鮮明な月

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間章 ちょっと合間の話2

間話21.あなたの知らない世界(表)

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朝一番。
とは言え時間はまだ午前六時半を過ぎたところ。普段よりはだいぶ早めのそんな時間に起きて階下に降りてきた宏太を、キッチンで呑気に迎えたのは鈴徳良二と藤咲信夫の二人。キッチンの水音がたち下の物音にいち早く気がついた宏太が、了を起こさないようにソッとベットを抜け出して起きてきたのだった。キッチンを勝手に使ってるよーと言いながら良二は当然のように、珈琲を入れ簡単な朝食といいつつホテル並みの朝食をスタンバイし始めている。
宏太には見えないが、藤咲の説明では既に生野菜のサラダに温野菜、スモークサーモンやコールドビーフにチーズ、フルーツ、イングリッシュマフィンとデニッシュ類。所謂コンチネンタルブレックファースト”continental breakfast” 「大陸風朝食」の準備は終わっているという。因みに主に火を通さない冷たい物だけでまとめられたヨーロッパ大陸が起源の朝食は、パンにバターやジャム、もしくはシリアル、それにフルーツとハムやチーズなどが付く。そこに良二が次にしているのが、火を通したメニューも提供しているのがアメリカンブレックファースト”American breakfast”「アメリカ式朝食」の準備。コンチネンタルブレックファーストのメニューに、卵料理を始めているところだった。
それにしても随分と早いなと宏太がいうと、これでも普段よりは遅いと言いながら寝不足そうな良二が欠伸をしながら不満そうに口を開く。

「もうさぁ、昨日…………調子に乗りすぎた。」
「あ?」
「眠れなかったんですって、良二。」

差し出された珈琲を受け取りながらキッチン傍の定位置の椅子に腰かける宏太に、本来なら普段そこにいる了とは違う相手の良二が溜め息をつきながら昨晩の怪談話の弊害をブチブチと言っている。
曰く人には話すだけで怪異を呼ぶ体質の人間がいて、実際には幸か不幸か良二自身がそのタイプだ。普段は決まった場所でしか怖い話もしないのだが、飲んで酔っていて楽しくて箍が外れていたのだという。普段なら『茶樹』位でしか話さないのに、調子にのって怪談なんかしたから何かを呼んだらしい。

「なんか?」
「そ、なんか。」

寝ていて足音が気になって目が覚めて、その後上手く寝付けなかったと言う良二に、なんかってなんか見たのか?と宏太は何故か興味津々だ。女か子供のような足音だったと説明した良二がいう。

「見ると面倒だから聞いてただけ、足音。」
「なんだよ、なら呼べばいいのに。」
「呼んだって見えないでしょ?外崎さん。大体にしてどうやって呼ぶのさ。叫べっての?」

確かに幽霊がいると呼ばれても宏太は目は見えないのだから呼ぶだけ無駄という話だし、寝てる場所も二階と一階では呼ぶ方法もない。それにしても怖がるどころか自宅に出たかもしれない幽霊に興味津々になる辺りが、まあ外崎宏太らしい。その様子に宏太の横で立ちながら珈琲を味わっていた藤咲が、思わず苦笑いする。

「やぁねぇ、新婚のお宅で幽霊出没だなんて。連れて帰んなさいよ?」
「え?!やだよ!」

まあ確かに新婚と言えば新婚だが、了は兎も角宏太は結婚は二度目(といっていいものか?)。それにしたって宏太は初婚の妻が自殺して何年もその現場の部屋で暮らすという強者な訳で、幽霊なんか更々気にする質ではない。しかもこの耳のお陰で通年多様な得体の知れないものとも接するわけで、了には怖がらせると可哀想だから言わないが妙なものを幾つも聞きとっている。それを今更に怖がるのも馬鹿馬鹿しいし、大体にして新築の家なら兎も角この家は既に三人目の持ち主だ。

「それにしても足音ねぇ?…………別に何も聞こえなかったけどなぁ?」
「裸足の足音だったらしいわよ?」
「…………じゃ希和じゃねぇなぁ。」
「小柄な女か、子供だとは思うけど。男の足音じゃなかったから。」
「小柄なぁ……俺には関係なさそうだな。」
「関係あってもなくても、外崎さんは変わんないでしょ?」

