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第十五章 FlashBack
175.
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数日の間に自分でやったことを猛省して、高橋至が自分から警察に自首する。
という可能性について一応は事前に仁聖から問いかけてはみたのだ。が、何故か共に働いた経験のある外崎了も佐山明良も、あれから少し落ち着いた結城晴ですら「あ、それはない」の一言で高橋至を一刀両断した。元々高橋という人間は責任という認識が薄く、何事に関しても責任転嫁ばかりする男だと三人は総意で口にする。この事態に対して恐らくは家に隠っているに違いないという、そんな情けない想定を打ち出される始末だ。しかも現実的にあっという間に現在の住所を特定された上に動向を監視されていた高橋は、三人の発言通り最低限の外出しかせず家に籠りきりのままだという。余りにも出てこないので、そこから引きずり出すには作戦を練るしか方法がなかったが、実のところ作戦は殆ど計画済みで準備が整うのを待つだけだったりもする。
その準備の一つがこれのことなのは言うまでもなかった。
仁聖がモデルのウィルとしてここに立ち相手を冷ややかに見ているのは、その結果でもある。
現在目の前には青ざめるを通り越して土気色の顔をした高橋至が立ち尽くしていて、その斜め前にはスレンダーな江刺家八重子がまるで受付嬢然とした様子で艶然と微笑んでいた。余り高橋との接触の人数を増やしたくないということから、何故か『multilayered.E』のトップデザイナーでもあり社長でもある江刺家が当然のごとくこの役をかって出たというがその理由は実は不明。勿論自社の受付嬢にセクハラされるのが困るというのはわかるのだが、そこで何故社長の江刺家が出てきてしまうのかは正直仁聖には理解できない。とは言え江刺家の背後にいる高橋は可哀想なほどに顔色を悪くして、強張った笑顔をひくつかせながら仁聖の顔をこそこそと盗み見ている。
近くで見ると、確かにあのときのおっさんだなぁ……
正直髪は色が違う。だけど既にその髪は鬘だとも知っていて、身長差や顔の様子を再確認するには丁度いいタイミングと体勢。しかも高橋はあの時と同じ位の角度に自分からなっていて、その上この顔色は向こうも自分の顔を見ているのがよくわかる。つまりは宏太の指摘は確かで、向こうも仁聖の顔は記憶していて、これから確認する内容いかんによっては仁聖にも無関係ではない。
「高橋至さんよ。」
妖艶な微笑みでハッキリと名前を口にされたのに、高橋の顔色は目に見えて悪くなった。顔だけでなく名前までこんなにも簡単に相手に知られることになってしまったことに、どうしたらいいかわからないというところだろう。
「………これからうちの社長と顔合わせだけど、貴方の専属商品の販売プランニングの専門になるはずよ?ウィル。」
勿論こちら側は、仁聖の名前を明かすつもりもない。既に源川仁聖の名前も知っていてあえてモデル名で艶然と微笑みながら自分を呼んだ江刺家の微笑みが、この計画の裏を全部知っていてやっている辺りが意味深で怖い。何せ言葉からも分かる通り社長と顔合わせと建前上は言いながら、実際にはまるで会う気がないから江刺家はこうして受付嬢に扮しているのだ。
高橋が何をして藤咲や外崎と敵対したかは当に江刺家八重子は知っていて、何故かとってもご立腹である様子。恐らくはセクハラや性的な犯罪行為が嫌いなのもあるが、もしかして江刺家は藤咲信夫に気があるのではないかと仁聖は内心でふんでいる。そうでもなければこの計画に江刺家は全く関係がなくて、協力する必要性もない。それなのに何故かいつの間にか藤咲の不機嫌を楽しげに笑いながら、参加しているのだから、傍目に見てどう見ても何か意図が介在している。それに全く気がついてないのは藤咲だけで、どうやら宏太も気がついているようだが。
「はじめ…………まして、高橋さん?」
意味ありげに含みを持たせて紹介してみせた江刺家とは打って変わって、スゥッと一瞬で凍りついた無表情にかわって声をかけた仁聖に、高橋は更にひきつった顔で目を丸くした。
