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壱
⒎動き出す流れ
しおりを挟む「大丈夫か、ドナ」
イオは包帯の巻かれた腕を見て尋ねた。
「ああ。油断したよ」
忌々しげに薬をあおって、ドナはふうと大きなため息をついた。自分はかすり傷とはいえ、部下達の受けた痛手は大きい。
「あれが目当ての仕事じゃなかったからね。普通の装備で行ったら、重要人物とやらが乗ってたのさ」
政府お抱えの銀行の中でもわりあい小さなところが現金を運んでいると聞きつけ、襲ったのだ。ところがそこに統括省の人間が何人かおり、護衛や護衛の魔法使いとも一戦交えている間に空軍が駆けつけてしまった。
「あんたを呼ぶまでもないと思ったのが、甘かったよ」
たいした成果も出せずに敗走することになったが、空軍艦二隻は落としている。メンツの丸つぶれは逃れた。
「まあいいさ。修理代くらいは手に入れてる。だけど、ひとつ解らないモンがあってね」
ドナはテーブルの上に置かれた箱を手に取った。それは細長い一メートルほどの銀の箱だった。六面すべてにびっしりと魔法の文字が刻み込まれ、複雑な模様となっている。彼女にはこれが何かはさっぱり解らなかったが、何となく大事なモノのように思えて運ばせたのだ。
「――統括省が握っていたのか」
ふふ。
と珍しくイオが笑った。
「知ってるのかい?」
「ああ。ここまで完璧に封じられて居なければ、もっと早くに気づいたはずだ」
イオはゆっくりと箱の表面に指を這わせた。
バチッと鋭い音がして、手が弾かれる。
「三十年以上も行方不明だったのに、今戻ってこようとは」
はっと気づいたように、ドナは箱を見つめた。
「運命の歯車は、回り始めたかも知れない」
愛おしそうに箱を見つめるイオは静かな殺意に満ちていた。
「それ、どうする気だい?」
「中身を取り出すさ」
「開けられるのかい?弾かれてたってのに」
「そうだな。うかつに開けて良いものかもわからないし、まずは調べてみないことには」
にっとイオが微笑んだ。箱に刻まれた文字を読み解くかのように見つめ、ドナを見た。
「あんたがそんなに嬉しそうにしてるのを見るのは久々だね。……まぁ、昔はもっと明るかった気がしたけど」
「長いこと生きてると、感動が薄れてくるからな」
小さく肩をすくめてイオは答えた。心の高揚を感じるのは何年ぶりだろうか。いや、期待感だけで言うならコリンを見た時もそうだった。あの子に会えたのは運命だ。
「そうだ、ドナ。これの代金を払わないと」
話題を変えたかったのか、急にいつもの調子に戻ったイオがそう言った。
「かなり高値になるよ」
「ああ勿論。今回の仕事が損ではなかったと実感できるだけの額は、きちんと払うよ」
どんどん、と乱暴に扉がノックされた。
「お入り」
「失礼します、お頭」
ドナ・バーダルの右腕のシスコがせかせかと入って来た。四十を越えた男盛りで、背は高く真面目そうな顔つきをしていた。頭脳担当の彼と、戦闘担当のグードがドナの副官だった。
「報告しな」
「はい。今回の被害額はかなりのものになりそうです。細かい内訳は省きますが、空軍戦艦一隻分くらいは。さらに死者が八名出ています」
空軍戦艦一隻。
そう聞いてドナの顔がぴくりと歪んだ。億を軽く越える損失だ。それにプラス死者の弔い費用など……。
「やりきれないね。この分じゃあ、英雄を弔う資金にも事欠いちまう。……城の財産で手放せるものを手放すしかないね」
バーダル一家のしきたりでは、空賊の仕事における死者を『英雄』として讃え、遺族にその栄光を讃える報償を出す。普段滅多に死者が出ないこの一家ならではのしきたりだった。たとえ頭の取り分が無くなっても削ることは許されないものだ。
「そうですね。それでも足りるかは――」
城中の家財道具や先祖伝来の品を手放しても足りないかも知れない。遺族報償だけでなく、けが人の治療費や空賊船の補修費もかかる。
「だが、戦果の代金が空軍戦艦二隻分くらいはある」
どこから取り出したのか、イオがどすんと大樽ほどもある袋を二つ置いた。ぎゅうぎゅうに詰められた金貨があふれ出しそうだ。
「こ、これはっ」
「イオ?」
恵んで貰うつもりはないよ。
ギロリと睨むドナの視線を涼しげに受け流し、
「国家機密を買い取るんだ。これでも安いかもしない」
くすり、と微笑んだイオを二人は幽霊でも見たかのように眺めた。
「国家、機密?」
シスコはテーブルの上の箱を見て、イオを見つめた。今回手に入れたものと言えば、この正体不明の箱しかない。
「これは、統括省が隠し持っていた宝だ。もっとも、普通の人間には何の価値もない。私のようなものにとって価値がある」
「魔法使いにとっての宝ってことですか?」
「ああ。この金額で足りるか?足りるなら、そいつを後で部屋に運ばせてくれ」
「弔いには充分です。これなら……」
シスコは手元のノートに色々と書き込み計算を始めた。ページを捲り、書き込みする彼の表情は徐々に明るくなっていく。
「城の蓄えを売り払えば、何とかなりそうです、お頭」
顔を上げたシスコの前には、憮然として腕組みをしたドナしか居なかった。
部屋中に視線を巡らしたが、どこにもイオは居ない。
「気に入らないね」
ぽつり、とドナが呟いた。
「……は?」
