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3話

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「……つまり、なんだ、この時代の人間は、母体からの出産ではなく、工場で生産されることで誕生するということか」

 ステラの手に包帯を巻きながら、アダムが言った。

「そうだけど、そんなに驚くことなの? 母体ってなに?」
「で、人体は約30年で耐用年数が過ぎるので、工場で人間をリサイクルし、新たな人間を作る……と」
「ええ。それがいわゆる〝オレンジ型循環〟なの。私も寿命が来たら工場に行ってリサイクルしてもらうのよ。死ぬ前にそうしないといけないの。死んだら〝生命の樹〟に全て持って行かれて、人体の材料が減っちゃうものね」
「何もかもが狂っている……としか思えない」
「そんなに変かしら。ねえ、私の質問に答えてないわよ。母体ってなに?」

 アダムは、あくまでも無邪気なステラをじっと見ると、やがて諦めたようにぽつぽつと語った。

「俺の時代では、人間は生殖によって増える。父親と母親ってのがいるんだ。母体は母親のことだ。父親と母親がいないと、人間は生まれない」
「ふーん。どうして父親と母親がいると、人間が生まれるの? 二人はなにをするの?」
「……」

 アダムが答えてくれなさそうなので、ステラは質問を変えた。

「どうして私の血を見て驚いたの?」

 するとアダムはナイフを拭い、自分の手の甲にその刃を軽く押し当てた。
 ぷつ、と切れた皮膚からにじみ出す血液の色は、赤。
 ステラは瞠目した。

「血が、赤い……!」
「これが人間の、本来の血の色だ」

 鮮やかな赤が、ステラの網膜を刺激する。

「綺麗。まるで宝石みたいね」
「もういいか」
「もうちょっと」

 ステラが満足するまで、アダムは血を見せてやる羽目になった。

「俺の知る人類が、もうこの世界にいないことは分かった」

 アダムがぽつりと言った。

「それでも俺は使命を果たす」
「なぜ?」
「あの樹は、あらゆる物質を吸収し、有害物質を放出する。そして驚くことに、あれは〝時間〟さえも吸収している。あの樹は地球に寄生して以来、あらゆる時間にまたがって同時に存在している。つまり、未来で樹を殺せば、過去からも消滅する。カプセルの解析装置が2000年もかけて導き出した理論だ」
「ふうん。よく分からないけれど、あなたが色々お話してくれるのは嬉しいわ」
「……2000年間も寝てたからな。記憶障害が出ていないか確認しているだけだ」

 ステラは膝の上で頬杖をついた。

「それで、どうやって〝生命の樹〟を消滅させるの?」

 アダムは虚空を見つめ、ふっと笑みをこぼす。達成不可能──少なくとも現時点ではそうとしか思えない──な目標を前にして、途方に暮れた人間の笑みだった。もっともその表情はマスクに隠れていたが。

「樹に、〝死の概念〟を吸収させる。そうすれば、あれは死ぬ」


 それからというもの、アダムはカプセルから持ち出した道具を使って、ひたすら〝生命の樹〟の調査に打ち込んだ。ステラはそれをそばで見ていた。彼女は調査の役には立たなかったし、食事のたびにアダムの手を煩わせたが、彼がステラをそばに置いているのは、彼も話し相手を必要としたからかもしれない。



 ※アダムのレコーダーより一部音声を抜粋

『〝生命の樹〟に〝死の概念〟を吸収させる方法が分からない。2000年前と変わらず、生物の死体が物質として判定されることは確認済み。死体の吸収は手法として不適切』

『ステラが、人間同士の〝愛〟の感情について興味を示した。以前、父親と母親の話をしたからだろう』

『俺の身体が有害物質の影響を受け始めている。直近三日間で嘔吐二回、また粘膜からの出血あり。もうあまり時間が無い。幸い、ステラには気づかれていない』

『────(雑音)』

『────(雑音)』

『────(雑音)』

『方法が分かった』





「アダム、アダム、ねえ、起きて」

 ステラに揺り起こされ、アダムは目を開けた。もうじき日が昇ろうとしている。

「ねえ、見て……」

 ステラが自分の胸元をはだけさせている。白く柔らかな皮膚が、夜明けの薄明かりの中でぼんやりと光って見えた。
 少女の鎖骨の下、なにか小さなものが生えている。
 アダムがそれに触れてみると、芽だった。






「まさか、子株に寄生されていたなんて……!」

 アダムはステラを抱えて、〝生命の樹〟のもとへと急いでいた。少女の身体から発芽した植物は、どんどん成長していく。

「くそっ」
「ごめんね、アダム……」
「喋るな。じっとしていろ」

〝生命の樹〟は目の前に見えている。その巨体は、二人を飲み込もうとするかのように高くそびえていた。

「ねえ、分かったんでしょ。樹を滅ぼす方法……。教えてよ」

 アダムに抱きかかえられたまま、ステラは弱々しく問う。
〝生命の樹〟の根元に辿り着いた。
ステラの頬に、水滴が落ちる。

「アダム、泣いてるの……?」
「俺だけならまだ良かった。けど、どうして君まで……」
「ね。泣かないで。私にも教えて」

 ステラは手を伸ばしてアダムの涙を拭おうとした。しかし子株に冒された身体は、すでに言うことをきかなかった。
 アダムの顔には、絶望の表情が浮かんでいた。

「〝生命の樹〟は〝死の概念〟を知らない。だから、誰かが樹の内部で死のプロセスを辿る必要がある。俺の役割は──そういうことだ」
「アダムは、死ぬの?」
「そうだ。だが、それだけじゃだめだ。親株が死んでも、子株が残ったら意味がない。……だから俺は、君を殺さなくてはならない。俺の死が親株を殺し、君の死が子株を殺すからだ」
「そうなのね……」

