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第十五章 FlashBack
181.
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夜が更けてやっと帰宅した宏太の姿に安堵してしまう自分に気がついて、了は思わず自己嫌悪に呑まれてしまう。宏太が今日高橋の件にけりをつけると話していたせいもあるし、同時に今では了にとって宏太が何事においても支えになっているのだ。
自分が引き込んでしまった結城晴のこともだし、自己中心的な感情で榊恭平と源川仁聖を傷つけたことを今の了は後悔している。後悔しているからこそ新たな過ちを起こしたくはないし、それは今の自分がそれをされた時に自業自得と諦められないと言う現実に気がついてしまったからでもある。自分が宏太以外の誰かに触れられるのも想像も出来ないし、宏太が傷つけられたりすることだって嫌だ。
自分勝手すぎるって分かっても、それでも……
情が絡んでしまえば自分の感情も大きく変わるのを知ってしまった。それは自分だけでなくて宏太も同じで、宏太が晴の事を気にかけたり周囲の人間との交流を今までと変えているのもそれが理由のひとつなのだと思う。
「お帰り、遅かったな。」
「ああ、少しな……。」
玄関先で車から降りたのか、夕方から降り始めた雨に少し濡れた宏太が頭を振ってから上がり框で音をたてて靴を脱ぐのを見守る。そして宏太の首に伸ばした手を巻き付けただけで、宏太は直ぐ様了を抱き寄せて柔らかく甘い声であやすように何かあったのか?と耳元に囁く。何があったというよりも自分がしたこととしなかったことを思うと、今更のように了は自己嫌悪してしまうのだ。
一時の自分の感情でノーマルで普通に暮らしていた筈の結城晴を道を踏み外させてこちらがわに巻き込んだのは、間違いなく過去の成田了だった。幸せそうに日々を暮らす結城晴を妬んで自分の出来る限りの手練手管で引きずりこみ、結城晴が順当に歩んでいた道を踏み外させて、今の仕事や生活に変えさせた切っ掛けは間違いなく自分なのだ。
「ちょっと………自己嫌悪……。」
そう囁くと宏太の眉が不思議そうに持ち上がるのが分かった。了がどうして自己嫌悪するのか実のところ宏太には理解できなくて、選んだのは結城晴自身で了が何をしようと責任は晴のものというのが持論だ。それは宏太自身にも言えて、宏太は自分の怪我や結果を相手のせいだとは考えない。この酷い顔の傷すら自分が選んだ行動の責任であって、傷を追わせた相手である三浦和希の責任だとは考えていないのだ。勿論そうは思っていても命の危機を感じた体は無意識下で拒否反応は起こすが、それでも三浦の事件は宏太の中ではけりがつけられていてもう終わったものと考えている様子でもある。
「な、どうなった?」
「ん?」
そんな自分が利己的な理由で巻き込んだ結城晴が狭山明良に持った純粋で真っ直ぐな恋慕の気持ちを知っているから、外崎了は晴を応援したいのだった。性別の問題はあっても晴が明良に惹かれたのは、以前の結婚を考えていた女性より遥かに真摯で強くて、晴自身が自分でも戸惑うほどの強さで晴を満たしてしまう。榊恭平が源川仁聖への想いを揺るがせないように、自分が宏太への感情を押し止められないほどに感じるのと同じに。
抱き寄せて愛しげに肌を寄せられるだけで、安堵する。
そんな相手を見つけられたのだから、晴のことも何とかしてやりたいのは当然だ。しかし晴がこんな風に苦悩するのを見て、しかもここでの仕事の関係で事件に巻き込まれてもいる。だから高橋のこの事件のことは了にも宏太にも酷く気にかかる。
「うまくけりがついたか?こぉた。」
抱き寄せられた腕の中で半分甘えながらそう問いかけると、迷わず当然と答えるはずの宏太が珍しく僅かに戸惑うのが分かった。その変化に不足の事態が起きたのに気がついた了が戸惑いをにじませた声で何があったか問いかけると、宏太が仁聖が予定外の行動に出たのを了を抱き締めながら説明する。
