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間章 アンノウン
間話6.手をとって
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街中の人混みの中でその姿を見つけた時、実は見間違いかとも思った。思ったけれどその人間は人混みの中で一際異質な異種、だから横顔から後ろ姿に変わっても間違いなくその男だとは思う。ただ咄嗟にその場で宏太に電話をすることも考えたけれど、その人影が他の人混みに紛れそうになるほどに自信が何故かなくなっていく。
本当にあいつだったか?
そう確信をもったはずなのに、既に人影に遠ざかる背中に確信が揺らぎ始めてしまう。だから人混みを縫うようにして、思わず了はその背を追いかけ始めていた。
近郊が生活圏だった筈。
その場所をユラユラ揺れるように、霞みたいに歩く姿。その背中を見失わないように了は注意しながら追いかけていく。ただこれでもし途中で知人に出会えば追跡も止めただろうし、花街に入って藤咲や八幡やそうでなければ仁聖にでも出会っていればあんなことには。
あんなこと?
現在追いかけながら考える思考としては、酷く釣り合わない思考。それに了は一瞬戸惑い歩調はゆるんで、追跡している背中を見失いかけてしまう。夕暮れに向けて飲み屋やパブ、おまけに学習塾なんてものもある賑わう通りには新たな人の群れが溢れ出しつつあって。こうして追いかける背はどこを目的に歩き続けているのか全く理解できないが、見れば八幡の夫が室長をしているという学習塾の前をアッサリと通り過ぎていく。
確か、あいつ……この塾に関係あったんだっけ?どうだったっけ?
宏太と違ってハッキリと自分はあの男の全てを記憶できていないし、大体にして聞き伝え程度にしか男の身の上なんか知りもしない。だが、以前はこの近辺のアパートやマンションに暮らしたこともあったというから、ここら辺はよく見知った土地に違いない。確か親はここいらにはいない筈であの男が暮らす場所が存在するかどうかも分からないし、どちらにせよここら辺で彷徨ける状況にある存在であるとも思えなかった。
それでも、あいつなら彷徨いてもおかしくない…………
最初に正面からきちんと顔を確認できていたとしたら、もっと確信をもてるのにと思いながら了は更に人混みを掻き分けるようにして男との距離を少しずつつめていく。その合間も男の歩く速度は変わることもなく一定で、まるで人波なんか存在していないようにフワフワと先に進んでいく。そして人混みが僅かに途切れて、男は角を曲がり姿は一瞬見えなくなってしまう。
…………こっち…………もしかして、…………店に、向かってる?
店といっても既に其処は店ではないのだが。宏太が経営していた《random face》が殺人事件の現場になって閉店したのは、既に三年も前の話。あの店は最近では都市伝説みたいな扱いに変化していると晴が言っていた。事件の直後数ヶ月は閉店した店舗のままだったから、あの店は一種肝試しのスポットになってしまったのだ。人間が二人惨殺され、一人は瀕死の重症を追わされた現場。そして、そこから始まった殺人事件は、よにも凄惨な惨劇として世の中に残されてしまう。
でも、俺にとっては…………
宏太と片倉右京と自分が出会ったあの店は、今は凄惨な人殺しの現場で、しかも奥の部屋には如何わしい拘束具が設置されたアンダーグラウンドの世界の一部。それでもあの店に自分は何度も足を運んでいたし、あの店は自分にとっては気楽な家のような場所でもあった。そしてそこまでの道のりは鮮明で、了にとっては今も変わらずあそこにあるのに
もう店の場所も分かんないってネット掲示板で
世の中なんてそんなもので、日が経つうち真実はボヤけて霞の向こう。
