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第十四章 蒼い灯火
136.
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全くと言いながら惨憺たるキッチンの片付けをイソイソと始めた仁聖の姿を眺め、恭平は穏やかな気持ちで微笑んで心の底から安堵している自分に気がつく。
源川仁聖と宮内慶太郎。
幼稚園の時から、それに坂本真希を加えた三人は、兄弟のように仲がよかった。初めて顔を会わせた時から何故か気があったらしく、三人が子犬のように戯れて遊んでいた姿を恭平もまだ中学に上がる前に見たことがある。全く違う立場と考え方、そして全く違う家庭の環境の三人だからこそ、奇妙なほどに噛み合ったのだ。小学生になって鍵を落とした仁聖と恭平が顔を合わせるようになってから、これ程に違う環境にいる三人がこんなに仲がよいのも不思議なものだと思ったりもした。
仁聖は四つの時から叔父と暮らすようになっていたが、仁聖は小学生になったばかりの頃は無口で笑うことの少ない子供だった記憶がある。自分のところに来るようになってから次第に笑顔を見ることが増えていったが、その頃には殆ど英語は使わなくなっていた。最近になって普段の会話に英語が混じり始めたのに問いかけてみたら、実は最初の頃は日本語の方が使えなかったのだと言う。
元はさ、会話って英語の方がベースだったんだよね。
今でも英語での会話に支障がないと言うことは、かなり英語を語彙として多用できる会話を通常として利用していた証拠で、実は意識的に日本語に切り替えて使ったと言うことになる。それを指摘したら苦笑いして仁聖は、そうだよと肯定した。
俺、この見た目だし、ガキの時にちょっと虐められて。
小学生になったばかりの時にカッとなって思わず仁聖の口からでた英語に、同級生から外人と囃し立てられ暫く嫌な思いをしたのだと言う。しかもその時まだ仁聖は、アルファベットは完璧で英語は単語も書けるのに、日本語は実は平仮名も上手く書けなかった。産まれてから四歳まで海外で暮らして、書いていたのが母親の教える英語が先だったから。お陰で余計にそれが外人めいていると尚更虐められて、しかも両親ではなく叔父しかいない仁聖にはそれを相談する相手もいなかったのだ。
だからさ、意地でも英語を会話で使わないって決めたんだ。
不快な思いの原因は自分が異端だからで、それを覆すには見返してやるしか手がなかった。だから仁聖は英語は使わず必死で一人で国語を勉強して、虐めた奴等を見返してやったのだ。そんな仁聖が唯一として関係を保ち続けたのが、宮内慶太郎と坂本真希だった。
二人は俺が日本語が下手でも気にしなかったし、親がいなくても気にしなかったんだよ。
二人だけが仁聖を、ただ仁聖として接したから、そう仁聖は恭平に言う。色眼鏡なしで、ただ普通に接してくれたから、仁聖は二人を親友だと認識していたのだ。そんな幼稚園の頃から仲が良かった仁聖の慶太郎が、一時期とは言え疎遠になったのは自分のせいだと恭平も分かっている。
異母兄である榊恭平は、仁聖と思いを交わしてしまった榊恭平でもあるのだ。
