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第三章 公子の登城
第11話
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イルファン大公国の第二公子、ユウジュンが朱瑠の地に足を踏み入れたとき、その豊かな緑に大層驚いたものだった。肥沃な土地に広がる広大な田畑、穏やかな河川、のんびりとおおらかな民たち。
「なんて恵まれている国なんだ」
正直なところ、羨ましい。
彼の祖国は朱瑠の西側に国境を接していたが、気候や環境はひどくかけ離れていた。まず国土の半分以上が荒野。農業は栄えず、女たちが家畜を飼い、男たちは傭兵として出稼ぎに出る。武人の国であり、ユウジュンの父、イルファン大公も生粋の武人であった。
その国もまた、北を北方大平原に接している。朱瑠と違い、国境を隔てているのは人の手で造られた長大な壁である。これを大北壁と呼ぶ。
古代から増築と修繕を繰り返されてきたこの砦は、大公国が北の異民族の侵入に憂いてきたことを示す遺構でもあった。
また堅牢な石造り建築が大半を占める大公国と違い、開放的な木造造りや、優美な漆喰の建物は、見ているだけで心が浮き立ってくる。
銀の谷襲撃から三年が経っていた。襲撃のあと、すぐさま帝都に召喚された嗎吧姈族首領、北原将軍鞍打柔志の使者は、親書を読み上げ、「かの暴行は螞弖仆族なる新興勢力によるものであり、我々は関知していない」と釈明した。
むしろ、嗎吧姈族も彼らに家畜や家族たちを略奪されており、同じく甚大な被害を受けているとも言った。さらに、略奪は平原の慣習ゆえ仕方のないことであるが、やられたらやり返すのもまた流儀である。朱瑠が嗎吧姈への支援を約束するならば、螞弖仆の軍営を襲撃してもよい、と。
北原将軍は平原の覇者である。その兵力が螞弖仆族のそれに劣るはずもないが、朱瑠が北の防衛に弱いことを知っていて、条件を飲むことを見越してのことであろう。
このようなやりとりが既に三年続いている。朱瑠は、嗎吧姈に作物や資源を融通することで、螞弖仆や螞弖仆に迎合する勢力の鎮圧にあたらせた。今や平原はあらゆる氏族が活性化しており、北方に対する不安感が御所を覆っている。
健康に翳りが見え始めた帝に代わって陣頭指揮をとっている皇太子タケルヒコも、厳しい状況を強いられていた。
また、北方の防衛において朱瑠と協力関係にあるイルファン大公国も、朱瑠と嗎吧姈族の対螞弖仆同盟に、途中から合流していた。
このたび一度本国に帰還した大公国の使者が、再び帝都に赴くこととなり、第二公子であるユウジュンが遊学と称して同行している。
これはあくまでも建前である。実際は、帝国の内情に深く関わる以上、大公国とて人質を送らないわけにはいかなかったのだ。引き換えに、大公国へは四番目の皇子が送られている。あちらもイルファン領に入った頃だろう。
「あれがミハラ台地か、王城があるという」
ユウジュンは片手を目の上にかざした。もう片方の手は馬の手綱を握っている。
イルファンでは王侯貴族であっても牛車の類いは使用せず、ほとんどの場合、騎乗をもって移動手段とする。
ユウジュンの愛馬は黒鹿毛で、長距離の移動にも耐える丈夫な馬だ。かつて大北壁の向こうの民から譲り受けた仔馬を、彼自身が育てたのだ。
イルファンと北方大平原の間には、常に交流がある。風向きによって勢力図が変わる平原の民と、傭兵業に従事するイルファンの民は、気質の上ではとてもよく似ていた。壁で隔てられているとはいえ、商人の行き来も盛んであった。
ユウジュンは片側の口角を上げる。
「たしかに、あんな高いところで下を見下ろしながら暮らしていれば、神の子孫だなどと名乗りもするだろうよ」
「殿下」
同行の使者にたしなめられ、ユウジュンは軽く肩をすくめながら言った。
「自分は他とは違うんだとふんぞり返っているような奴らは好きじゃない。あの仰々しい台地を見たら、いかにこの国が豊かとはいえ、今にも出奔したくなってきた。砦にいる兄上が羨ましい。なんで俺なんだ。兄上はこういうの好きだろう。都会的で派手なのが」