実際にはあの殺人事件で死んだのは男ばかりなのに、今では男女関係なく性的なことで相手を傷つけた人間が殺人鬼に襲われるなんて話にも変わりつつあると晴はいう。当事者はそれを聞いてあいつは自分を犯した人間に仕返しをしただけなんて苦笑いで言うが、世の中の人間にはそんなこと知ったこっちゃないのだ。あの殺人鬼は都市伝説に生まれ変わり、モンスターになって気にくわない奴等を惨殺して歩く。
そんなことを考えながら了も何気なく曲がり角を折れて、男が消えた人気のない路地に数歩足を踏み入れた。次の瞬間、目の前に広がる奇妙な暗闇に、了の足が完全に凍りついていた。まだ午後とはいえ夕暮れにはなっていないのに、酷く路地は暗く音もなく闇に沈んでいて……
…………しまった…………。
路地にはいって思わず足を止めた自分を、路地の闇の中から追いかける相手が見据えている気がした。光の中から闇に馴染まない視界には追いかけていた筈の背中は全く見えず、ふと頭の中で相手はうまくカメラに映っていただろうかと考える自分がいる。了の方は意図して幾つかの防犯カメラや監視カメラには映り込むようにしてきたから、そう考える自分に自分が何故今になってこんなことを考えてしまったのだと戸惑う。
追いかけていた…………でも、あいつは…………《random face》が……
その次の瞬間、目の前の闇ではなく背後に人の気配を感じて振り返り
※※※
一心に宏太がヘッドホンで聞き取っていたのは街の喧騒で、それは密かに惣一が入手したもの。その全てを聞き分けるのは流石に宏太にだって無理なのだが、それでも了の足音は聞き分けている辺りが宏太と言えば宏太なのだった。その足音から聞き分けたのは了が足早に何かに距離を詰めているのだろうということと、了は意図してカメラに映りそうな歩き方をしているということ。以前仕事で使ってそこにカメラがあると知っている場所に出ると、あえてカメラに写る位置を通るように了は意図して歩いている。
つまり、了は何か起こる危惧をして、その上で誰かを追跡している。
了は宏太と違い戦うような術は身に付けてはいないが、馬鹿ではないし機転が利く。つまり了に何かあれば宏太が自分の行動を調べると分かっていて、この追跡をしていたに違いない。画像の方を見た惣一もカメラに一瞬視線を向けた了の様子から、了は相手がカメラに写らない可能性に気がついていて自分が映るようにしたに違いないと判断した。
………………元に戻ったら、ただじゃ済まさないからな。
宏太が足音から導きだしたのは、了が追いかけているのは速度的に言えば了と同程度か少し高い背丈位の人間だと思われることくらい。了の歩調からして速度の上げかたはこれでは小柄な女性なら追い付いてしまうし、距離を詰めるには了の歩調は早すぎる。相手と少し距離があるのだろうが、途中少し離れたのか更に速度をあげて人混みを抜けていく。間にそれくらいの人混みがあっても恐らく姿が見えるのだから、身長は恐らく想定通りに違いない。
そしてもう一つは周囲の時間帯だ。夕暮れ時になる前の花街に出歩くのは、多くが塾に向かう学生や居酒屋や飲食店への勤務する人間。それらは何らかの荷物を持っていることが多く、すれ違ったり人混みを抜ける時にバックや何かの当たる音が聞こえる。その中で違和感を感じる足音を見つけ出すのは、流石に宏太にしても至難の技というしかないものだった。やっと見つけたのは了から数十メートルほど先に歩く足音は、荷物を持っていないし単調なリズムで歩く際に独特の癖のある足音だ。
「映ってるか?あいつは。」
『残念だけど、写ってない。よく聞き取ったね?それ。』
惣一が呆れたように言うが、画面に何一つ姿が映ってなければ証明のしようもない。後は同じ足音が可能な限り同じ距離で存在するかどうかくらいしか、宏太に調べられることはないのだ。
それにしても、…………もしあいつだとして、何故了に?