平然とそんなことをいう宏太に言わせれば、亡くなった妻はお嬢様なので家の中でも素足で歩くなんて想像もできないという。それに亡くなった妻なら宏太のところに来そうなものだが一階ばかり歩き回っていたようだと言われて、尚更想定できる相手は減った。大体にして外崎宏太のところに出てきそうな女子供の幽霊には余り数がいないわけで、関係ないのが来たと言われた方が分かりやすい。

「階段上がれねぇのか?そいつ。」
「そりゃそうでしょ、お楽しみ中に近寄れないっての。」

なんだちゃんと閉めてたのに聞こえてたのか?と宏太が平然と言う。客がいても関係なしかと良二は、聞こえた訳じゃないけど幽霊だってラブラブ真っ最中なとこには入れないよねと心底呆れている。大体にして幽霊やなんかは『陰』の存在な訳で、生命力に溢れた愛の営みは対極の『陽』の極みだ。それにしてもたかが怪談程度でよばれてくるもんなのかと宏太が言うと、良二は今朝がた気がついたと溜め息混じりに呟く。

「丁度、お盆だもんねぇ。」
「あ?七月だろ?盆は。」
「あら、宏太も知らないことがあるのね、旧盆は八月よ?ここいらの古くからの家は旧盆なのよ?」

お盆の時期は、旧暦七月十五日頃を中心としている。旧暦の七月十五日頃というのは、現在の新暦では八月十五日前後にあたるのだが東京や横浜市の一部等では、新暦となった今でも七月十五日頃にお盆の行事を行う事が多い。ここら辺は諸説あり・また地域や宗派によって違うものだが、片倉家や鳥飼家・榊家の墓所のある寺では盆の入りは旧盆八月で丁度時期なのだという。そう言われると片倉右京やら希和やらだけでなく、榊恭平もいるのだから……いや、お盆というやつは家に帰るんではないのか?片倉家は離散状態だから、右京や希和は宏太のところに来るだろうか?まあ、どちらにせよ裸足で歩き回るタイプではないが。裸足で歩きそうな幽霊の女と言えば一人くらいは思い浮かぶが、実家には帰らなくとも元気に過ごす一人娘のところに行きそうなものだ。

「東北は基本的に旧盆だから、当然八月が盆。」

地域性があるのだが東北では農繁期の七月にはお盆なんてやってられないそうだ。確かに梅雨があけて短い夏が始まったばかりの東北では、お盆の前に農業に勤しむのだろう。そう言う良二に、宏太は成る程と納得しながら話を混ぜ返す。

「でも地獄の釜の蓋が開くのは朔日だろ?地域によって開く蓋がかわんのか?何度も開くのか?ん?」
「屁理屈だなぁ、きっと開くのは一つでも開く先が変わるんだよ。」

どっちが屁理屈だと宏太が笑うのに良二が手早くスクランブルエッグを湯煎で作り始めながら、まあどちらにせよ朝には足音は消えたし、見た限り何処にもいないから気にするもんでもないけどと言う。夜中に足音はしたけれど諦めて消えたみたいだということは、この家の前の持ち主の関係とか。……志賀松理の身の回りに死人がいるなんて話は聞いたことがないが、四十にもなれば一人や二人いてもおかしくない。
恐らくここに残ったとしても宏太は気がついても無視するし、了に悪さでもしようものなら宏太が気合いで何とかするとか対応はしそうだ。大体にして宏太が祟りやなんかを怖がるような人間だったら、今の外崎宏太は完全に存在していない。

「なんだよ、人を化け物みたいに。」
「何いってんの、最近でしょ?人擬きから人になったの。」

笑いながら湯煎のボールの中の卵を手早く掻き回している良二に、お前に言われたかねぇよと宏太が笑う。人擬きは宏太が自分を称して『茶樹』でよく口にしていた言葉で、最近になって感情の起伏が変わって人間らしくなったのでありがたく返上したばかりなのだ。

「幽霊なんかよりゃ、人間の方がよっぽどおぞましいってな?なぁノブ。」
「やぁね、私に同意させるの?」

藤咲が笑いながら答えるが、世の中の裏側を見てきた面子では正直いうとそっちの方がずっとおぞましく恐ろしい。世の中は得体の知れないものに溢れていて、時にそれはお化けなんかじゃなくて普通の人間だったりもするのだ。こんな世の中には悪人が人を助けてみたり、正義の味方なのに殺人鬼なんて事はざらにあること。それに触れ合うかどうかは運命次第だったりする。