このもうけのどこに不満があるというのか。よしんばイオの情けが入っているとしても、バーダル一家にとって有り難い話だ。
「なんで、あの船にこれがあったのか。どうも気に入らない」
それはシスコには解らないし、正直どうでも良いことだった。
「あたしらがあの船を襲う事は、昨日決まったばかりのことだ。こっそり出かけた遊覧船に、空軍関係者の金持ちが何人か乗っているってんで、出かけだだけだよ」
もともとは、今年実戦に出る新人を育てるつもりで、敢えて敷居の低い稼ぎの少ない仕事を選んだ。一家のルールと経験を身につけ、本来の仕事で仕えるようにするためだ。
なのに。
「多くの護衛を引き連れ、高官が乗ってたなんてね」
魔法使いも何人かいた。陸軍経験者もいたはずだ。戦闘のプロとも言える軍人を相手に、久々に本気で戦った。
まだ、血が煮えたぎる感じが消えない。
「何らか目的があったんでしょう。これを運ぶとか」
適当に答えた部下に鋭い視線を投げつけて、ドナは立ち上がった。
「嫌な感じだね。また大きな事件にならなきゃ良いけど」
「大きな?」
シスコに思い当たるのは見習いとして空賊に上がったばかりの、先代の時代のことだ。ある時ぼろぼろに傷ついたドナと、先代副官の姿をした石像が、血まみれのイオの手で城に運び込まれた。
石像は城の奥深くにしまい込まれ、ドナは何日も床についたままだった。そしてイオは先代の頭と長いこと話をしていた。どんな話が交わされたのかは解らなかったが、先代の表情は険しく、苦悩に満ちていた。
石像を運び込んだ時、これが副官本人の呪いを受けた姿だと聞かされ、シスコは恐怖を覚えた。真っ直ぐ前に向けられた眼差しに、さしのべられた手。すぐにも折れて砕けそうな造りだった。
それに反して回復したドナはすごかった。
次代のお頭として励む姿に、尊敬と微かな恋心を抱き必死についてきた。いや、死ぬまでついていくつもりだ。
「イオ様が、何を手に入れられたかが解ればよいのですが」
シスコの言葉にドナは応えなかった。
「金貨を運ばせとくれ」
「はい」
運ばれていく金貨を見ながら、ドナは厳しい眼差しをテーブルの上の箱に向けた。
「気に入らないね」
もう一度、ドナは呟いた。
魔法の勉強は覚えることだらけだった。
「今日から宿題を出します」
先生らしい口調をつくって、ヨセルは大きな本の下から紙切れを一枚出してきた。
「宿題?」
「そうだよ。この紙切れの単語と文を全部覚えてくるんだ」
几帳面な字で丁寧に書かれた三十くらいの単語と文を目にして、思わずうんざりした顔になるコリン。
二回目の魔法授業の時、あまりにも前回の内容を覚えていなかったことが恥ずかしくて、一応簡単な復習をするようになったが、それでも生活の中ではいっぱいいっぱいだった。
「はい」
強ばった顔つきのまま紙を受け取ったコリンに、ヨセルは小さなノートを渡した。
「これに書いて覚えるってやり方もあるし、何回も何回も唱えながら覚えるってやり方もある。他にもいくつかね。自分に合う勉強の方法でやってきてごらん」
「はい」
やらなければいけないことは多い。
気を引き締めてドリスの店まで駆け足で向かう途中、噴水の向こうからマリが走ってくるのが見えた。きつく結ばれた口と真っ直ぐ前を見据える眼差しに声をかけられず、コリンは少し後から着いていった。
町は昨日のバーダル一家の戦いのせいか、なんだか声を潜めるような重苦しさがあり、城では朝から葬式が行われていた。
そういえば、朝、黒服の人たちが大勢城に入ってくるので、イアーゴじいさんはいつになく暗い顔で門を開け閉めしていた。
「何があるの?」
「葬式じゃ。昨日の仕事で亡くなったものがおる。ドナ様が弔いをなさるんじゃ。若者が亡くなった時のやりきれなさは、年寄りのそれとは比べもんにならん」
重く深いため息を吐き、じいさんは門を開けてくれた。
「葬式……」
鉛を飲み込んだような苦しさを感じ、コリンは城を振り返った。
――そうしき。
自分の両親は、葬式をしてない。
その事実に初めて気づき、愕然となった。
「さあ、早う行け」
追い立てるように、じいさんはコリンの背中を押した。よろろっと踏み出したコリンに、じいさんは声をかけた。
「まだ未来のあるものは、自分の未来のために励むんじゃ。人それぞれの事情は、本人にしかどうすることもできん」
やらんといけんことがあるじゃろ。
そう促されて、コリンはふらふらと歩き出した。
ヨセルとアンディの家にどうやって着いたかも覚えていなかった。
あっという間に時間は過ぎ、家から出ると体中の筋肉がきしむ感じが消えなかった。アンディに褒められたような気もするが、なんだかボーとなっていて、夢の中を漂っているかのような気分だった。
今は昼前だというのに町には人通りが少なく、草を燃やしたようないい匂いがあちこちから漂う。
ふと気づいたら、道の向こうをマリが脇目もふらずに進んでいく。
彼女の知り合いも葬式を出したんだろうか。
コリンは声をかける気にならずに、少し後をゆっくりと歩いた。あちこちで悲しみに声を落とした人がひそひそと囁き合い、低い音色の鐘がゆったりと打ち鳴らされる。
大勢の人が亡くなると、街そのものが悲しんでいるかのようだった。
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