鮮明な月

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序章

2.モノローグ

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大好きな近所のお兄ちゃん。

最初はそう考えていた筈のその思いが、実は兄の様に・家族のように好きとは何かが違う。いつの間にか足しげく自分が彼の家に通うようになって、彼の唯一の家族である母親とも顔見知りになっていた。そうして自分の感情に気がついたのは、何時の間にか彼を名前で呼ぶようになって暫くしてからの事だったと思う。
榊恭平という人はシングルマザーの母親と二人暮らしで、他に親戚や身寄りはいないらしいと知ったのもその辺りのこと。

ある二つの出来事が起きて、その事で俺の中で恭平の存在は何より特別だということに気がつかせてしまったんだ。



※※※



高校生になった榊恭平は誰が見ても目を奪われる人物に育っていた。
すらりとしなやかな手足に華奢な細身だけと長身で、何時も男女問わずに羨望の眼差しを集めていたようだ。勿論都立第三高校でも優等生だったみたいだし、母親譲りの顔立ちは綺麗で肌も白く透き通るよう。何時だって誰もが、見惚れるくらいだ。
そんな彼と彼の自宅で密かに一緒にいられる事が、仁聖には嬉しくて仕方がない。高校生にもなれば七つも年下の小学生の事なんかどうでもいいと普通は考えるだろう。けど、恭平は何時も俺が行くと優しい笑顔で迎えてくれる。勿論仁聖の方だって以前のように遠慮なく毎日のようにとはいかなくて、必ず行くという曜日がその時には決まっていた。何時も行く曜日が決まっていたせいもあるのかもしれないけど、訪問すれば恭平は必ず家にいてくれる。
何時の間にか宮内の道場に通うことも辞めたらしい彼にとって昔からの知り合いの筈の慶太郎よりも、ずっと仁聖のほうが傍にいる時間は長かった。それが何だか特別な事で、彼に特別に扱って貰えているような気がして仁聖は凄く嬉しかったのだ。

でも、ある時高校の制服姿の恭平が、多分同じ歳くらいの制服の女の子と一緒に歩いているのに出会ってしまった。仲良さそうに顔を寄せて笑い並んで歩く二人の姿を見た瞬間、胸が割れるようにすごく痛くなった。
視界の先にいる小柄な可愛い女の子に向かって優しく笑いかける恭平の顔は、欲目じゃなくても凄く格好良くて惚れ惚れする。それなのにただその笑顔が、自分ではない他の人間に向けられている事が酷く仁聖にはショックだった。

あれだけ格好いい恭平が、モテない筈はない。

考えたら至極当たり前の事なのに、仁聖は呆然としたままその姿を見つめていた。結局二人で仲良く並んで歩く恭平の姿を、仁聖は立ち尽くしたまま見送る。だって、十七歳の高校生に十歳になったとはいえランドセルを背負った小学生が何が言えたんだろう。

あの時の自分は彼に何を求められたんだろう。

俺はただもやもやとしたそんな重苦しい気持ちを胸の奥に飲み込んだまま、その姿をじっと見つめていたのだった。



※※※



二つ目の出来事。
それは恭平が高校三年の十八歳の誕生日を迎えた直ぐ後の事。
俺がその話を小学校の教室の喧騒の中で聞いたのは、同級生で幼馴染の慶太郎の口からだった。

「今なんて?」

想定外の言葉に思わず聞き違えたのかと慌てて聞きなおした俺に、慶太郎は至極真面目な表情で神妙な口調で答えた。

「だから、榊のお母さんが死んじゃったんだって。」

慶太郎がいう≪榊≫が言うまでもない恭平の事だという事は、長い付き合いの仁聖もよく知っている。幼い頃は慶太郎も恭平の事をお兄ちゃんと呼んでいたが、宮内の道場に通わなくなって既に随分経っていた。だが、それほど遠くない近隣に住んでいるし本人でなく家族の情報だから、耳にははいったのだろう。だけど、そんな事を気にする以上に、俺は凄く不安になったんだ。

恭平の大事な家族。

たった一人しかいない、恭平の母親。その存在の消失がどんな気持ちになるのかは、幼い頃に両親を失った仁聖はよく知っていた。それでも仁聖にはまだ唯一叔父が残されていたが、恭平にはもう誰いないのだ。そのことが俺の中で楔のように心に刺さり、不安な暗い影を落としていた。
その日の夕方。
恭平の住むマンションに密かに足を向けた仁聖は、タイミング良く顔見知りのマンションの住人がオートロックを開けてくれたのを幸いに最上階の恭平の家まで早足で向かう。人気のない玄関のドアノブを回すと鍵のかかっていないドアは容易く開き、人気のない家の中には微かに線香の香りが漂っていた。靴が玄関の上がりかまちで無造作に脱ぎ捨てられ、それが普段のその場とは違っているのに仁聖は息を呑んだ。

「恭平?」

静まり返った廊下を歩いてリビングの扉を押し開くと、更に強い線香の香りが四方に散った。薄暗い室内はひっそりとしてヒンヤリと冷たく、仁聖は息を殺しながら恐る恐る室内に足を踏み入れる。

