338 / 693
間章 アンノウン
間話49.過去の残像3
しおりを挟む
この無惨なご面相で密かに社会に戻った自分はマイノリティで、しかも顔というアイコンなんてものを失った所謂アンノウンになり変わった。元々存在自体がアンノウンと言えてしまうような、久保田惣一をはじめとした奴らの立ち位置とはまた違う。
ここにいることすら、正しいのかどうかすら自分でも分からない。
奇妙な影の中にヒッソリと生きることは、過去に自分がしていたSMの調教師なんてものとも全く違うものだった。生きる事の理由なんか自分の自己満足に過ぎなくて、全て自分の中に生まれた感情に引きずられているのに、それを表の世界に出すことはもう二度とないもの。そうして暗躍してコソコソと生きている自分が、少しでも善い行いをしようなんて馬鹿馬鹿しいとは思う。
こーた。
呑気に朗らかに間延びして自分の名前を呼ぶその声に、以前自分を呼んだ了や幼馴染みの声が重なる。だから少しでも助けてやりたくなったのに、マトモな人間でもない人間もどきの自分には何も出来ない。手を伸ばして引き留めたつもりなのに、アッサリと儚く散ってしまう人の命。
覚悟できてるからさ…………頼むね。
自分になんか頼むな。そう本当はあの時、上原杏奈という一人の可哀想な女に向かって叫んでやりたかった。自分なんかみたいな人でなしになんか頼まずとも、お前にはお前を大切にしてくれる真っ当な男がいる。そいつを頼れよ!そう叫んでやりたかったのに自分はそれすらも出来ず、その頼みを法にふれていると知りながら惣一に便宜を図らせてまで自分は叶えてやったのだ。だけどそのせいで後悔の味は寄り酷く、口の中には常に毒でも含んだように苦く刺すような不快感が続く。
『よぉ、トノ、依頼の件済ませたぞ?』
その反動というわけではないけれど、了の身辺には着々と自分の耳が密かに設置されていて。この電話報告もその一つだ。
「…………悪いな、助かる。」
『それにしたって、ホテル住まいなんて、何処のセレブだよ?』
電話の向こうはこのご面相になって始めたコンサルティング業で付き合いが増えた久保田惣一の元部下・相園。とは言え調教師だった頃から相園達とは知り合いでもあるし、惣一の身内みたいなものでこっちがどんな面相だと気にもしない奴らばかりだ。自分からの依頼というのは、この盲目の自分には出来ない軽作業。とは言え自分にはどうしても必要なことでもあって、それが了に関連したことだったから粛々と推し進める。
自分の事をここまでの話で理解しているなら、それが何なのかは簡単に分かるだろ?そう、了のいるホテルに密かに盗聴機を仕掛けたのだ。
…………全く……以前も言ったろう?
ヘッドフォン越しの音にそう考える。人のことはいえないけれど、了には大学生になってからずっと追いかけ回していた男がいて、了はその男にかなり執着めいた行動をとり続けていた。目が見えた頃に一度遠目にだが見たことがあるが、何処と無く片倉右京に似た面差し。それでも右京よりは何処か凛とした涼しげな顔立ちの榊恭平という男に、了が以前から興味を持ちつつあるのは右京が生きている頃から当に知っていたのだ。でも今の了は榊に絡んで普段ならしないドジを踏んで、仕事も辞めてしまっていたし独り暮らしをしていたマンションも出てしまった。それで了は密かにシティホテルに仮住まい中で、…………まぁそこら辺の融通は政治家の父親の関連ではあるが…………それを何で知っているかって?まぁそこら辺の事情は個人的な事なので、詳しくは言いたくない。言いたくないというか、これをまかり間違って了に知られる危険性は絶対に犯せない。そんな話は兎も角として、了の動向は実はほぼ本人と等しく調べ尽くしてあった。