最初の計画では警察に情報を流したという事を告げた時点で仁聖はなにもしないで藤咲信夫に全てを託す筈だったのに、何故か源川仁聖は高橋至に更に追い討ちをかけて相手を逆上させるような行動をとったのだった。
※※※
藤咲の手を振り払い飛び掛かった高橋の手が先ず伸ばされたのは源川仁聖自身ではなく、仁聖が手にしていたスマホの方だった。音源を記録している媒体・そっちを優先して狙うと思っていなかった仁聖が、僅かに身を反らしたが手からスマホを弾き飛ばすには十分な勢いだ。勢いに弾けて床に音をたてて飛ばされたスマホに、飛び掛かった高橋の足が勢いよくそれを音をたてて踏み潰した。それに殆ど同時に手を出そうとした仁聖の腕をとり、ひき止めたのは藤咲の咄嗟の機転だった。そうでなければスマホを取り返そうとした手ごと、勢いよく高橋の革靴の硬い底で指の骨を踏み折られたかもしれない。
「あっ!!!」
グシャリと音をたてて細かく皹の走って潰されたスマホの画面をみた仁聖の表情があからさまに落胆に曇り、それをした高橋はその理由を音源だと考えて嘲笑うように顔を歪めて掠れてひきつった笑い声を上げた。高橋にしてみれば録音媒体を粉砕して音声を無に返せば、高橋の罪の証拠すら破壊したと考えたに違いない。それに仁聖の表情は大事なものを壊されてしまった落胆に違いなかった。
「こ、れでっ!!」
「証拠がないなんて考えるなよ?おっさんよ。」
突然低く底冷えするような藤咲の声に思考を寸断され、高橋は呆然と乱れに乱れた髪を振り乱し視線を上げていた。そこにあるのは冷え冷えとした凍りついた藤咲の瞳と高橋の足元を見つめたままの仁聖の横顔があって、高橋は思わずその場に凍りつく。
「音声は通話状態にして、他に録音してある。」
確かにそれが事実で高橋の言動はボイスレコーダーだけでなく、通話先の宏太のレコーダーで録音されている。それでも目の前の仁聖の落胆の顔に高橋は狂ったように声を上げた。
「うう、うそつくな、ううう、うそだ。」
「お前と違って嘘をつくほど暇じゃない。」
藤咲の放つ言葉のその横で不意に仁聖の瞳が怒りを滲ませて高橋を睨み付けたのに、藤咲は高橋を見下ろしていて気がつかないでいた。一瞬高橋はその怒りの瞳の意味が分からずにポカーンと仁聖の澄んだ怒りに光る瞳に飲まれたように見つめていて、次の瞬間
※※※
押し付けられた恭平の甘い唇に言葉を奪われて謝ることすら出来ずにいる仁聖は、自分を真っ直ぐに見つめている恭平を言葉もなく見つめ返していた。澄んだ神々しい光を放つ月のように躊躇うこともなく見つめてくる恭平の瞳には、明らかに怒りと言うよりも悲しみの方が浮かんでいて仁聖は戸惑う。
「お前が何を考えていたのか、俺だけに説明しないのはどうしてだ?」
そうじゃないと言い返そうとしたが、自分が何を考えてこの行動をとったかを恭平が知らないのは事実だった。実際には恭平だけではなくて、外崎宏太も藤咲信夫も仁聖の行動の理由は知らない。本当は仁聖のするのは電話越しに自白を録音させるだけで、その先の行動は仁聖が勝手にしたことで、この怪我も仁聖が勝手にしておったものだ。
「俺は、………お前の伴侶じゃないのか?」
悲しみに包み込まれたその言葉に胸が突き刺されたような気がして、仁聖は思わず襟首を掴んだままの恭平の体を引き寄せ肩に顔を埋めた。
ごめんなさい。
思わずそう繰り返しながら甘い香りのする恭平の体を抱き締め仁聖が囁くのは、自分が怖かったのは何よりも一つの疑問の答えが仁聖が思う通りのものだと言うことなのだった。
自分が高橋や成田了の立場になったら、自分も同じような暴挙に出てしまうのだろうか。