「恭平…?」

戸惑いに小さな声に反応して、リビングのソファの上で独り膝に顔を埋めていた頭が揺れた。フワリと視線を上げたその表情は暗く無表情に凍り付きながら、真っ直ぐに俺の顔を眺める。そして、ふと恭平は痛々しく歪んだ微笑みを浮かべる。

「あぁ……仁聖………か。」

何時もと全く違うボンヤリとした弱い声の先に、青ざめた顔に浮かぶ痛々しい微笑に仁聖の心はギシギシと軋む。その表情の意味は、仁聖には分かりすぎるほどに分かった。

誰も求める言葉をかけてくれなかった。
誰も求めるものをくれなかった。
自分も過去に経験したのと同じ、鋭く激しい心に刺さる重い痛みが確かにそこにある。
リビングのテーブルの上に置かれた白い包みにくるまれた箱と白木の位牌。
誰もこの場にはいない。
独りぼっち。
もう、ここに居るのは目の前のすらりとしたしなやかな手足をした、痛々しい微笑みを敷く美しい顔立ちの青年・榊恭平ただ独りなのだった。それなのに恭平は普段の自分を何とか装うように、言葉をその綺麗な唇から押し出す。

「…………どうした?………今日は………来る日じゃない……よな?」

漂うような深い悲しみを押し隠すような絞り出された声が、淡々とその唇から言葉に変わって溢れ落ちるのを聞く。だけど、恭平が本当に言いたい事は、そんな取り繕った言葉じゃないと仁聖は思った。
それでも声変わりをして低くなって更に艶を増した声がそう囁くのを聞いた瞬間、仁聖は真っ直ぐにその視線を受けながら彼に歩み寄りソファの青年に縋りつくようにギュッと抱きしめる。仁聖の行動に驚いた彼が身を固くするのを冷たい薄闇の中で感じながら、俺はギュッと抱き締めた体のボンヤリとした弱い熱を感じていた。子供の腕では抱きしめきれない青年の首筋にぐいぐいと自分の顔を押し付けながら、仁聖は自分のほうが先に泣き出したのにやっと気がつく。

「………仁聖?なんで……泣いて……。」
「泣いてよ!……………泣いていいんだよ?!」

そう泣きじゃくる仁聖の声に一瞬、腕の中で恭平が身を堅くして息を詰めていた。恭平には誰も一言も泣いていいはと言ってくれなかったのが、仁聖にはよく分かる。誰も口をそろえて「頑張れ」「これから独りで大変だね」としか、周りはきっと言ってくれない。
誰も決して恭平に「泣いていい」とは言わないし、言おうともしない。
仁聖自身それをよく知っていた。仁聖が四歳で両親を失った時ですら、「こんなに小さくて可哀想」とか「これから大変ね」と言う言葉は聞いたけど、誰も自分に悲しいなら泣いていいんだよとは言わなかったのだから。
そしてあの時仁聖に泣くための場所を与えてくれたのは、唯一この人だけだったんだ。

「泣かないと………泣かないと……もっと辛くなるんだよ?!」

ワンワンと泣きながら叫ぶ仁聖の腕の中で、恭平の何かが揺らぐのを感じる。肌を通したボンヤリとした弱い熱が、不意に温度を上げて肌に直に感じられた気がした。更に濃く色を深めた闇の中で、抱き締めた腕の中からフワリと甘いような恭平の優しい香りが漂う。泣きじゃくっていた仁聖はハッとしたようにしゃくりあげながら、初めて耳に届いた微かな嗚咽を感じる。

「……っ…う…っ。」

ふと視線を投げると闇の中で恭平の瞳から、白く真珠のような涙が溢れ落ちて光っていた。それでも目の前の俺に縋りつくでもなく、ただ一人で肩を震わせる。その姿は清々しいほどに綺麗で、仁聖は悲しくなった。

誰もこの人に泣いていいと言ってくれなかったのだ。
誰もこの人の心を守ろうとはしてくれなかったのだ。
この人は俺に心を守ってくれたというのに、そう思った瞬間仁聖は産まれて初めてこう思った。

この人を守りたい。

恭平の母親は病気で死んだのだと後で聞いたが、詳しい事までは子供の仁聖には分からなかった。そして、口さがない人々の噂で初めて仁聖が知ったのは恭平が、実は宮内慶太郎の腹違いの兄なのだという事だ。
それには驚いたがそう言われて何故か、恭平が合気道の道場に通わなくなった理由が分かった気がする。恐らく恭平も以前に誰かから、その残酷な事実を知らされていたのだろうと思う。だけど、一人になった恭平は宮内家に引き取られる事もなく、そのままマンションで一人暮らしを続ける事にしたようだ。

俺の中の恭平への気持ちは大きく形を変えながら少しずつ育っていくようだった。
大事な人。
綺麗で美人でかっこよくて大好きな人。
守りたい大事な大事な…その思いをどうしていいのか、子供過ぎる俺にはまだ判りようもなかった。
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