鮮明な月

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第十三章 大人の条件

123.

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「やっぱりあんまり、嬉しくない。」

思わずそう独り言で呟いてしまったのは仕方がない。
ウィル(仁聖)の仕事は終了して画像データを待っている矢先、オズオズと南尾から再び紙袋を手渡されてしまったのだ。ここ暫くはバイト先から自宅までファンレターを持って帰るのがとうとう嫌になって、その場で手紙はざっと目を通し不要なプレゼントは事務所にそのまま任せることにしていた。何しろ手紙だけでも軽く二桁、プレゼントは種類があるとは言え全部受けとるには申し訳ないが多すぎる。とはいえ次々と贈られてくる手紙とプレゼントの紙袋、しかもコンスタントに事務所に来る度に紙袋三つ以上というのは結構キツい。横で眺める栄利彩花は有名税だと思いなさいというが、こっちとしてはこんな状況になるとは全く思ってなかったのだ。それにしても、化粧品のポスターで肌を見せていたせいなのか下着の多さには驚いてしまう。

「この間のなんて豹柄とかのド派手なショーツが山のようだったけどさぁ、俺シンプルなのがいいなぁ。」
「顔のイメージが派手だから仕方ないんじゃない?」
「彩花それ、酷くない?」

そんなことを言う彩花が、処分の中に入った下着が可愛いと笑っている。処分って言うのには凄く気が咎めるけど、どうしたってサイズが大きすぎるしブリーフタイプは履かないし。時には下着を一度履いて送り返してなんてのには絶句してしまうだろう?しかも男女問わず、そんなことを書いてくるのには言葉を失う。彩花はそんなのはよく来るから、無視して棄てちゃいなという始末だ。

「人が履いた下着なんて何に使うわけ?」
「まだ履いてから送ってならいいわよ。あたしなんか相手が履いた下着を送りつけられたわよ。」

彩花は即通報して処分したけどねと言い放ち、親指を立ててグルリと下に向ける。お行儀のよろしくない仕草ではあるが、確かに異性の使用後の下着を送りつけられるのは流石に気持ちが悪い。同様に手作りのお菓子やなんかも、申し訳ないが中に何があるかわからないので廃棄対象になるらしい。そういうのは渡す前に事務所で選別して、悪意のあるものは即通報になるし、善意とわかるものには丁重にカードで次は食べ物は贈らないでね?とお願いしておくらしい。手作りで悪意があるってなに?って聞くと、彩花はニヤリと笑って怖いわよー?聞きたい?という。どうやら世の中には世にも恐ろしい物を混入したお菓子を作って、送りつける人間が多々いるらしい。その恐ろしさも千差万別、吐き気を催すものから聞いていて耳を塞ぎたくなるような物もあった。え?なんだって?聞きたいの?想像すると怖いから聞き流した方が………うーん、ほら誰しも普段から目に見えるものが、ソフトクッキーの中からゾロッと出てきたらキモいだろ?うん。俺はトラウマになるな、それに口をつけて口から出したらそれだったなんて。それがなんなのかって?ホントに聞く?ひくよ?髪の毛だって。怖!!因みにそれに運悪く出会ってしまったらしいモデルは、他の事務所の人で速攻で引退したらしい。藤咲さんなんかは、昔下剤入りのお菓子を渡されたことがあったという。最悪だったわ~、ランウェイ中にトイレにいきたいってというが、正直に怖い……。