どう見ても、あからさまな侮蔑の視線。
それは仁聖の方も高橋を覚えていて、しかもその先の救急車と結びつけているのに他ならないというポーズだ。それを視界に入れながら江刺家はそれには気がつかないふりで、鳴りもしていないはずのスマホを受話したようにごめんなさいとスタジオの奥に離れた。カメラマンや照明も当然のように二人から離れていて、残された高橋の顔色は見る間に更に濃い土気色になっていく。
「あ、あの………えぇと。」
残念ながら名前を一度では覚えなかった様子で口ごもる高橋に、仁聖は冷ややかな視線を向けて静かな声で呟く。
「Caused man to get injured?」
「は?え?」
長くプロモーション専門に仕事をしてきたというからには対外的な能力がそれなりにあるのかと思ったが、聞いていたとおり高橋と言う人間は余り緊急への対応は出来なさそうだ。それでも目の前の男が狭山明良を傷つけたのは事実で、仁聖が言わせたいのはたった一つだった。低く周囲が聞き取れないような声は、それでもはっきりと目の前の相手には聞き取れる声音。
「………あの時、………何したか知ってるよ?タカハシさん。」
※※※
青く清んだ瞳といえば傍目には聞こえはいいが、その視線はまるで氷のように冷たく冷えきっていた。そして嘲笑うようでもあればまた違うのに、矢のような鋭さで自分のことを怯むことなく真っ直ぐに見下ろしている。先程の受付嬢への天真爛漫な笑顔とは打って変わって自分を見下ろしたその視線に、高橋は背筋が凍る思いだった。どう見ても目の前の男は自分のことを記憶していて、しかも初対面だったあの時のことを確信をもって自分を犯罪者のように見ている。そして受付嬢が離れた途端に放たれた声は更に冷たく低く、高橋の背筋が凍った。
「………あの時、………何したか知ってるよ?タカハシさん。」
その言葉に高橋至は呻きながら、数歩後退って目の前の男を見つめる。氷のような眼で見据えながら、そう口にした男の意図はなんなのか、必死に頭を巡らせて高橋はどうやったら逃げられるか必死に頭を動かす。この言葉を認めてしまえばおしまいで、この確信をもって問い詰められる言葉には認めなくてもなんと逃げたらいいのかわからない。
「そんなに、欲しいの?タカハシさん。」
冷ややかな視線。そして出てきた言葉の意図が汲めない。狭山がほしかったのかと聞かれればそうかもしれないが、それを何故目の前の男は知っているのか。凍りついて答えを返せないでいると、冷ややかな視線は知ってると言いたげに秀麗な顔立ちで細められた。
「あの人、この仕事のプロモーションする予定の人だったよね?」
呆気にとられて高橋は目を丸くする。確かに同じ系統の仕事をしている狭山明良が、同じくここに関連する可能性がないわけではない。それでもこんな偶然…………いや、業界は広くて狭いのだから、この可能性がなかったわけではないのだと高橋は脂汗をかきながら思案した。
狭山にもプロジェクトの依頼を出していて、その狭山が怪我のために自分に白羽の矢が立ったのだとすれば、この急遽の面接も理解できなくもない。そして目の前の男はそれが理由で自分が狭山を襲ったのだと考えていて、けして嫉妬で襲ったのだとは考えていないのだ。その瞬間凍りついていた視線は唐突に穏和に、蜜のようにほどけて甘く微笑みを浮かべた。
「………どうして欲しい?タカハシさん。」
その気のない男でも思わず一瞬で引き込まれるような魅惑的な誘いの微笑み。女だったらあっという間に陥落して言いなりになってしまうと理解できる、柔らかく甘く視線すら外せない程の完璧な微笑みに何故か喉が音を鳴らすのが聞こえた。何かをこの相手が誘いかけていて、それは悪魔の囁きに等しいと分かっている。
「だ………、黙っていて………くれないか………。」
その言葉に微笑みは変わらず自分を見つめたままで、なんのことをと問いかけているように見えた。何を黙っていて欲しいのか、ハッキリ言わなきゃわからないよと柔らかな微笑みが誘いかけてくるのに頭が真っ白になっていく。素直にここで頼んだら、この男は黙っていてくれるのではないかと考えてしまう。