そんな時ふと何かが聞こえた気がして宏太は見えない筈の視線をモニターから外し、ヘッドホンを外して宙に向けて顔をあげた。ヘッドホンで足音を拡張させて聞いていたから、普段より物音には反応が鈍かった筈だ。そんな中で機械の規則的な作動音に紛れてしまうほど微かな何か、それが何か気がついた瞬間に宏太は音をたてて椅子から立ち上がった。それはまともなら不可能だが宏太の耳には何とか聞き取れるもので、その音に迷わず階段を駆け上がるようにして二階に上がった宏太は迷うことなく寝室に足を踏み入れベットに歩み寄った。そして躊躇うこともなく手を伸ばして、寝具ごとその体を抱き締め、自分の膝の上に軽々と抱きかかえあげる。
「了……、了…………、目を覚ませ。了!」
それはほんの微かな苦悩の呻きだったが、夢現の中の了にはそれが夢だとまだ分かっていない。あの時用事があると一人で街に出た了が、誰を追いかけて街中を歩き回っていたかは宏太にもまだ正確には掴めないでいる。それでも了が誰かを追いかけ花街を抜けて《random face》に向かう路地へ曲がった姿までは確認がとれ、そしてそこから数十メートルもいかない場所で了は意識を失って倒れていたのだ。その時何を見たか、されたのか、記憶が飛ぶような出来事はなんなのか、相手は誰なのかを宏太は必死に探りだそうとしている。それでも同時に夢の中で了が苦悩の呻きと悲鳴をあげたのを、宏太は決して聞き逃すわけにはいかない。
「や、…………や、ぅ……やぁっ……。」
嫌々と弱々しく頭を振り腕の中でもがく了を確りと抱き締めて、宏太は目を覚ませと了の耳元で繰り返す。了がこうして魘されているのがその時のこととは限らないのはわかってはいるが、それでもどちらにせよ魘されているまま放置するなんて宏太に出来る筈がない。夢が深いのか目覚められずに未だにもがき続ける了を思い切り抱き締めて、思わず宏太は声を張り上げていた。
「了っ起きろ!目を覚ませ!」
強い声音にビクッと了の体が戦いて口から喘ぐような吐息が溢れ、吐息は宏太の体にかかり了の視線が肌にふれるのに気がつく。抱き締められ抱き上げられているのに戸惑うよりも安堵の方が強かったのか縋りついたままの了に、宏太は改めて優しく繰り返すように耳元に囁きかける。
「大丈夫だ、夢だ、了。安心しろ、傍にいる。俺がお前を辛い目に会わせたりしない……、安心しろ。いいな?ん?」
「ゆ、め……?」
戸惑いに震える掠れ声が溢れ落ちて、了の視線が痛いほどに肌に刺さる。そして了は夢から覚めて我に帰ったのか、宏太に寝具ごと抱き上げられ膝の上に乗せられているのに気がついたようだ。
「な、んで……?」
「魘されてる声が聞こえた…………まだ、震えてる…な………。」
腕の中でそう囁かれ抱き締められたまま、了は驚きに目を丸くして宏太のことを見上げる。気がつけば直接抱き上げれば了がいやがるとでも言いたげに、寝具で宝物のようにくるんだまま抱き締められ耳元で心配したと囁かれているのだ。それに何故か頬が熱くなるのを感じながら、夢の中で何を見たかを思い返そうとする。
「魘され…………て…………。」
魘されたなら恐らく悪夢を見ていたのだろうが、何故か既に内容が霞んで思い出せない。街の中で歩いていたような断片は思い出せるのに、それが何のためで何を考えていたかは全く思い出せないのだ。それをそのまま口にした了に、ふっと溜め息混じりに宏太が頬を撫でる。
「無理に思い出さなくていい、いいか?ん?」
本当なら思い出してけりをつけた方が早いのは分かっているけれど、それは同時に了に不安や苦痛を感じさせることだとも分かっている。だから宏太に言えるのはそれだけで、腕の中でまだ微かに震える了を安心させようと抱き締めたまま。
「と、ざき…………さん…………、あの。」
それなのに口にされる他人行儀な名前に微かな苛立ちが滲んでしまって、宏太は深い溜め息を再びつくと了の体をベットにおろす。そしてそれに言葉もなく立ち上がった宏太は、仕方がないと言いたげに踵を返そうとしていた。
「あ、ちょ…………外崎さん、あのっ!」
「悪かった、気になって部屋にはいって、もう一度寝ろ。」
淡々とそれだけを言って離れようとする宏太の手を咄嗟に了の手が掴んで、引き留められた形の宏太は僅かに戸惑いを滲ませ了に掴まれた手に顔を向けた。自分が咄嗟にその手を掴んでしまったのに気がついて、了は何をしようとして引き留めたのか自分でもわからず言葉を失う。
何で…………引き留めちゃったんだ…………、ど、どうしよ…………
自分が魘されるのに気を使ってくれたから?なんで名前を呼ぶと不機嫌になるか知りたいから?それともこのベットが余りにも広すぎて心細いから?でも、男同士はおかしいって思ってるし、この人は自分が伴侶として男を受け入れているなんて事を真剣にいっていて。この人は自分がこの人と一緒に寝て、暮らして、日々を過ごしてるなんて。でも、この人に抱き締められて腕の中に居るのも、キスされるのも凄く気持ちよくて安心するし、それにこのベットが広すぎて
「あ、あの。俺、あの…………。」
異様なほどに混乱して何をどういったらいいか分からないで口ごもる了に、手をとられた相手は微かに首を傾げて見せた。
本当にあいつだったか?