それまでの二人は幼馴染みの長く付き合いのある大親友で、何時も一緒にいたし、お互いが相談相手だった。互いに得意の分野が異なる良い相談相手でお互いの事をよく理解しあってもいたのに、恭平が仁聖と一緒にいることで慶太郎とのバランスを突き壊してしまう。恭平への兄というものへの思慕を慶太郎は恋愛と振り替えてしまい、危うくそれぞれに縁を切りかねなかったのだ。勿論まだ全てが元通りではないのはよく分かっているし、大学生になって仁聖にも慶太郎にも他の友人も出来たに違いない。それでもこうして二人が仲良くしているのを見れば、まだこうして変わらないものもあると思わず安堵してしまう。
このまま元のように仲良くしてくれれば……
そうほろ苦く思ってしまうのは、仁聖にとって慶太郎の存在は大事な友人だと恭平だって思うからだ。それにしても流石に旧家の家系とは言え、あれほど完全に料理がピンと来ないのには可笑しくなってしまう。あれはやってないからと言うより、調理に関する勘が鈍いのではないだろうか。
「そういえば、さしすせその話しってなんなんだ?」
「んー?酒・醤油・スープ、せがわかんなくて、ソース。」
「その…………スープっていうのはなんなんだ?」
俺もそう思うと仁聖が苦笑いしながら、鍋を洗っている。しかもよくよく考えたら、何一つ当たってないのには、ある意味関心すらしてしまう。醤油はせうゆだからギリセーフとしても、流石に砂糖も塩もかすらないのは珍しいのではないだろうか。それとも最近の成人前の独り暮らしと言うのは、こういうものなんだろうかと考えてしまう。
「仁聖は?わかるのか?」
「当然でしょ?砂糖塩酢醤油味噌、最近じゃ砂糖のかわりに酒・味噌のかわりにソースはありだけどさぁ。」
慶太郎の育ちが特殊すぎなんだよと苦笑いしている仁聖に、恭平も内心ホッとしてしまうのは流石にこれでカルチャーショックを受けるのは正直避けたいところだからかもしれない。独り暮らしか……そう言うと自分も長いが、仁聖の方が遥かに実は独り暮らし歴が長いのだ。自分の居場所を持っていなかった仁聖は最近になってやっと自分の荷物が増え初めて、恭平は密かに安堵している。
書籍や衣類程度でしかないが、それでも仁聖が欲しくて手に入れたもので部屋が少しずつ埋まっていく。勿論望まないで渡されてしまったファンレターなんてものもあるのだが、それでも何でか気に入ったモモンガの縫いぐるみが増えた時には笑いながらも嬉しかった。
仁聖は源川秋晴の家に居た部屋に、マットレス一つしか置かず、机すら持たなかったのだ。秋晴に聞いたら一度は簡易デスクを設置したけど、次に見たら忽然と無くなってしまってリビングのテーブルで十分だから机は欲しくないといったのは仁聖らしい。最初はあった玩具や何かも次々と消えて、何かを買い与えても仕事から戻るそれはなくなっているのだと言う。テレビゲームだって年頃だから買い与えたらしいが、数週間もしない内にテレビごと消えてしまったのだ。仁聖に言わせると不要だったから、金銭に変えて処分したのだと言う。その金銭は全て自分が独り暮らしをするための資金として、仁聖自身が密かに貯金していたのだから驚いてしまった。何かの時のためにとっておくようにしてあるそれは、実際にはこのマンションの同じ規模の部屋が一つ買えるほどなのだ。そこまでして一人で暮らそうと決心した理由はなんだったんだろうと、実は疑問に感じる事がある。秋晴の家でもほぼ独り暮らしと変わらないのに、仁聖がどうしても一人で暮らしたかった理由。
一人で暮らす事が必要だったんだろうか?
でも仁聖は恭平と一緒に暮らすことを選んで、そして当然のようにここにいる。そんなことを一人悶々と考えていた途端、なんでか恭平の頭を唐突に何かが過った。何か大事なことを見逃していると言う感覚に、恭平は思わず首を傾げながら皿を洗う仁聖を眺める。
何か忘れてる?
