鮮明な月

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間章 アンノウン

間話30.アンノウンとは。

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あの夜三浦屋敷の廃墟にアンノウン達を呼び出してまで、あのアンノウン達に三浦和希が聞きたがった倉橋亜希子の話。それを何故知りたかったのかまでは、三浦は彼らには口にはしなかった。が、三浦は恐らく倉橋亜希子の関わる事件を悉く調査はしていると思われる。
何故なら倉橋亜希子の旧姓だけでなく、遥か過去の元夫である矢根尾俊一の名前、そして矢根尾の使うハンドルネームまで知っているということは、かなり倉橋の過去の事情まで調べたということなのだ。倉橋から直に三浦が聞き出していたとは思えないのは、倉橋にとって矢根尾の妻であった間の苦悩は計り知れないものだったから。それを自ら進んで話すとは思えないというのがアンノウン達の考えで、恐らく間違ってはいないと思う。

親密な関係だったのであれば、尚更話せない…………あれは地獄のような経験だったろうからね…………リエにとっては。

そう、アンノウンの一人は言う。リエとは倉橋の使った過去のハンドルネームで、マトモではない始まり方をした二人の関係は歪みはてて苦悩に満ちた日々にすりかわったのだ。倉橋は暴力だけでない虐待を受け続け何度も自殺未遂までして、やっと矢根尾から逃れて立ち直った。そんな矢根尾の妻だった時期は既に十年も前のことで、しかもその出会いがネット上であったことを知っているのはほんの数人しかいない筈だという。それに関しては何も表だって記録があるわけではないから三浦がどれだけ綿密にしかも内密に調べたのかが分かるという大きな要因ではあった。アンノウンの一人の伴侶たるべき人物が直に三浦に情報提供したというのも、三浦がどれだけ調べたのかを表しているとも言える。

テイやコウまで見つけて話を聞き出したのなら、殆ど知り尽くしたようなものよね?

そう伴侶たる人物は三浦に告げたというが、そのハンドルネームを持つ人間達は矢根尾の友人でもあってその後の生存に関しては実は不明。兎も角他の面子が知っていたことと自分が知っていたことをそれぞれが組み合わせていくと、あまりにも数奇な運命としか言い様のない人生を送っていた倉橋亜希子。傷つけられ死を願って、そして立ち直って生きていた筈の彼女が、何故再び矢根尾と再会し渦中に呑まれたのか。それを知るためにはアンノウン達の情報は確かに不可欠だったかもしれない。

………………亜希子は必ずここに戻ってくる。

何故か三浦和希はそう確信しているようにそう口にして、その自信は揺るぎないもののようだった。それが間違いだとは軽々とは口に出来ない。その上この街には酷く奇妙な出来事が多々起こるのも事実だし、倉橋の遺体も見つかってはいないのだから三浦の思いをあからさまに間違いだと否定することも出来ないのだ。

戻ってくる筈だから、探すんだ…………

せめて遺体が確認できていれば違うのだろうが、それも出来ていないこの現実の中では生存の可能性を信じるのは三浦の自由なのだろう。そして今の三浦が唯一心の支えにしているのが、倉橋亜希子の存在なのだと思うとアンノウンの一人は後に呟いた。
そうして人の顔も名前も記憶できない三浦に倉橋のことを全て話したとして、そんなことを聞いて記憶できるのか。そう一人が問いかけると、三浦は奇妙なほどに穏やかな顔で微笑んで見せた。

もう亜希子のことなら、絶対に忘れない。

何故そんなに自信があるのかはわからないが、三浦はそう答える。そして全てを聞いた三浦和希は、アンノウン達にはなにもせずにその場を立ち去り闇の中に再び姿を消してしまったのだった。

殺人犯なんだから、三浦を捕まえるべき?