そう確信をもったはずなのに、既に人影に遠ざかる背中に確信が揺らぎ始めてしまう。だから人混みを縫うようにして、思わず了はその背を追いかけ始めていた。
近郊が生活圏だった筈。
その場所をユラユラ揺れるように、霞みたいに歩く姿。その背中を見失わないように了は注意しながら追いかけていく。ただこれでもし途中で知人に出会えば追跡も止めただろうし、花街に入って藤咲や八幡やそうでなければ仁聖にでも出会っていればあんなことには。
あんなこと?
現在追いかけながら考える思考としては、酷く釣り合わない思考。それに了は一瞬戸惑い歩調はゆるんで、追跡している背中を見失いかけてしまう。夕暮れに向けて飲み屋やパブ、おまけに学習塾なんてものもある賑わう通りには新たな人の群れが溢れ出しつつあって。こうして追いかける背はどこを目的に歩き続けているのか全く理解できないが、見れば八幡の夫が室長をしているという学習塾の前をアッサリと通り過ぎていく。
確か、あいつ……この塾に関係あったんだっけ?どうだったっけ?
宏太と違ってハッキリと自分はあの男の全てを記憶できていないし、大体にして聞き伝え程度にしか男の身の上なんか知りもしない。だが、以前はこの近辺のアパートやマンションに暮らしたこともあったというから、ここら辺はよく見知った土地に違いない。確か親はここいらにはいない筈であの男が暮らす場所が存在するかどうかも分からないし、どちらにせよここら辺で彷徨ける状況にある存在であるとも思えなかった。
それでも、あいつなら彷徨いてもおかしくない…………
最初に正面からきちんと顔を確認できていたとしたら、もっと確信をもてるのにと思いながら了は更に人混みを掻き分けるようにして男との距離を少しずつつめていく。その合間も男の歩く速度は変わることもなく一定で、まるで人波なんか存在していないようにフワフワと先に進んでいく。そして人混みが僅かに途切れて、男は角を曲がり姿は一瞬見えなくなってしまう。
…………こっち…………もしかして、…………店に、向かってる?
店といっても既に其処は店ではないのだが。宏太が経営していた《random face》が殺人事件の現場になって閉店したのは、既に三年も前の話。あの店は最近では都市伝説みたいな扱いに変化していると晴が言っていた。事件の直後数ヶ月は閉店した店舗のままだったから、あの店は一種肝試しのスポットになってしまったのだ。人間が二人惨殺され、一人は瀕死の重症を追わされた現場。そして、そこから始まった殺人事件は、よにも凄惨な惨劇として世の中に残されてしまう。
でも、俺にとっては…………
宏太と片倉右京と自分が出会ったあの店は、今は凄惨な人殺しの現場で、しかも奥の部屋には如何わしい拘束具が設置されたアンダーグラウンドの世界の一部。それでもあの店に自分は何度も足を運んでいたし、あの店は自分にとっては気楽な家のような場所でもあった。そしてそこまでの道のりは鮮明で、了にとっては今も変わらずあそこにあるのに
もう店の場所も分かんないってネット掲示板で
世の中なんてそんなもので、日が経つうち真実はボヤけて霞の向こう。
実際にはあの殺人事件で死んだのは男ばかりなのに、今では男女関係なく性的なことで相手を傷つけた人間が殺人鬼に襲われるなんて話にも変わりつつあると晴はいう。当事者はそれを聞いてあいつは自分を犯した人間に仕返しをしただけなんて苦笑いで言うが、世の中の人間にはそんなこと知ったこっちゃないのだ。あの殺人鬼は都市伝説に生まれ変わり、モンスターになって気にくわない奴等を惨殺して歩く。