「良二のほうが納得でしょ?ねぇ?」
「はいはい、うちの姐さんが一番怖いです。幽霊なんかよりよっぽど怖いですよ。」
「松理、地獄耳だから聞こえてんぞ?ん?」

良二が苦笑いしながら盛り付け始めると匂いにつられたように、了や恭平、仁聖が階段を降りて来る気配がして、朝日の射し込むリビングに人の気配に賑やかさが沸き立ち始める。

「スクランブルエッグがいい奴手~あげてー?」
「他には何があるの?」
「おー?俺に他を聞くか?源川くん。」

いや、だって他のものがありそうな聞き方なんだもんと良二に仁聖が返答すると、当然のように良二は胸を張る。一体どれくらいの時間でそれを作っていたのか、ガラスのグラスにマッシュポテトの上にミートソース、そしてその上に半熟卵の乗ったエッグスラットを皿に並べて見せた。

「後はご希望で、Cheese omeletとsunny-side up。」
「玉子だけでお腹一杯になりそう。」
「croque-madameでもEggs Benedictもできるけど?」
「ホテル並みですね、鈴徳さん、ちゃんと寝たんですか?」

恭平の言葉に良二はゲンナリした様子で悪のりして痛い目見たんだよねと言うのに、了を含めて三人が首を傾げる。足音の事を話した良二が染々とした口調で、仁聖が頼んだチーズオムレツを焼きながら溜め息混じりに呟く。

「あなたの知らない世界だね、うん。」
「…………なにそれ?鈴徳さん。」

良二の言葉にキョトンとしたのは仁聖を初めとした三人、それに良二が目を丸くする。

「え?!知らないの?!」
「良二……その子達、それホントに知らないわよ。」

因みに『怪奇特集!!あなたの知らない世界』は、某民法放送網の『お昼のワイドショー』で、毎週木曜日と主に夏休みなどの長期休暇に放映された特集コーナー及び同コーナーの再現ドラマを独立させたドラマの名称である。一般視聴者らが体験した恐怖・心霊体験を再現ドラマや取材などを交えて検証し、それを霊能力に強い関係者や放送作家らが分析・解説したものだ。『お昼のワイドショー』枠で1973年から毎年、七月から八月のお盆シーズンに毎週水曜日に放映していたコーナーであったが1979年七月からは、毎週木曜日のレギュラーで放映していた。かなり人気が高く、春、夏、冬休みといった長期休暇には二週間程度毎日放映していた(ただし、長期休暇期間中の再現ドラマは過去に放送したものの再放送が多かったらしいが)。1997年の夏休みを以って一旦この特集は幕を閉じている為、仁聖は産まれる前に番組が終わっているし小学生になったばかり位の了と恭平も記憶にはない。と、

「マジで?!俺の夏休みと言えばあなたの知らない世界なのにっ!」
「えー、そんな番組やるんだ?世にも奇妙なみたいなの?」

こちらも某民法放送で定期的に放送されるオムニバスドラマだが、実際にはこちらは1900年から放送され深夜放送で放送されていたモノがゴールデンタイムに進出した。こちらはドラマなのであなたの知らない~とは違い、完全フィクションである。

「違うって!完全にノンフィクションなんだって!あなたの知らない世界は!」
「ほん怖みたいなの?」

『ほんとにあった怖い話』は、学校の怪談など、本当に起こった(とされている)怖い話を集めたホラーコミックを基にした某民法放送のテレビドラマのことだ。通称『ほん怖』だが、こちらは1999年からで現在は年に一度夏に特番が放送されることが多い。

「あんな、お子様向けじゃないんだよー!!」
「その話が今通じるのって三十後半くらいからだろ?」
「確かにトラウマレベルの話多かったわよね。」

話の通じる四十路後半二人に自分は若いと思ってたと嘆く良二に、トラウマレベルの怖い話を真昼のワイドショーでやるんだ?と了と恭平は目を丸くしている。そんなワヤワヤ騒いでいるキッチンの直ぐ隣の和室で実はまだ晴達が寝ている筈なのだが、今のところ起きる気配がないでいるのだった。



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