確かにそうかもしれないが、事実アンノウン達はその方法を選ばなかった。勿論彼らと三浦が本気で敵対しているのであれば迷わず捕獲したに違いないが、もし捕獲して何処に隔離するのかと問われると答えることはできない。既に三浦は二十四時間監視付きで、鍵のかかった強化硝子の窓しかない病院の隔離室から二度も脱走している。本人は恐らくそれらの手段に関しては記憶している筈なのだ。人間の顔は記憶されなくても、身に付けたパソコンの操作や情報収集の手段、それに合気道やカポエラ等の技能は忘れない。つまり二度あることは三度も容易いに違いないから、三浦は恐らく隔離しても逃げ出すに違いないのだ。
そして捕獲を試みなかったもう一つの理由は、三浦自身の大きな変化のせいだった。これに関してはここで全てを語れることではないのだから、アンノウン達は問いかけても口にはしない。ただ彼らはここで三浦を捕まえないと決めたとしか答えることはできないのだった。



※※※



アンノウン

英語表記は、unknown.
形容詞として未知の、不明の、未詳の、(…に)知られないで、名の知られ(てい)ない、無名の等の意訳。
そんな表現をするのはあまり正しくはないのかもしれないが、この街には割りとそんな存在か姿を見せることが多い。都心部からそれほど遠くなく、かといって田舎過ぎ出もない場所。それに表と裏が直ぐ傍に存在する。簡単に言えば住宅地や学校・商業施設などが普通にあるのに、ほんの少し道を外れれば《random face》や花街のような裏側に足を突っ込んだような店も溢れる場所。表で生きている多くの人間と一緒に、裏側に生きる人間も掃いて棄てるほど暮らす。そんなこの街だからこそ、そんなアンノウンとも言える存在が密かに暮らしているのかもしれない。

「もしもし?あ、僕です……。」

電話の向こうには実際にはどちらなのか自分にも判別がしにくい相手が、思うよりもずっと長閑に聞こえる声で返事をする。完全なアンノウンと知っている相手もいれば、この相手のようにどちら側かわからないようなものもいるのだ。何しろこの情報が本当なら、相手はマトモに考えれば表側の人間なのかとも思えるし。
兎も角誰しもが、それぞれに自分の生活をしている世界。それの中で友人に僅かな影が射そうとしているのに黙ってもいられないから、一先ずこうして情報を長して置くことにした。

「ええ、あの、聞いていいですか?」

その問いかけに相手は不思議そうになんだ?と返答して、自分は言葉を選びながら口を開くのだった。



※※※



ここ数週間に何度か高橋至がコンサルティング関係の仕事だけでなく幾つかの出版社に出入りしていたのは、自分が再就職の道に打診をかけていたのと後一つ理由があったのはここだけの話。既にそれは無意味になり、高橋自身は警察に出頭し現在は事情聴取を受けている身の上だ。
ただそのもう一つの理由が大きな問題になりつつあるのは、そのもう一つの理由が別な者の手に渡りつつあるのだった。
そのもう一つの理由とはあの時、高橋が街中で見かけたあの集団に気になる者の存在があった事だ。あの集団とは言うまでもなく狭山明良や芸能会社の社長の藤咲信夫、成田了に結城晴達のことで。

それと一緒にいた一人盲目の長身で、白木の杖をついていた男。

あの時高橋は自分を陥れたと思ったそれらの面子に逆上して飛び掛かり、あっという間に狭山明良に逆襲されて投げ飛ばされ押さえ込まれて。華奢で大人しいと思っていた筈の狭山明良が、実は空手の有段者なのだと知ったのはその後暫くしてからのこと。しかもおネェだとばかり思っていた藤咲信夫の方も空手の有段者で、名前を検索するとモデルとしての過去だけでなく都大会優勝なんて恐ろしい文字が踊ったのには流石に高橋も青ざめる。
だが、そんな事実を知った後から、時間を置いて一人孤独に田舎の空気の中で考えると、どこかであの盲目の男に見覚えがあるのだ。夜の中だと言うのに濃くて顔もわからないサングラスをかけた盲目男は藤咲と同じ位の長身だが、その体は藤咲よりは華奢。それでも均整のとれたしなやかさかあって、立ち姿は盲人特有の背の丸まりもなく柳の樹のようにスラリと伸びやか。それに目元は兎も角顎のラインの端正さや、口元の造形は整っていて肉感的な唇は色気を持っている。

サングラスで顔は隠されているが、あの端正な顔立ち…………

何故か見覚えがある笑みを微かに敷いた口元。どこかで見たと繰り返し繰り返し考えて、田舎の数少ないテレビ番組を眺めていたら端とその顔が重なったのは特番の中でチラリと顔を見せた男だった。

ああ!そうだ……!
 