「あの男を………狭山を怪我させたのは………そんなつもりじゃなかったんだ……。」
「でも、結果的には?」
「ああ……刺した………、刺したのは事実だけど………そんなことする気じゃなくて………。」
なんでこんな懇願をこの柔らかな微笑みに誘われて、こんな場所でしているのかわからない。微笑みに引き込まれて懇願しているけれど、この懇願が正しくないのも十分頭の隅では理解しているのに。それでも目の前の魅惑的な微笑みは、なんでと言葉を促してくる。
「仕事がほしくてやったんでもない……ほんとなんだ………。」
「ふぅん?仕事じゃないのなら、なんで?」
「それは…………。」
引き込まれる。真っ直ぐに青く清んだ瞳に引き込まれて、一介のモデルに過ぎない目の前の男の言葉に飲まれて、自分が余計なことまで口にして懇願しようとしているのが分かった。
「それは………、ただ、狭山が自分のものにならなくて……。」
思わぬ言葉がこぼれた瞬間、目の前の男の清んだ瞳は一瞬で自分のことを見る温度を変えていた。
※※※
自分のものにならないから、傷つける。
その感情に一瞬で凄まじい嫌悪感が胸を包み込んだのが分かった。相手がおぞましくて不快な存在に変わって、できることなら力一杯殴り付けてやりたくなる。同じようなことを以前外崎了がまだ成田だった時、榊恭平にしたのを仁聖は許せなかった。今でこそ了が随分変わって交流もあるからこそ折れた面はあるが、あの時の憎悪も嫌悪感も実際には思いだせば鮮明なのだ。
もし自分の気持ちが通じなかったら、恭平を傷つける?
思いが届かない辛さは仁聖にだって理解できる。それでもその思いが届かないからといって、相手を傷つけてしまおうと考える方向性は仁聖には全く理解が出来ない。恭平が自分のために身を投げ出して、それでも苦痛の中で叫んだあの声が頭を過るだけで、怒りに視界が紅く染まる気がするほどなのに。
「Anyone who does such a thing is the lowest of the low.」
そんなことをする人間は最低だと吐き捨てるように呟く仁聖の声の低さに、目の前の高橋は僅かに顔色を変えていた。全く英語が聞き取れないわけではないようだが、全てを理解しているわけでもない。それは見れば分かるが仁聖は侮蔑の視線を再び向けた。
「As a man, no a human being, you're the pits..」
男としても、人間としても最低だ。滑らかにそう口にした仁聖に高橋は驚いたように何故かとりすがるように手を伸ばしたが、横からそれを制したのは音もなく歩み寄っていた藤咲信夫の力強い手だった。突然確りと手首を捕まれ呆気にとられた高橋に、冷ややかな視線で見下ろした藤咲の普段とは違う声音が降り落ちる。
「…………あんた、またうちの者になんかする気ですか?高橋さん。」
その一声で仁聖が藤咲の事務所の人間だと気がついて、高橋はその場に目を丸くして凍りついた。
数ヶ月前に起きた瑞咲凛の件で、高橋と事務所の社長の藤咲信夫との関係性は最悪。何しろセクハラとパワハラで性的に暴行を働いたのを、高橋は瑞咲が誘ったと誤魔化して逃げたのだ。その後に何の関わりなのか、何故か成田了とこの藤咲が絡んであの事件が起きた。
職場での下半身露出にセクハラ・パワハラの発覚。
それを理由に長く勤めた会社を辞めた直後に、街中で藤咲と成田と狭山が一緒にいたのを見てしまった。そして同時にその中には結城晴もいて、殴りかかったのに一撃で狭山にのされたのは、高橋にとっても忘れようがない。
藤咲は今の高橋にとって、何より出会いたくない人間の一人。
しかも目の前の仁聖にあらかた自分がやってしまった傷害事件のことを口にして、自分が何をしたかバレてしまっているのにも気がつく。まるで蜘蛛の糸のように絡み付いて自分を地獄に引きずり込もうとしているような現状が偶然だとしたら、再び青ざめ土気色に戻った高橋は仁聖に助けを求めるような視線を思わず向けていた。
黙っていてくれ
その懇願の視線に仁聖は不意に先程と同じ柔らかな微笑みを浮かべながら、何故かポケットからスマホを取り出してみせていた。訳がわからない状況の中で目の前の仁聖がスマホを操作して音源を再生するのを呆然と見つめる高橋に、仁聖は穏やかに冷えきった声を放ったのだ。