モモのお菓子だったら、何時でも食べたいんだけどなぁ。

モモこと宮井麻希子は根っからの料理上手で、お菓子を作るのも得意だ。仁聖が実は甘いものが得意でないと知っていて、仁聖に合わせた甘さのお菓子を作ってくれたりもした。最近外で一緒にお茶はしても、滅多に手作りお菓子にはありつけないところが、少し寂しい。今度LINEで強請っておこうと、密かに心に誓う。
先日の恭平の助言でウィル(仁聖)のプロフィールには苦手なものに甘いものと記載されたので他の人間に比べると食べ物の送付は少なくなったらしいが、それでもやっぱり来るものは来る。これは甘くないものですとか、塩系のスイーツとか、はたまた酒迄。一応未成年と年齢はプロフィールには出してるはずなんだけど、どうやらアメリカ国籍らしいならいいだろうと思って送ってくるようだ。勿論それはウィル的には廃棄の方向で、事務所スタッフにありがたく回っている。そんなわけで目下応接ソファーを占拠した形でファンレター確認をやっている仁聖と彩花の横で、藤咲はデビューしたてで中々ここまでは無いのよねぇと笑う。それでも藤咲曰く、自分の時よりは内容はマトモよというのだ。

「藤咲さんが貰ったので一番ビックリしたのは何?」
「そうねぇ、カードかしらね。次は鍵。」

カード?と問い返すと、なんとモデル時代に所謂黒のクレジットカードを贈られたことがあると言う。好きに使っていいって贈られたけど流石に怖くて返したわと言うが、じゃのぶおさん次点の鍵は?と彩花が聞いたら高級マンションの鍵だったそうだ。それに比較したら確かに千円単位の大人の玩具程度は、大したことがないのかもしれない。

「それ、本当?」
「一応worldwideに活動してたのよ?あたし。」

確かに藤咲は今も四十代とは思えないスタイルだし、一度モデルの時の昔の写真を見せて貰ったがかなりのイケメンモデルだった。男性らしくて筋肉もしなやか、元は何かやっていたらしく手足の筋肉のつきかたは確かに色気がある。藤咲は世界的なショーにも昔は出ていたと言うから、かなり人気もあったに違いない。

「ウィルなら、同じくらいいけるわよ?頑張らない?」
「No way!俺には向いてない、この手紙でもうキャパオーバーだし。」

慣れるわよと藤咲にも彩花にも言われるが、ウィル(仁聖)にはどう考えても慣れそうにないと思う。何しろこの手紙は自分という人間を見ている訳ではなく、ウィルというアイコンを見ているだけだ。それはただ単に偶像崇拝してるのと何にも変わらないし、キリスト像に頭を垂れひざまづくのと変わりがない気がする。そんな対象になれと言われても、自分には出来る訳がない。

「うわ、何これ?女物?」

思わずそう声に出したのは開けたプレゼントの中身が下着だったからだが、藤咲はそれを眺めてあらセクシーと暢気に言う。当然新品未開封でタグつきでビニールに入っているが、見た目は殆ど紐だらけで布地が異様に少ない。フリルではないけどレースみたいに薄い布地は殆ど向こうが見えるのに、ウィル(仁聖)は改めてポカーンとしてしまう。藤咲は暢気に笑いながら、見慣れた風に口を開く。

「メンズよ、フロントだけ隠すタイプね。ショーとかでは下着の跡が衣装に透けるから、よくティーバックとか履くのよね。でも、これはそれよりはエッチ重視ね。」

エッチ重視。よくあるセクシーランジェリーという類いのものに、男物があるとは知らなかった。ついでに言えば昔付き合ったことのある御姉様達が、こういうのを履いていたのは確かに経験がある。だけど何しろ仁聖は下着というより本人にあまり興味がなかったので完全スルーしていたわけだ。ところが現状では若い男として、その言葉に当然のこと恭平が目の前でこれを履く姿を想像してしまう。何しろ先日のピンクローターの時も素晴らしく淫らだったけど、これを履いた恭平が目の前で恥じらってたら………なんて悩殺なんて言葉じゃちっとも全然足りない。どうみたって前を本の少し覆うだけの透けた布地に、サイドには一センチもない紐一本。背面は紐が組み合わされているが、どう見ても隠すような布地がない。

