鮮明な月

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第十五章 FlashBack

170.

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全くもって面白くない状態で、仕方がなくしていた会食。会食というわりには高級な料亭でもなければ、お洒落なフレンチでも中華でもないし、当然イタリアンでもなくて、目下二人で卓を囲むのは場末の焼き鳥屋。元々藤咲行きつけの焼き鳥屋だが、何でか目の前の江刺家八重子もここの常連で、そして会食の相手は残念ながら藤咲の天敵江刺家だ。モデル事務所経営の藤咲と現在デザイナーの江刺家、微妙に情報源の範囲は近いが出版関係には江刺家の方が手広い。業界関係に顔が利くのは現役並みに現場に顔を出す藤咲の方が上だが、今回は高橋が出版社に何をネタとして売ろうとしているのか知りたいから伝は江刺家の方に軍配が上がる。

「しのぶのとこのモデルのその子って、芸名ももう変えて被害届も出す手筈できてんでしょ?」

流石に江刺家は鋭い。高橋が自分がパワハラで手込めにした癖に、枕営業をした女として瑞咲をネタとして売ろうとしていた可能性があるのは分かっている。ただこちらも既に被害を受けていた瑞咲は本名の山崎凛子として活動していて何かあったら被害届を出す算段はつけてあるし、他にも高橋のしたことで被害届はだせるようにしてある。

「それに、ネタとして売れないようにもう手配済みでしょ?」
「当然だろ。」

方々に手を回してネタとして買い取れないよう手配は当に済んでいるが、しかし街中をフラフラ彷徨いて高橋が何を探しているのか気にかかる部分もあるのだ。ただ気後れしてフラフラしているのなら兎も角、もしこれで他のモデルに害を加えようとしているとかだと、やり方は全く変わる。向こうが徹底交戦する気なら、こちらも早急に高橋の動きを封じ込めないとならないのだ。

「でもさ?知り合いの出版社に持ち込まれたのって、その男だけじゃないんだけどね?」
「は?なんだと?」

ハグハグとハツを食みながら江刺家が言うのに藤咲が眉を潜めた矢先、更に面白くない電話がかかってきて藤咲信夫の顔は能面から一瞬で憤怒の鬼神面に変容していた。目の前で勢いよく焼き鳥を頬張りながら眺める江刺家八重子が目を細めるのも構わず、藤咲は低くドスの聞いた声でその電話の先を促す。

「で?…………明良の怪我は?」

電話の相手は言うまでもなく、藤咲の幼馴染みの外崎宏太。
江刺家と会食の真っ只中で狭山明良が男に襲われた上に、軽傷とはいえ脇腹をあろうことか傘で刺されたというのだ。狭山明良は恋人の結城晴と一緒にいて暮明から出てきた男に襲われ、咄嗟に結城晴を庇って怪我をしたという。凶器が傘という当たりは凶行が行き当たりばったりなのか予定されていたものかは、正直言わせてもらえば紙一重だ。

「相手は、…………そうか。」

高橋に他人を雇ってまで事件を起こせる能力が有るとは思えない。とはいえ今のところ犯人の顔を見た人間はいないというし目撃者もすくないようだが、傘の指紋や何より外崎宏太が調べる気になっているから犯人の包囲網が狭まるのも時間の問題だ。そして恐らくはやったのは、高橋至当人だろう。
それにしても街に戻ってきた高橋至が逆恨みで何かしそうだとは連絡を受けていたが、まさか藤咲の前に狭山明良達に何か仕出かすとは一つも考えていなかった。というのも高橋至は現在無職で解雇のため失業保険の給付が受けられない上に、元妻から多額の養育費と慰謝料の請求を受けてもいる。その金銭を手っ取り早く手にいれる方法として一番使いやすいのは、藤咲の会社の枕営業のネタであって藤咲の事務所はクリーンな営業を売りにしてる面があるから打撃は大きい。ネタとして売ると藤咲を脅すか売って金にするか検討している気配なのは既に宏太からだけでなく藤咲も掴んでいて、それを完全に阻止するためにやむを得ず江刺家に恩を売っている真っ最中なのだ。

まあ、外堀を埋めているので金にするなら藤咲を脅すしかないわけで、脅しに来たら最後な訳だが。

そこまでの状況で、ここでまさかの障害事件。そんなことをしたら金銭方面まで全ておじゃんなのが分かっていないのか、それとも最初から金銭目的ではなくて逆恨み行動だけだったかは不明。宏太からの連絡で顔が不動明王のように変わる藤咲を、江刺家は面白いものを眺めるように口に肉だけを残して串を引き抜く。