「You’re the worst.最低だな、あんた。」
という可能性について一応は事前に仁聖から問いかけてはみたのだ。が、何故か共に働いた経験のある外崎了も佐山明良も、あれから少し落ち着いた結城晴ですら「あ、それはない」の一言で高橋至を一刀両断した。元々高橋という人間は責任という認識が薄く、何事に関しても責任転嫁ばかりする男だと三人は総意で口にする。この事態に対して恐らくは家に隠っているに違いないという、そんな情けない想定を打ち出される始末だ。しかも現実的にあっという間に現在の住所を特定された上に動向を監視されていた高橋は、三人の発言通り最低限の外出しかせず家に籠りきりのままだという。余りにも出てこないので、そこから引きずり出すには作戦を練るしか方法がなかったが、実のところ作戦は殆ど計画済みで準備が整うのを待つだけだったりもする。
その準備の一つがこれのことなのは言うまでもなかった。
仁聖がモデルのウィルとしてここに立ち相手を冷ややかに見ているのは、その結果でもある。
現在目の前には青ざめるを通り越して土気色の顔をした高橋至が立ち尽くしていて、その斜め前にはスレンダーな江刺家八重子がまるで受付嬢然とした様子で艶然と微笑んでいた。余り高橋との接触の人数を増やしたくないということから、何故か『multilayered.E』のトップデザイナーでもあり社長でもある江刺家が当然のごとくこの役をかって出たというがその理由は実は不明。勿論自社の受付嬢にセクハラされるのが困るというのはわかるのだが、そこで何故社長の江刺家が出てきてしまうのかは正直仁聖には理解できない。とは言え江刺家の背後にいる高橋は可哀想なほどに顔色を悪くして、強張った笑顔をひくつかせながら仁聖の顔をこそこそと盗み見ている。
近くで見ると、確かにあのときのおっさんだなぁ……
正直髪は色が違う。だけど既にその髪は鬘だとも知っていて、身長差や顔の様子を再確認するには丁度いいタイミングと体勢。しかも高橋はあの時と同じ位の角度に自分からなっていて、その上この顔色は向こうも自分の顔を見ているのがよくわかる。つまりは宏太の指摘は確かで、向こうも仁聖の顔は記憶していて、これから確認する内容いかんによっては仁聖にも無関係ではない。
「高橋至さんよ。」
妖艶な微笑みでハッキリと名前を口にされたのに、高橋の顔色は目に見えて悪くなった。顔だけでなく名前までこんなにも簡単に相手に知られることになってしまったことに、どうしたらいいかわからないというところだろう。
「………これからうちの社長と顔合わせだけど、貴方の専属商品の販売プランニングの専門になるはずよ?ウィル。」
勿論こちら側は、仁聖の名前を明かすつもりもない。既に源川仁聖の名前も知っていてあえてモデル名で艶然と微笑みながら自分を呼んだ江刺家の微笑みが、この計画の裏を全部知っていてやっている辺りが意味深で怖い。何せ言葉からも分かる通り社長と顔合わせと建前上は言いながら、実際にはまるで会う気がないから江刺家はこうして受付嬢に扮しているのだ。
高橋が何をして藤咲や外崎と敵対したかは当に江刺家八重子は知っていて、何故かとってもご立腹である様子。恐らくはセクハラや性的な犯罪行為が嫌いなのもあるが、もしかして江刺家は藤咲信夫に気があるのではないかと仁聖は内心でふんでいる。そうでもなければこの計画に江刺家は全く関係がなくて、協力する必要性もない。それなのに何故かいつの間にか藤咲の不機嫌を楽しげに笑いながら、参加しているのだから、傍目に見てどう見ても何か意図が介在している。それに全く気がついてないのは藤咲だけで、どうやら宏太も気がついているようだが。
「はじめ…………まして、高橋さん?」
意味ありげに含みを持たせて紹介してみせた江刺家とは打って変わって、スゥッと一瞬で凍りついた無表情にかわって声をかけた仁聖に、高橋は更にひきつった顔で目を丸くした。
どう見ても、あからさまな侮蔑の視線。
