30 / 59
第八章 狙われた姫
第29話
しおりを挟む
御所。時刻は昼。タケルヒコは執務室にて書簡の山に埋もれていた。目の下には隈がある。このところ満足に睡眠をとれていない。
彼はゾラが間諜でることを見抜けなかったし、そのことによって多くの情報を流出させてしまったことに、多大な責任を感じていた。皇太子は自身に休養をとらせることを許さなかった。加えて仕事が山積みである。
まず急ぐべきは国境の守りであった。今までは北の防衛を嗎吧姈族が担っていたため、平原に接する砦には必要最低限の人員しか置いていなかった。だが、嗎吧姈族(まはれい)が壊滅した以上は、今まで以上の人手が必要になる。
さらに、朱瑠に亡命してきた嗎吧姈族の戦士たちへの対応もある。この国の者の、北方の民への視線は冷たい。そういった状況でいかに彼らを保護するか、頭の痛くなる案件だった。彼らは長きにわたり我が国の防衛に尽くしてきたのだと言葉を並べてみせても、多くの者にとって「貊氊は貊氊」なのだ。
そういう状況であっても、御所では貴族たちの宴が開かれる。そこに集う者たちのもっぱらの話題は「朱瑠は大丈夫なのか」だった。今にも異民族が攻めてくるのではないか、そうなったら家財をどうやって守ればよいか。皇太子は我々の財産を守ってくれるのか。もしかしたら、かつてどこかの国が行ったように、蛮族へのご機嫌取りとして、良家の娘たちを数十人と送り込むかもしれない……。同盟会議の内容は、限られた者たちにしか明かされていないため、どうしても憶測が飛び交う。仕事に忙殺されているタケルヒコは宴に出席していないが、代わりに六の姫ユズリハが、宴でささやかれている噂などを情報として耳に入れてくれている。そのどれもが心地の良いものではなかったが、六の姫は人を魅了する才能をいかんなく発揮しながら、皇太子はこの国を守るべく日々奮闘していると貴族たちに説いてまわっていた。
タケルヒコの隣にはナナクサが座り、同じように書簡とにらみ合いをしていた。この一の姫は身体が弱かったが、最近はどこからか仕入れた薬がよく効いているとかで体調がよく、タケルヒコの仕事を半分引き受けている。
そのとき、乱暴に扉が開き、数人の武官が踏み込んできた。
「何事か」
タケルヒコが驚いて立ち上がると、先頭に立っていた武官が「突然の無礼をお許しを、皇太子殿下」と言った。
「ですが、事態は深刻です」
「何が起こったというのです。殿下の執務室に、許しも得ずに踏み入ってくる理由は。説明なさい」
ナナクサが声を上げると、武官たちは奇妙な目で一の姫を見た。
「恐れながら、一の姫殿下。あなたには、反逆の疑いがかかっています」
「……今、なんと?」
ナナクサは呆気にとられて、問い返した。あまりにも馬鹿げていたからだ。
「私が国に反逆したという根拠は」
「それはあなたがよくお分かりではないか?」
武官は言って、床に紙の束を放った。それはナナクサとゾラがやりとりしていた、将棋の勝負譜だった。
「なるほど」
ナナクサはうなずいた。
「私が、例の間諜の男と文通していたからですね。ですが、その件は包み隠すことなく陛下や皇太子殿下、将軍たちをはじめ同盟会議に出席している皆様にお伝えしました。手紙の内容もすべてご覧いただき、私がこの国の情報を漏らしていないこと、手紙がただの将棋の勝負に過ぎないことを確認していただきました」
「だが、あの男はあなたの寝所に忍び込んだことがあったはずだ」
その言葉に、ナナクサはまなじりをつり上げる。だが事実、ゾラはナナクサの宮に忍んできたことがあった。否定はできず、ナナクサはやむなく沈黙を選ぶ。武官の言葉に含みがあることに気づいたとしても。
「それ以上、我が妹を貶めることは許さぬ」
タケルヒコは静かに、しかし決然と言った。
「一の姫が個人的にあの男と会ったことがあるにせよ、すでに身の潔白の証明は済んでいる。今更なぜ反逆の疑いをかけられることになるのか」
「言うまでもないことです」
武官は呆れたように首を振った。
「姫というものは、一度許されれば、自分は特別なものだと錯覚し、同じ過ちを再び繰り返すものです」
ナナクサは顔色を失った。あまりにもひどい侮辱を受けたことを、もはや理解することすら拒絶していた。
「そなたには、宮中に仕える者が備えるべき良識というものが欠如している。暴言にも過ぎよう」
タケルヒコは妹の肩を支えながら言った。その額には青筋が立っている。温厚な皇太子がここまで怒りをあらわにするのはめったにないことであった。
「そなたの言葉は、ただ女人を差別的に侮辱したに過ぎぬ。なぜ明確な証拠を提示しない」
「証拠ならありますとも」
武官は得意げに言った。
「イルファン大公国が例の間諜を捕らえ、尋問した調書が、先ほどもたらされたのですよ」
「なに」
「皇太子殿下、並びに一の姫殿下」
ご同行いただきます、と武官は有無を言わさぬ語調で告げた。
彼はゾラが間諜でることを見抜けなかったし、そのことによって多くの情報を流出させてしまったことに、多大な責任を感じていた。皇太子は自身に休養をとらせることを許さなかった。加えて仕事が山積みである。
まず急ぐべきは国境の守りであった。今までは北の防衛を嗎吧姈族が担っていたため、平原に接する砦には必要最低限の人員しか置いていなかった。だが、嗎吧姈族(まはれい)が壊滅した以上は、今まで以上の人手が必要になる。
さらに、朱瑠に亡命してきた嗎吧姈族の戦士たちへの対応もある。この国の者の、北方の民への視線は冷たい。そういった状況でいかに彼らを保護するか、頭の痛くなる案件だった。彼らは長きにわたり我が国の防衛に尽くしてきたのだと言葉を並べてみせても、多くの者にとって「貊氊は貊氊」なのだ。
そういう状況であっても、御所では貴族たちの宴が開かれる。そこに集う者たちのもっぱらの話題は「朱瑠は大丈夫なのか」だった。今にも異民族が攻めてくるのではないか、そうなったら家財をどうやって守ればよいか。皇太子は我々の財産を守ってくれるのか。もしかしたら、かつてどこかの国が行ったように、蛮族へのご機嫌取りとして、良家の娘たちを数十人と送り込むかもしれない……。同盟会議の内容は、限られた者たちにしか明かされていないため、どうしても憶測が飛び交う。仕事に忙殺されているタケルヒコは宴に出席していないが、代わりに六の姫ユズリハが、宴でささやかれている噂などを情報として耳に入れてくれている。そのどれもが心地の良いものではなかったが、六の姫は人を魅了する才能をいかんなく発揮しながら、皇太子はこの国を守るべく日々奮闘していると貴族たちに説いてまわっていた。
