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第十六章 FlashBack2
223.
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方法は簡単だ、言質をとるんだよ。
そう金子美乃利に向かって静かに告げたのは、一見すると胡散臭い事この上ない御面相の男だった。だが、その男が美乃利を呼び止めて話したことは美乃利の現在の状況を的確に指摘もして、しかも美乃利の運命を変えてくれる天の助け。
※※※
その時わ夕暮れの街中を苛立ちを隠しもせずに足早に歩き続けながら、無意識に親指の爪を噛み美乃利は先を急いでいた。こんな事態になるなんてと心の中で繰り返さずにはいられないのは、自分をこうして呼び出したのが徳田高徳だから。取り巻きは終わりとハッキリ言った筈なのに、その件で出てこいと呼び出されたからなのだ。
今は美乃利にとって一番大事な時期で、この状況で全てを曝露されたらこれ迄の一年が無駄になってしまう。それなのに、ずっと上手く操れていた筈の男が、美乃利には今一番面倒な存在になってしまっているのだ。別段相手に支払うための資金がどうこうではない、資金はまだ美乃利自身の許容の範疇。けれどこんな風に相手が約束を一度守らないということが分かったら、この男はこれからもずっと同じことを繰り返してくるに違いない。美乃利が目的を果たして完全に計画が終了して、曝露されても痛くも痒くもなくなるまでは男は金を無心するのではないかと感じてしまう。そうでなければ邪魔をするとここで脅されたら、徳田にも気を配らないとならないなんて美乃利の手間が増えることになる。
何なの、ほんとに
こんなことなら最初からあの男の計画になんか耳を貸さなきゃよかったとキチキチと爪を噛みながら足早に歩く美乃利の前に、不意に酷く背の高い男が立ちはだかった。美乃利が半分俯き加減で歩いていた事もあって、その男が前に立ちはだかった時には夕闇が一段と濃くなって暗闇に放り込まれたように感じてしまう。そして避けきれずにその胸にぶつかってしまって謝るべきか文句を言うべきか迷った瞬間、その確りとした体格の男は低く少し掠れ気味の声で美乃利に向けてこう告げた。
「あんまり爪は噛まない方がいいな、金子のお嬢さん。咬爪症って言うんだ、そういうのをな。」
咬爪症もしくは咬爪癖とも言うが、所謂爪を噛む癖の事。子どもに多く見られる癖の一つで、爪噛みは精神的な未熟さや社会への適応の問題があっての行動であるという。原因を取り除くことで解消することが多いとされるが、成長とともに感情をコントロールできるようになり自然と噛まなくなっていくケースも少なくない。これが大人になっても噛んでいる場合があって、神経質な性質や精神的な未熟さがみられる場合に多いとされている。大人の咬爪症は仕事や人間関係でストレスが溜まっていたり、イライラしたりしている時に爪を噛むと心が落ち着くと感じて続く場合が多いらしい。美乃利の爪を噛む癖は確かに子供の頃からの癖ではあったが、一度はなくなってもいたのにこの状況に置かれてから目立つようにもなっていたのは正にそれに当てはまる。それはさておき
「…………あなた、誰?」
思わずそう言わずにはいられなかったのは、周囲の逆光の中で影になった長身の男の異様さからだ。夕暮れ時に瞳の見えないほど濃いサングラスをかけているのもあるが、どう見ても美乃利の知人では無いことだけは直ぐに分かった。それなのに男は自分を金子のお嬢さんと呼んだのだから、自分の事を知っていて話しかけてきたのは言うまでもない。そして男が少しだけ顔を動かしたので、やっと男の顔が酷い傷に覆われていたのに気がつく。そこでやっと男が盲目なのだと美乃利は気がついて、何故この男は自分が爪を噛んでいたのを知っているのかと不思議に思っていた。
※※※
あの男・外崎とその男は名乗って来たのだが、やはり今まで会ったこともなければ話したこともない男だった。無惨な顔の傷跡は何か大きな事故にでもあったのだろうか、傷がなければスタイルもよく大人の色気も漂わせて人目を惹いたに違いないと思わせる。そんな男が穏やかにだが掠れ声で美乃利に話したことは、正直言うと美乃利にとっては渡りに船と言える話だった。
外崎という男は美乃利に、最初からこれは取引だと告げて話し出している。最初から真っ当に取引として話しかけてきて、しかもそのための情報を惜しみ無く開示して、嘘の必要もない理由も明確過ぎて疑う余地もない。その全てを聞いた時に、比較してどれだけ自分が徳田の話を鵜呑みにしていたかにあいれてしまうほどだ。取引の内容を聞かされなかったら、恐らく美乃利は徳田高徳にどう対応していいか分からないままにここにやって来ていただろうし、それに下手をしたら美乃利にとって最悪の手段をとられたか、もしくは美乃利が知らないまま最悪の結果をとったに違いない。
伊呂波に呼び出されてんのか、そりゃいい。
美乃利が徳田に呼び出されているのだと告げると、外崎はそう低く笑う。何がいいのと食って掛かった美乃利に、その店なら自分の顔が利くから美乃利の身の安全は確約できるなんて外崎は悠然と口にしてきたわけで。そんなの信じられないと大声で言いたいのに外崎の放つ絶対の自信に負けて、外崎の言うとおり徳田に少し遅れるからと美乃利が連絡したら、代わりに目の前で外崎は件の居酒屋の店主に電話して何時もので頼むなんて当然みたいに言い出したのだ。
部屋をな、あんたに安全なとこに変えてもらっておく。後は高い酒でも飲ませておく事にして……
そんなことを言いながらニヤリと悪どい笑いを浮かべた外崎は、それじゃ俺と少し話をする時間が出来たなと口にして美乃利をとある喫茶店までつれていったのだ。そこは以前に源川仁聖が行き着けているという噂もあった駅前の大通りの外れの喫茶店だけど、今は店の事がそこは重要ではない。
外崎は改めてその喫茶店で、正当な対価を提示して美乃利に取引を二つ持ちかけたのだ。
一つは美乃利が画策してきた美乃利の結婚に関することで、これに関しては詳しくここで説明するのは面倒なので割愛。後で詳しく説明する機会があったらすると言うことで我慢して貰いたい。少なくとも今までは考え付かなかった方法だし、それは目から鱗の方法でもあったとだけ言わせて貰う。そしてあと一つの取引というのが、今一番の問題である徳田という男に関するもの。それはこれからどうやって美乃利が徳田を排除すればいいかということだったのだが、それに外崎が真っ先に説明したのが
方法は簡単だ、言質をとるんだよ。
と言う最初の言葉なのだった。言質をとる、それってどういうことと問いかけた美乃利に、外崎という男が喫茶店の片隅のソファーに深く腰かけながら提示してきたのは徳田高徳の秘密だった。ただしその秘密を知ったからと言って、美乃利がそれを直ぐ活用できるわけではない類いの秘密。というのも言ったとおり相手の言質をとらないと、これは相手への攻撃には生きてこない代物なのだ。
何よりも大事なのは徳田自身に言わせるのが大事なんだ。わかるか?お嬢さん。
と彼は話す。だから徳田の口を滑らかにしてハードルを下げるためにしこたま高い酒を飲ませて、しかも美乃利が計画をまだ続けたいのだと徳田に思わせながら話さないとならない。そんなのは無理だと思ったのだけれど外崎という男は今回だけは助けてやっても言いと穏やかに言い、美乃利の前にそっと小さな機械を差し出していた。
それを頭の中で思い起こしながら、美乃利は個室居酒屋の一室でその言葉を繰り返す。
「徳田さん…………と付き合うと何か利点がある?」
その言葉に目の前の酒に酔った男はほんの少しだけ訝しげに、美乃利の顔をジッと見て利点と呟いた。今の話では美乃利の利点は相手が計画を内密にするということだけで、それ以外の点では何一つメリットはない。だけどこれを聞くことで少し美乃利が、徳田の申し出に揺れているかのように聞こえもするのだ。脅されて付き合うのではなく何か美乃利にとっても利点になるもの、それがあるかのように美乃利は目を輝かせて身を乗り出す。
「そうだ、まずこれね。忘れてたわ、遅くなってごめんなさい。」
「あ、ああ、金……な?」
そう美乃利はにこやかに笑みを浮かべながら当然みたいに徳田に向かって纏まった六枚の万札を差し出して、徳田は目を丸くしながらそれを見下ろす。もう取り巻き入らないと宣言した美乃利がこうしてまた何事もなかったように金銭を支払うとは思わなかったのだが、差し出された札は本物で徳田は当然のようにそれを受け取る。それを徳田が札入れにしまい込んだのを見つめてから、美乃利は内緒の話でもするように再び身を乗り出してきた。
「それでね?教えて欲しいことがあるの。」
「え?」
そうか、美乃利が何か自分に聞きたいことがあるから、この関係をまだ続ける気になったのだと改めて気がついた徳田は、掌を返したような彼女の態度に納得しながら酒をあおる。世間知らずのこの箱入りお嬢様は、この状況でもまだ自分に信頼をおいていると思うと本当は笑い出しそうになってしまう。何でもかんでも言われるがままで上手く踊らされているのにも気がつかない馬鹿なお嬢様のお陰で、徳田はこうしてまだ暫く甘い汁を舐めていられるのだから感謝しないとならない。そう思ったが、質問の内容は少し徳田にとっては想定外で、答えに困る代物だった。
「徳田さん、海外に留学してたわよね?」
「え、あ、ああ。」
「休学留学でしょ?どこの大学に行ったの?」
「ええ?あ?ええっと…………。」
日本の大学に籍を置いたまま休学して海外に半年~1年間留学することを休学留学といい、在籍している大学の協定校に関わらず、自分の目的・希望に合う留学先やプログラムを選ぶことができる。去年一年を休学して留学していたという徳田に向かって、美乃利は神妙な顔をして相談に乗ってと改めて身を乗り出していた。
「今はいいわよ?徳田さんがいるもの。」
それは徳田を信頼しているという美乃利の発言で、徳田は安堵もするが内心では困ったことになったと考えもしている。自分の学籍の説明のために発したその一言を、美乃利がここまでちゃんと記憶しているとは思ってもいなかったのだ。
「徳田さんが在籍中はいいけど、徳田さん今年卒業よね?…………来年になったら私、誰にも頼れなくなるわよね。」
「そ……うだな。」
「気がついたんだけど留学したら後一年逃げられるわよね、そうでしょ?良い案でしょ?徳田さん、そう思わない?」
矢継ぎ早に問いかけられる美乃利の言葉に徳田は一瞬呆気にとられてしまう。そんなに簡単に留学なんか出来るかと言ってやりたいが、この美乃利の発言はこれまで交流してきた普段の美乃利と大差がないものに聞こえる。つまり徳田が大学にいるうちは良いが来年のために自分に留学の方法を教えろと言われているのだが、それに徳田は戸惑いを隠せない顔を浮かべて言葉に詰まる。
「ね?どこに行ったの?どこの大学に行ったの?どれくらい資金はかかるの?準備期間はどれくらいした?それに、海外に渡ってどんな風に暮らしたの?」
「ちょ…………突然、なんだよ、待てって。」
「うちの大学なら、認定があるわよね?徳田さん、海外で何の単位とってきたの?やっぱり語学?それとも別なもの?」
「は?たん、い?」
美乃利が話しているのは留学先で取得した単位を日本の大学の単位として認める『認定留学制度』のことで、当然自分達が通う国立大学には認められている。だけど徳田は美乃利の言葉が何のことをといかけているのか分からずに、戸惑いの声で返すしかないのだ。
「……やだ、徳田さん、酔ってるの?大事な今後の計画なんだから、ちゃんと答えてよ。」
少なくとも美乃利が今後も資金提供しながら関係を継続するのを拒絶していないのだと安堵したのか、徳田はええっとと何とか答えようと思案し始める。言葉に詰まっている徳田の様子を酔いのせいだと思い込んでいる美乃利には正直馬鹿な女でよかったとは思うが、それに気がつかない美乃利は身を乗り出して更に興味深そうに問いかけてくるのだ。
「…………留学に躑躅森教授から推薦貰っていったの?」
「そうそう、躑躅森教授からね。」
「留学にやっぱり有利なの?」
「そりゃ勿論、躑躅森教授の推薦だしな。」
へぇと美乃利は感心したように笑うと、やっぱりそうなんだと納得したように呟く。推薦に教授、その言葉に納得した美乃利は溜め息混じりの深い吐息を吐きながら、俯い困惑に満ちた言葉を溢す。
「推薦なんて、どうやったら貰えるの?私には……無理…………、何かコツがある?」
「コツ……かぁ…………、あれだな、ほら、相手のさ、興味のある事をさ。」
「躑躅森の、興味のあるもの?何それ?」
美乃利に問いかけられても、呂律の回らない徳田には直ぐにはその答えが出せない。それでも美乃利が話に乗ってくるのに気を許して徳田は更に上機嫌に話続けていて、美乃利はにこやかに笑みを浮かべながらテーブルに肘をついて頬杖をつく。