そうはしないと考えていても子供の自分には本当のことが理解できないのか、全くそんな行動は自分はしないのか、それもどうなのか仁聖にはわからない。今までの恋愛ではそんなことは起きなかったし、何よりも仁聖の恋愛は恭平一人しか真剣に思ってきた訳じゃないのだ。それでももしも仁聖が彼らの立場になったら、仁聖も同じように狂うのか答えが知りたかった。
そして仁聖にはそれを問いかけて教えてくれるような両親や年嵩の相手がかなり少ないし、そんな経験を重ねるほどの年齢でもない。そして、恭平にはそれをどうしても聞けないのは聞いて嫌われるのが怖いからだ。それでも大事な人を大事にし続けるにはどうしたらいいのか、そんなことも考えるのは自分がまだ幼すぎて大人になれないからだとも思っていて
「恭平が……好きすぎて、そうなったら俺がどうなるかわかんない………。」
そう戸惑いながら口にした途端に恭平の瞳は驚愕に見開かれて、そしてやがてあきれたように表情は弛んで笑みが口許に浮かぶ。相手が別な人間に惹かれた時の事を不安に考える前に、そうならないようにすることの方が重要なはず。誰しもそんなことは簡単に思い浮かぶはずなのに、それがどうしても浮かばない仁聖の不器用で歪な戸惑いや不安。しかもそれを自分で解消するためにする方法があまりにも突拍子もなくて、思わず恭平の口から笑みが溢れてしまう。
「な、なんで……笑うの……俺、真剣なのに………。」
怒られて素直に答えたら、今度は笑われたという衝撃に仁聖の顔が子供のようにクシャとしかめられる。それに抱き締められなから襟元をまだ握ったままの恭平は何故か笑いが止まらず、肩を震わせて声を溢して笑っている。
「な、なんでぇ………?何が、おかし、の?」
戸惑いながら顔を寄せてシュンとして首を傾げた仁聖に、恭平は一番最初にもこうして玄関先で口付けた事を思いだしていた。あれから一年以上が経って見た目は酷く大人びてしまった仁聖なのに、結局中身は仁聖のまま。村瀬篠と二人でいた自分を誤解して突然抱き締めてきたり、とんでもない行動にでて無理矢理恭平を抱いた仁聖。大体にしてそんな馬鹿なことを悩む前に一番最初にしたことが既に暴挙に近いと気がついているのかと思うが、それでも無垢で子供みたいにひたすらに自分だけ見ている仁聖に改めて気がついてしまう。
「馬鹿。」
「ええっ?!な、なんで……バカって。」
まるで叱られた大型犬のようにシュンと項垂れた仁聖の襟元をグイと改めて引き寄せて、恭平が再び甘く柔らかく口付ける。以前と違ってちゃんと心が通じあっているのだと表すように恭平があわせた唇で柔らかな仁聖の唇を噛んで舌先でなぞるのに、体を震わせて唇を開く仁聖に恭平は思わず微笑んでしまう。男臭く急に成長してモデルなんか人目を惹く仕事なんかして勝手に大人になってしまったようにみえるのに、実際は定期的にここに通ってきて恭平にこっそり口付け寝顔を眺めていた時と中身は何も変わらない仁聖。
「そっちを考えるより前に、他の奴に俺の目がいかないようにする方が大事だろ?馬鹿。」
指摘された言葉に唖然とした顔をする仁聖に笑いが止まらない恭平の顔を、仁聖が甘えるように擦り寄せるようにして覗き込む。その右額にガーゼが当てられているのに恭平が、そっと囁きかける。
「傷…痛まないか?」
「うん。」
柔らかな問いかけに嬉しそうに答えた仁聖の声に、ふと恭平が黙り込む。そして思い出したように口を開いた。
「…………今度、同じことしたら一ヶ月一緒に寝ないからな。」
「ええええっ!やだっ!」
了に以前言われたことを咄嗟に恭平が口にすると了が言った想定どおりの反応をする仁聖に、恭平が思わず吹き出して肩を震わせる。了が言うには「一緒に寝ない」の一言が、外崎宏太には何よりも一番大人しく言うことを聞く呪文なのだと言うのだ。そしてその男に似ていると言われた仁聖も目の前で必死にやだと半ベソで懇願していて。
何が一番効くって、一緒に寝ないからなっていうのが一番効くっておかしくね?