タケルヒコの隣にはナナクサが座り、同じように書簡とにらみ合いをしていた。この一の姫は身体が弱かったが、最近はどこからか仕入れた薬がよく効いているとかで体調がよく、タケルヒコの仕事を半分引き受けている。
そのとき、乱暴に扉が開き、数人の武官が踏み込んできた。
「何事か」
タケルヒコが驚いて立ち上がると、先頭に立っていた武官が「突然の無礼をお許しを、皇太子殿下」と言った。
「ですが、事態は深刻です」
「何が起こったというのです。殿下の執務室に、許しも得ずに踏み入ってくる理由は。説明なさい」
ナナクサが声を上げると、武官たちは奇妙な目で一の姫を見た。
「恐れながら、一の姫殿下。あなたには、反逆の疑いがかかっています」
「……今、なんと?」
ナナクサは呆気にとられて、問い返した。あまりにも馬鹿げていたからだ。
「私が国に反逆したという根拠は」
「それはあなたがよくお分かりではないか?」
武官は言って、床に紙の束を放った。それはナナクサとゾラがやりとりしていた、将棋の勝負譜だった。
「なるほど」
ナナクサはうなずいた。
「私が、例の間諜の男と文通していたからですね。ですが、その件は包み隠すことなく陛下や皇太子殿下、将軍たちをはじめ同盟会議に出席している皆様にお伝えしました。手紙の内容もすべてご覧いただき、私がこの国の情報を漏らしていないこと、手紙がただの将棋の勝負に過ぎないことを確認していただきました」
「だが、あの男はあなたの寝所に忍び込んだことがあったはずだ」
その言葉に、ナナクサはまなじりをつり上げる。だが事実、ゾラはナナクサの宮に忍んできたことがあった。否定はできず、ナナクサはやむなく沈黙を選ぶ。武官の言葉に含みがあることに気づいたとしても。
「それ以上、我が妹を貶めることは許さぬ」
タケルヒコは静かに、しかし決然と言った。
「一の姫が個人的にあの男と会ったことがあるにせよ、すでに身の潔白の証明は済んでいる。今更なぜ反逆の疑いをかけられることになるのか」
「言うまでもないことです」
武官は呆れたように首を振った。
「姫というものは、一度許されれば、自分は特別なものだと錯覚し、同じ過ちを再び繰り返すものです」
ナナクサは顔色を失った。あまりにもひどい侮辱を受けたことを、もはや理解することすら拒絶していた。
「そなたには、宮中に仕える者が備えるべき良識というものが欠如している。暴言にも過ぎよう」
タケルヒコは妹の肩を支えながら言った。その額には青筋が立っている。温厚な皇太子がここまで怒りをあらわにするのはめったにないことであった。
「そなたの言葉は、ただ女人を差別的に侮辱したに過ぎぬ。なぜ明確な証拠を提示しない」
「証拠ならありますとも」
武官は得意げに言った。
「イルファン大公国が例の間諜を捕らえ、尋問した調書が、先ほどもたらされたのですよ」
「なに」
「皇太子殿下、並びに一の姫殿下」
ご同行いただきます、と武官は有無を言わさぬ語調で告げた。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。
くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」
「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」
いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。
「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と……
私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。
「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」
「はい、お父様、お母様」
「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」
「……はい」
「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」
「はい、わかりました」
パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、
兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。
誰も私の言葉を聞いてくれない。
誰も私を見てくれない。
そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。
ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。
「……なんか、馬鹿みたいだわ!」
もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる!
ふるゆわ設定です。
※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい!
※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ!
追加文
番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
【完結】生贄になった婚約者と間に合わなかった王子
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
フィーは第二王子レイフの婚約者である。
しかし、仲が良かったのも今は昔。
レイフはフィーとのお茶会をすっぽかすようになり、夜会にエスコートしてくれたのはデビューの時だけだった。
いつしか、レイフはフィーに嫌われていると噂がながれるようになった。
それでも、フィーは信じていた。
レイフは魔法の研究に熱心なだけだと。
しかし、ある夜会で研究室の同僚をエスコートしている姿を見てこころが折れてしまう。
そして、フィーは国守樹の乙女になることを決意する。
国守樹の乙女、それは樹に喰らわれる生贄だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる