鮮明な月

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間章 ちょっと合間の話3

間話54.クオッカ

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いつになく子供が怯えるような様子を滲ませている外崎宏太は、ソファ―の上で外崎了の事を抱き締めたままでいる。既に完全に夜の帳の落ちた中で宏太に抱き締められたまま、薄暗い室内を眺め了は宏太はどんな世界に生きているのかと何とはなしに目を閉じていた。
真っ暗な何も見えない世界の中で、抱き締められている腕の暖かさだけがハッキリ際立つ。
宏太が感じている世界もこれと同じなのだろうかと思うと、宏太が話したことが充分ではなくとも理解できない訳ではない。ただ軽く目を閉じただけで全てを理解できる訳ではないけのだけれど、それでも少しは理解しておきたいと了は願う。宏太が少しでも穏やかに過ごせるようにと今の自分は何よりも願うし、宏太自身も以前よりずっと二人でいることを大切にしているのだから。そんなことを密かに心の中で思いながらも、こうしてじっと抱き締められていると思わず暖かさに微睡んでしまいそうになっていた。

「…………了?…………寝たのか?ん?」

ソッと柔かな声が小さく耳元で問いかけてきて、寝てないと答えようかと少し迷う。了が迷う間に眠っているのだと判断したのか流石に卒倒したばかりの宏太としても何時ものように了を抱き上げて……という自信もなかったらしく、そのままゴロンと了の身体を抱き上げたままソファーに仰向けになっていた。勿論室温調整は万全なのは言うまでもないが、暖かな互いの体温は心地よくて幸せを感じるものだ。視線をソッと向けると穏やかな口元が緩く綻んでいて、了はつられて微笑みながら迷うことなく宏太に身体を預ける。そんな反応には気が付いていないのか宝物でも抱えていると言いたげに、了を確りと抱き締めたままスゥ……と宏太が眠りについたのが了にも吐息で分かっていた。

それにしても、普段………………晴の事あんなにからかってるのになぁ…………

普段の宏太は常々結城晴が怖がるのを面白がって、幽霊の足音や声が聞こえるなんて事を言って脅かしまくっている。それなのに宏太のこんな様子を見てしまうと、当の宏太も実は案外と怖がりなのかもしれないなんて考えてしまう。まぁ、それをここで了が指摘すると確実に宏太は否定するのが目にみえているけれど、そんなとこは晴と宏太は実は少し似ているとこがあるもんなのかなと内心で了は笑う。
最近の宏太は表には出さないけれど晴の事を実は凄く気に入っていて、晴の身体を心配して恋人の狭山明良に釘を指して労るように仕向けたりもしている。明良が晴が友人と出掛けるのを心配してやって来たのに、わざわざ居酒屋・伊呂波の『耳』を使ってやったりもしているのは、宏太が密かに晴のことを心配しているからだろう。基本的に宏太は気に入った相手には表立っては言わないが親身で何でもしてくれるタイプのだが、何分性格がひねくれていて口が悪いで素直にそれを表には出さないだけなのだ。

………………晴……もなぁ

既に晴が元同僚の白鞘知佳に何をされたかは、了だって知っている。白鞘を擁護するつもりはないが、了自身が晴に手を出したことがあるから分かるものもある。晴には心を許した途端に晴は酷くガードが甘くなる面もあって、どこか危うい一面に欲望を煽られてしまう。それが理由としても正しい訳ではないのだが、今回の事に関して了はあえて関与しないことに決めていた。了自身がそれに関して何か言えることがないのは、自分が過去に人を傷つける行為をした方の人間だからだ。

恭平は謝罪は受け入れてくれはしたけれど………………

自分が恭平を犯して傷つけたのは疑いようのない事実だし、晴にたいしてだって同様だ。それを考えると、こうして宏太の傍で過ごせるようになって後悔や様々な思いに時に泣き出したくなるほどに揺さぶられる。それでも眠りに落ちている宏太の確かな鼓動に耳を寄せると、コトンコトンと規則正しい音に気持ちが緩んで、改めて考えることもできるようになった。

…………晴も……少しずつでいいから………………

結城晴の人生をかえたのが自分なのだという自覚は確かにあって、もし自分とであっていなければ晴はあのまま会社に勤めていて、あの竹田知奈という女性と家庭をもっていたに違いないと思う。それを突き崩したのは自分の自己中心的な嫉妬や羨望で、本来晴が普通に幸せになる筈の未来を変えたのは自分だ。今の晴はこうして明良と幸せになろうとしているけれど、晴が望むのなら了だって少しでも助けになりたいと考えていた。