「そんなことおっしゃってたら、大公様に叱られますよ。せめて謁見のときは大公家の男らしく、質実剛健に、ちゃんとしてくださいね」
言われるまでもないことだ、とユウジュンは鼻息を荒くした。
「だが、この国の者が陰でイルファンをなんと呼んでいるか知っているか? 圦蕃だぞ圦蕃。実に失礼千万な話だ」
「存じておりますとも」
使者は穏やかに言う。
「イルファンだけではございません。バディブリヤを螞弖仆、マハリリヤを嗎吧姈、北原将軍アンダム・ジュスルは鞍打柔志。この国の者は、他者を自らの文字に当てはめるときに、どうしても蔑字を使いがちですからな。志の柔い将軍とはまあ、恐れ入りますねぇ。少なくとも我々は、個人の名は声字で表記されるからまだ良いようなもの」
朱瑠の文字には、声字と真字の二種があり、それぞれ音節文字、表意文字となっている。通常、これらを組み合わせることで文を為す。
「皇族の名前は、そのためだけに真字で文字を作るそうですよ。そして御所の奥深くに隠してあるとか。真の名を知られることは魂を握られることを意味するそうで」
「名のあるものは形をなし、調伏できる、ということか……。まるで妖怪だな。イルファンでも疫病をあやかしとして名付け、その猛威を鎮める祭りがあるだろう。それと似ていると思わないか」
「ええ、まあ、そういうことでしょうかね」
使者は苦笑いである。
台地のふもとに着くと、迎えの文官が待っていた。文官はここで馬を下りるように言う。
「輿を用意してございます」
言われて示されたほうを見やると、なるほど金に螺鈿の瀟洒な輿がある。しかもその周りには女官たちが控え、手には日傘や花かごを抱えているではないか。
ユウジュンは顔をひきつらせた。まるで姫君を出迎えるような接待ぶりだ。
乗るのか、これに。
使者が目で促してくる。ユウジュンは葛藤する。
「いや」
公子は首を振った。
「せっかくのご厚意だが、遠慮させていただこう。こたび私はただ勉学のために貴国に邪魔しているだけだ。こんな国賓のような扱いを受けるのは、僭越にすぎましょう」
なよなよした輿に尻を置くくらいなら、驢馬にでもまたがったほうがましである、というのが本心であった。
うまく断ってやったぞ、と思い横目で使者を見ると、かすかにため息をついている。質実剛健にと言ったのはそちらなのだから、文句を言われる筋合いはない、とユウジュンは思った。
文官はやや困った様子で承諾した。ただ、台地の坂は勾配がきついので、御所に登る途中で疲れたら遠慮なく申し出て欲しいと言ってきた。ユウジュンはますます輿に乗る気をなくした。
運ぶ者たちも大変だろうに。ユウジュンは徒歩で坂を上りながら、後ろをついてくる輿丁たちを振り返った。仕事のなくなった彼らは、やや手持ち無沙汰気味だったが、ほっとしているようにも見えた。この台地を上から下まで往復するのは、相当な骨折りであろう。
愛馬のハジュが満足げに鼻を鳴らした。この馬にとっては、主人が得体の知れない乗り物で運ばれるのは気にくわないことらしい。ユウジュンはハジュの首筋をぽんぽんと叩いてやった。忠誠心の厚い良馬である。
御所にたどり着いた頃には、流石のユウジュンも息が上がっていた。だがそれ以上に、目の前に広がる伽藍の壮麗さに圧倒されぬわけにはいかなかった。
雪のごとき漆喰の壁に、鮮やかな弁柄塗りの柱。屋根を覆う甍は銀黒である。
そこへ一人の少女が通りかかった。
文官が「六の姫殿下」と膝をつくところを見ると、かの「六の姫の偉業」で有名なユズリハ姫であろう。あの地震を鎮めたとかいう。
ユウジュンはまばたきした。話には聞いていたが、まさかこれほどの美貌の持ち主とは。先ほどまでの御所に対する感動は一気に吹き飛び、公子の視線は六の姫に釘付けになった。
「まあ」
姫は一行に気付くと、目を丸くした。
「お早いお着きでしたこと。イルファン大公国のユウジュン殿下」