そんなことを考えながら了も何気なく曲がり角を折れて、男が消えた人気のない路地に数歩足を踏み入れた。次の瞬間、目の前に広がる奇妙な暗闇に、了の足が完全に凍りついていた。まだ午後とはいえ夕暮れにはなっていないのに、酷く路地は暗く音もなく闇に沈んでいて……
…………しまった…………。
路地にはいって思わず足を止めた自分を、路地の闇の中から追いかける相手が見据えている気がした。光の中から闇に馴染まない視界には追いかけていた筈の背中は全く見えず、ふと頭の中で相手はうまくカメラに映っていただろうかと考える自分がいる。了の方は意図して幾つかの防犯カメラや監視カメラには映り込むようにしてきたから、そう考える自分に自分が何故今になってこんなことを考えてしまったのだと戸惑う。
追いかけていた…………でも、あいつは…………《random face》が……
その次の瞬間、目の前の闇ではなく背後に人の気配を感じて振り返り
※※※
一心に宏太がヘッドホンで聞き取っていたのは街の喧騒で、それは密かに惣一が入手したもの。その全てを聞き分けるのは流石に宏太にだって無理なのだが、それでも了の足音は聞き分けている辺りが宏太と言えば宏太なのだった。その足音から聞き分けたのは了が足早に何かに距離を詰めているのだろうということと、了は意図してカメラに映りそうな歩き方をしているということ。以前仕事で使ってそこにカメラがあると知っている場所に出ると、あえてカメラに写る位置を通るように了は意図して歩いている。
つまり、了は何か起こる危惧をして、その上で誰かを追跡している。
了は宏太と違い戦うような術は身に付けてはいないが、馬鹿ではないし機転が利く。つまり了に何かあれば宏太が自分の行動を調べると分かっていて、この追跡をしていたに違いない。画像の方を見た惣一もカメラに一瞬視線を向けた了の様子から、了は相手がカメラに写らない可能性に気がついていて自分が映るようにしたに違いないと判断した。
………………元に戻ったら、ただじゃ済まさないからな。
宏太が足音から導きだしたのは、了が追いかけているのは速度的に言えば了と同程度か少し高い背丈位の人間だと思われることくらい。了の歩調からして速度の上げかたはこれでは小柄な女性なら追い付いてしまうし、距離を詰めるには了の歩調は早すぎる。相手と少し距離があるのだろうが、途中少し離れたのか更に速度をあげて人混みを抜けていく。間にそれくらいの人混みがあっても恐らく姿が見えるのだから、身長は恐らく想定通りに違いない。
そしてもう一つは周囲の時間帯だ。夕暮れ時になる前の花街に出歩くのは、多くが塾に向かう学生や居酒屋や飲食店への勤務する人間。それらは何らかの荷物を持っていることが多く、すれ違ったり人混みを抜ける時にバックや何かの当たる音が聞こえる。その中で違和感を感じる足音を見つけ出すのは、流石に宏太にしても至難の技というしかないものだった。やっと見つけたのは了から数十メートルほど先に歩く足音は、荷物を持っていないし単調なリズムで歩く際に独特の癖のある足音だ。
「映ってるか?あいつは。」
『残念だけど、写ってない。よく聞き取ったね?それ。』
惣一が呆れたように言うが、画面に何一つ姿が映ってなければ証明のしようもない。後は同じ足音が可能な限り同じ距離で存在するかどうかくらいしか、宏太に調べられることはないのだ。
それにしても、…………もしあいつだとして、何故了に?