似ていると思ったのは、とある有名な元外交官の若い頃の姿だった。既にその外交官自身は高齢で仕事は辞して今では表舞台から去ったが、一時期は政治家転向を嘱望されていた外交官。その一族郎党全てが政府高官や政治家の職につく有名な一族。それの一人の顎のラインや口元が似ているなんて考えていたのに、そう言えば遥か昔に同じように似てると話したことのある人間が高橋の記憶の中にいたのを思い出したのだ。その人物は随分昔出会った金融関係の会社に勤める好青年で、まだこちらも会社勤めをしたばかりの新人だった頃。

高橋さんですね?私は…………

仕事の関係で金融関係の会社のプロジェクトでプロモーションをした時に、ほんの短期間関わった一人の青年。結局は高橋は新人でほんの一度か二度しか会うことはなかったのに、これほどまでに鮮明に記憶しているのはあの時の好青年は何処か狭山明良に通じる氷のような美貌の青年だったからだ。

そうか、あの時から実は黒髪の美形の男に、惹かれる傾向にあったのか

と自分でも染々と思ってしまうが、確かあの青年はその後暫くして仕事を辞めてしまったのだとかうっすらと記憶している。その理由は今では昔のこと過ぎて思い出せないのだが、ただ人形のように整った顔立ちに常に変わらない微笑みを浮かべる青年だった。

確か…………名前は…………

そうだ、元外交官と同じ苗字で、だからそれをネタにと最初の話をした記憶が微かだが残っていた。もしかして顔立ちも似ているから親戚ですかと試しに青年に問いかけたら、相手はにこやかに似てますか?言われたことがないなと微笑みを見せた。そして話の最後に実は息子ですと笑みを崩しもせずに平然と答えたのだ。そう、あの男は有名な外交官の息子で政府高官家系に産まれていて、しかも当時の金融関係の片倉という大企業に勤め若くして成功というレールに乗っていて。

少なくともあんな裏社会の破落戸みたいな藤咲達と一緒にいるような男ではなかった筈だ…………でも、あれから二十年近いし…………盲目になるような何か……

雰囲気はまるで違うが、遠目にみた姿形は過去の記憶と然程変わらない。それに片倉はほんの数年前に社長とその家族が恐ろしい事件を引き起こして、あっという間に破綻した都市伝説みたいな企業に成り果て倒産したのだった。確かあの青年は成功のレールの一つとして、社長の娘婿になったのではなかっただろうか。既に何年も前のこと過ぎて記憶は不確かだが、あの作り物めいた微笑みは忘れられない。

詳しいことはわからない…………だが、破綻した会社にいたとしてもその先は闇だ

あの盲目の男が、記憶の中の青年だとしたら。そう考えたらあの盲目の男があの時の青年かどうか知りたくなったのは、あの盲目のサングラスの下に何があるか知りたくなったのもあったのだ。だから高橋はそれをそれとはなしに出版社勤めの知り合いに倒産した片倉の話を聞いているうちに、相手から実はそれが金になりそうな事だと臭わされていく。

元外交官の息子が現在何をしていて、現在どんな生活を送っているか?

高々外交官の息子のそれを調べている人間がいたことに驚きすら感じるが、その男を出版社勤めの友人から紹介されワザワザ金銭まで提示されて情報を提供してほしいと請われもする。それに戸惑いながら自分の知っている事を情報として売った見返りに、教えられたのは片倉の娘婿になった筈の男は妻の死で表舞台から転落したということで。

その結果があの破落戸どもの中の一人なのか…………

そう思うと人間の運命というものの儚さに思わず黙り込んでしまう。あの作り物めいた美しい笑顔は今も変わらないのだろうかと、思わず事情聴取の最中に物思いに耽ってしまうほど。

そうして高橋の手から買い叩かれた情報が別な人間の手に渡り、その元外交官の息子が現在何をしているのかや、その奇妙な交遊関係を調査し始めた人間がいるのがある人間の情報の網にかかったのだ。
それが、出版社勤務でとある人物の友人でもある宇野智雪なのは言うまでもない。
そうして宇野は手にいれた情報に眉を潜めて、なんでまたとあきれ返りながら既知の友人に電話を掛けていたのだった。

「あのですね、色々噂になってるみたいなんですけど…………。」

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