そう金子美乃利に向かって静かに告げたのは、一見すると胡散臭い事この上ない御面相の男だった。だが、その男が美乃利を呼び止めて話したことは美乃利の現在の状況を的確に指摘もして、しかも美乃利の運命を変えてくれる天の助け。
※※※
その時わ夕暮れの街中を苛立ちを隠しもせずに足早に歩き続けながら、無意識に親指の爪を噛み美乃利は先を急いでいた。こんな事態になるなんてと心の中で繰り返さずにはいられないのは、自分をこうして呼び出したのが徳田高徳だから。取り巻きは終わりとハッキリ言った筈なのに、その件で出てこいと呼び出されたからなのだ。
今は美乃利にとって一番大事な時期で、この状況で全てを曝露されたらこれ迄の一年が無駄になってしまう。それなのに、ずっと上手く操れていた筈の男が、美乃利には今一番面倒な存在になってしまっているのだ。別段相手に支払うための資金がどうこうではない、資金はまだ美乃利自身の許容の範疇。けれどこんな風に相手が約束を一度守らないということが分かったら、この男はこれからもずっと同じことを繰り返してくるに違いない。美乃利が目的を果たして完全に計画が終了して、曝露されても痛くも痒くもなくなるまでは男は金を無心するのではないかと感じてしまう。そうでなければ邪魔をするとここで脅されたら、徳田にも気を配らないとならないなんて美乃利の手間が増えることになる。
何なの、ほんとに
こんなことなら最初からあの男の計画になんか耳を貸さなきゃよかったとキチキチと爪を噛みながら足早に歩く美乃利の前に、不意に酷く背の高い男が立ちはだかった。美乃利が半分俯き加減で歩いていた事もあって、その男が前に立ちはだかった時には夕闇が一段と濃くなって暗闇に放り込まれたように感じてしまう。そして避けきれずにその胸にぶつかってしまって謝るべきか文句を言うべきか迷った瞬間、その確りとした体格の男は低く少し掠れ気味の声で美乃利に向けてこう告げた。
「あんまり爪は噛まない方がいいな、金子のお嬢さん。咬爪症って言うんだ、そういうのをな。」
咬爪症もしくは咬爪癖とも言うが、所謂爪を噛む癖の事。子どもに多く見られる癖の一つで、爪噛みは精神的な未熟さや社会への適応の問題があっての行動であるという。原因を取り除くことで解消することが多いとされるが、成長とともに感情をコントロールできるようになり自然と噛まなくなっていくケースも少なくない。これが大人になっても噛んでいる場合があって、神経質な性質や精神的な未熟さがみられる場合に多いとされている。大人の咬爪症は仕事や人間関係でストレスが溜まっていたり、イライラしたりしている時に爪を噛むと心が落ち着くと感じて続く場合が多いらしい。美乃利の爪を噛む癖は確かに子供の頃からの癖ではあったが、一度はなくなってもいたのにこの状況に置かれてから目立つようにもなっていたのは正にそれに当てはまる。それはさておき
「…………あなた、誰?」
思わずそう言わずにはいられなかったのは、周囲の逆光の中で影になった長身の男の異様さからだ。夕暮れ時に瞳の見えないほど濃いサングラスをかけているのもあるが、どう見ても美乃利の知人では無いことだけは直ぐに分かった。それなのに男は自分を金子のお嬢さんと呼んだのだから、自分の事を知っていて話しかけてきたのは言うまでもない。そして男が少しだけ顔を動かしたので、やっと男の顔が酷い傷に覆われていたのに気がつく。そこでやっと男が盲目なのだと美乃利は気がついて、何故この男は自分が爪を噛んでいたのを知っているのかと不思議に思っていた。
※※※
あの男・外崎とその男は名乗って来たのだが、やはり今まで会ったこともなければ話したこともない男だった。無惨な顔の傷跡は何か大きな事故にでもあったのだろうか、傷がなければスタイルもよく大人の色気も漂わせて人目を惹いたに違いないと思わせる。そんな男が穏やかにだが掠れ声で美乃利に話したことは、正直言うと美乃利にとっては渡りに船と言える話だった。
外崎という男は美乃利に、最初からこれは取引だと告げて話し出している。最初から真っ当に取引として話しかけてきて、しかもそのための情報を惜しみ無く開示して、嘘の必要もない理由も明確過ぎて疑う余地もない。その全てを聞いた時に、比較してどれだけ自分が徳田の話を鵜呑みにしていたかにあいれてしまうほどだ。取引の内容を聞かされなかったら、恐らく美乃利は徳田高徳にどう対応していいか分からないままにここにやって来ていただろうし、それに下手をしたら美乃利にとって最悪の手段をとられたか、もしくは美乃利が知らないまま最悪の結果をとったに違いない。
伊呂波に呼び出されてんのか、そりゃいい。
美乃利が徳田に呼び出されているのだと告げると、外崎はそう低く笑う。何がいいのと食って掛かった美乃利に、その店なら自分の顔が利くから美乃利の身の安全は確約できるなんて外崎は悠然と口にしてきたわけで。そんなの信じられないと大声で言いたいのに外崎の放つ絶対の自信に負けて、外崎の言うとおり徳田に少し遅れるからと美乃利が連絡したら、代わりに目の前で外崎は件の居酒屋の店主に電話して何時もので頼むなんて当然みたいに言い出したのだ。
部屋をな、あんたに安全なとこに変えてもらっておく。後は高い酒でも飲ませておく事にして……
そんなことを言いながらニヤリと悪どい笑いを浮かべた外崎は、それじゃ俺と少し話をする時間が出来たなと口にして美乃利をとある喫茶店までつれていったのだ。そこは以前に源川仁聖が行き着けているという噂もあった駅前の大通りの外れの喫茶店だけど、今は店の事がそこは重要ではない。
外崎は改めてその喫茶店で、正当な対価を提示して美乃利に取引を二つ持ちかけたのだ。
一つは美乃利が画策してきた美乃利の結婚に関することで、これに関しては詳しくここで説明するのは面倒なので割愛。後で詳しく説明する機会があったらすると言うことで我慢して貰いたい。少なくとも今までは考え付かなかった方法だし、それは目から鱗の方法でもあったとだけ言わせて貰う。そしてあと一つの取引というのが、今一番の問題である徳田という男に関するもの。それはこれからどうやって美乃利が徳田を排除すればいいかということだったのだが、それに外崎が真っ先に説明したのが
方法は簡単だ、言質をとるんだよ。
と言う最初の言葉なのだった。言質をとる、それってどういうことと問いかけた美乃利に、外崎という男が喫茶店の片隅のソファーに深く腰かけながら提示してきたのは徳田高徳の秘密だった。ただしその秘密を知ったからと言って、美乃利がそれを直ぐ活用できるわけではない類いの秘密。というのも言ったとおり相手の言質をとらないと、これは相手への攻撃には生きてこない代物なのだ。
何よりも大事なのは徳田自身に言わせるのが大事なんだ。わかるか?お嬢さん。
と彼は話す。だから徳田の口を滑らかにしてハードルを下げるためにしこたま高い酒を飲ませて、しかも美乃利が計画をまだ続けたいのだと徳田に思わせながら話さないとならない。そんなのは無理だと思ったのだけれど外崎という男は今回だけは助けてやっても言いと穏やかに言い、美乃利の前にそっと小さな機械を差し出していた。
それを頭の中で思い起こしながら、美乃利は個室居酒屋の一室でその言葉を繰り返す。
「徳田さん…………と付き合うと何か利点がある?」
その言葉に目の前の酒に酔った男はほんの少しだけ訝しげに、美乃利の顔をジッと見て利点と呟いた。今の話では美乃利の利点は相手が計画を内密にするということだけで、それ以外の点では何一つメリットはない。だけどこれを聞くことで少し美乃利が、徳田の申し出に揺れているかのように聞こえもするのだ。脅されて付き合うのではなく何か美乃利にとっても利点になるもの、それがあるかのように美乃利は目を輝かせて身を乗り出す。
「そうだ、まずこれね。忘れてたわ、遅くなってごめんなさい。」
「あ、ああ、金……な?」
そう美乃利はにこやかに笑みを浮かべながら当然みたいに徳田に向かって纏まった六枚の万札を差し出して、徳田は目を丸くしながらそれを見下ろす。もう取り巻き入らないと宣言した美乃利がこうしてまた何事もなかったように金銭を支払うとは思わなかったのだが、差し出された札は本物で徳田は当然のようにそれを受け取る。それを徳田が札入れにしまい込んだのを見つめてから、美乃利は内緒の話でもするように再び身を乗り出してきた。
「それでね?教えて欲しいことがあるの。」
「え?」
