鮮明な月

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第九章 可愛い人

76.

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「もぉっ!!疲れたっ!!終わったよッ!!」

大きな声を上げ腕まくりした袖を下ろしながら、リビングに足音をたてて一人の青年が姿を見せた。茶色のふわりとした髪を揺らし、時に藍色にも見える瞳。顔だちに何処となく異国の気配を漂わせた容貌を持つ青年の姿に、キッチンの中に居たもう一人の艶やかな黒髪をした純和風という趣を持った青年が視線を向けていた。

栗毛の青年は源川仁聖。
現在高校三年で受験シーズン真っ只中。とは言っても彼自身はもう推薦入試終了で、一応センター試験は受けるものの今後の進路は決定している模様である。
その年の六月に十八の誕生日を過ぎて、十年越しの初恋の相手であるもう一人の青年。八つ年上の榊恭平に思いを打ち明けて、様々な思いを交わすようになった。それからの半年の間に様々な出来事を経験して、遂に二人で暮らすという事に落ち着いた所。おまけにクリスマス・イブにプロポーズをして同性ではあるが永遠を誓ったのである。というのが二人の大まかな馴れ初めではあるが、その話はここでは繰り返しになるので深くは語らない。

クリスマス・イブからはまだ六日。叔父の許可も得て住民票の変更やらの手続きも終え、榊家の客間だった洋室を仁聖の部屋にすえ、少ししかない荷物を運びこんだ。そして、仁聖の部屋がやっと整ったばかりだと言うのに、恭平から言い渡されたのは年末の大掃除だった。しかも、毎年の事なのかその大掃除は、隅から隅までという言葉が相応しい。今まで自分の家に執着がなかった仁聖にとっては、かなりの労働なのだ。
グッタリとソファーに腰を下ろし脱力する仁聖に、何やら忙しそうなその手を一端止めた恭平がしなやかな動作でキッチンから歩み寄っていく。

「仁聖?」

柔らかく穏やかな静かな口調なのに恭平の声に含まれる響きに、何かを感じ取った仁聖が敏感にハッと表情を変える。横のソファーのクッションに抱きよせ顔を埋めた仁聖は、断固とした口調で声を放つ。

「もーやだよ?!やだっ!俺は動かないっ!」

まだ何事も口にしていないのに慌てた様にそう声を上げた仁聖の様子に、恭平が僅かに目を細めた。かと思うと更に歩み寄る恭平がその動きの先で覗き込むように、その顔を見つめてにっこりと微笑む。

「……仁聖、悪いんだけど窓拭きやってくれないかな?」
「えっやだ!!ほんとにもうやだ!疲れた!今十二月だよ?!寒……。」

最後まで言い切ろうとする仁聖の唇を、腰を折った恭平の唇がやんわりと甘く重なり言葉の棘をあっという間に溶かしてしまう。チュと軽く音を立てながら下唇を甘噛みしてから口付けを終えた恭平に、思わずトロンとしてしまう仁聖の呆然とした視線が迎え入れる。毎年はもう少し前から始めているらしいのだが、今年に限っては色々と騒動が起きすぎて予定が大幅に狂っているのだ。そして、惚れた弱味なのか、案外恭平は仁聖を乗せるのが上手い。

「俺は水回りで手いっぱいだし……、な?頼む。」
「うぅ………でも…寒いもん………。」

この家窓ガラス多いんだよ?とブチブチ言い始めようとする仁聖の唇を、恭平の丹念に甘い愛撫を施すキスがもう一度シッカリと塞ぐ。その不満の声を完全に溶かしてしまいながら、恭平の顔に強請る様な視線が浮かぶ。そして少し思案した様に光る指輪をはめた指先を口元に当てていた恭平の表情が緩んで、誘うように囁きかける。

「確かに冷えるな…?終わったら風呂にはいれるようにしておくから……頼むよ。」

その声に思わず仁聖の瞳がキラキラと期待の籠った光を浮かばせて、まるでご褒美を強請る子供か大型犬の様に目の前に立つ恭平の姿を見上げた。

「一緒にはいろ?!!ご褒美に一緒にお風呂はいろ?ね?!」

勢い込んだ仁聖の声に、恭平が目を丸くしながら小さな笑いを溢す。

「ご褒美って……、まぁいいよ…やってくれるんだな?」

思わず自分が意図も容易くご褒美に食いついてしまった事に気がついた仁聖の表情が固まる。自分の部屋の掃除に加え、たった今玄関周りと廊下の掃除を終えて、流石にこれ以上の酷使は断固断ろうとしていたのに。目の前の柔らかく甘い笑顔と声と反論すらも蕩けさせて消してしまう酷く甘いキスに負けて、遂またもや乗せられてしまった。返事を待つ恭平の微笑む視線に、心の中で「ずるい」と呟きながらも仁聖は降参という表情を浮かべる。

「うぅ………はい、……頑張ります。」

その言葉に恭平が微笑みながら、ありがとうと囁きながら再度仁聖をその気にさせる優しく軽い口付けを落としていた。

十二月三十日。
二人暮らしに変わるために、色々と忙しくゆっくりする時間もない。住民票は年明けでもいいんじゃないかと問いかけたが、その点に関しては仁聖の方が折れなかったのだ。仁聖の荷物は元々量がなかったので運び入れるのには苦労はなかったが、客間の荷物を片付けるのと大掃除。何を置いても大掃除には面喰らうしかない。