了は仁聖と外崎宏太が内面的によく似てると言う。そんな了が言うには、あの外崎宏太は情緒的に未成熟だったのだと言う。幼い頃から格段に頭が良く勘も良く何事もそつなく物事をこなす事の出来る人間だったという外崎宏太は、確かに源川仁聖とよく似ているかもしれない。
「ごめんなさい、もうしません!だから、一緒寝よ?ね?」
「俺だけ茅の外にされて、俺は酷く傷ついた。」
「ごめんなさい!ほんとにごめんなさい!もうしません!!」
だけど何かに執着することもなく流されるままに過ごしてきた人間が、それぞれに唯一執着した相手。それを見つけた途端外崎宏太は急に変化して、源川仁聖もこうして大きく成長し始めている。だけど中身はそれぞれに、了にとっては大きな子供みたいな宏太で、恭平には以前と変わりない仁聖なのだ。
「きょうへぇー……ごめんなさい、もうしないからぁ。」
「暫く信じないから。」
「嘘っ!信じて!本気だからぁ!!一人で寝るのやだよお!」
甘え声で強請り続ける仁聖の唇をもう一度恭平が塞いだのは、そのすぐ後のことだった。
自分が引き込んでしまった結城晴のこともだし、自己中心的な感情で榊恭平と源川仁聖を傷つけたことを今の了は後悔している。後悔しているからこそ新たな過ちを起こしたくはないし、それは今の自分がそれをされた時に自業自得と諦められないと言う現実に気がついてしまったからでもある。自分が宏太以外の誰かに触れられるのも想像も出来ないし、宏太が傷つけられたりすることだって嫌だ。
自分勝手すぎるって分かっても、それでも……
情が絡んでしまえば自分の感情も大きく変わるのを知ってしまった。それは自分だけでなくて宏太も同じで、宏太が晴の事を気にかけたり周囲の人間との交流を今までと変えているのもそれが理由のひとつなのだと思う。
「お帰り、遅かったな。」
「ああ、少しな……。」
玄関先で車から降りたのか、夕方から降り始めた雨に少し濡れた宏太が頭を振ってから上がり框で音をたてて靴を脱ぐのを見守る。そして宏太の首に伸ばした手を巻き付けただけで、宏太は直ぐ様了を抱き寄せて柔らかく甘い声であやすように何かあったのか?と耳元に囁く。何があったというよりも自分がしたこととしなかったことを思うと、今更のように了は自己嫌悪してしまうのだ。
一時の自分の感情でノーマルで普通に暮らしていた筈の結城晴を道を踏み外させてこちらがわに巻き込んだのは、間違いなく過去の成田了だった。幸せそうに日々を暮らす結城晴を妬んで自分の出来る限りの手練手管で引きずりこみ、結城晴が順当に歩んでいた道を踏み外させて、今の仕事や生活に変えさせた切っ掛けは間違いなく自分なのだ。
「ちょっと………自己嫌悪……。」
そう囁くと宏太の眉が不思議そうに持ち上がるのが分かった。了がどうして自己嫌悪するのか実のところ宏太には理解できなくて、選んだのは結城晴自身で了が何をしようと責任は晴のものというのが持論だ。それは宏太自身にも言えて、宏太は自分の怪我や結果を相手のせいだとは考えない。この酷い顔の傷すら自分が選んだ行動の責任であって、傷を追わせた相手である三浦和希の責任だとは考えていないのだ。勿論そうは思っていても命の危機を感じた体は無意識下で拒否反応は起こすが、それでも三浦の事件は宏太の中ではけりがつけられていてもう終わったものと考えている様子でもある。