は、履かせてみたい………。

どう考えても恭平には馬鹿と怒鳴られそうだけど、これを履いた恭平なんて永久保存してアルバムにでもしておきたい。悶々とそんなことを考えているとも知らず、藤咲はハニーに履いてみせるにはウィルには小さそうねぇなんて言う。自分には小さくても腰の細くて華奢な恭平なら、バッチリじゃんと余計に思うと思わず前のめりになってしまいそうだ。
 
「よからぬこと妄想してる。」
「し、仕方ないだろ!見んな!」

彩花に茶化されて頬を染めた仁聖に、彩花は面白そうにじゃこれはお持ち帰りとサッサと袋に入れ直して仁聖の持ち帰り用バックに投げ込む。そんな事をワイワイしていたが、ふと気がついたようにウィル(仁聖)は視線を横の藤咲に向けた。

「カイトにもこんなの来るの?」
「最近は来るようになったわねぇ。」

カイトとは五十嵐海翔のことで、この事務所で言うとウィルの先輩モデル、彩花の後輩モデルという立ち位置だ。最近ではドラマにもチョコチョコと出ているから、知名度が上がってきている最中というところ。何かとウィル(仁聖)のことを目の敵にして突っかかっては来るものの、柳に腕押し状態でかわされて何時も遠吠えをしている。こちらも段々吠えられのにも慣れてきているので、あえて英語で話しかけてやって悔しがるのを眺めているくらいだ。

「あいつ、学校で問題起こしてない?のぶおさん。」
「どうかしらねぇ、ちょっと気になる女の子はいるみたいだけど。」

彩花と藤咲の会話を横に、仁聖は耳を澄ましている。実はその話は既に別な方面から耳にしているのは、その気になる女の子というのが仁聖には妹みたいな存在の宮井麻希子だからだ。とは言え宮井麻希子には彼女を溺愛している彼氏がいるので海翔に勝ち目がないのは承知だし、海翔が下手なことをしたらあの溺愛彼氏が何をするかわからないと仁聖は思う。が、それは口にしないことにしている、何しろここではウィルなので、ついでに海翔があの溺愛彼氏に何をされるのか興味もある。パサパサと次々手紙を確認している最中、藤咲の携帯にかかってきた電話に藤咲が声をあげたのにウィル(仁聖)と彩花は目を向けた。

「ええ?あ?カイトが?!あ、いえ、はい、……はい。そうですが、……はい。分かりました、すぐ参ります。」

慌てて立ち上がった姿に二人が声かけると、なんとまあ今話したばかりの五十嵐海翔が学校で一騒動起こしたのだという。それも学校の敷地内で不法に侵入したファンを盾に、海翔は教師と口論になったのだ。しかも最終的にそのファンが何でか教師に熱湯をかけたとかなんとか。

なんで熱湯だよ?どう考えても準備してたとしか思えないんだけど?

そんなことを状況を聞いて考え呆れ果てている二人を残して、遠方から一人でこちらに来ている海翔を預かる保護者でもある藤咲は慌てて学校に向かう。あいつ何やってんだと呆れながら頬杖をついて仁聖が、横の彩花を眺め口を開いた。