だからいったろう?人を好きになったら気を付けろって…………了
了が榊恭平を欲しがっていたのは、理解できる。自分が抱き締めて傍におきたいと思ったのと同じで、了も榊をどうにかして自分のものにしたかったのだ。それでも榊には既に腹を据えて心に決めた相手がいて、そんな相手がいるような奴には了の知っている自分の教えた方法じゃ効かない。そういう相手には体の快楽なんかじゃ無理だし、相手を守るために体を差し出したとしても心までは折れるはずもないのだ。
ヘッドフォンの向こうで連れ込んだ榊を犯そうとして断固拒絶された了は、互いを守ろうとする二人の姿に凍りついたような声で呟く。
『は、はは、…綺麗事だな、ごっこらしい意見だよ。』
結婚したという二人の気持ちをごっこと嘲笑ってへし折ろうとしても、それは無理で出来ない。何しろ榊と源川仁聖は互いの事を守りあっていて、了は既にその二人の結び付きに飲まれている。だからそれをへし折ることは了には出来ないだろうと、『耳』から聞こえる音声を聞きながら自分は苦く思う。
そんな強い気持ちをへし折るには、それじゃ無理だ。そんな風に最初から飲まれてたら敗けなんだぞ?了…………
『……こいつにこれ以上の手出しはさせない。これ以上何かする気なら……ただじゃすまさない。』
榊の言葉に了が息を飲むのが聞こえた。恐らく了自身にも自分が榊の心をへし折って、榊を自分のものに出来ないのが分かったに違いない。それを認めるように微かな震えを帯びた了の声が、了がどこかから何かを取り上げるのが分かった。
『…………いっそのこと…お前に殺された方が…楽しいかもな。』
それに続く何かを床に落とすような音。軽くて滑るような擦れる音だから、恐らくはカードキーか何かだろう。でも、そんなことより自分は了の言葉に酷く胸が締め付けられるように痛んで、口の中に苦く薬のような味が広がるのを感じていた。了はその場から逃げ出したいのだろう、身繕いをしてコートを手に取っている様子だ。そして一言二言と榊と言葉を交わすと、そのまま了はその部屋を出ていってしまう。
可哀想にな…………
自分のものにならない。そして自分のものには出来ない。その辛い気持ちが今ならよく分かるのは、自分が了の事を好きだと自覚してしまったからだ。正直自分よりも了の方がずっとそう言う点では、マトモに近い感性を持っていたと思うが手本にしたのが自分ではその願いは叶う筈もない。
欲しがっているものを与えてやりたいとは思う
了が欲しがっているのが分かっているから、手助けして与えてやりたいとは思う。だが同時にこれに関しては与えたくないと思っている利己的な時分もいて、それを思うと自分は思わず苛立ちに震えそうになる。そうして『耳』を繋げていたヘッドフォンを徐に放り投げてしまっていた。
※※※
ヒュ…………ッ
そんな奇妙な音を立てて喉が、異様な感覚に飲まれている。モゾモゾと腕の中で身動ぎする暖かな感触に、不意に暗く重い夢の中から目覚めた宏太は凍りつきながら息を詰めていた。思わず手探りで了の体を抱き締めるが、肌に触れる夜具の感触がいつもと違う。慣れたものではない手触りに不安感がにじり寄ってきて、更に強く了の体を引き寄せてその肌を確かめる。
ゆ、めか?…………どっちが、だ?
鮮明すぎる記憶がまだ頭の中に溢れていて、今の自分が分からなくなる。目を開こうとしても辺りが暗闇だから視野が変わらないのか。もしかしたら自分がまだ眠っているからなのか、それとも三浦のせいで目が潰されているからなのか。当然の筈の認識が、一瞬では判断が効かなくなっていた。
どっちが、夢だ?こっちなのか?腕の中のは了なのか?