そんな感覚がして、それがなんだったか思い出そうと独りでに記憶がユルユルと巻き戻っていく。そうだ、あれは確か宇野智雪の見舞いに行った直後で、その後に何でか気持ちが落ち込んでしまった時。それで少し不安になって駅前で立ち止まって……電話しようかって考え込んでて……仁聖が後ろから声をかけてくれて、あの時なにかちょっと引っ掛かったような気がしなくもない。何だったか……何が……あの時…………
「仁聖?!」
「え?!何?!」
食器を洗っている仁聖が、恭平の声に驚いた風に飛び上がる。あの時仁聖が大学に入ってから出来た新しい友達と一緒にいたのを、今更だが恭平は思い出してしまった。しかも何だか普通に、彼に自己紹介されていた気がしなくもない。
「あの時の…………。」
その言葉に食器を洗い終えた仁聖が、今更どうしたのと言わんばかりで恭平の顔を眺めている。佐久間翔悟と自己紹介された青年は確かに大学に入ってからの仁聖の新しい友人で、あの時初めて顔を会わせた人物でもあった。それを今更思い出したのもなんだが、あんなにサラリと説明されて普通に別れてて大丈夫だったのたろうかと改めて考えてしまう。しかも駅前であんな風に、まるで女性にでもするみたいに仁聖が腰を折って自分の顔を覗き込む姿を見られててだ。それを指摘するとええー?と暢気な口調で仁聖が声あげる。
「いや、ほんと今更だし。何ともないよー?恭平のことは説明してあるから。」
平然としていう仁聖がキッチンから出てきて、当たり前みたいに恭平の事を膝に抱きかかえてソファーに腰かけた。恭平の方はまだ状況の全容が掴めなくてポカーンとしながら、振り返り仁聖の顔を見つめる。
「説明って……。」
「翔悟には恭平のことはもう説明したよ、友達だし、家に来ることもあるかもしれないしさ、隠しようがないでしょ?」
「いや、なんて説明した?」
「……普通に、伴侶って言ったけど?別に翔悟おかしな反応してなかったでしょ?」
確かにあの時全くもって普通の反応をしていたけど、それとこれとではまた話が違う。せめて同居人くらいに納めておけばいいのにと恭平が言ったら、仁聖にいたく不満げな顔をされてしまった。
「同居人って、まあ言い換えればそうだけどさぁ?」
別に恭平とのこと隠す気もないし、後一年したら苗字だって変わるのにとブツブツしている仁聖に、確かにそうだけどと思いながらも恭平は呆気にとられてしまう。自分の頭が古いだけなのか?最近じゃ同性愛っていうのは社会の容認の範疇なのか?いや、まだそれほど容認されたものではない筈だし、婚姻だってまだ無理なはず。とは言え確かに同性愛と言っても自分は受け入れているのは仁聖だけだし、仁聖だって同じなんだから。
「何困ってるの?翔悟は自分はまだ好きな人がいないから何とも言えないけど、好きなら仕方ないんじゃないかなって。気持ち悪いとかはないってよ?Everything’s all right. 」
大丈夫と言われてもと思う恭平に口付けて、仁聖がニコニコと笑いながらDon’t worry about it.と心配しなくていいと言う。そうして何度も口付け、やがて不安ごとからめとってしまうと、ニコニコしながら頬をすり寄せて愛を囁き始めていた。
※※※
認識の差と言うか、元々そう言う点に仁聖が頓着しないと言うのは知っていたつもりだ。知っていたつもりなのと実際行動されるとではやっぱり違うし、そう簡単に新しい友人にプライベートに関するものを公表していいものだろうか。とは言え実際成田了がバイセクシャルというのは、大分早い時期に公表していたのも記憶にはある。最近ではこれが普通なのだろうか?カミングアウトには社会は厳しく難しいのは、過去の話なんだろうか。こんな疑問、誰に相談するかって一人しか思い浮かばない自分に嫌になってしまうが、相談しようとしたら家に来いと言われたのだった。