それは仁聖の方も高橋を覚えていて、しかもその先の救急車と結びつけているのに他ならないというポーズだ。それを視界に入れながら江刺家はそれには気がつかないふりで、鳴りもしていないはずのスマホを受話したようにごめんなさいとスタジオの奥に離れた。カメラマンや照明も当然のように二人から離れていて、残された高橋の顔色は見る間に更に濃い土気色になっていく。
「あ、あの………えぇと。」
残念ながら名前を一度では覚えなかった様子で口ごもる高橋に、仁聖は冷ややかな視線を向けて静かな声で呟く。
「Caused man to get injured?」
「は?え?」
長くプロモーション専門に仕事をしてきたというからには対外的な能力がそれなりにあるのかと思ったが、聞いていたとおり高橋と言う人間は余り緊急への対応は出来なさそうだ。それでも目の前の男が狭山明良を傷つけたのは事実で、仁聖が言わせたいのはたった一つだった。低く周囲が聞き取れないような声は、それでもはっきりと目の前の相手には聞き取れる声音。
「………あの時、………何したか知ってるよ?タカハシさん。」
※※※
青く清んだ瞳といえば傍目には聞こえはいいが、その視線はまるで氷のように冷たく冷えきっていた。そして嘲笑うようでもあればまた違うのに、矢のような鋭さで自分のことを怯むことなく真っ直ぐに見下ろしている。先程の受付嬢への天真爛漫な笑顔とは打って変わって自分を見下ろしたその視線に、高橋は背筋が凍る思いだった。どう見ても目の前の男は自分のことを記憶していて、しかも初対面だったあの時のことを確信をもって自分を犯罪者のように見ている。そして受付嬢が離れた途端に放たれた声は更に冷たく低く、高橋の背筋が凍った。
「………あの時、………何したか知ってるよ?タカハシさん。」
その言葉に高橋至は呻きながら、数歩後退って目の前の男を見つめる。氷のような眼で見据えながら、そう口にした男の意図はなんなのか、必死に頭を巡らせて高橋はどうやったら逃げられるか必死に頭を動かす。この言葉を認めてしまえばおしまいで、この確信をもって問い詰められる言葉には認めなくてもなんと逃げたらいいのかわからない。
「そんなに、欲しいの?タカハシさん。」
冷ややかな視線。そして出てきた言葉の意図が汲めない。狭山がほしかったのかと聞かれればそうかもしれないが、それを何故目の前の男は知っているのか。凍りついて答えを返せないでいると、冷ややかな視線は知ってると言いたげに秀麗な顔立ちで細められた。
「あの人、この仕事のプロモーションする予定の人だったよね?」
呆気にとられて高橋は目を丸くする。確かに同じ系統の仕事をしている狭山明良が、同じくここに関連する可能性がないわけではない。それでもこんな偶然…………いや、業界は広くて狭いのだから、この可能性がなかったわけではないのだと高橋は脂汗をかきながら思案した。
狭山にもプロジェクトの依頼を出していて、その狭山が怪我のために自分に白羽の矢が立ったのだとすれば、この急遽の面接も理解できなくもない。そして目の前の男はそれが理由で自分が狭山を襲ったのだと考えていて、けして嫉妬で襲ったのだとは考えていないのだ。その瞬間凍りついていた視線は唐突に穏和に、蜜のようにほどけて甘く微笑みを浮かべた。
「………どうして欲しい?タカハシさん。」
その気のない男でも思わず一瞬で引き込まれるような魅惑的な誘いの微笑み。女だったらあっという間に陥落して言いなりになってしまうと理解できる、柔らかく甘く視線すら外せない程の完璧な微笑みに何故か喉が音を鳴らすのが聞こえた。何かをこの相手が誘いかけていて、それは悪魔の囁きに等しいと分かっている。
「だ………、黙っていて………くれないか………。」
その言葉に微笑みは変わらず自分を見つめたままで、なんのことをと問いかけているように見えた。何を黙っていて欲しいのか、ハッキリ言わなきゃわからないよと柔らかな微笑みが誘いかけてくるのに頭が真っ白になっていく。素直にここで頼んだら、この男は黙っていてくれるのではないかと考えてしまう。
「あの男を………狭山を怪我させたのは………そんなつもりじゃなかったんだ……。」
「でも、結果的には?」
「ああ……刺した………、刺したのは事実だけど………そんなことする気じゃなくて………。」