姫はしとやかに頭を下げる。彼女の手には小さな壺があった。
「ああ、これは」
姫ははにかんだ。
「姉が飼っているミツバチの蜜ですの。あいにく姉は身体が弱く、今では私が世話をしております。……良かったら、おひと口いかが?」
姫が小匙で金色の蜜をすくい、ユウジュンに差し出した。まるで可憐な白百合が、みずからの蜜を差し出しているようだ……。
ユウジュンは匙を受け取って口に含んだ。蜜がねっとりと舌にからみ、甘ったるい味が口の中に広がる。同時に花の香気が鼻孔をくすぐった。
「……こんなに美味な蜜は初めてです」
ユウジュンはかろうじてそれだけ言った。彼にしてはらしくなく緊張している。
「それはようございました。御所には様々な花が咲いておりますので、ハチたちのおかげで蜜もふくよかな味になります。疲労回復に効くそうなので、あとでひと壺お届けしますわ。長旅でしたものね」
姫はにこやかに言った。その黒檀のような瞳に、ユウジュンは引き込まれそうになるのを感じた。思わず触れてみたくなるのを、公子としての矜持でぐっとこらえる。
「早速、陛下に謁見をしたいのですが」
「勿論ですわ。ご案内いたします。どうぞ、こちらに」
一行は北斗宮に案内される。
皇帝は、玉座の上で待ち受けていた。
「ようこそお越しくださった、イルファン大公国第二公子、ユウジュン殿」
まず、帝のほうから声をかける。ユウジュンらイルファン大公国一行は床に膝をついて、その挨拶をうけた。
「お初にお目もじつかまつります、陛下。こたび私の逗留をお許しくださった寛大なお心遣い、感謝申し上げます」
ユウジュンは顔をあげ、まっすぐに朱瑠の皇帝の顔を見る。父であるイルファン大公よりも面長で、すっと通った鼻筋と高い頬骨が表情を厳しく見せている。気難しいというよりも、石像のように堅く落ち着いた印象だ。だが声の調子は意外にも柔らかい。
「台地ではゆるりと過ごされるがよろしかろう。滞在の間、六の姫がお世話申し上げるゆえ、なんなりと申しつけられよ」
その言葉に胃の腑がふわっと舞い上がった。恐れ多いような、面映ゆいような――六の姫に対してそうならない者などいるのだろうか?
ユウジュンの朱瑠滞在は、花の間を飛び回るミツバチのように落ち着かないものとなりそうだった。
「なんて恵まれている国なんだ」
正直なところ、羨ましい。
彼の祖国は朱瑠の西側に国境を接していたが、気候や環境はひどくかけ離れていた。まず国土の半分以上が荒野。農業は栄えず、女たちが家畜を飼い、男たちは傭兵として出稼ぎに出る。武人の国であり、ユウジュンの父、イルファン大公も生粋の武人であった。
その国もまた、北を北方大平原に接している。朱瑠と違い、国境を隔てているのは人の手で造られた長大な壁である。これを大北壁と呼ぶ。
古代から増築と修繕を繰り返されてきたこの砦は、大公国が北の異民族の侵入に憂いてきたことを示す遺構でもあった。
また堅牢な石造り建築が大半を占める大公国と違い、開放的な木造造りや、優美な漆喰の建物は、見ているだけで心が浮き立ってくる。
銀の谷襲撃から三年が経っていた。襲撃のあと、すぐさま帝都に召喚された嗎吧姈族首領、北原将軍鞍打柔志の使者は、親書を読み上げ、「かの暴行は螞弖仆族なる新興勢力によるものであり、我々は関知していない」と釈明した。
むしろ、嗎吧姈族も彼らに家畜や家族たちを略奪されており、同じく甚大な被害を受けているとも言った。さらに、略奪は平原の慣習ゆえ仕方のないことであるが、やられたらやり返すのもまた流儀である。朱瑠が嗎吧姈への支援を約束するならば、螞弖仆の軍営を襲撃してもよい、と。
北原将軍は平原の覇者である。その兵力が螞弖仆族のそれに劣るはずもないが、朱瑠が北の防衛に弱いことを知っていて、条件を飲むことを見越してのことであろう。
このようなやりとりが既に三年続いている。朱瑠は、嗎吧姈に作物や資源を融通することで、螞弖仆や螞弖仆に迎合する勢力の鎮圧にあたらせた。今や平原はあらゆる氏族が活性化しており、北方に対する不安感が御所を覆っている。