「…………ここ?……本気で……?」
そう言いたくなるのは当然で、自宅のマンションから程近い宅地の中でも豪邸の中の豪邸。一体こんな家に誰がすむんだろうと以前から思ってはいたが、表札は間違いなく『TOZAKI』で、間違いはなさそうだ。オズオズとインターホンを押すと中からは暢気な若い知らない声。
『はーい、あ、えっと、榊さん?』
思わずはいと畏まって答えると、相手は笑いながら気楽な様子でドアを開けてどーぞーなんていうが、やはり見たことのない若い青年だ。仁聖よりは少し上だろうが、自分よりは少し下と言う感じ。賑やかな笑顔は一見すると社交的だが、その瞳がこちらを油断なく値踏みしている感も拭えないのは計算高いタイプかもしれない。
「了の友達の榊さん?」
「ええ。」
「なんだ~。超美人ー。」
前言撤回。以前の了と同じタイプだったと内心で認識を替えた恭平は、結城晴と言うその青年に促されとんでもない豪邸に通されたのだった。呆れるほどの豪邸に呆然としていると、先に奥から姿を見せたのは了ではなく外崎宏太の方だ。
「榊……さんだっけな?」
「あ、はい。改めてお話しするのは二度目です、外崎さん。」
目の見えない筈の外崎は全く家具に触れることもなく、滑らかな動きでソファーに来ると腰を下ろす。室内とは言えこの広さに杖もなく歩けるなんてと顔をみつめると、サングラス越しの瞳が薄く見えた。瞳は歪な形をしていて顔に大きな傷があるのが透けて見えるし、眼球の様子を見ているとどうやら義眼の可能性が高い。それでもこの動きと言うことは、合気道だけでなく古武術もかなりの腕前なんだと考えると外崎は少しおかしそうに笑う。
「顔じゃなくて動きが気になるか?」
「不躾に……すみません、道場で以前お名前を伺っていたものですから。」
「ん?道場?なんだ、あんた、合気道やってるのか?」
「昔です。宮内道場に通って、組み打まではやったんですが。」
「ああ、恭慶さんのとこか。…………榊さん、あんた確か了と同じ年だろ?年頃が近いなら信哉は知り合いなのか?」
「……はい、懇意にはさせていただいていますが……?お知り合いですか。」
何でか妙なことで話が盛り上がってしまっていて、恭平はすっかり何のために外崎宏太が先に顔を出したのかを失念してしまっていた。何でか階段を駆け降りてくる音がして、背後から外崎の背後に姿を見せた了がベチンと頭を叩いたのに目を丸くする。
「こうたっ!お前なぁ!!」
「…………叩くことはないだろ?」
「叩かれるようなことしてんだろ?!違うか!」
目の前の騒動に呆気にとられている恭平を気にもかけずに、了を追いかけて背後から姿を見せた結城の姿に外崎が不満そうにいう。
「何で外した。クソガキ。」
「そう言うことしてると本気で了にぶちギレられるよ?しゃちょー。そのお兄さん、そう言う関係の人じゃないんでしょ?」
「本気で俺、ゲストルームで寝るからな?!暫く。」
「ちょ!ちょっと待て!それは別な約束の時だ!」
どうやら恭平が来るのは事前に話したが、来客を知っていても了が降りてこられない状況にわざとしたらしいのは分かった。分かったがそれとゲストルームで寝るが繋がる意図もわからなければ、この騒動は一体なんなのだろうと呆然と恭平は三人を眺めてしまう。それにそう言う関係ってどういう関係?なんてことを考えていると二人の喧嘩を横に、人懐っこい笑顔で結城晴は恭平の隣に腰かけた。
「しゃちょー、ヤキモチ焼きだからおにーさんが来るってのに、了のこと上で拘束して出られなくして、あんたと直接対決に先に来たんだよ。四十路の嫉妬って怖いね、おにーさん。」