「な、どうなった?」
「ん?」
そんな自分が利己的な理由で巻き込んだ結城晴が狭山明良に持った純粋で真っ直ぐな恋慕の気持ちを知っているから、外崎了は晴を応援したいのだった。性別の問題はあっても晴が明良に惹かれたのは、以前の結婚を考えていた女性より遥かに真摯で強くて、晴自身が自分でも戸惑うほどの強さで晴を満たしてしまう。榊恭平が源川仁聖への想いを揺るがせないように、自分が宏太への感情を押し止められないほどに感じるのと同じに。
抱き寄せて愛しげに肌を寄せられるだけで、安堵する。
そんな相手を見つけられたのだから、晴のことも何とかしてやりたいのは当然だ。しかし晴がこんな風に苦悩するのを見て、しかもここでの仕事の関係で事件に巻き込まれてもいる。だから高橋のこの事件のことは了にも宏太にも酷く気にかかる。
「うまくけりがついたか?こぉた。」
抱き寄せられた腕の中で半分甘えながらそう問いかけると、迷わず当然と答えるはずの宏太が珍しく僅かに戸惑うのが分かった。その変化に不足の事態が起きたのに気がついた了が戸惑いをにじませた声で何があったか問いかけると、宏太が仁聖が予定外の行動に出たのを了を抱き締めながら説明する。
最初の計画では警察に情報を流したという事を告げた時点で仁聖はなにもしないで藤咲信夫に全てを託す筈だったのに、何故か源川仁聖は高橋至に更に追い討ちをかけて相手を逆上させるような行動をとったのだった。
※※※
藤咲の手を振り払い飛び掛かった高橋の手が先ず伸ばされたのは源川仁聖自身ではなく、仁聖が手にしていたスマホの方だった。音源を記録している媒体・そっちを優先して狙うと思っていなかった仁聖が、僅かに身を反らしたが手からスマホを弾き飛ばすには十分な勢いだ。勢いに弾けて床に音をたてて飛ばされたスマホに、飛び掛かった高橋の足が勢いよくそれを音をたてて踏み潰した。それに殆ど同時に手を出そうとした仁聖の腕をとり、ひき止めたのは藤咲の咄嗟の機転だった。そうでなければスマホを取り返そうとした手ごと、勢いよく高橋の革靴の硬い底で指の骨を踏み折られたかもしれない。
「あっ!!!」
グシャリと音をたてて細かく皹の走って潰されたスマホの画面をみた仁聖の表情があからさまに落胆に曇り、それをした高橋はその理由を音源だと考えて嘲笑うように顔を歪めて掠れてひきつった笑い声を上げた。高橋にしてみれば録音媒体を粉砕して音声を無に返せば、高橋の罪の証拠すら破壊したと考えたに違いない。それに仁聖の表情は大事なものを壊されてしまった落胆に違いなかった。
「こ、れでっ!!」
「証拠がないなんて考えるなよ?おっさんよ。」
突然低く底冷えするような藤咲の声に思考を寸断され、高橋は呆然と乱れに乱れた髪を振り乱し視線を上げていた。そこにあるのは冷え冷えとした凍りついた藤咲の瞳と高橋の足元を見つめたままの仁聖の横顔があって、高橋は思わずその場に凍りつく。
「音声は通話状態にして、他に録音してある。」
確かにそれが事実で高橋の言動はボイスレコーダーだけでなく、通話先の宏太のレコーダーで録音されている。それでも目の前の仁聖の落胆の顔に高橋は狂ったように声を上げた。
「うう、うそつくな、ううう、うそだ。」
「お前と違って嘘をつくほど暇じゃない。」