「あいつ、何でこっち来たの?彩花。」
「うーん、地元で芸能人と学生を上手くやれなかったのよね。カイト。」

どう言うこと?と聞き返すと、彩花は溜め息まじりにここだけの話ねと説明してくれる。
五十嵐海翔は中三の夏に雑誌モデルとしてスカウトされて、この世界に入った。だが高校進学してから、上級生から虐められ始めたのだという。勿論地域性とは言わないが、近隣有数の進学校に通いながら雑誌に乗るようなモデルを平行して続けている海翔がどうやら勘に障ったのだろう。元来人見知りが強いとは言えそこは海翔にとっても地元、友人や同級生に相談して回避を図ったのだがそれがよくなかった。今度はその虐めが同級生に飛び火して、同級生は海翔のせいで虐められたと訴えたらしい。そこから今度は同級生からの虐めに変わって、海翔は次第に居場所を失い始めてしまう。海翔は最終的に生徒指導の教師に助けを求めたが、その教師が土志田のような人間ではなかったのが海翔にとっては不運だった。結局最後の頼みだった筈の教師に裏切られ、しかも登校拒否してみたものの誰も彼もが腫れ物扱い。しかもドラマにも出ていたものだから、その疎外感はどうやっても拭えなくなってしまったのだという。ドラマに出ることは出来ても学校には通えないのかと皮肉られ、しかもそんなチャラチャラした芸能人とは一緒に勉強させたくないと保護者から申し入れもあったらしい。ここいらならじゃ他の学校に通いますと切り捨てればよかったろうが、海翔の地元にはそれほど多数の高校はなくて人見知りの子供の両親もそれほど強い人間ではなかった。
そのまま高校中退も考えたらしいのだが、進学校に通える学力は正直惜しいし、地元にはどうせ居辛いから藤咲が預かると申し出たのだという。

「藤咲さん、いい人じゃん。」
「のぶおさん、元々ヤンキーで結構苦労人なのよね。」

あのガタイでヤンキーって逆に迫力ありそうだと思うが、そんな理由で海翔をこちらに預かったとは知らなかった。どうせなら学生も俳優もやりこなして良い大学に入って、地元のやつらを見返してやれと言われて海翔は話にのったのだ。
それにしても麻希子と同じクラスなら麻希子がどうにかしそうな気もしなくはないが、何しろ海翔は人見知りの癖に結構人の話を聞かない。麻希子曰く担任は土志田だというから、もう少し時間が経てばどうにか………

トッシーみたいな先生ってのも、そうそういないけどな、うん。

都立第三の教師陣は割合どの教師も教育に熱心で、貧乏神こと福上教頭始め中々に味のある教師ばかりだ。越前ガニなんて呼ばれてる世界史教師もオールドミスの英語教師も、一見生徒のことなんかって顔をしてるがいい先生だった。しかも生徒指導の土志田はまだ若い教師だけど、生徒の気持ちもよく汲んでくれる。仁聖が一年の時に自分が親がいないのを秘密にしたいと言ったら、土志田は自分も両親がいないから気持ちは分かると生徒には誰にも言わないでいてくれたのだ。

しかし、教師に熱湯って誰に?貧乏神とか?ヤバくない?

痩せぎすの貧乏神も仁聖の両親が死んでいるのを知っても、仁聖への対応が何も変化のなかった一人だ。しかも時々ちゃんと飯を食っているかと声をかけられ、ラーメン屋なんかに連れていかれたことが何度かある。あんなに痩せてるのに異様な量を喰う福上は、仁聖によく人は喰うのが一番大事だと話していた。嫌なことも旨い飯を食って満足して寝たら、翌日には新しい道が見えるもんだと暢気に笑っていたのが何だか懐かしい。子供も自立して奥さんももういないからお前らが子供みたいなもんだという福上に、孫じゃないのとつい言ってあからさまに不機嫌になられたのを思い出す。

「大丈夫かなぁ…。」
「大丈夫でしょ?のぶおさんが行ったし。」
「あ、カイトじゃなくて。先生の方。」
「………熱湯って言ったっけ?ヤバイんじゃない?」

顔とかにかけてなきゃ良いけどと思いながら、一先ず後日麻希子に聞いてみようと思い直し手紙をまとめ出す。結果的に持ち帰るなんて言ってもほんの一部のプレゼント位なもので、申し訳ないが手紙の方はどれもこれも代わり映えしない。何しろ相手を知らないのだから、こちらも感情移入出来ないから余計に読んでも響かないのだ。彩花はそんなものよ、と笑いながら、段々何時も手紙をくれる人が見えてくるのよという。最初の目新しさではなく、本気で応援してくれる人も増えてくるわよというのだ。

それもそれでちょっと困るなぁ……

そんなことを考えながら仁聖は持ち帰り用バックを手にノンビリと帰途についたのだった。
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