その言葉にポカーンとしている恭平の前で、外崎宏太は必死でゲストルームの話を撤回するように嘆願しているところだ。その姿は遥かに年上な筈の外崎が子供っぽく見えてしまうほど、それほど必死に頼みこんでいる。
「で、おにーさん、了の元カレとかじゃないんだよね。」
「は?」
「あ、俺は一応了のセフレ。現在恋人募集中の二十四歳です。」
サックリとそんな自己紹介をされて、やっぱりこういうのが現代なんだろうかと恭平は目を丸くしてしまう。こんな風にカミングアウトするのが普通なのか、それともこの二人の友人だからなのか。
「君……結城君?……元々そうなの?」
「結城君って他人行儀だなぁ、って俺も榊さんの下の名前知らないんだけどね。元々って?」
源川仁聖と宮内慶太郎。
幼稚園の時から、それに坂本真希を加えた三人は、兄弟のように仲がよかった。初めて顔を会わせた時から何故か気があったらしく、三人が子犬のように戯れて遊んでいた姿を恭平もまだ中学に上がる前に見たことがある。全く違う立場と考え方、そして全く違う家庭の環境の三人だからこそ、奇妙なほどに噛み合ったのだ。小学生になって鍵を落とした仁聖と恭平が顔を合わせるようになってから、これ程に違う環境にいる三人がこんなに仲がよいのも不思議なものだと思ったりもした。
仁聖は四つの時から叔父と暮らすようになっていたが、仁聖は小学生になったばかりの頃は無口で笑うことの少ない子供だった記憶がある。自分のところに来るようになってから次第に笑顔を見ることが増えていったが、その頃には殆ど英語は使わなくなっていた。最近になって普段の会話に英語が混じり始めたのに問いかけてみたら、実は最初の頃は日本語の方が使えなかったのだと言う。
元はさ、会話って英語の方がベースだったんだよね。
今でも英語での会話に支障がないと言うことは、かなり英語を語彙として多用できる会話を通常として利用していた証拠で、実は意識的に日本語に切り替えて使ったと言うことになる。それを指摘したら苦笑いして仁聖は、そうだよと肯定した。
俺、この見た目だし、ガキの時にちょっと虐められて。
小学生になったばかりの時にカッとなって思わず仁聖の口からでた英語に、同級生から外人と囃し立てられ暫く嫌な思いをしたのだと言う。しかもその時まだ仁聖は、アルファベットは完璧で英語は単語も書けるのに、日本語は実は平仮名も上手く書けなかった。産まれてから四歳まで海外で暮らして、書いていたのが母親の教える英語が先だったから。お陰で余計にそれが外人めいていると尚更虐められて、しかも両親ではなく叔父しかいない仁聖にはそれを相談する相手もいなかったのだ。
だからさ、意地でも英語を会話で使わないって決めたんだ。
不快な思いの原因は自分が異端だからで、それを覆すには見返してやるしか手がなかった。だから仁聖は英語は使わず必死で一人で国語を勉強して、虐めた奴等を見返してやったのだ。そんな仁聖が唯一として関係を保ち続けたのが、宮内慶太郎と坂本真希だった。
二人は俺が日本語が下手でも気にしなかったし、親がいなくても気にしなかったんだよ。
二人だけが仁聖を、ただ仁聖として接したから、そう仁聖は恭平に言う。色眼鏡なしで、ただ普通に接してくれたから、仁聖は二人を親友だと認識していたのだ。そんな幼稚園の頃から仲が良かった仁聖の慶太郎が、一時期とは言え疎遠になったのは自分のせいだと恭平も分かっている。
異母兄である榊恭平は、仁聖と思いを交わしてしまった榊恭平でもあるのだ。