健康に翳りが見え始めた帝に代わって陣頭指揮をとっている皇太子タケルヒコも、厳しい状況を強いられていた。
また、北方の防衛において朱瑠と協力関係にあるイルファン大公国も、朱瑠と嗎吧姈族の対螞弖仆同盟に、途中から合流していた。
このたび一度本国に帰還した大公国の使者が、再び帝都に赴くこととなり、第二公子であるユウジュンが遊学と称して同行している。
これはあくまでも建前である。実際は、帝国の内情に深く関わる以上、大公国とて人質を送らないわけにはいかなかったのだ。引き換えに、大公国へは四番目の皇子が送られている。あちらもイルファン領に入った頃だろう。
「あれがミハラ台地か、王城があるという」
ユウジュンは片手を目の上にかざした。もう片方の手は馬の手綱を握っている。
イルファンでは王侯貴族であっても牛車の類いは使用せず、ほとんどの場合、騎乗をもって移動手段とする。
ユウジュンの愛馬は黒鹿毛で、長距離の移動にも耐える丈夫な馬だ。かつて大北壁の向こうの民から譲り受けた仔馬を、彼自身が育てたのだ。
イルファンと北方大平原の間には、常に交流がある。風向きによって勢力図が変わる平原の民と、傭兵業に従事するイルファンの民は、気質の上ではとてもよく似ていた。壁で隔てられているとはいえ、商人の行き来も盛んであった。
ユウジュンは片側の口角を上げる。
「たしかに、あんな高いところで下を見下ろしながら暮らしていれば、神の子孫だなどと名乗りもするだろうよ」
「殿下」
同行の使者にたしなめられ、ユウジュンは軽く肩をすくめながら言った。
「自分は他とは違うんだとふんぞり返っているような奴らは好きじゃない。あの仰々しい台地を見たら、いかにこの国が豊かとはいえ、今にも出奔したくなってきた。砦にいる兄上が羨ましい。なんで俺なんだ。兄上はこういうの好きだろう。都会的で派手なのが」
「そんなことおっしゃってたら、大公様に叱られますよ。せめて謁見のときは大公家の男らしく、質実剛健に、ちゃんとしてくださいね」
言われるまでもないことだ、とユウジュンは鼻息を荒くした。
「だが、この国の者が陰でイルファンをなんと呼んでいるか知っているか? 圦蕃だぞ圦蕃。実に失礼千万な話だ」
「存じておりますとも」
使者は穏やかに言う。
「イルファンだけではございません。バディブリヤを螞弖仆、マハリリヤを嗎吧姈、北原将軍アンダム・ジュスルは鞍打柔志。この国の者は、他者を自らの文字に当てはめるときに、どうしても蔑字を使いがちですからな。志の柔い将軍とはまあ、恐れ入りますねぇ。少なくとも我々は、個人の名は声字で表記されるからまだ良いようなもの」
朱瑠の文字には、声字と真字の二種があり、それぞれ音節文字、表意文字となっている。通常、これらを組み合わせることで文を為す。
「皇族の名前は、そのためだけに真字で文字を作るそうですよ。そして御所の奥深くに隠してあるとか。真の名を知られることは魂を握られることを意味するそうで」
「名のあるものは形をなし、調伏できる、ということか……。まるで妖怪だな。イルファンでも疫病をあやかしとして名付け、その猛威を鎮める祭りがあるだろう。それと似ていると思わないか」
「ええ、まあ、そういうことでしょうかね」
使者は苦笑いである。
台地のふもとに着くと、迎えの文官が待っていた。文官はここで馬を下りるように言う。
「輿を用意してございます」
言われて示されたほうを見やると、なるほど金に螺鈿の瀟洒な輿がある。しかもその周りには女官たちが控え、手には日傘や花かごを抱えているではないか。
ユウジュンは顔をひきつらせた。まるで姫君を出迎えるような接待ぶりだ。
乗るのか、これに。
使者が目で促してくる。ユウジュンは葛藤する。
「いや」
公子は首を振った。
「せっかくのご厚意だが、遠慮させていただこう。こたび私はただ勉学のために貴国に邪魔しているだけだ。こんな国賓のような扱いを受けるのは、僭越にすぎましょう」
なよなよした輿に尻を置くくらいなら、驢馬にでもまたがったほうがましである、というのが本心であった。
