鮮明な月

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第二章

11.

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優しい手付きで繰り返し髪を梳かれる心地よさに、トロトロと眠りに落ちていく感覚を感じる。それに抗うことも出来ず、恭平はそのまま暫く微睡んでいた。その後も目が覚める度に、甲斐甲斐しく水分補給や何やとかんやと世話を焼かれるのを何だか不思議な気持ちの中で受諾する。受諾しながら普段にはない傍に誰かのいる安堵に、恭平は自分が何度目かの眠りに落ちるのを感じていた。
高い熱に浮かされて余り心地のいい眠りではない何度目かの浅い眠りの向こうで、微かな物音がして額に冷たい物が降りてくる。

「ん…?」
「あ、ごめん…起こしちゃった?頭冷やしてあげようと思ってさ。」

日付を越したか越さないかという薄暗い世界。時間の感覚を失わせる闇の中で、額に冷却シートを貼ってくれたらしい柔らかく微笑む仁聖の表情が浮かぶ。ふとその制服姿を眺めながら、恭平は気がついたようにベットサイドの彼の頬に手を伸ばす。その仕草に仁聖が不思議そうに微笑む。

「何?どうしたの?」
「お前…着替えは?何処で寝る気だ?」

自身の体よりも先に、仁聖の寝場所を真っ先に気にかける。そんな彼らしい言葉に苦笑を浮かべながら、仁聖はフワリと熱を感じさせるそのしなやかな指を優しく手で包み込み指先に口付ける。そして、暗闇の中で静かに小さく微笑むと、恭平の枕元に遠慮がちに腰をかける。

「気にしなくていいよ?俺そういうの慣れてる…適当に寝るからさ。」

その言葉の意味を図りかねて、恭平が訝しげに眉を顰める。まだ下がりきらない高い熱に潤んだ恭平の瞳を眺めながら、仁聖はそっと黒髪を梳くように撫でる。まるで大切なものにそっと触れると言いたげなその手つきに、恭平は一時目を細めてされるままに指の感触に身を任せた。やがて仁聖の指が離れてベットから立とうとしたのに気がついて、咄嗟にその制服の裾を掴んだ。

「え?」

白いシャツの上にグレーがかったシンプルなベスト。ネクタイも濃紺。本当ならその上に上着があるはずだが、男子生徒の殆どは面倒くさがってベストも着るか着ないかだ。結構学校側もそこはアバウトなので、生徒の好みに任せているのは昔から変わらない。だから、生徒によってはカッチリとベストを着こなす恭平のようなタイプの生徒も年に何人かはいる。今日の仁聖はベストを着ているが少し着崩してシャツを出していて、今その裾をしっかりと掴んだ指に引き止められもう一度ベットに腰を下ろした。

「どうしたの?何かして欲しい?」

まじまじと見つめる真正面から視線を受けて、我に返った恭平が微かに頬を染めながら言葉に詰まる。気恥ずかしそうな視線が思わず自分から逃げるように背けられたのに気がついて、仁聖はクスリと笑みを溢して、その顔の横に両手をついて覆い被さる体勢で恭平の綺麗な顔を覗き込んだ。

「恭平?なぁに?」

その体勢でもしっかりとまだ服の裾を掴んだままの恭平の手の感触を感じ取りながら、覗き込んだ顔を近づける。普段と違い熱を持った頬を更に薔薇色に染めながら恭平が、上目遣いに拗ねたような視線で睨み付ける。その仕草に仁聖は苦笑いしながら、全くそんな顔は反則と心の中で呟く。

「おやすみのキスでも欲しかった?」

からかうような仁聖の言葉に、恭平が一瞬恥ずかしそうに躊躇うような気配を浮かべてから口を開く。

「馬鹿…違う。…制服…皺になるからかけておけって……後……。」
「後?」

仁聖の声にほんの少しの逡巡。そして躊躇いがちに伏せた視線の先で、決意したように小さく恭平が小さな声で呟く。

「……ここで…寝ていいから。………ベット…広いんだし。」

確かにもともと身長が高い恭平の好みなのか、一人寝には広いベットはゆうに恭平だけでなく仁聖が普通に並んで寝れる程の広さがある。それは事実だが、予想外の提案に仁聖は目を丸くする。思わずまじまじとその顔を覗き込む仁聖に気がついた恭平が、少し戸惑うように視線を漂わせる。

「…我儘…言ってもいいんだろ?」

それが我儘だなんて反則にも程があると思う。しかし、傍にいられるだけでなく一緒に横になっていいなんて、そんな夢みたいな提案を仁聖が蹴る必要性がない。

「……うん、じゃ、さ、制服脱いでくる。」

しゅると衣擦れの音をさせてネクタイを抜きながら、少し緊張した風の仁聖が身を起こした。滑らかに動く仁聖の後姿を眺めながら、恭平は自分がどうしてそう口にしてしまったか分からないでいる。戸惑いながらそれでも恭平は視線だけで、仁聖の後姿を追い続けた。視線の向こうで何気ない動作で制服を手早く脱ぎ、しなやかな傷一つない滑かな引き締まった背中が闇に浮かんだ。その瞬間不意に恭平は自分の鼓動が、大きく跳ねたのに気がついた。

な…なんだ…?今の……俺…?