それまでの二人は幼馴染みの長く付き合いのある大親友で、何時も一緒にいたし、お互いが相談相手だった。互いに得意の分野が異なる良い相談相手でお互いの事をよく理解しあってもいたのに、恭平が仁聖と一緒にいることで慶太郎とのバランスを突き壊してしまう。恭平への兄というものへの思慕を慶太郎は恋愛と振り替えてしまい、危うくそれぞれに縁を切りかねなかったのだ。勿論まだ全てが元通りではないのはよく分かっているし、大学生になって仁聖にも慶太郎にも他の友人も出来たに違いない。それでもこうして二人が仲良くしているのを見れば、まだこうして変わらないものもあると思わず安堵してしまう。
このまま元のように仲良くしてくれれば……
そうほろ苦く思ってしまうのは、仁聖にとって慶太郎の存在は大事な友人だと恭平だって思うからだ。それにしても流石に旧家の家系とは言え、あれほど完全に料理がピンと来ないのには可笑しくなってしまう。あれはやってないからと言うより、調理に関する勘が鈍いのではないだろうか。
「そういえば、さしすせその話しってなんなんだ?」
「んー?酒・醤油・スープ、せがわかんなくて、ソース。」
「その…………スープっていうのはなんなんだ?」
俺もそう思うと仁聖が苦笑いしながら、鍋を洗っている。しかもよくよく考えたら、何一つ当たってないのには、ある意味関心すらしてしまう。醤油はせうゆだからギリセーフとしても、流石に砂糖も塩もかすらないのは珍しいのではないだろうか。それとも最近の成人前の独り暮らしと言うのは、こういうものなんだろうかと考えてしまう。
「仁聖は?わかるのか?」
「当然でしょ?砂糖塩酢醤油味噌、最近じゃ砂糖のかわりに酒・味噌のかわりにソースはありだけどさぁ。」
慶太郎の育ちが特殊すぎなんだよと苦笑いしている仁聖に、恭平も内心ホッとしてしまうのは流石にこれでカルチャーショックを受けるのは正直避けたいところだからかもしれない。独り暮らしか……そう言うと自分も長いが、仁聖の方が遥かに実は独り暮らし歴が長いのだ。自分の居場所を持っていなかった仁聖は最近になってやっと自分の荷物が増え初めて、恭平は密かに安堵している。
書籍や衣類程度でしかないが、それでも仁聖が欲しくて手に入れたもので部屋が少しずつ埋まっていく。勿論望まないで渡されてしまったファンレターなんてものもあるのだが、それでも何でか気に入ったモモンガの縫いぐるみが増えた時には笑いながらも嬉しかった。
仁聖は源川秋晴の家に居た部屋に、マットレス一つしか置かず、机すら持たなかったのだ。秋晴に聞いたら一度は簡易デスクを設置したけど、次に見たら忽然と無くなってしまってリビングのテーブルで十分だから机は欲しくないといったのは仁聖らしい。最初はあった玩具や何かも次々と消えて、何かを買い与えても仕事から戻るそれはなくなっているのだと言う。テレビゲームだって年頃だから買い与えたらしいが、数週間もしない内にテレビごと消えてしまったのだ。仁聖に言わせると不要だったから、金銭に変えて処分したのだと言う。その金銭は全て自分が独り暮らしをするための資金として、仁聖自身が密かに貯金していたのだから驚いてしまった。何かの時のためにとっておくようにしてあるそれは、実際にはこのマンションの同じ規模の部屋が一つ買えるほどなのだ。そこまでして一人で暮らそうと決心した理由はなんだったんだろうと、実は疑問に感じる事がある。秋晴の家でもほぼ独り暮らしと変わらないのに、仁聖がどうしても一人で暮らしたかった理由。
一人で暮らす事が必要だったんだろうか?
でも仁聖は恭平と一緒に暮らすことを選んで、そして当然のようにここにいる。そんなことを一人悶々と考えていた途端、なんでか恭平の頭を唐突に何かが過った。何か大事なことを見逃していると言う感覚に、恭平は思わず首を傾げながら皿を洗う仁聖を眺める。
何か忘れてる?