藤咲の放つ言葉のその横で不意に仁聖の瞳が怒りを滲ませて高橋を睨み付けたのに、藤咲は高橋を見下ろしていて気がつかないでいた。一瞬高橋はその怒りの瞳の意味が分からずにポカーンと仁聖の澄んだ怒りに光る瞳に飲まれたように見つめていて、次の瞬間
※※※
押し付けられた恭平の甘い唇に言葉を奪われて謝ることすら出来ずにいる仁聖は、自分を真っ直ぐに見つめている恭平を言葉もなく見つめ返していた。澄んだ神々しい光を放つ月のように躊躇うこともなく見つめてくる恭平の瞳には、明らかに怒りと言うよりも悲しみの方が浮かんでいて仁聖は戸惑う。
「お前が何を考えていたのか、俺だけに説明しないのはどうしてだ?」
そうじゃないと言い返そうとしたが、自分が何を考えてこの行動をとったかを恭平が知らないのは事実だった。実際には恭平だけではなくて、外崎宏太も藤咲信夫も仁聖の行動の理由は知らない。本当は仁聖のするのは電話越しに自白を録音させるだけで、その先の行動は仁聖が勝手にしたことで、この怪我も仁聖が勝手にしておったものだ。
「俺は、………お前の伴侶じゃないのか?」
悲しみに包み込まれたその言葉に胸が突き刺されたような気がして、仁聖は思わず襟首を掴んだままの恭平の体を引き寄せ肩に顔を埋めた。
ごめんなさい。
思わずそう繰り返しながら甘い香りのする恭平の体を抱き締め仁聖が囁くのは、自分が怖かったのは何よりも一つの疑問の答えが仁聖が思う通りのものだと言うことなのだった。
自分が高橋や成田了の立場になったら、自分も同じような暴挙に出てしまうのだろうか。
そうはしないと考えていても子供の自分には本当のことが理解できないのか、全くそんな行動は自分はしないのか、それもどうなのか仁聖にはわからない。今までの恋愛ではそんなことは起きなかったし、何よりも仁聖の恋愛は恭平一人しか真剣に思ってきた訳じゃないのだ。それでももしも仁聖が彼らの立場になったら、仁聖も同じように狂うのか答えが知りたかった。
そして仁聖にはそれを問いかけて教えてくれるような両親や年嵩の相手がかなり少ないし、そんな経験を重ねるほどの年齢でもない。そして、恭平にはそれをどうしても聞けないのは聞いて嫌われるのが怖いからだ。それでも大事な人を大事にし続けるにはどうしたらいいのか、そんなことも考えるのは自分がまだ幼すぎて大人になれないからだとも思っていて
「恭平が……好きすぎて、そうなったら俺がどうなるかわかんない………。」
そう戸惑いながら口にした途端に恭平の瞳は驚愕に見開かれて、そしてやがてあきれたように表情は弛んで笑みが口許に浮かぶ。相手が別な人間に惹かれた時の事を不安に考える前に、そうならないようにすることの方が重要なはず。誰しもそんなことは簡単に思い浮かぶはずなのに、それがどうしても浮かばない仁聖の不器用で歪な戸惑いや不安。しかもそれを自分で解消するためにする方法があまりにも突拍子もなくて、思わず恭平の口から笑みが溢れてしまう。
「な、なんで……笑うの……俺、真剣なのに………。」
怒られて素直に答えたら、今度は笑われたという衝撃に仁聖の顔が子供のようにクシャとしかめられる。それに抱き締められなから襟元をまだ握ったままの恭平は何故か笑いが止まらず、肩を震わせて声を溢して笑っている。
「な、なんでぇ………?何が、おかし、の?」