動揺したようにその背中から視線を引き剥がすと、勢いよく毛布を引き上げた。その衣擦れの音に気がついた仁聖は振り返り、不思議そうに恭平の姿を眺めながら制服をクローゼットの前に手早くかけてベットに歩み寄ってくる。唐突に毛布に身をくるんでしまった恭平を肩越しに覗き込みながら、耳元にフワリと唇を寄せ囁きを落とす。

「どしたの?恭平…?」
「何でも…ない……っ。」

自分の頬が更に熱を増したのを感じながら恭平が硬く目を閉じたままそう言葉を溢す。それに半分納得したようにふぅんとだけ呟きながら、仁聖は事も無げに横に滑り込むと腕を体の下に滑り込ませた。あっと言う間も無く体を引き寄せられ、毛布の中に滑りこんだ仁聖の腕に恭平は背を向けたままの体をそのまま抱き締められている。抱き締められて背後からのしかかる肌の感触が触れたかと思うと、微かな吐息が擽るように首筋に落ちてくる。その吐息の感触に、恭平は思わず身を強張らせた。その体の反応に気がついた様に小さく笑みを溢し仁聖が、愛おしくて仕方がないと掠れた甘い声で耳元に囁きかける。

「力抜いて・何もしないからさ?このまま寝るだけだってば。」

覆い被さられるように抱き込まれる仁聖の腕の感触が、熱を持った肌より更に熱い。相手は素肌でもこっちは夜着を着ているのだ。そう思うのにまるで直に肌をあわせているみたいで、恭平は困惑したように肩越しに仁聖を見る。

「こ…こんな体勢で寝れるわけっ…。」
「やっぱり…まだ体熱い……ね?」

言いながら更に擦り寄る仁聖の仕草に、無意識に自分の体が痙攣の様な跳ねる動作を放った。恭平は慌てて身を捩りながら、体幹にやんわりと絡みつく仁聖の腕の戒めを解こうともがく。

「…お・重いからっ…仁聖っ!こんな体勢じゃ…。」
「んん?……重い?…そっか・じゃ。」

恭平の言葉に納得したように仁聖が、唐突に恭平の体をひっくり返す様に掬い上げた。軽々と持ち上げられ、そのまま腕の中に抱え込む体勢で胸の上に恭平の体を落ちつける。素肌の仁聖の胸に顔を押し当てる様に抱きかかえられた態勢に、今度も恭平は面食らってジタバタともがいた。

「…もう、暴れないでよ、恭平。」
「ば、馬鹿、こんな体勢じゃっ…ほんとに寝れな…。」

サラリと優しい指が髪を撫でながら、頭を胸元に押し付ける様に引き寄せる。仁聖はそんなほんの小さな動作で、恭平の抵抗すら根こそぎ封じこんでしまう。

「…昔…ガキの頃不安で仕方ない時にさ、恭平が…抱きしめてくれて…思って…たんだ。」

囁く声は低く掠れているのに、酷く甘く恭平の耳を擽る。

「自分の…じゃない…心臓の音ってさ……安心する…よね?」

微かな柔らかい呼吸で上下する胸の上で、柔らかく囁きかけられる言葉に重なる規則正しい鼓動。仁聖の告げた言葉とこの行動の意味に恭平は思わず黙り込んだ。その胸の上で抱き寄せられ髪を梳かれるままになりながら、押し当てられた胸の鼓動を聞く。

俺が……不安がってるって……いってる……のか?