そんな感覚がして、それがなんだったか思い出そうと独りでに記憶がユルユルと巻き戻っていく。そうだ、あれは確か宇野智雪の見舞いに行った直後で、その後に何でか気持ちが落ち込んでしまった時。それで少し不安になって駅前で立ち止まって……電話しようかって考え込んでて……仁聖が後ろから声をかけてくれて、あの時なにかちょっと引っ掛かったような気がしなくもない。何だったか……何が……あの時…………
「仁聖?!」
「え?!何?!」
食器を洗っている仁聖が、恭平の声に驚いた風に飛び上がる。あの時仁聖が大学に入ってから出来た新しい友達と一緒にいたのを、今更だが恭平は思い出してしまった。しかも何だか普通に、彼に自己紹介されていた気がしなくもない。
「あの時の…………。」
その言葉に食器を洗い終えた仁聖が、今更どうしたのと言わんばかりで恭平の顔を眺めている。佐久間翔悟と自己紹介された青年は確かに大学に入ってからの仁聖の新しい友人で、あの時初めて顔を会わせた人物でもあった。それを今更思い出したのもなんだが、あんなにサラリと説明されて普通に別れてて大丈夫だったのたろうかと改めて考えてしまう。しかも駅前であんな風に、まるで女性にでもするみたいに仁聖が腰を折って自分の顔を覗き込む姿を見られててだ。それを指摘するとええー?と暢気な口調で仁聖が声あげる。
「いや、ほんと今更だし。何ともないよー?恭平のことは説明してあるから。」
平然としていう仁聖がキッチンから出てきて、当たり前みたいに恭平の事を膝に抱きかかえてソファーに腰かけた。恭平の方はまだ状況の全容が掴めなくてポカーンとしながら、振り返り仁聖の顔を見つめる。
「説明って……。」
「翔悟には恭平のことはもう説明したよ、友達だし、家に来ることもあるかもしれないしさ、隠しようがないでしょ?」
「いや、なんて説明した?」
「……普通に、伴侶って言ったけど?別に翔悟おかしな反応してなかったでしょ?」
確かにあの時全くもって普通の反応をしていたけど、それとこれとではまた話が違う。せめて同居人くらいに納めておけばいいのにと恭平が言ったら、仁聖にいたく不満げな顔をされてしまった。
「同居人って、まあ言い換えればそうだけどさぁ?」
別に恭平とのこと隠す気もないし、後一年したら苗字だって変わるのにとブツブツしている仁聖に、確かにそうだけどと思いながらも恭平は呆気にとられてしまう。自分の頭が古いだけなのか?最近じゃ同性愛っていうのは社会の容認の範疇なのか?いや、まだそれほど容認されたものではない筈だし、婚姻だってまだ無理なはず。とは言え確かに同性愛と言っても自分は受け入れているのは仁聖だけだし、仁聖だって同じなんだから。
「何困ってるの?翔悟は自分はまだ好きな人がいないから何とも言えないけど、好きなら仕方ないんじゃないかなって。気持ち悪いとかはないってよ?Everything’s all right. 」
大丈夫と言われてもと思う恭平に口付けて、仁聖がニコニコと笑いながらDon’t worry about it.と心配しなくていいと言う。そうして何度も口付け、やがて不安ごとからめとってしまうと、ニコニコしながら頬をすり寄せて愛を囁き始めていた。
※※※
認識の差と言うか、元々そう言う点に仁聖が頓着しないと言うのは知っていたつもりだ。知っていたつもりなのと実際行動されるとではやっぱり違うし、そう簡単に新しい友人にプライベートに関するものを公表していいものだろうか。とは言え実際成田了がバイセクシャルというのは、大分早い時期に公表していたのも記憶にはある。最近ではこれが普通なのだろうか?カミングアウトには社会は厳しく難しいのは、過去の話なんだろうか。こんな疑問、誰に相談するかって一人しか思い浮かばない自分に嫌になってしまうが、相談しようとしたら家に来いと言われたのだった。
「…………ここ?……本気で……?」
そう言いたくなるのは当然で、自宅のマンションから程近い宅地の中でも豪邸の中の豪邸。一体こんな家に誰がすむんだろうと以前から思ってはいたが、表札は間違いなく『TOZAKI』で、間違いはなさそうだ。オズオズとインターホンを押すと中からは暢気な若い知らない声。
『はーい、あ、えっと、榊さん?』