手探りで抱き寄せて了の髪の毛に顔を埋め、なんとか落ち着けと頭の中で繰り返す。それなのに夢のせいでパニックになっている自分は、抑えが効かなくて上手く息がつげない。胸が締め付けられ口の中に苦いあの後悔の味がバッと広がるのに、苦痛が更に強く全身を飲み込んでいく。
人でなしの自分のせいで、死んだ片倉姉弟。
それに狂わされて殺人鬼になった三浦和希。
それに助けられなかった上原杏奈、遠坂喜一。
次から次へと頭にそんな後悔が澱のように足元に這い寄ってきて、これをどう考えたらいいか分からない。鮮明にその姿は周囲に立ち尽くして、自分を哀れみと憎悪の瞳で見ているのだと感じてしまう。今までは別にと思えた筈の全てがそう思えなくなってきたのは、もしこれに了が加わるとしたら宏太には恐らく堪えられないからなのだ。そう知ってしまった途端に、これを感じるのは宏太には恐怖に塗り変わっていた。
「ん………………?…………ぅ。」
その柔らかな了の声でハッと光が射すように、現実が腕の中から広がる。今のは全てが夢で宏太が盲目になったのは事実、だけどその後宏太は再会して了をこの手にいれた。そしてここは宏太が了を、元祖父母の経営していて今では弟夫婦が営む宿に連れてきたのだったと気がつく。
最近ではこんな夢はあまり見なくなっていたのだけれど、過去を揺さぶるような場所で、しかも弟と直に話をしたせいだ。そう思いながら何とか現実に落ち着いて息をつこうとするのに、まだ体は上手く息が吐けないでいる。
「…………っ…………ふ…………っ…………。」
呻きそうになっても、息が詰まって声にはならないのが幸いなのかどうなのか。そう考えながら眉をしかめなんとか息をつこうとする宏太の胸の上で、モソリと柔らかな髪の毛が擦れたのを感じる。眠っていた了が宏太の異変に違和感を覚えて、目覚め顔を上げたのだ。でも、本当ならそれに気がついて欲しかったような、欲しくないような…………
「こぉ……た?どした…………?」
「っ………………。」
言葉を出そうとするのに未だに宏太は息が詰まったまま。そんな宏太に気がついたのか闇の中で了が顔を更に大きくあげて、優しく頬に指が触れて、そして延び上がってきて唇を重ねてくる。柔らかな唇、甘く蕩けるような舌、それに誘われるように突然口から吐息が溢れだして、全身から一気に力が抜けた。
「……ふ、ぅ………………っ……はぁ……。」
深く長く吐き出された宏太の呼気に気がついているのか、眠たげに了の頬がコテンと肩の辺りに落ちてきてトロンとした吐息が溢れてくる。そうして了の手がもう一度頬を撫でて、柔らかな声が言う。
「こ…………ぉた、…」
あの日なんとなく気が向いて片倉右京の墓参りに行ったのは、本当に偶々の偶然だ。あの日が月命日だということすら気がついていなかった。そう了に話したらきっと呆れられると思うが、それが真実で義理の弟には申し訳ないが右京のだけでなく希和ですら命日なんて気にもとめていない。それでもあの日何故か足を向けたのは、そういう運命だったのか、右京に引き寄せられたのか。そんなことを柄にもなく考えてしまう宏太に、了が強請るように囁く。
「……も、すこし……………ねよ……、…………な?……こぉた…………。」
そう溜め息混じりに囁く声に誘われて、更に宏太の体から力が抜けその体から再び眠気が溢れだしていく。肌を擦り寄せるようにして頬を胸に当てて先に眠りに落ちる了の体温に、宏太はそのほんの少しのことで安堵した自分に気がついてしまう。
全く…………お前には勝てないな…………
そう心の中で思いながら了の体をそっと抱き締め直して宏太は再び眠りに落ちていた。
※※※
「兄貴……が、兄貴じゃなくなってた…………。」
そうポカーンとしたという表現が一番相応しい状態で呟いた秀隆に、妻の綾はフッと微笑んでいいんじゃない?とあっけらかんと言う。外崎綾にしてみれば過去に結婚したばかりの頃に関わっていた外崎宏太は、何処か他人行儀で作り物めいた笑顔で内面の伺えない人物だったという印象しかない。
昔…………友達にそんな女の子がいたのよね…………
そんな風に思い出すのは中学辺りに友人だった女性で、一見すると何もかも完璧に取り繕って行動しているのだが、その本質は全く別。東北生まれの綾にしてみると土地柄もあったのだろうが、それ以上にその女の子を取り巻く環境がその子を良い子であるべきと型にはめてしまっていたような気がする。外崎宏太に出会った時彼女のことを思い出したのは、宏太がその子にそっくりだなと思ったからだ。その宏太が家族との縁を切ってから、既に十年以上。それなのに秀隆はずっと母と共に兄の事を気にかけてきたし、今回唐突に予約が取れるかと連絡してきたのには綾だって驚いた。
こんな無謀な行動する人じゃなかったものねぇ
前日に突然連絡をいれて、泊まれるか?人目につきたくないんだがなんて、秀隆にしたら想定外だったのだろうし、運良く離れも空いていたし。だけど、かといってやってきた外崎宏太の変容には綾も言葉を失ったし、しかも連れてきたのは自分達の息子と大差がないように見える青年で。
あれって、息子なのか?二十歳くらいか?