「しのぶ、想定外?」
「…………くそが。」

忌々しげに苦々しい低い声で呟く藤咲に、目の前の江刺家はにこやかに焼き鳥を食み微笑みながら手を貸そうかと口にする。なるべくならこれ以上江刺家に借りは作りたくはないが、この場合実は江刺家に助力を受けた方が手っ取り早い。
高橋至が少なくとも外崎宏太を怒らせたのは事実で、最近の宏太は新しく出来た交流相手達を弟か何かのように大事にしているのも事実。何しろ自宅でバーベキューなんかやって家に泊めるくらいに気を許したのは、幼馴染み意外には義理の弟と久保田惣一・嫁にした了以外には早々見たことのない男だ。恐らくは即時久保田惣一にも手を借りるつもりだろうし、久保田が出てくるならロキという恐ろしい手腕のハッカーも必ずおまけで出てくる。少なくとも数日もしない内に高橋の社会的な将来は壊滅的な被害を受けるだろうが、それまでの期間に何か他に仕出かされないように高橋を封じるのに力は貸さないとならなさそうだ。

「…………力を貸してもらう。」
「いいわよー、何する気?」

何本目か分からないがネギマを頬張りながら何が起きてるか内容も聞かずにオッケーする当たりどうかと思うと藤咲がいうと、随分長い腐れ縁だものと江刺家は妖艶に微笑んでみせていた。



※※※



この歳での再就職は正直厳しかった。自分が希望する職種や業務形態がかなり限定されているのに、その職種で横の情報網が密に形成されていて、自分が何を密かにしていたのかあっという間に広がってしまったのだ。

権力をかさに弱者を性的暴行したらしい

イベントの企画運営全般そんな仕事しかしてこなかったから、そこに就職したくてもこの悪い噂は足が早かった。売れっ子のプロモーターや企業のトップでもない限り、商品の一部であるモデルを食って何事もなくはいられない。それなのに高々一介の課長程度の自分が、モデルに手を出したのは実際には致命的なのだ。相手が承諾していればまた違ったが、相手はクリーンな営業が売りの藤咲信夫の事務所で、しかもあの男は詳細まで相手のあの女から聞き出してしまっているに違いない。それでだろう、一応は表だっていない筈なのに、高橋至は女癖が悪いと噂が流れてしまって自分には否定のしようがなくなっている。しかも課長まで上り詰めた仕事を辞める最たる原因になった醜聞は、尚更のこと高橋にとっては致命的だった。スタイリッシュでスマートさが売りのこの業界なのに、自分に付いてしまった汚名はスタイリッシュでもなければスマートでもない。

禿の露出狂の変態…………

そんな世にも情けない状況で何もかも失わされて、その原因を怨みたくても何が原因なのかハッキリとはしない。自分の会社の中での話なのにあっという間に同系列の企業には噂が広がっていて、面接にすら辿り着けない状況なのだ。何であんなにあっという間に噂が広まったのか、人の口に戸は建てられないとはまさにこの事だと痛切に知ってしまった。しかもその直後のあの異常な加工画像の流出。あれが何故か勤め先の上司の眼にも入っていて、これはなんですかと問われた時のあの恥ずかしさ。穴があったらどころの話ではなくて、埋めてほしいと痛切に思ったくらいだ。結局退職金まで削られて、それ以上に妻からは慰謝料まで請求されてもいる。

こんなじり貧になるような人間じゃないんだ……俺は…………。

可愛い娘にまで変態の汚名を着せられ、完全に血縁すら拒絶されてしまった。しかもその後のあのおぞましい画像流出は、何故か妻の眼にも入って高橋は露出狂の上に女装趣味のオカマ扱いだ。何がどうしてこうなったのかその原因を一人でじっくり考えて遡って行けば、全ての歯車が狂い始めたのは高橋の中では狭山明良に手を出したせいなのではないかと思う。いや、その前にあの艶かしい淫らな声を会社の中という場所で聞かせた成田了のせいなのか。

男に興味なんかなかったのに、あの艶かしく淫らなセックスの声…………

勿論女子高生と援交して相手の画像を撮ったのは、もっと前の話ではある。他の女の子との嵌め撮りもずっと以前からで、その類いの趣味があったんだろうと言われれば反論はできない。だけどあの本能的に盛る淫らな喘ぎ声を盗み聞きしてから、自分の中の何かが崩れてしまった。