思わずはいと畏まって答えると、相手は笑いながら気楽な様子でドアを開けてどーぞーなんていうが、やはり見たことのない若い青年だ。仁聖よりは少し上だろうが、自分よりは少し下と言う感じ。賑やかな笑顔は一見すると社交的だが、その瞳がこちらを油断なく値踏みしている感も拭えないのは計算高いタイプかもしれない。
「了の友達の榊さん?」
「ええ。」
「なんだ~。超美人ー。」
前言撤回。以前の了と同じタイプだったと内心で認識を替えた恭平は、結城晴と言うその青年に促されとんでもない豪邸に通されたのだった。呆れるほどの豪邸に呆然としていると、先に奥から姿を見せたのは了ではなく外崎宏太の方だ。
「榊……さんだっけな?」
「あ、はい。改めてお話しするのは二度目です、外崎さん。」
目の見えない筈の外崎は全く家具に触れることもなく、滑らかな動きでソファーに来ると腰を下ろす。室内とは言えこの広さに杖もなく歩けるなんてと顔をみつめると、サングラス越しの瞳が薄く見えた。瞳は歪な形をしていて顔に大きな傷があるのが透けて見えるし、眼球の様子を見ているとどうやら義眼の可能性が高い。それでもこの動きと言うことは、合気道だけでなく古武術もかなりの腕前なんだと考えると外崎は少しおかしそうに笑う。
「顔じゃなくて動きが気になるか?」
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「ん?道場?なんだ、あんた、合気道やってるのか?」
「昔です。宮内道場に通って、組み打まではやったんですが。」
「ああ、恭慶さんのとこか。…………榊さん、あんた確か了と同じ年だろ?年頃が近いなら信哉は知り合いなのか?」
「……はい、懇意にはさせていただいていますが……?お知り合いですか。」
何でか妙なことで話が盛り上がってしまっていて、恭平はすっかり何のために外崎宏太が先に顔を出したのかを失念してしまっていた。何でか階段を駆け降りてくる音がして、背後から外崎の背後に姿を見せた了がベチンと頭を叩いたのに目を丸くする。
「こうたっ!お前なぁ!!」
「…………叩くことはないだろ?」
「叩かれるようなことしてんだろ?!違うか!」
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「何で外した。クソガキ。」
「そう言うことしてると本気で了にぶちギレられるよ?しゃちょー。そのお兄さん、そう言う関係の人じゃないんでしょ?」
「本気で俺、ゲストルームで寝るからな?!暫く。」
「ちょ!ちょっと待て!それは別な約束の時だ!」
どうやら恭平が来るのは事前に話したが、来客を知っていても了が降りてこられない状況にわざとしたらしいのは分かった。分かったがそれとゲストルームで寝るが繋がる意図もわからなければ、この騒動は一体なんなのだろうと呆然と恭平は三人を眺めてしまう。それにそう言う関係ってどういう関係?なんてことを考えていると二人の喧嘩を横に、人懐っこい笑顔で結城晴は恭平の隣に腰かけた。
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「で、おにーさん、了の元カレとかじゃないんだよね。」
「は?」
「あ、俺は一応了のセフレ。現在恋人募集中の二十四歳です。」
サックリとそんな自己紹介をされて、やっぱりこういうのが現代なんだろうかと恭平は目を丸くしてしまう。こんな風にカミングアウトするのが普通なのか、それともこの二人の友人だからなのか。
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白猫
BL
国民的アイドルグループ【kasis】のメンバーである、片桐悠真(18)は悩んでいた。
最近どうも自分がおかしい。まさに悪い夢のようだ。ノーマルだったはずのこの自分が。
(同じグループにいる王子様系アイドルに恋をしてしまったかもしれないなんて……!)
(勘違いだよな? そうに決まってる!)
気のせいであることを確認しようとすればするほどドツボにハマっていき……。
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