「ん…………。」

微かな寝言混じりの吐息で改めて強く抱き寄せられて、了は思わず笑みを敷きながら宏太の顔を改めて眺める。こうして表だって少しずつ変わってきている宏太の中にも数えきれない程の後悔があるのを、了はちゃんと知ってもいた。

遠坂のおっさんの声かぁ………………

なんで今更とは少しは思うけれど、産まれて直ぐからこれまでの長い二人の関係のあり方の全てを了だって知っているわけでもない。宏太の中には未だに整理しきれないものだってあるのかもしれないし、他の幼馴染みの事だって比較すれば宏太の基準としては縁遠い家族よりも身近で大事な存在なのだ。そう考えた瞬間、ふと宏太の他の幼馴染みの顔が浮かぶ。

藤咲信夫と鳥飼梨央

生き残っている二人の幼馴染み。一人は仕事の関係で割合顔を合わせることも多いが、もう一人の方は最近事情があって暫く連絡をしていない。というのも鳥飼夫婦は結婚して早々に新居の着工に手をつけていて、最近ついにその新居に引っ越したばかりだった。荷物が少し落ち着いたら新居に招待すると言われていたが

そういえば…………そろそろ…………

そんなことを宏太の腕の中で一人で考えていたのだが、了はいつのまにか微睡みそのまま宏太の胸の上に乗せられて眠りに落ちていたのだった。



※※※



トボトボと足元に視線を落としながら結城晴は、了に言われるまま帰途についていた。けれど自宅にはまだ狭山明良は帰ってきていないし、もしいたとしても今のこの顔で帰宅なんかしたら明良に何事かあったの?と心配されるに違いない。

社長が倒れるなんて…………

後でちゃんと説明するとは了は言ってくれたのだけれど、あれはどう考えても発端は自分の発した言葉のせいのような気がしていた。『後悔』生きていたらしない筈がないなんて、考えなくても分かることなのに八つ当たりで口にした言葉に晴はただ唇を噛むしかないでいた。

何なんだ…………俺…………

ここ暫くの自分は余りにも不甲斐ないし、訳が分からない事ばかりしていて結局は後悔ばかり。それにこうして自分がしたことを償いもせずに、ただ深く後悔だけに飲まれるばかりの現状にも戸惑うしかないでいる。駅前の通りをトボトボと歩きながらそんなことを考え続けていた晴は、目の前にサッと影が射したのに気が付いて視線をあげていた。

あれ?

どこかで見覚えのある顔立ちの青年。でも、どこで出逢ったかは思い出せないし、何故かその青年はぶつかりそうになった晴の事を真正面から見つめて立ち尽くしている。年頃は多分自分と同じか、少し下なのか。身長は僅かに相手の方が高いが、全体的には相手の方が華奢でしなやかな中性的とも言える体つき。冬の夕暮れの寒さの中ではより冷たく感じるような鮮やかな金髪に、こちらもカラーとしては鮮やかな緑の縁の眼鏡をかけている一人の青年。どこかで出逢ったと思うのに、記憶からうまく引き出せなくて、相手もそれに気が付いているから目の前から動かないでいるのか。
駅前に近い割合人気のある道で、こんな風に対面で見つめあっている奇妙さ。

「えっと………………。」

マジマジと真正面から顔を見つめられていて言葉に困った晴に、不意にその青年は人懐っこい笑顔を顔に浮かべて見せた。

「久しぶり。」

ニッコリ笑みを向けられて、そう少しハスキーな掠れ声で言ってきたのは相手。ヤッパリ知り合いだったかと頭の中では思うけれど、晴には残念だけど未だに相手が誰だったか何処で出逢ったのか思い出せないから思わず作り笑いが浮かぶ。

あれ?ヤバい……思い出せない…………

目の前の相手に見覚えが確りとあるのに、どうしても記憶からは名前も人となりも何一つ情報が出てこない。いったい何処で出逢ったんだっけと戸惑うけれど、相手は人懐っこい笑顔のままニコニコと晴の事を見下ろしている。

「あの……すんません、思い出せなくって…………。」

ここまで人懐っこい感じだと会話の中から思い出す迄誤魔化しようは可分にありそうだけど、それが出きるのは晴自身が調子が良いことが前提。今の晴には上手く出来そうにもないから、記憶にないと素直にそう口に出すと相手は驚いた様子で目を丸くして晴をもう一度マジマジと眺めて笑う。

「はは、うん。俺もちっとも思い出せなかったから。」
「は?」

なんて事だ。相手も思い出せないのに『久しぶり』なんて、話をあわせるように声をかけたのだと相手から素直に教えられて呆気にとられる。それでも呑気に気取りなく相手がニコニコと話しかけてくるものだから、何故かそれほど悪い男ではないのだろうしなんて晴も苦笑いで思ってしまう。

「いや、あんたがじっと真ん丸の目で俺の事見るからさ、俺の知り合いかなって。」

真ん丸なんて相手から言われるのは腑に落ちないが、確かに不躾にマジマジと先に見てしまっていたのは晴の方だった。それが顔に出たのか相手は少しだけ眉を潜めてニカッと笑う。

「あんた、ここいらに従妹とかいない?」
「は?い、いないけど。」
「そっか、おんなじような真ん丸な目してるから、親戚かと思ったんだけどなぁ。」

途轍もなくフレンドリーにそんなことを言い出したが、それではなおのこと知人ではないような気もする晴に相手は暫しマジマジと眺めたかと思うと唐突に手首を掴む。見ず知らずの男に突然そうされて拒絶しようにも、相手の力はとんでもなく強くてあっという間にズルズルと引きずられ歩き出されて晴はその状況に泡を食う。

「あ、あの?あの?なに?」
「あんた、元気無さそうだからさ、なんか甘いもん食おう。」
「はぁあ??!」

訳の分からない発言の勢いに唖然として飲まれている場合ではないのだけど、恐らく?初対面の同年代男性に元気がないから甘いものを食おうなんて訳の分からないことを言われ、しかも相手はとんでもなく力が強くてほぼ引きずられて歩いている。しかもこんな時に限ってここらで出逢いそうな面子は鉢合わせすることもなくて、一番最寄りのコジャレた喫茶店に連れ込まれる始末。

こんなの有りか?

しかも目の前で連れ込んだ方の青年が、当然みたいに甘味のメニューを上から下まで制覇するような勢いで頼み始めたのに呆気にとられてしまう。ケーキ全種類から

「そ、そんなに誰が食うの?金ないよ?そんな。」
「え?俺。俺が誘ったから、別に気にしなくて良いよ?金は。」

さも当然みたいに青年は上から全て頼み尽くしたけれど、オーダーを聞きに来た方の店員も余りの量に唖然としているというのに、青年と来たら「あ、あんたの分忘れてた、全部二個ずつ?」なんて事を言い出す始末だ。流石にそれは無理だと遠慮すると、ならどれか気に入ったの食べればなんて平然という。二人の会話に唖然としていた店員も青年から出来たとこからで良いからと言われ、我に帰って厨房に駆け戻っていった。その様子を眺めながら、とんでもなくにこやかに青年は笑う。

「ほんとは違う店がお勧めなんだけどさぁ、場所忘れちゃったんだよね、俺。」

金髪を揺らしながら、そんなことを呑気に言う青年に晴は何なんだと目を丸くする。随分と忘れっぽい男なのか呑気そうにそんなことを言っているけれど、実際のところ晴はまだ相手が誰なのか思い出せないでいるのだった。

「仕事の関係だっけ……?」
「え?俺、多分一回もマトモに仕事したことないよ?」

なんだそりゃと言いそうになったが、ヘロッと笑いながら相手から呑気にそう帰されてしまう。晴は真っ先に運ばれてきた薦められるままにケーキを二人でパクつきながら、なおのことなら何処であったんだっけ?と二人揃って首をかしげてしまう。相手は生来の性格なのか途轍もなく親しげだし、どこかで逢った気がするのに何時何処で会ったのかだけが思い出せないのだ。

「ま、いいよ。思い出さなくてもさぁ。少し元気出た?」

ケーキを口におさめて端と言われた言葉に気が付くが、とんでもない勢いで押しきられていつの間にかさっき迄のウダウダと暗い気持ちが何処かに飛び散っていたのに晴は目を丸くする。その様子を見ていた青年は楽しそうに、ほらその目と指差す。

「ほら、真ん丸。良く似てるんだよな、クオッカと。」
「クオッカ……ってカンガルーみたいなやつ…………?」

そうそうと呑気に笑うけど、クオッカと言うのは有袋類の一種で小型のカンガルーのようなもの。そして常に笑顔を浮かべているようにみえる動物なのだが、それに似ていると言われて成人男子が喜べる筈もない。ムゥと腹立たしそうに頬を膨らませる晴に青年は気にするでもなく、平然と途轍もない勢いでケーキを平らげていく。
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