自分の心が囁く疑問を、口にするでもなく恭平は押し黙った。無言のまま自分のモノではない体温を感じていると、不意に微かな寝息に気がつき恭平は視線を上げる。自分を大事そうに抱きしめたまま眠り始めた幼さの残る顔を眺めながら、今更のように仁聖がここ二日はろくに寝ていなかったのだと気がつく。恭平はすっかり寝てしまった彼の姿に、微かに体の強張りを緩めた。

俺を1人にしない、本当に…そうしようとしてる?…本当に……。

戸惑いと同時に心の中に、微かに甘く湧きあがる感情。規則正しい鼓動と穏やかな寝息に誘われる様に、やがてトロトロとまた浅い眠りが恭平にも夜の闇と一緒に訪れようとしていた。



※※※



無意識に身じろぎをしようとして、胸元にある重みに気がついた仁聖はふと目を覚ました。僅かに身を動かすと胸の上でサラリと艶やかな黒髪が擽る様に揺れて、眠っている恭平の顔がほんの間近に見える。

うわ……やば……っ……超可愛いっ……。

思わず不謹慎な考えと分かりながら、その驚く長い睫毛と閉じられた瞳と滑らかな白い肌を眺める。安堵に眠っている彼の姿を、息を殺してまじまじと覗き込む。ほんの数日前に初めて一緒に眠った時は、二人とも最後は気を失う様に眠ってしまっていた。その時は残念ながら寝顔に意識を払う事も出来なかった事に気がつき、改めて眠っている恭平の表情を見つめる。穏やかに安心しきった子供の様に眠る恭平の表情は、仁聖にはただただ可愛く愛おしい。同性の不快感なんて何処にも感じられないし、綺麗で無防備過ぎて正直たまらないのだ。一瞬自分の中に激しい欲情の兆しを感じて、仁聖は慌てて自分を内心で嗜めながら暗がりのベットサイドのデジタル時計に向かって身をずらした。

…まだ、三時……か?

午前三時をデジタル時計に確認した瞬間、音もなく体勢のずれた体の上で胸に押し付けられていた恭平の顔が胸からずり落ちかけた。

「…………うん………っ。」

不意に非難めいた声が胸の傍であがったかと思うと、仁聖の目の前で穏やかだった表情が苦痛でも感じた様に歪んだ。体が夢現に何かを探す様に身を捩り、苦痛めいた呻きがその形のよい唇から上がる。それを聞きつけて、慌てた様に仁聖はその表情を覗きこむ。

「んん……、……や……。」
「…恭平?」

耳元に問いかける声に全く反応しない恭平は、まだ確かに眠りの中にいる。夢の中で何か苦痛めいた感情に彼が教われているのに気がついて、仁聖はその苦悩に歪んだ表情をした体をそっと大事に抱き寄せる。胸元にそっと抱きかかえ直したその体を愛おしげに抱き髪を撫でながら、耳元にまるで子守歌でも歌う様に甘く柔らかい言葉を振り落とす。

「……大丈夫、大丈夫だよ、恭平。」
「…ひと……、……し…な、……も…。」

切れ切れに溢れ落ちる譫言の様な恭平の声。その言葉の意味がまるで繋がる様に分かって、仁聖は微かに眉をよせてその綺麗な人を優しく強く抱きしめる。その呟きは気持ちを通じあわせる直前に、彼が初めて仁聖に伝えた奥底に押し込め続けた思いと同じだ。

本当は……ずっと…頑張ってたんだ……我慢して…耐えて…

発熱のせいで普段よりも融点の低い普段は圧し隠し続けていた感情の揺れが、恭平の夢の中で彼を発熱ではなく震えさせている。今まで何度こうして夢に震えながら恭平は、一人で耐えていたのかと切ない胸の痛みを感じた。仁聖は微かに小さな笑みを溢して、しっかりと大切そうにその体を包み込む。

守りたいのはけして上辺だけではないと証明して見せろと言われているようだ。

腕の中で震える儚い孤独な彼の心の叫び。悲しいこの感情の発露は、自分の行為の代償なのか彼自身が望む事なのかは分からない。それでも今まで彼自身が一人で耐えて、隠し続けていた事だけは確かだった。

大丈夫、それごと全部、恭平の事なら……

今の仁聖には彼を強く抱き締めて、躊躇わずにそう思う事が出来る。そして、恭平に思いを伝える事に仁聖は、もう何の戸惑いも感じていない。抱き締めた恭平に繰り返し囁きかける。

「俺は……ここにいるよ、傍にいる。……もう、一人にしないよ。大丈夫。」

そう何度も繰り返される優しい言葉と髪を梳く指の動き。やがて腕の中で震えが消えて、その吐息は元の穏やかさに戻っていく。恭平の苦悩めいた表情が溶けて消え、安堵したようにフワリと甘い香りを漂わせ仁聖の胸元にスリ…と頬を擦り寄せる。そのまま恭平が更に深い眠りに落ちていく。それを確かめながら、やがてまだ明けない夜の穏やかな時間の中で仁聖ももう一度眠りに落ちていた。

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