな現実的な問題云々ではなくて。

でも、仁聖…………幸せそうだったなぁ…………

急に一際仁聖が大人びて見えたのは、仁聖が幸せに満たされていたからなのだろうか。行く行くは自分も明良と気持ちだけでなく法的にも家族になったら、また違うのだろうかなんて考えてしまう。

「晴君?」

ポヤポヤとしながらそんなことを考えながら歩いていた晴に、突然に肩越しから声がかけられたのはそんな時。突然の声に一瞬自分が声をかけられているなんて理解が効いていなかった晴の肩に、ポンと手が置かれていた。

……え?…………何で?

そう正直疑問に思ってしまうのは、思わず振り返った先にいたのがニコニコしながら自分を見ている庄司陸斗だったからだ。何でここで会うの?というか、何で明良もいないのに自分に声かけてきたの?そう疑問満載の顔で見上げた晴に、目の前の陸斗は今回もスーツではなく普段着姿。今日も非番だったのか、陸斗はどう見ても仕事帰りには見えない。

「これからどこ行くの?晴君。」

駅前からは既に少し離れていて、住宅地に入りかけているから人気は少し疎らになっている。そんな場所でこんな風に鉢合わせてしまったら、何処に行くのと聞かれてこれから出掛けますとは言いにくい。

「え、と?か、帰り道?」
「そっか、じゃ一緒に帰ろ?」
「え、と?はい?」

ニッコリと笑いかけながら陸斗に問いかけられて、一応は疑問系にではあるか素直に晴も答えはするけれども。それでもこの問いかけに、これは一体どういう状況だと思ったらいいのか晴にも分からない。しかも、何でか帰途だと答えたら当然みたいに横並びに並ばれて陸斗と連れだって歩きだしてもいる。

「えと、刑事さん、って……。」
「陸斗、だよ?晴君。」
「陸斗……さんって、家、近くですか?」
「え?違うよ?」

平然と答えられるけれど、違うと答えた陸斗は棲みかを説明する様子はない。自分の住んでいる場所は教える気はない様子で、一緒に歩きだしているのはどう言うことなのだ。

ええと、これって…………家までくるって…………こと?

当然みたいに2人で家に向かって歩きだしているけれど、明良が嫌っている男を晴がワザワザ家まで連れ込むことになってしまってはいないだろうか。はてなマークを沢山頭の上に浮かべつつ歩いている晴の様子に、陸斗は面白いものでも眺めているように目を細める。

「ねぇ晴君?」
「は、い?」
「どうやって明良とできたの?」

できた?この問いかけの意味は何?一瞬意味が分からなくて晴がキョトンとしたのに、陸斗は分からないのかなぁと言いたげに唇を少しだけあげて見せた。

「明良って堅物だからさ?どうやっておとしたの?晴君。」

そうだった、陸斗は明良の事をよく知る幼馴染みなのだ。つまりは明良の事を良く理解していて、明良がどんな人なのかよく知っている。明良が以前はあんまり他人に興味がなかったと話していたのを、直に体験として知っているのだ。だけど幾ら幼馴染みのこととはいえ、その恋人にどうやって落としたと聞くのはどうなんだろう。いや、これが例えば槙山忠志とか三浦和希に聞かれたり、仁聖からねぇねぇ晴ってさ?と聞かれたのなら、きっと体感としては違う筈。何故こんなにも棘がある気がしているのかと、晴は瞳をパチパチと瞬かせていた。

「ねぇ、晴君ってネコ?」

サラリと聞かれた言葉に一瞬何を問いかけられたのか分からなくて、晴はカチンと凍りついてフリーズしてしまう。それでも問いかけてきた相手の笑顔は何一つ崩れる気配もなく、晴は自分の耳が聞き間違ったのではと『何って言ったの?』と思わず小さな声で問い返してしまう。