そんな時ふと何かが聞こえた気がして宏太は見えない筈の視線をモニターから外し、ヘッドホンを外して宙に向けて顔をあげた。ヘッドホンで足音を拡張させて聞いていたから、普段より物音には反応が鈍かった筈だ。そんな中で機械の規則的な作動音に紛れてしまうほど微かな何か、それが何か気がついた瞬間に宏太は音をたてて椅子から立ち上がった。それはまともなら不可能だが宏太の耳には何とか聞き取れるもので、その音に迷わず階段を駆け上がるようにして二階に上がった宏太は迷うことなく寝室に足を踏み入れベットに歩み寄った。そして躊躇うこともなく手を伸ばして、寝具ごとその体を抱き締め、自分の膝の上に軽々と抱きかかえあげる。
「了……、了…………、目を覚ませ。了!」
それはほんの微かな苦悩の呻きだったが、夢現の中の了にはそれが夢だとまだ分かっていない。あの時用事があると一人で街に出た了が、誰を追いかけて街中を歩き回っていたかは宏太にもまだ正確には掴めないでいる。それでも了が誰かを追いかけ花街を抜けて《random face》に向かう路地へ曲がった姿までは確認がとれ、そしてそこから数十メートルもいかない場所で了は意識を失って倒れていたのだ。その時何を見たか、されたのか、記憶が飛ぶような出来事はなんなのか、相手は誰なのかを宏太は必死に探りだそうとしている。それでも同時に夢の中で了が苦悩の呻きと悲鳴をあげたのを、宏太は決して聞き逃すわけにはいかない。
「や、…………や、ぅ……やぁっ……。」
嫌々と弱々しく頭を振り腕の中でもがく了を確りと抱き締めて、宏太は目を覚ませと了の耳元で繰り返す。了がこうして魘されているのがその時のこととは限らないのはわかってはいるが、それでもどちらにせよ魘されているまま放置するなんて宏太に出来る筈がない。夢が深いのか目覚められずに未だにもがき続ける了を思い切り抱き締めて、思わず宏太は声を張り上げていた。
「了っ起きろ!目を覚ませ!」
強い声音にビクッと了の体が戦いて口から喘ぐような吐息が溢れ、吐息は宏太の体にかかり了の視線が肌にふれるのに気がつく。抱き締められ抱き上げられているのに戸惑うよりも安堵の方が強かったのか縋りついたままの了に、宏太は改めて優しく繰り返すように耳元に囁きかける。
「大丈夫だ、夢だ、了。安心しろ、傍にいる。俺がお前を辛い目に会わせたりしない……、安心しろ。いいな?ん?」
「ゆ、め……?」
戸惑いに震える掠れ声が溢れ落ちて、了の視線が痛いほどに肌に刺さる。そして了は夢から覚めて我に帰ったのか、宏太に寝具ごと抱き上げられ膝の上に乗せられているのに気がついたようだ。
「な、んで……?」
「魘されてる声が聞こえた…………まだ、震えてる…な………。」
腕の中でそう囁かれ抱き締められたまま、了は驚きに目を丸くして宏太のことを見上げる。気がつけば直接抱き上げれば了がいやがるとでも言いたげに、寝具で宝物のようにくるんだまま抱き締められ耳元で心配したと囁かれているのだ。それに何故か頬が熱くなるのを感じながら、夢の中で何を見たかを思い返そうとする。
「魘され…………て…………。」
魘されたなら恐らく悪夢を見ていたのだろうが、何故か既に内容が霞んで思い出せない。街の中で歩いていたような断片は思い出せるのに、それが何のためで何を考えていたかは全く思い出せないのだ。それをそのまま口にした了に、ふっと溜め息混じりに宏太が頬を撫でる。
「無理に思い出さなくていい、いいか?ん?」
本当なら思い出してけりをつけた方が早いのは分かっているけれど、それは同時に了に不安や苦痛を感じさせることだとも分かっている。だから宏太に言えるのはそれだけで、腕の中でまだ微かに震える了を安心させようと抱き締めたまま。
「と、ざき…………さん…………、あの。」
それなのに口にされる他人行儀な名前に微かな苛立ちが滲んでしまって、宏太は深い溜め息を再びつくと了の体をベットにおろす。そしてそれに言葉もなく立ち上がった宏太は、仕方がないと言いたげに踵を返そうとしていた。
「あ、ちょ…………外崎さん、あのっ!」
「悪かった、気になって部屋にはいって、もう一度寝ろ。」
淡々とそれだけを言って離れようとする宏太の手を咄嗟に了の手が掴んで、引き留められた形の宏太は僅かに戸惑いを滲ませ了に掴まれた手に顔を向けた。自分が咄嗟にその手を掴んでしまったのに気がついて、了は何をしようとして引き留めたのか自分でもわからず言葉を失う。
何で…………引き留めちゃったんだ…………、ど、どうしよ…………
自分が魘されるのに気を使ってくれたから?なんで名前を呼ぶと不機嫌になるか知りたいから?それともこのベットが余りにも広すぎて心細いから?でも、男同士はおかしいって思ってるし、この人は自分が伴侶として男を受け入れているなんて事を真剣にいっていて。この人は自分がこの人と一緒に寝て、暮らして、日々を過ごしてるなんて。でも、この人に抱き締められて腕の中に居るのも、キスされるのも凄く気持ちよくて安心するし、それにこのベットが広すぎて
「あ、あの。俺、あの…………。」
異様なほどに混乱して何をどういったらいいか分からないで口ごもる了に、手をとられた相手は微かに首を傾げて見せた。
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