なんでこんな懇願をこの柔らかな微笑みに誘われて、こんな場所でしているのかわからない。微笑みに引き込まれて懇願しているけれど、この懇願が正しくないのも十分頭の隅では理解しているのに。それでも目の前の魅惑的な微笑みは、なんでと言葉を促してくる。
「仕事がほしくてやったんでもない……ほんとなんだ………。」
「ふぅん?仕事じゃないのなら、なんで?」
「それは…………。」
引き込まれる。真っ直ぐに青く清んだ瞳に引き込まれて、一介のモデルに過ぎない目の前の男の言葉に飲まれて、自分が余計なことまで口にして懇願しようとしているのが分かった。
「それは………、ただ、狭山が自分のものにならなくて……。」
思わぬ言葉がこぼれた瞬間、目の前の男の清んだ瞳は一瞬で自分のことを見る温度を変えていた。
※※※
自分のものにならないから、傷つける。
その感情に一瞬で凄まじい嫌悪感が胸を包み込んだのが分かった。相手がおぞましくて不快な存在に変わって、できることなら力一杯殴り付けてやりたくなる。同じようなことを以前外崎了がまだ成田だった時、榊恭平にしたのを仁聖は許せなかった。今でこそ了が随分変わって交流もあるからこそ折れた面はあるが、あの時の憎悪も嫌悪感も実際には思いだせば鮮明なのだ。
もし自分の気持ちが通じなかったら、恭平を傷つける?
思いが届かない辛さは仁聖にだって理解できる。それでもその思いが届かないからといって、相手を傷つけてしまおうと考える方向性は仁聖には全く理解が出来ない。恭平が自分のために身を投げ出して、それでも苦痛の中で叫んだあの声が頭を過るだけで、怒りに視界が紅く染まる気がするほどなのに。
「Anyone who does such a thing is the lowest of the low.」
そんなことをする人間は最低だと吐き捨てるように呟く仁聖の声の低さに、目の前の高橋は僅かに顔色を変えていた。全く英語が聞き取れないわけではないようだが、全てを理解しているわけでもない。それは見れば分かるが仁聖は侮蔑の視線を再び向けた。
「As a man, no a human being, you're the pits..」
男としても、人間としても最低だ。滑らかにそう口にした仁聖に高橋は驚いたように何故かとりすがるように手を伸ばしたが、横からそれを制したのは音もなく歩み寄っていた藤咲信夫の力強い手だった。突然確りと手首を捕まれ呆気にとられた高橋に、冷ややかな視線で見下ろした藤咲の普段とは違う声音が降り落ちる。
「…………あんた、またうちの者になんかする気ですか?高橋さん。」
その一声で仁聖が藤咲の事務所の人間だと気がついて、高橋はその場に目を丸くして凍りついた。
数ヶ月前に起きた瑞咲凛の件で、高橋と事務所の社長の藤咲信夫との関係性は最悪。何しろセクハラとパワハラで性的に暴行を働いたのを、高橋は瑞咲が誘ったと誤魔化して逃げたのだ。その後に何の関わりなのか、何故か成田了とこの藤咲が絡んであの事件が起きた。
職場での下半身露出にセクハラ・パワハラの発覚。
それを理由に長く勤めた会社を辞めた直後に、街中で藤咲と成田と狭山が一緒にいたのを見てしまった。そして同時にその中には結城晴もいて、殴りかかったのに一撃で狭山にのされたのは、高橋にとっても忘れようがない。
藤咲は今の高橋にとって、何より出会いたくない人間の一人。
しかも目の前の仁聖にあらかた自分がやってしまった傷害事件のことを口にして、自分が何をしたかバレてしまっているのにも気がつく。まるで蜘蛛の糸のように絡み付いて自分を地獄に引きずり込もうとしているような現状が偶然だとしたら、再び青ざめ土気色に戻った高橋は仁聖に助けを求めるような視線を思わず向けていた。
黙っていてくれ
その懇願の視線に仁聖は不意に先程と同じ柔らかな微笑みを浮かべながら、何故かポケットからスマホを取り出してみせていた。訳がわからない状況の中で目の前の仁聖がスマホを操作して音源を再生するのを呆然と見つめる高橋に、仁聖は穏やかに冷えきった声を放ったのだ。
「You’re the worst.最低だな、あんた。」
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