懇願して喘ぎ感じる艶かしく滾る、秘めたセックス

だけどそれが自分の嗜好だと認めるのも可笑しな話で、高橋だって別に男が好きなわけでもないし、ただ単に性的に欲望があるだけ。入れられたいわけでもないし、狭山のような綺麗な男や成田のような妙な色気を持つ男がいればやってやるのを考えてもいい程度。それなのに結局は自分が地雷を踏んで、社会的に抹殺されようとしている。

田舎に戻って慣れない農作業にはやる気もでないし、日雇いも嫌だ。事務員だってタクシーの運転手だって嫌なんだ。

そうして自分が何がしたいのかすら分からなくて、またこの街に戻ってフラフラと宛もなく歩き回っていた。一応は就活してみたがいく場所毎に鼻で嗤われて、相手があの会社の醜聞を知っているのに打ちのめされるばかり。何気なく出版社勤めの同級生と愚痴を言い合いながら飲んでいて面白いネタがあったら買ってやると言われたが、そんな大きな何かをするつもりではなくて実は本当にただ無意味に無意識にフラフラ徘徊していたのだ。何しろ他に大きな街なんか知るはずもないし、何が出来る訳でもない。
そんな最中、元部下の結城晴を見つけてしまったのだ。
成田了が辞めた後に無断欠勤をして、高橋の電話に暴言を吐き自己都合で退職した数年しか働いていない社会も知らないほんの若造。最初に成田が指導したせいか日頃の態度は成田そっくりで、仕事の仕方だけでなく仕事の結果まで成田にそっくり。しかもパソコンや機械の操作にかけては抜群に勘が良く上手くて、その癖パソコンは仕事を始めてから覚えました~なんてヘラヘラしていた勘に触るガキ。その癖思い出してみると結城晴は、あの時あの集団の中に当たり前のように仲間に入っていた。

成田了と狭山明良、そしてあの芸能事務所の強面の社長。

そう知ったらもしかしたらあの後起こったおぞましき画像の異常には、結城が関わっているんじゃないかと気がついてしまった。どんな機械でもたいして説明もなく使いこなせるあの結城なら、その程度の技術を無職の間に身に付けてても可笑しくない。だからコッソリと後をつけて結城の生活圏を調べている内に、次第に奇妙なことに気がついたのだ。

狭山明良と一緒に暮らしてる?

勿論他の友人の家に上がり込んでいたこともあったが、必ずそこに狭山明良が迎えに来て結城は引き摺られるようにして連れ帰られていくのだ。しかもキャンキャンと子犬のように吠える結城を連れ帰る狭山の姿は甲斐甲斐しい恋人のような。結城が朝に可燃ゴミを捨てたりしているのは見ていたが、結城が住んでいる部屋は狭山の名前だった。

男同士で…………同棲か?

つまり結城と狭山ができている。どっちがどっちかまでは分からないが印象とすれば狭山が抱かれているのだろうと高橋は眺めながら考え、あの成田のような艶かしい声と大人しく従って自分のモノを口で愛撫する姿を重ね合わせた。そんな妄想にひたり逸物を硬くする自分はどこかおかしくなっているような気がするが、日に日にその妄想が酷くなって。

本当はただ様子を見るつもりなだけだったのに…………

呑気に二人がじゃれ会う様を見ている内に頭に血が昇って、気がついた時には傘を突きだしてしまっていた。自分が立っていたのは暮明からだったから顔はよく見えない筈だが、少なくとも狭山明良は自分だと気がついて話していたと思う。やってしまったことに愕然としているがしてしまったことは事実で、あの男は通報すると言った。

何とか…………しないと、しないとならないのに…………

咄嗟に逃げ出して、直後に見ず知らずの若い男にぶつかってしまったのも痛い。あの若い男が警察にあの辺りであの時間に挙動不審な男とぶつかったと話したら、あの青年は少なくとも自分の顔をマジマジと見ているし狭山の事件と結びつけられてもおかしくない。そうなったらお仕舞いだと頭を抱えてしまう。

どうしよう…………

もうこれはじり貧なんてものじゃない。これでは転落人生の底の底迄、一気に落ちきってしまおうとしているようなものだ。それなのに高橋至はどうすることもできずに、底から這い出す術は何一つ見えないで怯えて震え上がっている。

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