 ステラはゆっくりと瞬きした。
 アダムに触れているところが暖かい。こうして他者と触れあったことなど、今までなかった。この世界では必要のないものだったからだ。けれど、ああどうして、こんなにも心地よい。

「私も樹の中に連れていってくれるでしょ?」
「……ああ」

 アダムは自身の脚から強化パーツを外し、樹の幹に埋め込んだ。高エネルギーを蓄積したそれは、アダムがスイッチを押すと爆発し、幹に穴を開ける。
 外皮をくぐり抜けると、内部は空洞になっていた。
 だが空っぽではない。そこにはあらゆる物質が粒子となって渦巻いていた。
 二人は渦の中へ足を踏み入れ、樹の中心部へ向かう。

『有害物質が許容量を超えました』

 アダムのマスクから音声が発される。


 永遠と思われる時間を、樹の中心に向かって歩き続ける。
 命の終わりに、彼らは様々なことを話した。
 この世界のこと、過去の世界のこと、アダムのかつての仲間たちのこと。

「不思議な気分だわ。……私、ちっとも怖くない。それにね、なんだか嬉しい気がするの。遠い過去からやってきて、一人ぼっちで死ぬはずだったあなたのそばにいられるんだもの。アダムは、死ぬのは怖い?」

 アダムは「……いいや」と首を振る。その双眸には穏やかな光が浮かんでいた。優しく、寂しげな光が。

「俺はみんなから、大切な役目を任された。それを果たす為にこの命が要るなら、喜んで差し出す。その覚悟を決めて、俺は2000年前に眠りについたのだから」

 ステラの中で植物が成長するごとに、彼女の身体に激痛が走る。けれど、その痛みの狭間で、泉のように湧き出る感覚がある。
 アダムを送り出して死んでいった人たち。アダムを生きながらえさせ、彼に未来での使命と孤独を与えた人たち。彼が苦しむことを知っていながら、彼がそれに耐えうることも理解していた──彼に最後の望みを託した人たち。彼らはアダムを愛していた。

 愛。

 アダムが言った。少し震えた声で。

「俺は幸せだ。やっとみんなの願いを遂げられる」

 彼は、かつての仲間たちを愛している。
 愛が彼を動かした。
 愛ゆえに、彼は孤独と苦しみを受け入れた。

 ステラはささやく。

「ねぇ、アダム……。あなたって素敵な人よ。あなたを送り出した人たちも、きっと素敵だったのね。でもね、私思うの。あなたの苦しみは、どこで癒やされるんだろうって。私、今なら分かるわ。あなたは傷だらけなんだって。あなたに全てを託した人たちの愛が、あなたを強くしたのと同時に、これ以上ないくらい、あなたを傷つけたんだわ」

 ステラを抱えるアダムの腕に力がこもる。
 少女は微笑んだ。

「あなたが私を抱きしめてる。私嬉しい」
 最期に彼を孤独にさせなかったことが。




 ここが〝生命の樹〟の中心。
 
 アダムがマスクを外した。
 ステラはにっこりと顔をほころばせた。彼の顔をまともに見られたのは、これが初めてだ。
 少女の掠れた声が、アダムに問うた。

「アダム、あなたの時代では、〝愛〟ってどうやって伝えるの?」

 アダムが静かにステラを抱き寄せた。頬をすりあわせ、ステラの髪に指を差し入れて愛おしむように撫でる。彼の吐息が耳元にかかってくすぐったい。彼女が笑うと、彼は指先で少女の唇に触れた。

「ね。教えて」

 ステラがそう言うと、アダムは彼女の唇に口づけた。
 同時に、少女の細い身体にナイフが差し込まれる。
 温かな、オレンジ色の液体が流れ出ていく。
 ステラの体温はどんどん失われていく。
 その熱を捕まえようとするかのように、アダムが強く彼女を抱きしめた。
 少女に寄生した樹は、みるみる枯れていった。宿主の命が消えていくのを示すかのように。

『有害物質が致死量に達しました』

 マスクが無機質な声で告げた。





〝生命の樹〟は消滅した。

 地球上のあらゆる時代、あらゆる時間、あらゆる瞬間から──





 西暦2753年。

「我らがヒーロー、アダム! 今回も見事な活躍を見せ、立てこもり犯を確保しました!」

 リポーターが興奮気味に、テレビカメラの前で話している。
 拍手喝采を贈る群衆。手作りのヒーロー衣装を着た子どもたちが、アダムの姿をひと目見ようと、広場に駆けつける。
 警察に犯罪者を引き渡すヒーローの姿があった。その彼が、ぴたりと動きを止める。

「どうしました? アダムさん」

 警察官が首をかしげてアダムを見る。

「……いや」

 アダムは目線を上げ、空を見上げた。
 青空は美しく晴れ渡っている。
 そこには〝生命の樹〟の枝が影を作っていることもなく。
 なぜなら、〝生命の樹〟など、はじめから存在していなかったのだから。

 ここは、かつて彼がヒーローとして活躍していた時代。

〝生命の樹〟が大量の物質とともに吸収していたあらゆる時間。
 アダムとステラが死を迎えた瞬間に、樹の内部に溜め込まれていたそれらが放出された。

 その結果、アダムは過去へと転移した。


 見上げていた空に、黒い小さな点が生じる。
 アダムは二度瞬き、はっと瞠目すると、その場で上空へと飛び上がった。

「おーっと、ヒーローが空に向かいました! むむっ、あれはなんだ? 空から何かが降って……少女! 少女だ! なぜ空から少女が? あっ! ヒーロー、見事に受け止めた! ヒーロー・アダム! 本日二度目の大活躍──」





                                   終

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