戸惑いながら顔を寄せてシュンとして首を傾げた仁聖に、恭平は一番最初にもこうして玄関先で口付けた事を思いだしていた。あれから一年以上が経って見た目は酷く大人びてしまった仁聖なのに、結局中身は仁聖のまま。村瀬篠と二人でいた自分を誤解して突然抱き締めてきたり、とんでもない行動にでて無理矢理恭平を抱いた仁聖。大体にしてそんな馬鹿なことを悩む前に一番最初にしたことが既に暴挙に近いと気がついているのかと思うが、それでも無垢で子供みたいにひたすらに自分だけ見ている仁聖に改めて気がついてしまう。
「馬鹿。」
「ええっ?!な、なんで……バカって。」
まるで叱られた大型犬のようにシュンと項垂れた仁聖の襟元をグイと改めて引き寄せて、恭平が再び甘く柔らかく口付ける。以前と違ってちゃんと心が通じあっているのだと表すように恭平があわせた唇で柔らかな仁聖の唇を噛んで舌先でなぞるのに、体を震わせて唇を開く仁聖に恭平は思わず微笑んでしまう。男臭く急に成長してモデルなんか人目を惹く仕事なんかして勝手に大人になってしまったようにみえるのに、実際は定期的にここに通ってきて恭平にこっそり口付け寝顔を眺めていた時と中身は何も変わらない仁聖。
「そっちを考えるより前に、他の奴に俺の目がいかないようにする方が大事だろ?馬鹿。」
指摘された言葉に唖然とした顔をする仁聖に笑いが止まらない恭平の顔を、仁聖が甘えるように擦り寄せるようにして覗き込む。その右額にガーゼが当てられているのに恭平が、そっと囁きかける。
「傷…痛まないか?」
「うん。」
柔らかな問いかけに嬉しそうに答えた仁聖の声に、ふと恭平が黙り込む。そして思い出したように口を開いた。
「…………今度、同じことしたら一ヶ月一緒に寝ないからな。」
「ええええっ!やだっ!」
了に以前言われたことを咄嗟に恭平が口にすると了が言った想定どおりの反応をする仁聖に、恭平が思わず吹き出して肩を震わせる。了が言うには「一緒に寝ない」の一言が、外崎宏太には何よりも一番大人しく言うことを聞く呪文なのだと言うのだ。そしてその男に似ていると言われた仁聖も目の前で必死にやだと半ベソで懇願していて。
何が一番効くって、一緒に寝ないからなっていうのが一番効くっておかしくね?
了は仁聖と外崎宏太が内面的によく似てると言う。そんな了が言うには、あの外崎宏太は情緒的に未成熟だったのだと言う。幼い頃から格段に頭が良く勘も良く何事もそつなく物事をこなす事の出来る人間だったという外崎宏太は、確かに源川仁聖とよく似ているかもしれない。
「ごめんなさい、もうしません!だから、一緒寝よ?ね?」
「俺だけ茅の外にされて、俺は酷く傷ついた。」
「ごめんなさい!ほんとにごめんなさい!もうしません!!」
だけど何かに執着することもなく流されるままに過ごしてきた人間が、それぞれに唯一執着した相手。それを見つけた途端外崎宏太は急に変化して、源川仁聖もこうして大きく成長し始めている。だけど中身はそれぞれに、了にとっては大きな子供みたいな宏太で、恭平には以前と変わりない仁聖なのだ。
「きょうへぇー……ごめんなさい、もうしないからぁ。」
「暫く信じないから。」
「嘘っ!信じて!本気だからぁ!!一人で寝るのやだよお!」
甘え声で強請り続ける仁聖の唇をもう一度恭平が塞いだのは、そのすぐ後のことだった。
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