何時も綺麗に整えているとは思っていたが、ここまで几帳面なのは初めて知ったかも。

そんな事を考えながら毎年の事なのだろう、てきぱきと仕事をこなす恭平の手際の良さに更に面食らう。それにしても手際よく動いてる恭平の身のこなしを、窓越しとはいえ間近に眺めていられるのは幸せだ。素直に言い渡された仕事をこなし、結局寒さに少し身を震わせながら大人しく仁聖は恭平を眺めながら窓を拭き始める。

「ねぇ、恭平。」
「ん?」

キッチンの中の恭平に今まで窓拭きはどうしていたのかと途中声をかけると、過去のトラウマで高所恐怖症の恭平は出来ない部分は頼んでいたんだと告げた。そんな風に恭平が少し恥ずかしそうでいながら嬉しそうに微笑みかけるのに思わず自分までつられて微笑んでしまう。そうして結局言われた通りせっせと大掃除に励んでしまうのだった。
やっと順番に水回りの掃除を進め最後の風呂場の掃除を終えた恭平が、安堵の溜め息をつく。洗い終えてスッキリした気分で、バスタブに湯を注ぎこみ始める。
昔から母親が古風な人間だった為なのか、どうもきちんと毎年の事として大掃除を済ませないと落ち着かない。そんな自分に苦笑しながら、途中渋々ではあったものの一緒に掃除をしてくれている仁聖に淡く微笑む。ベランダに出て窓拭きは流石に難しいが内側からならなんとか可能かもと思案して、そちらの手伝いに行こうかと踵を返す。恭平が脱衣所から足を踏み出そうとした途端、駆け込む様にして姿を見せた仁聖が声を上げながら唐突に自分を抱きすくめて来ていた。

「うわっ?!な…っ?!」
「終わったっ!!ちゃんと終わったっ!あーッ寒い!」

ギュウギュウと力一杯抱きすくめながら、首筋に冷えた肌を擦り寄せる。仁聖の声に恭平は目を丸くしながらも、思わず微笑みを浮かべ見下ろす。結局せっせと掃除に勤しんでくれて窓拭きを終わらせた仁聖の肌は、確かにすっかり冷え切って震えを帯びている。頭を撫でながらしたいようにさせていると、幸せそうな声が帰ってきた。

「あー、…恭平の体あったかい…きもちいーぃ…。…寒かったよぉ……。」
「手伝いに行くトコだったんだけどな……ありがとな?寒かっただろ?」
「いいよ、だって二人の事だもん……あー、恭平…あったかい…。」

冷えた手がスルリと腰を滑る感触に思わず身を震わせる恭平に構わず、仁聖は一心に身を擦り寄せる。そんな仁聖に思わず苦笑を浮かべた恭平が、背後のバスルームの水音で思い出した様に悪戯めいた声を放つ。

「いいのか?……何時までもこうしてたら、ご褒美なしになるぞ?」
「え?やだよぉ?!じゃ、今直ぐご褒美!a reward for hard work!一緒にはいろ?ね?」

擦り寄せる体はそのままに仁聖の手が、恭平の服の裾を抜き出しボタンを外し始める。

「あ、こら。」

不意に滑っていた仁聖の手が簡単に服の下に滑り込んで、恭平の服を手早く脱がしにかかるのに恭平の非難の声が上がる。はだけられた白い肌に、呆れたように恭平が眉を潜めた。

「どうしてそう俺を脱がしたがるんだ?……自分が脱げって。」
「えー?俺は今恭平の服脱がせるので手一杯だから、恭平が脱がせて?」

何を言ってるんだと呆れ顔の恭平に、少し拗ねたような表情を浮かべて仁聖が上目遣いで口を尖らせる。その少し頭を下げた胸元から、銀色のチェーンにペンダントトップのように下がる銀の指輪が覗く。
恭平と同じデザインだが、少しだけサイズの違う指輪。
実は少し仁聖の方がサイズが上だと知って、内心では少しコンプレックスを感じないわけではない。しかも、最近仁聖は大人びた上に、また少し身長が伸びた。年の始めは自分の方が背が高かったのに、成長期というやつか仁聖の成長は目覚ましい。

「何?恭平。」
「何でもない。」

指輪の姿につい数日前宝飾店で無表情を決め込んだ店員に、こちら側もさも当たり前のような気にしていないと言いたげな表情で買いに行った時の事を思い出す。サイズ直しがなかったから良かったようなものの、これでまた来店となったらと少しだけ恭平が頬を染める。そんな恭平の視線に気が付き、高校生の間は指にしないという約束でペンダントにしている仁聖がニッと悪戯っ子のような笑みを浮かべた。

「指輪買いに行った時、店員さん凄い恭平の事を見てたね。」
「え?そうなのか?!」

驚いた恭平の表情に仁聖が嬉しそうに笑いながら、だって俺の時もあの店員さんだったと告げる。それなら早く言えと言いたげな恭平の服を脱がせながら、満足そうに仁聖は恭平の指を持ち上げると口付けた。

「早く俺も指にしたいなぁ。」
「頼むからそれ以上成長するなよ?サイズ直しには、独りで行かせるからな。」

頬を染めてそう告げる恭平に、不満げに一緒に行ってよぉと甘えるように仁聖がねだる。いいから早く脱げと話をそらされて、頬を膨らませながら仁聖も服を脱ぎ始めた。

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