うまく断ってやったぞ、と思い横目で使者を見ると、かすかにため息をついている。質実剛健にと言ったのはそちらなのだから、文句を言われる筋合いはない、とユウジュンは思った。
文官はやや困った様子で承諾した。ただ、台地の坂は勾配がきついので、御所に登る途中で疲れたら遠慮なく申し出て欲しいと言ってきた。ユウジュンはますます輿に乗る気をなくした。
運ぶ者たちも大変だろうに。ユウジュンは徒歩で坂を上りながら、後ろをついてくる輿丁たちを振り返った。仕事のなくなった彼らは、やや手持ち無沙汰気味だったが、ほっとしているようにも見えた。この台地を上から下まで往復するのは、相当な骨折りであろう。
愛馬のハジュが満足げに鼻を鳴らした。この馬にとっては、主人が得体の知れない乗り物で運ばれるのは気にくわないことらしい。ユウジュンはハジュの首筋をぽんぽんと叩いてやった。忠誠心の厚い良馬である。
御所にたどり着いた頃には、流石のユウジュンも息が上がっていた。だがそれ以上に、目の前に広がる伽藍の壮麗さに圧倒されぬわけにはいかなかった。
雪のごとき漆喰の壁に、鮮やかな弁柄塗りの柱。屋根を覆う甍は銀黒である。
そこへ一人の少女が通りかかった。
文官が「六の姫殿下」と膝をつくところを見ると、かの「六の姫の偉業」で有名なユズリハ姫であろう。あの地震を鎮めたとかいう。
ユウジュンはまばたきした。話には聞いていたが、まさかこれほどの美貌の持ち主とは。先ほどまでの御所に対する感動は一気に吹き飛び、公子の視線は六の姫に釘付けになった。
「まあ」
姫は一行に気付くと、目を丸くした。
「お早いお着きでしたこと。イルファン大公国のユウジュン殿下」
姫はしとやかに頭を下げる。彼女の手には小さな壺があった。
「ああ、これは」
姫ははにかんだ。
「姉が飼っているミツバチの蜜ですの。あいにく姉は身体が弱く、今では私が世話をしております。……良かったら、おひと口いかが?」
姫が小匙で金色の蜜をすくい、ユウジュンに差し出した。まるで可憐な白百合が、みずからの蜜を差し出しているようだ……。
ユウジュンは匙を受け取って口に含んだ。蜜がねっとりと舌にからみ、甘ったるい味が口の中に広がる。同時に花の香気が鼻孔をくすぐった。
「……こんなに美味な蜜は初めてです」
ユウジュンはかろうじてそれだけ言った。彼にしてはらしくなく緊張している。
「それはようございました。御所には様々な花が咲いておりますので、ハチたちのおかげで蜜もふくよかな味になります。疲労回復に効くそうなので、あとでひと壺お届けしますわ。長旅でしたものね」
姫はにこやかに言った。その黒檀のような瞳に、ユウジュンは引き込まれそうになるのを感じた。思わず触れてみたくなるのを、公子としての矜持でぐっとこらえる。
「早速、陛下に謁見をしたいのですが」
「勿論ですわ。ご案内いたします。どうぞ、こちらに」
一行は北斗宮に案内される。
皇帝は、玉座の上で待ち受けていた。
「ようこそお越しくださった、イルファン大公国第二公子、ユウジュン殿」
まず、帝のほうから声をかける。ユウジュンらイルファン大公国一行は床に膝をついて、その挨拶をうけた。
「お初にお目もじつかまつります、陛下。こたび私の逗留をお許しくださった寛大なお心遣い、感謝申し上げます」
ユウジュンは顔をあげ、まっすぐに朱瑠の皇帝の顔を見る。父であるイルファン大公よりも面長で、すっと通った鼻筋と高い頬骨が表情を厳しく見せている。気難しいというよりも、石像のように堅く落ち着いた印象だ。だが声の調子は意外にも柔らかい。
「台地ではゆるりと過ごされるがよろしかろう。滞在の間、六の姫がお世話申し上げるゆえ、なんなりと申しつけられよ」
その言葉に胃の腑がふわっと舞い上がった。恐れ多いような、面映ゆいような――六の姫に対してそうならない者などいるのだろうか?
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