鮮明な月

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間章 アンノウン

間話1.目が覚めると……

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冷たく凍る沈黙と静寂。
そして深く濃くまとわりつくような暗闇。
そんな暗く寂しい世界にいることに気がつくまで、自分がその中に一人いることすらも理解できずにいた。何時からここにいるのかも、何故ここにいるのかも分からず闇の中にいるのだ。それに自分が気がついてから、やっと今何がどうなっているのだろうと疑問を持つ有り様。

何で…………?

疑問が深まると共にやがて次第にゆっくりと夜が明けていくように、闇が何処かへ遠退いて行く。それとほぼ同時に、今度は白濁した靄が頭の中を侵食していく。それに不安を感じはじめていた自分は、微かな喧騒が遠くにだが存在しているのに気がつき始めた。

何…………?

そこで突然、ふっと目が覚める。
目映い目を射すような人工灯の光。瞬きを繰り返して瞳を開くと自分はベットの上で横になっていて、今までここで眠っていたのだと知った。そして馴染み始めた光の中で、白く滲む視界の辺りを見渡してみる。四方は染みのない真っ白な壁、微かな壁越しに伝わる人々の喧騒。見覚えのない室内は無機質で個性のない単一の物が並び、同時に消毒薬が微かに香る。そこでやっとここが、恐らく自分の居住の場ではないのだろうと気がつく。

病院…………なのか?

混濁して白い靄のかかった頭で考えながらもう一度視界を見渡す。しかし、壁以外に見えるのは天井とカーテンの引かれた窓だけ。どうにも自分でも理解できない状況に、思わず此処は何処と小さく呟く。するとその声にずっと室内にいたらしい一人の人間が、大層な音をたてて壁際の椅子から立ち上がる反応をしたのが分かった。音をたてて歩み寄ってきた濃いサングラスをかけて白木の杖をつく長身の男が、同じ室内にずっと一緒にいたのだ。

「ここ…………は、病院…………?」

渇いて嗄れたような自分の声が放つ問いかけに、その男は更に足早になって傍に歩みよる。見ればその歩みは確りとしているが少し跛行があって、白木の杖から分かる盲目だけでなく、実は足も悪いのだと気がつく。華奢とまではいかないが細身で手足はしなやかで長く、体型のバランスはよくスタイルもパーフェクト。顔立ちもサングラスで隠れている部分以外は均整がとれていて、肉感的な唇に端正な顎のライン。どう見ても贔屓目でなくても整っていると実際に思うような見た目の男が、しなやかな動きでベットの横に辿り着き屈み込んでくる。そして躊躇うこともなく青ざめた冷たい指先を伸ばして、自分の頬に触れ柔らかな動きでなぞった。

「気がついたのか…………。」

ホッと安堵したような男の掠れ声は少し聞き取りにくいけれど、その声質は悪くなくて正直耳に心地良い。そして相手は安堵の先でここが総合病院だと説明してくれて、自分がここに運ばれて暫く…………といっても何時間かの話のようだが、意識が無かったのだと自分に説明してくれる。どうやら自分は数時間前に街中で倒れているのを見つかったらしいのだが、倒れた拍子になのか幾分だが頭も打っているようだという。

「…………何があった?…………説明できるか?」

残念だが、それはできなかった。自分に何が起きて倒れて意識を失ったのか、考えてみても今は何一つ覚えていないのだ。こればかりは仕方がないから、相手には悪いが素直にそう答えるしかない。そして心配そうに自分を覗き込みながら横に腰掛け頬を撫でる相手の濃いサングラスの向こう側が、整った顔立ちを痛々しい傷痕と収まりの悪そうな義眼なのにやっと気がついていた。それにしてもそれ以前に、実は酷く気になることがあって…………

「あの…………。」
「なんだ?何があったか思い出したのか?ん?」

実のところ一番の問題はそこではなかった。一番の問題はこうしてベットの上で横になり愛しい者でも相手をするように、この男に寄り添われている自分の状況だ。と言うのも頬を撫でられている自分も相手と同じ男で、しかも靄のかかったままの頭の中はこの自分に話しかける相手が誰なのかどうやっても導き出せないでいる。それを相手にどう伝えたら良いのか戸惑っているうちに、相手は心配そうに自分の頬を柔らかな手つきでなぞるように撫でていた。



※※※



その日の昼過ぎ、仕事には関係のない用事を済ませに行くと外崎了は家を出た。それだけで直ぐに帰ってくる筈の了が、何時になっても帰宅しないのに宏太も不安になり始めていた矢先。
その連絡は都立総合病院からで、了が元《random face》店舗に繋がる路地奥で倒れていたというのだ。病院に運ばれた了は外傷は目立ったものは殆どなくCTスキャンもレントゲンでも頭部への病変は無かったし、血液検査でも異常はなかった。
それなのに目が覚めてからの了の様子がまるで他人のようによそよそしくて、触れても何時ものように了の体温が緩むこともない。その事事態にただでさえ激しい戸惑いを隠せないでいたのに、頬に触れて普段のように口づけようとした宏太を了は驚いたように突き飛ばして拒絶したのだ。

お、男同士で何してっ……。

そんな風に了から拒絶されたことなんか今まで一度もなくて。宏太が言葉を失って呆然としてしまったのは言うまでもないことだったが、その後更に重ねられた検査の結果知らされたことの方がより衝撃は強い。
了は宏太のことも了自身のことも、理解できないし思い出せない状況だと言うのだ。頭の中に出血はないし目に見える外傷は然程酷くはないが、ショックで記憶が混濁しているのだと言われて戸惑いは不安に塗り変わる。

一過性の健忘

一体宏太の知らない場所で、何をそんなにショックを受けることがあったのか。そして混濁しているのだとしても、自分のことすら分からないなんて。
そう救急医からいわれた瞬間衝撃を受けていたのは当人・外崎了よりも、話を聞くため横にいた外崎宏太の方が何倍も酷かったのはここだけの話だった。



※※※



二日目検査で入院していたものの結局体には大きな異常はなしとされたのに、混濁した記憶の方は改善しないまま。それでも体に問題はないし日常生活に支障もないからと自宅で安静にするという前提で、了は一先ず退院となってしまった。

「あの…………と、ざきさん…………。」

オズオズとそんな風に宏太に声をかける了は、宏太の知っている了とはまるで別人としか思えない。何しろ出会って直ぐに宏太のことを名前で呼んで、人懐っこい社交的だった了だから。今みたいに戸惑いながら伺うように声をかけられて、名前で呼べとも口に出来ず宏太は押し黙ってしまう。

「あ、の、俺…………。」

養子縁組をして自分の籍にはいったとは説明したし、了は宏太の後に大人しく着いては来たが辿り着いた自宅のこともまだ思い出せないでいる。本当なら了が元通りになってから連れ帰りたかったが、日常生活には問題がなく同時に宏太の方も付き添いを却下されているからこうするしかなかった。

「あの…………ほんとに、ここ…………。」

背後から戸惑いを含んだ声がして宏太は自分の中の苛立ちを感じながら、タクシーから先に降りた宏太は了に向かって手を差し出す。まるで女性にするみたいだとも考えるが、相手が盲目の男なのも事実で了は躊躇い勝ちにオズオズとその手をとる。宏太は無言のままその手を握り、当然のように玄関までのアプローチを歩き出す。
自分との関係すら思い出せない了は、宏太と了が一緒に暮らしていると説明しても、男性同士の二人暮らしに今一つ理解できない様子で戸惑いを隠さなかった。それを改めて詳しく説明しようにも、他人が多過ぎる病院は場が悪すぎたのもある。だから余計にも一縷の望みに縋って、こんな状況と分かりながら宏太はこうして了を連れ帰っても来たのだ。二人で暮らす家まで戻れば記憶くらい、既に何ヵ月も暮らしてきたんだと心の中で繰り返していた。

「あの……っ。」
「俺達の家だ。」

本来なら盲目の男の方を了が先導する筈なのかもしれないが、宏太の足取りは迷いがなくて目が見えているようにも感じてしまう。結局大人しく了は辺りを見渡しながら、宏太の大きな手に引かれて玄関まで足を進めていく。広大な土地に建てられた大きな邸宅としか言えない家。庭もガレージも広くとられ、二人きりで暮らすには余りにも立派だし広すぎる。そんなことを了が考えながら玄関ドアを潜った途端、我慢しきれずに宏太はその体を引き寄せ腕の中に抱き締めていた。

「は、離せっ…………!」

唐突な強い抱擁に了は戸惑い身悶え、宏太の腕から逃げようとして必死に足掻く。その動きを包み込んでいなしながら了の華奢な腰を抱き寄せ、宏太は了が身動きもとれないほど強くきつく抱き締めていく。

「な、何、離せよっ!な、なんなんだよ!」

絡め捕られて戸惑い逃げようともがく了は、以前のまだ気持ちが通じ合わなかった時の了とは全く違う。聞けば聞くほど今の了は奇妙なほど健全な知識しか残していなくて、同性でも今後を共に過ごすと願ってくれた了とは完全な別人だ。こうして腕の中で宏太の体温を直に感じ取っても、もがき逃げ出そうとし続けるのに宏太は眉を寄せて苦痛に満ちた声を絞り出す。

「俺のことが本当に…………まだ、分からないのか?了…………ん?」

苦悩に満ちるその言葉に、ビクンッと了の体が大きく戦いた。了自身だってこの奇妙な状況がまともでないことは分かっている。記憶の中の特にこの男に関する情報だけが、綺麗サッパリ靄の中に隠れて消えてしまっているような気が了にもするのだ。

ほんとに…………?俺が…………望んで……?

病室では数ヵ月前に了が望んで、この男と養子縁組したと説明された。それが意図するのは血縁的な養子縁組ではなくて、セクシャリティーの問題。了とこの男は結婚と同じ意図で、ワザワザ養子縁組をした関係なのだと言われたのだ。そして確かに自分の左の薬指には、目の前の男と同じ指輪が嵌められていて。

男同士で…………?

そんな非生産性な関係で、成田と縁を切ったのだろうかと了自身も戸惑う。記憶の中には確かに仲が良いとは言えない両親と自分の関係はあって、自分が成田でなくなったことを喜んでもいる。だけどそれと引き換えに選んだのが、同性婚だと理解することができない。しかも自分が望んだと言われても、まるでそこら辺に関する記憶が蘇らない。しかもこの男は宝物を守る騎士のように、目が覚めてからというものの了の傍を一時も離れようとしないのだ。

了……。

そう囁きながら時折手を伸ばし頬に触れたり、手を握ったり。相手の行動は言われれば、恋人や妻にするものと大差がないとは了も思う。そして同時にその行為事態に了にも不快感がないのは事実なのに、それを心の中で肯定しようとすると何故か震えるほどに怖くなるのだ。
結局触れられて触発され何か思い出すどころか、実は相手の言うことが殆ど了はピンと来ないし怯える有り様。と言うより最近の自分の身の上に関した部分が最も靄がかかっている部分で相手の名前すら思い出せないのに、こうしてやむを得ないとは言え一緒に暮らしているという家まで連れてこられて。しかも早速男に玄関で抱き締められている。

やっぱり、無理にでもここに帰ってくるのは避ければよかった…………。

腕は力強くて、その癖酷く熱くて。抵抗しようにも上手く力が込められないまま、玄関なんて場所で抱き締められたままでいる。

「は、なせよ…………っ。」
「了…………。」

不意に耳元に低く熱っぽく自分の名前だという名を囁きかけられたのに、何故か全身から力が抜けてしまい抱き締められた腕に思わず身を預けてしまう。鳥肌の立つような戦きと足から力が抜けてしまいそうな奇妙な感覚。それに飲まれて立っていることもできない了を、抱き締める腕は迷うこともなく絡めとったままだ。

「や、……やめ…………。」
「了…………。」

熱っぽく濡れて耳を擽る甘い声。繰り返されると尚更頭の中が熱をもった見たいになって足元が揺らぎ、それを見越しているように相手は腕に力を込めてくる。

「了…………………、了…………。」

カッと頬が熱をもって赤くなってしまう。そんな様子は全く見えないだろう相手は、まるで懇願するみたいに何度も何度も耳元で名前を呼び囁きを繰り返していた。それから何とか逃げ出したいのに、甘くて柔らかな声で名前を呼ばれ繰り返し耳元を擽り続けられるのが芯を痺れさせる。

「や、だ……やめっ……。」
「愛してる、了。」

それは恋人に言う言葉だと叫びたくなって、そうだ・この男にとっては自分がその愛を紡ぐ相手なのだと気がつき座り込みそうになってしまう。
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