と秀隆は最初遠目にみて綾に聞いたのだけど、間近でみた綾はあれは恋人なんだなと察した訳で。外崎宏太が綾達が知っている人間とはまるで変わってしまったのは、傷のせいだけではなく彼の存在のためなのだろうと思う。
あの子はどうしているかしら…………
そんな風に綾が昔を懐かしむのは、外崎宏太が恋人ができてかわったのなら、彼女もそうなのだろうかと思うからだ。赤い縁の眼鏡に黒目勝ちの瞳で、日本人形のような黒髪をした彼女の名前は、久しく思い出していなかったから朧気だけど確か多賀とか芳賀とか言った筈…………そんな風に考えて綾は兄の変容に面食らった様子の夫の様子を笑いながら眺めていた。
ここにいることすら、正しいのかどうかすら自分でも分からない。
奇妙な影の中にヒッソリと生きることは、過去に自分がしていたSMの調教師なんてものとも全く違うものだった。生きる事の理由なんか自分の自己満足に過ぎなくて、全て自分の中に生まれた感情に引きずられているのに、それを表の世界に出すことはもう二度とないもの。そうして暗躍してコソコソと生きている自分が、少しでも善い行いをしようなんて馬鹿馬鹿しいとは思う。
こーた。
呑気に朗らかに間延びして自分の名前を呼ぶその声に、以前自分を呼んだ了や幼馴染みの声が重なる。だから少しでも助けてやりたくなったのに、マトモな人間でもない人間もどきの自分には何も出来ない。手を伸ばして引き留めたつもりなのに、アッサリと儚く散ってしまう人の命。
覚悟できてるからさ…………頼むね。
自分になんか頼むな。そう本当はあの時、上原杏奈という一人の可哀想な女に向かって叫んでやりたかった。自分なんかみたいな人でなしになんか頼まずとも、お前にはお前を大切にしてくれる真っ当な男がいる。そいつを頼れよ!そう叫んでやりたかったのに自分はそれすらも出来ず、その頼みを法にふれていると知りながら惣一に便宜を図らせてまで自分は叶えてやったのだ。だけどそのせいで後悔の味は寄り酷く、口の中には常に毒でも含んだように苦く刺すような不快感が続く。
『よぉ、トノ、依頼の件済ませたぞ?』
その反動というわけではないけれど、了の身辺には着々と自分の耳が密かに設置されていて。この電話報告もその一つだ。
「…………悪いな、助かる。」
『それにしたって、ホテル住まいなんて、何処のセレブだよ?』
電話の向こうはこのご面相になって始めたコンサルティング業で付き合いが増えた久保田惣一の元部下・相園。とは言え調教師だった頃から相園達とは知り合いでもあるし、惣一の身内みたいなものでこっちがどんな面相だと気にもしない奴らばかりだ。自分からの依頼というのは、この盲目の自分には出来ない軽作業。とは言え自分にはどうしても必要なことでもあって、それが了に関連したことだったから粛々と推し進める。
自分の事をここまでの話で理解しているなら、それが何なのかは簡単に分かるだろ?そう、了のいるホテルに密かに盗聴機を仕掛けたのだ。
…………全く……以前も言ったろう?
ヘッドフォン越しの音にそう考える。人のことはいえないけれど、了には大学生になってからずっと追いかけ回していた男がいて、了はその男にかなり執着めいた行動をとり続けていた。目が見えた頃に一度遠目にだが見たことがあるが、何処と無く片倉右京に似た面差し。それでも右京よりは何処か凛とした涼しげな顔立ちの榊恭平という男に、了が以前から興味を持ちつつあるのは右京が生きている頃から当に知っていたのだ。でも今の了は榊に絡んで普段ならしないドジを踏んで、仕事も辞めてしまっていたし独り暮らしをしていたマンションも出てしまった。それで了は密かにシティホテルに仮住まい中で、…………まぁそこら辺の融通は政治家の父親の関連ではあるが…………それを何で知っているかって?まぁそこら辺の事情は個人的な事なので、詳しくは言いたくない。言いたくないというか、これをまかり間違って了に知られる危険性は絶対に犯せない。そんな話は兎も角として、了の動向は実はほぼ本人と等しく調べ尽くしてあった。
だからいったろう?人を好きになったら気を付けろって…………了
了が榊恭平を欲しがっていたのは、理解できる。自分が抱き締めて傍におきたいと思ったのと同じで、了も榊をどうにかして自分のものにしたかったのだ。それでも榊には既に腹を据えて心に決めた相手がいて、そんな相手がいるような奴には了の知っている自分の教えた方法じゃ効かない。そういう相手には体の快楽なんかじゃ無理だし、相手を守るために体を差し出したとしても心までは折れるはずもないのだ。
ヘッドフォンの向こうで連れ込んだ榊を犯そうとして断固拒絶された了は、互いを守ろうとする二人の姿に凍りついたような声で呟く。
『は、はは、…綺麗事だな、ごっこらしい意見だよ。』
結婚したという二人の気持ちをごっこと嘲笑ってへし折ろうとしても、それは無理で出来ない。何しろ榊と源川仁聖は互いの事を守りあっていて、了は既にその二人の結び付きに飲まれている。だからそれをへし折ることは了には出来ないだろうと、『耳』から聞こえる音声を聞きながら自分は苦く思う。
そんな強い気持ちをへし折るには、それじゃ無理だ。そんな風に最初から飲まれてたら敗けなんだぞ?了…………
『……こいつにこれ以上の手出しはさせない。これ以上何かする気なら……ただじゃすまさない。』
榊の言葉に了が息を飲むのが聞こえた。恐らく了自身にも自分が榊の心をへし折って、榊を自分のものに出来ないのが分かったに違いない。それを認めるように微かな震えを帯びた了の声が、了がどこかから何かを取り上げるのが分かった。
『…………いっそのこと…お前に殺された方が…楽しいかもな。』
それに続く何かを床に落とすような音。軽くて滑るような擦れる音だから、恐らくはカードキーか何かだろう。でも、そんなことより自分は了の言葉に酷く胸が締め付けられるように痛んで、口の中に苦く薬のような味が広がるのを感じていた。了はその場から逃げ出したいのだろう、身繕いをしてコートを手に取っている様子だ。そして一言二言と榊と言葉を交わすと、そのまま了はその部屋を出ていってしまう。
可哀想にな…………
自分のものにならない。そして自分のものには出来ない。その辛い気持ちが今ならよく分かるのは、自分が了の事を好きだと自覚してしまったからだ。正直自分よりも了の方がずっとそう言う点では、マトモに近い感性を持っていたと思うが手本にしたのが自分ではその願いは叶う筈もない。
欲しがっているものを与えてやりたいとは思う
了が欲しがっているのが分かっているから、手助けして与えてやりたいとは思う。だが同時にこれに関しては与えたくないと思っている利己的な時分もいて、それを思うと自分は思わず苛立ちに震えそうになる。そうして『耳』を繋げていたヘッドフォンを徐に放り投げてしまっていた。
※※※
ヒュ…………ッ
そんな奇妙な音を立てて喉が、異様な感覚に飲まれている。モゾモゾと腕の中で身動ぎする暖かな感触に、不意に暗く重い夢の中から目覚めた宏太は凍りつきながら息を詰めていた。思わず手探りで了の体を抱き締めるが、肌に触れる夜具の感触がいつもと違う。慣れたものではない手触りに不安感がにじり寄ってきて、更に強く了の体を引き寄せてその肌を確かめる。
ゆ、めか?…………どっちが、だ?
鮮明すぎる記憶がまだ頭の中に溢れていて、今の自分が分からなくなる。目を開こうとしても辺りが暗闇だから視野が変わらないのか。もしかしたら自分がまだ眠っているからなのか、それとも三浦のせいで目が潰されているからなのか。当然の筈の認識が、一瞬では判断が効かなくなっていた。
どっちが、夢だ?こっちなのか?腕の中のは了なのか?
手探りで抱き寄せて了の髪の毛に顔を埋め、なんとか落ち着けと頭の中で繰り返す。それなのに夢のせいでパニックになっている自分は、抑えが効かなくて上手く息がつげない。胸が締め付けられ口の中に苦いあの後悔の味がバッと広がるのに、苦痛が更に強く全身を飲み込んでいく。
人でなしの自分のせいで、死んだ片倉姉弟。
それに狂わされて殺人鬼になった三浦和希。
それに助けられなかった上原杏奈、遠坂喜一。
次から次へと頭にそんな後悔が澱のように足元に這い寄ってきて、これをどう考えたらいいか分からない。鮮明にその姿は周囲に立ち尽くして、自分を哀れみと憎悪の瞳で見ているのだと感じてしまう。今までは別にと思えた筈の全てがそう思えなくなってきたのは、もしこれに了が加わるとしたら宏太には恐らく堪えられないからなのだ。そう知ってしまった途端に、これを感じるのは宏太には恐怖に塗り変わっていた。
「ん………………?…………ぅ。」
その柔らかな了の声でハッと光が射すように、現実が腕の中から広がる。今のは全てが夢で宏太が盲目になったのは事実、だけどその後宏太は再会して了をこの手にいれた。そしてここは宏太が了を、元祖父母の経営していて今では弟夫婦が営む宿に連れてきたのだったと気がつく。
最近ではこんな夢はあまり見なくなっていたのだけれど、過去を揺さぶるような場所で、しかも弟と直に話をしたせいだ。そう思いながら何とか現実に落ち着いて息をつこうとするのに、まだ体は上手く息が吐けないでいる。
「…………っ…………ふ…………っ…………。」
呻きそうになっても、息が詰まって声にはならないのが幸いなのかどうなのか。そう考えながら眉をしかめなんとか息をつこうとする宏太の胸の上で、モソリと柔らかな髪の毛が擦れたのを感じる。眠っていた了が宏太の異変に違和感を覚えて、目覚め顔を上げたのだ。でも、本当ならそれに気がついて欲しかったような、欲しくないような…………
「こぉ……た?どした…………?」
「っ………………。」
言葉を出そうとするのに未だに宏太は息が詰まったまま。そんな宏太に気がついたのか闇の中で了が顔を更に大きくあげて、優しく頬に指が触れて、そして延び上がってきて唇を重ねてくる。柔らかな唇、甘く蕩けるような舌、それに誘われるように突然口から吐息が溢れだして、全身から一気に力が抜けた。
「……ふ、ぅ………………っ……はぁ……。」
深く長く吐き出された宏太の呼気に気がついているのか、眠たげに了の頬がコテンと肩の辺りに落ちてきてトロンとした吐息が溢れてくる。そうして了の手がもう一度頬を撫でて、柔らかな声が言う。
「こ…………ぉた、…」
あの日なんとなく気が向いて片倉右京の墓参りに行ったのは、本当に偶々の偶然だ。あの日が月命日だということすら気がついていなかった。そう了に話したらきっと呆れられると思うが、それが真実で義理の弟には申し訳ないが右京のだけでなく希和ですら命日なんて気にもとめていない。それでもあの日何故か足を向けたのは、そういう運命だったのか、右京に引き寄せられたのか。そんなことを柄にもなく考えてしまう宏太に、了が強請るように囁く。
「……も、すこし……………ねよ……、…………な?……こぉた…………。」
そう溜め息混じりに囁く声に誘われて、更に宏太の体から力が抜けその体から再び眠気が溢れだしていく。肌を擦り寄せるようにして頬を胸に当てて先に眠りに落ちる了の体温に、宏太はそのほんの少しのことで安堵した自分に気がついてしまう。
全く…………お前には勝てないな…………
そう心の中で思いながら了の体をそっと抱き締め直して宏太は再び眠りに落ちていた。
※※※
「兄貴……が、兄貴じゃなくなってた…………。」
そうポカーンとしたという表現が一番相応しい状態で呟いた秀隆に、妻の綾はフッと微笑んでいいんじゃない?とあっけらかんと言う。外崎綾にしてみれば過去に結婚したばかりの頃に関わっていた外崎宏太は、何処か他人行儀で作り物めいた笑顔で内面の伺えない人物だったという印象しかない。
昔…………友達にそんな女の子がいたのよね…………
そんな風に思い出すのは中学辺りに友人だった女性で、一見すると何もかも完璧に取り繕って行動しているのだが、その本質は全く別。東北生まれの綾にしてみると土地柄もあったのだろうが、それ以上にその女の子を取り巻く環境がその子を良い子であるべきと型にはめてしまっていたような気がする。外崎宏太に出会った時彼女のことを思い出したのは、宏太がその子にそっくりだなと思ったからだ。その宏太が家族との縁を切ってから、既に十年以上。それなのに秀隆はずっと母と共に兄の事を気にかけてきたし、今回唐突に予約が取れるかと連絡してきたのには綾だって驚いた。
こんな無謀な行動する人じゃなかったものねぇ
前日に突然連絡をいれて、泊まれるか?人目につきたくないんだがなんて、秀隆にしたら想定外だったのだろうし、運良く離れも空いていたし。だけど、かといってやってきた外崎宏太の変容には綾も言葉を失ったし、しかも連れてきたのは自分達の息子と大差がないように見える青年で。
あれって、息子なのか?二十歳くらいか?
と秀隆は最初遠目にみて綾に聞いたのだけど、間近でみた綾はあれは恋人なんだなと察した訳で。外崎宏太が綾達が知っている人間とはまるで変わってしまったのは、傷のせいだけではなく彼の存在のためなのだろうと思う。
あの子はどうしているかしら…………
そんな風に綾が昔を懐かしむのは、外崎宏太が恋人ができてかわったのなら、彼女もそうなのだろうかと思うからだ。赤い縁の眼鏡に黒目勝ちの瞳で、日本人形のような黒髪をした彼女の名前は、久しく思い出していなかったから朧気だけど確か多賀とか芳賀とか言った筈…………そんな風に考えて綾は兄の変容に面食らった様子の夫の様子を笑いながら眺めていた。
0
お気に入りに追加
250
あなたにおすすめの小説
くまさんのマッサージ♡
はやしかわともえ
BL
ほのぼの日常。ちょっとえっちめ。
2024.03.06
閲覧、お気に入りありがとうございます。
m(_ _)m
もう一本書く予定です。時間が掛かりそうなのでお気に入りして頂けると便利かと思います。よろしくお願い致します。
2024.03.10
完結しました!読んで頂きありがとうございます。m(_ _)m
今月25日(3/25)のピクトスクエア様のwebイベントにてこの作品のスピンオフを頒布致します。詳細はまたお知らせ致します。
2024.03.19
https://pictsquare.net/skaojqhx7lcbwqxp8i5ul7eqkorx4foy
イベントページになります。
25日0時より開始です!