そうか、美乃利が何か自分に聞きたいことがあるから、この関係をまだ続ける気になったのだと改めて気がついた徳田は、掌を返したような彼女の態度に納得しながら酒をあおる。世間知らずのこの箱入りお嬢様は、この状況でもまだ自分に信頼をおいていると思うと本当は笑い出しそうになってしまう。何でもかんでも言われるがままで上手く踊らされているのにも気がつかない馬鹿なお嬢様のお陰で、徳田はこうしてまだ暫く甘い汁を舐めていられるのだから感謝しないとならない。そう思ったが、質問の内容は少し徳田にとっては想定外で、答えに困る代物だった。
「徳田さん、海外に留学してたわよね?」
「え、あ、ああ。」
「休学留学でしょ?どこの大学に行ったの?」
「ええ?あ?ええっと…………。」
日本の大学に籍を置いたまま休学して海外に半年~1年間留学することを休学留学といい、在籍している大学の協定校に関わらず、自分の目的・希望に合う留学先やプログラムを選ぶことができる。去年一年を休学して留学していたという徳田に向かって、美乃利は神妙な顔をして相談に乗ってと改めて身を乗り出していた。
「今はいいわよ?徳田さんがいるもの。」
それは徳田を信頼しているという美乃利の発言で、徳田は安堵もするが内心では困ったことになったと考えもしている。自分の学籍の説明のために発したその一言を、美乃利がここまでちゃんと記憶しているとは思ってもいなかったのだ。
「徳田さんが在籍中はいいけど、徳田さん今年卒業よね?…………来年になったら私、誰にも頼れなくなるわよね。」
「そ……うだな。」
「気がついたんだけど留学したら後一年逃げられるわよね、そうでしょ?良い案でしょ?徳田さん、そう思わない?」
矢継ぎ早に問いかけられる美乃利の言葉に徳田は一瞬呆気にとられてしまう。そんなに簡単に留学なんか出来るかと言ってやりたいが、この美乃利の発言はこれまで交流してきた普段の美乃利と大差がないものに聞こえる。つまり徳田が大学にいるうちは良いが来年のために自分に留学の方法を教えろと言われているのだが、それに徳田は戸惑いを隠せない顔を浮かべて言葉に詰まる。
「ね?どこに行ったの?どこの大学に行ったの?どれくらい資金はかかるの?準備期間はどれくらいした?それに、海外に渡ってどんな風に暮らしたの?」
「ちょ…………突然、なんだよ、待てって。」
「うちの大学なら、認定があるわよね?徳田さん、海外で何の単位とってきたの?やっぱり語学?それとも別なもの?」
「は?たん、い?」
美乃利が話しているのは留学先で取得した単位を日本の大学の単位として認める『認定留学制度』のことで、当然自分達が通う国立大学には認められている。だけど徳田は美乃利の言葉が何のことをといかけているのか分からずに、戸惑いの声で返すしかないのだ。
「……やだ、徳田さん、酔ってるの?大事な今後の計画なんだから、ちゃんと答えてよ。」
少なくとも美乃利が今後も資金提供しながら関係を継続するのを拒絶していないのだと安堵したのか、徳田はええっとと何とか答えようと思案し始める。言葉に詰まっている徳田の様子を酔いのせいだと思い込んでいる美乃利には正直馬鹿な女でよかったとは思うが、それに気がつかない美乃利は身を乗り出して更に興味深そうに問いかけてくるのだ。
「…………留学に躑躅森教授から推薦貰っていったの?」
「そうそう、躑躅森教授からね。」
「留学にやっぱり有利なの?」
「そりゃ勿論、躑躅森教授の推薦だしな。」
へぇと美乃利は感心したように笑うと、やっぱりそうなんだと納得したように呟く。推薦に教授、その言葉に納得した美乃利は溜め息混じりの深い吐息を吐きながら、俯い困惑に満ちた言葉を溢す。
「推薦なんて、どうやったら貰えるの?私には……無理…………、何かコツがある?」
「コツ……かぁ…………、あれだな、ほら、相手のさ、興味のある事をさ。」
「躑躅森の、興味のあるもの?何それ?」
美乃利に問いかけられても、呂律の回らない徳田には直ぐにはその答えが出せない。それでも美乃利が話に乗ってくるのに気を許して徳田は更に上機嫌に話続けていて、美乃利はにこやかに笑みを浮かべながらテーブルに肘をついて頬杖をつく。
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