「だから、君がネコちゃんなの?まさか明良の方がネコ?」

平然とした顔で再び毒のある言葉を問いかけながら陸斗が覗き込む。その陸斗の目が全く笑っていないのに気がついて、晴は思わず足を止めて目の前の男を見上げる。やはり何ががおかしくて心の琴線に引っ掛かっていたのだけれど、この目は明らかな害意を自分に向けていた。勿論言葉の意味は理解できなくはない。2人のどちらが相手の陰茎を受け入れているのかと聞かれているのだけれど、それは2人の間の問題で第3者の陸斗に自ら教えることでもない。

「…………答える必要…………ない、です。」

何だか可笑しなくらいに、強張って声を落としてしまう。そんな晴に目の前の青年の愛想の良い笑顔は、仮面のように崩れることもない。それなのに自分を見下ろしている目だけが全く熱を感じさせない氷のような光で射ぬいてくるのに、晴は戸惑いながらも感じていた引っ掛かりはこれだったのだろうかと相手を見つめる。

「やだなぁ?素直に答えてくれても良いんじゃない?俺、明良の幼馴染みなんだよ?」

幼馴染みだろうと恋人との間の性的な事は、全くのプライベートで陸斗には関係がない。それに対して何故か軽い溜め息混じりに陸斗は、晴の瞳を覗き込むようにしてまるで笑っていない氷の目で真正面から見据える。

「どうやって男の体で明良を誑かしたのか、知っときたいんだよね。」

思わずグッと言葉に詰まる。目の前の男に、自分が明良を誘惑した毒婦みたいな存在という認識なのだと晴も気がついてしまったのだ。あの時、ベットで明良と陸斗を割くように間に晴が挟まる形で寝ていたのは、晴が酔っていたとは言え無意識に陸斗の意図に気がついて割って入っていたからなのかもしれない。

「あれ?何?その顔。」

ニッと笑いかけて来た顔は初めて見る害意のある笑みで、こんな風に敵対心のある顔の方が相手がどんな人間か分かると思える有り様だ。それでも反論どころか口を開こうとしてこない晴に、陸斗は低い声で舌打ちして呟く。

「わりと頭良さそうだな、お前。」

どういう意味とは思うけれど、下手なことを口にしたら何か良くない気がする。陸斗の害意の範囲すら分からないけれど、これは明良の恋人に収まった自分への悪意なのだ。つまり陸斗は明良に何らかの好意を寄せていて、明良が苦手意識を持つほど何らかのアプローチをしていたということになる。

「…………いつの間に近寄ったんだ?お前。刑事になって少し間が空いたらこれだ。」
「は?」
「予想外だったよ…………女はずっと牽制してきたのに。」

突然何を言い出すかと思えば、明良は高校から関わりがなくなったと話していた筈なのに、陸斗の認識は全く違っているのだ。陸斗が刑事になったのは外崎宏太の話だと宏太の幼馴染み・遠坂喜一が亡くなってからだというから、明良と晴が交際し初めた丁度1年前前後のこと。晴達の交際期間はまだ短いが、2人の関係性は一気に深まったと言える。だけど、牽制していたという発言は何なのだ。

「は?なに?牽制…………?」
「女は簡単なんだよな、明良はあぁいう性格だからさ?女って少し相談に乗れば揺れるから。」

あんまりこれまで女性との交際は、長続きしてないと明良が話していたのが過る。余り慣れない人との交際に積極的ではない明良と、一見すると人懐っこくて爽やかで話しやすい印象を受ける陸斗。幼馴染みだから相談に乗ると笑顔で話しかけてきた相手が、確かに明良の事をよく知る幼馴染みで親身に相談に乗ってくれるのなら?

「後は寝とっちゃえば簡単なんだけど、今度は男だなんて予想手しなかった。」

身の回りに女がいなかったからと安堵していたのに、突然明良が男と一緒に暮らし始めて。しかもその男と一緒に実家に行き旅行にまで行き、あまつさえ終の棲家みたいなファミリー型マンションなんかに転居して暮らし始めたのだ。

「ルームシェアじゃないし、身体込みだなんて信じらんなかった。何なの?どうやってあの明良を男の身体で篭絡した訳?どうやってその気にさせたの?」

何でこんなことを道端で晴は詰め寄られて聞かれているのだろう。
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