※補足
サークルスペースが確定いたしました。
一次創作2: え5
にて出展させていただいてます!
2024.10.28
11/1から開催されるwebイベントにて、新作スピンオフを書いています。改めてお知らせいたします。
2024.11.01
https://pictsquare.net/4g1gw20b5ptpi85w5fmm3rsw729ifyn2
本日22時より、イベントが開催されます。
よろしければ遊びに来てください。
少年ペット契約
眠りん
BL
※少年売買契約のスピンオフ作品です。
↑上記作品を知らなくても読めます。
小山内文和は貧乏な家庭に育ち、教育上よろしくない環境にいながらも、幸せな生活を送っていた。
趣味は布団でゴロゴロする事。
ある日学校から帰ってくると、部屋はもぬけの殻、両親はいなくなっており、借金取りにやってきたヤクザの組員に人身売買で売られる事になってしまった。
文和を購入したのは堂島雪夜。四十二歳の優しい雰囲気のおじさんだ。
文和は雪夜の養子となり、学校に通ったり、本当の子供のように愛された。
文和同様人身売買で買われて、堂島の元で育ったアラサー家政婦の金井栞も、サバサバした性格だが、文和に親切だ。
三年程を堂島の家で、呑気に雪夜や栞とゴロゴロした生活を送っていたのだが、ある日雪夜が人身売買の罪で逮捕されてしまった。
文和はゴロゴロ生活を守る為、雪夜が出所するまでの間、ペットにしてくれる人を探す事にした。
※前作と違い、エロは最初の頃少しだけで、あとはほぼないです。
※前作がシリアスで暗かったので、今回は明るめでやってます。
僕の兄は◯◯です。
山猫
BL
容姿端麗、才色兼備で周囲に愛される兄と、両親に出来損ない扱いされ、疫病除けだと存在を消された弟。
兄の監視役兼影のお守りとして両親に無理やり決定づけられた有名男子校でも、異性同性関係なく堕としていく兄を遠目から見守って(鼻ほじりながら)いた弟に、急な転機が。
「僕の弟を知らないか?」
「はい?」
これは王道BL街道を爆走中の兄を躱しつつ、時には巻き込まれ、時にはシリアス(?)になる弟の観察ストーリーである。
文章力ゼロの思いつきで更新しまくっているので、誤字脱字多し。広い心で閲覧推奨。
ちゃんとした小説を望まれる方は辞めた方が良いかも。
ちょっとした笑い、息抜きにBLを好む方向けです!
ーーーーーーーー✂︎
この作品は以前、エブリスタで連載していたものです。エブリスタの投稿システムに慣れることが出来ず、此方に移行しました。
今後、こちらで更新再開致しますのでエブリスタで見たことあるよ!って方は、今後ともよろしくお願い致します。
3人の弟に逆らえない
ポメ
BL
優秀な3つ子に調教される兄の話です。
主人公:高校2年生の瑠璃
長男の嵐は活発な性格で運動神経抜群のワイルド男子。
次男の健二は大人しい性格で勉学が得意の清楚系王子。
三男の翔斗は無口だが機械に強く、研究オタクっぽい。黒髪で少し地味だがメガネを取ると意外とかっこいい?
3人とも高身長でルックスが良いと学校ではモテまくっている。
しかし、同時に超がつくブラコンとも言われているとか?
そんな3つ子に溺愛される瑠璃の話。
調教・お仕置き・近親相姦が苦手な方はご注意くださいm(_ _)m
僕が玩具になった理由
Me-ya
BL
🈲R指定🈯
「俺のペットにしてやるよ」
眞司は僕を見下ろしながらそう言った。
🈲R指定🔞
※この作品はフィクションです。
実在の人物、団体等とは一切関係ありません。
※この小説は他の場所で書いていましたが、携帯が壊れてスマホに替えた時、小説を書いていた場所が分からなくなってしまいました😨
ので、ここで新しく書き直します…。
(他の場所でも、1カ所書いていますが…)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる