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豊潤な郷【21】
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伊吹は、己の感情を悟られぬよう顔を背けて空の樽に手を伸ばした。
「随分と嬉しそうに歩澄の話をするのだな」
恋仲なのだから当然である。しかし、嫌味のような物言いに、伊吹は自己嫌悪した。
澪はその意図に気付いていないのか、「もう少しで会えるかと思うと嬉しいのです。喧嘩をしたままでしたから。ちゃんと謝らねばなりませんね」と眉を下げて微笑んだ。
「……何故喧嘩になったのだ」
「些細なことなのです。……私の体には大きな傷があるのです」
その傷に気付かなかった伊吹は、大きく目を見開いた。畑仕事をする時も、水汲みをする時も、澪は右の袖だけは上げなかった。故に、誰も異様な腕の形に気付いていない。
「その傷はとても醜くて……あまり歩澄様には見られたくなかったのです」
恥じらう澪の姿があまりにも可愛らしく、手を伸ばしてしまいたくなるのをぐっと堪えた。
「潤銘郷には美人の湯と呼ばれる治癒力の高い温泉がありまして。その湯屋に忍びで行ったのです」
「……それで歩澄は怒っているのか?」
「いえ。湯屋に行った事ではなく、歩澄様の重臣にお願いして連れていってもらったのです。落様でいう大和様ですかね……」
「それは……」
伊吹は、自分の身に置き換えて想像してみた。己に隠れて大和と共に湯屋に行っていたことを知った時の事を。そんな些細なことで喧嘩など、子供じみている。つい最近の己なら間違いなくそう言ったであろう。然れど、今己の中に渦巻くのは大和に対する不信感と、嫉妬、不安、独占欲。悲しい程歩澄の気持ちがわかり、澪の味方をしてやれそうにはなかった。
「私が悪いのです。少しでも傷が薄くなればいいだなんて淡い期待を抱いたのですから……。歩澄様に打ち明けてみればよかったと今では後悔しています」
「……その湯の効能は確かなのか?」
「はい。肌はとても滑らかになりますし、色も白くなったように感じます」
「そ、そうか……」
その肌に触れてみたい、そう思った事など悟られぬよう、伊吹は平然を装って水を汲み始めた。
「今度はちゃんと歩澄様と行けたらいいな、と思います」
「だが……そなたは歩澄にその傷を見られたくなかったのだろう?」
「そうですね……見られてはいるのです。ですが、本当に気味が悪いので、歩澄様が気分を害するのではないかと」
「そんな筈はない! 愛しい者の姿がどんなふうであれ、気分を害するなどあるわけがないだろう!」
澪の言葉を遮り、伊吹はつい大きな声を出していた。己なら、澪のどんな姿でも受け入れるのに、そう思ったら自然と言葉が飛び出したのだ。すぐにはっと気が付き、「す、すまない……」と顔を伏せた。
「いえ……重臣の方にも同じ事を言われました。実際にそうだったから歩澄様は怒ってしまわれたのかもしれませんね……。何でも隠し事はよくありませんね」
澪が寂しそうに頬を緩めると、何とも言えぬ愛しい気持ちが込み上げてきた。たった一日共に過ごしただけでこんなにも夢中になるのだ。歩澄はさぞ気が気でないだろうと罪悪感も同時に感じた。
「そうだな……。私が歩澄でも、隠し事などせず何でも頼って欲しいと思うであろうな」
「そうですか……。気を付けます」
「俺も……何かあったらそなたの力になりたい」
伊吹はぽつりとそう言った。それだけならばちは当たらないだろうと思えた。せめて澪の役に立ちたいと思ったのだ。
「私の……ですか?」
一方澪は、何故力添えしてくれるのかわけがわからず首を傾げた。
「随分と嬉しそうに歩澄の話をするのだな」
恋仲なのだから当然である。しかし、嫌味のような物言いに、伊吹は自己嫌悪した。
澪はその意図に気付いていないのか、「もう少しで会えるかと思うと嬉しいのです。喧嘩をしたままでしたから。ちゃんと謝らねばなりませんね」と眉を下げて微笑んだ。
「……何故喧嘩になったのだ」
「些細なことなのです。……私の体には大きな傷があるのです」
その傷に気付かなかった伊吹は、大きく目を見開いた。畑仕事をする時も、水汲みをする時も、澪は右の袖だけは上げなかった。故に、誰も異様な腕の形に気付いていない。
「その傷はとても醜くて……あまり歩澄様には見られたくなかったのです」
恥じらう澪の姿があまりにも可愛らしく、手を伸ばしてしまいたくなるのをぐっと堪えた。
「潤銘郷には美人の湯と呼ばれる治癒力の高い温泉がありまして。その湯屋に忍びで行ったのです」
「……それで歩澄は怒っているのか?」
「いえ。湯屋に行った事ではなく、歩澄様の重臣にお願いして連れていってもらったのです。落様でいう大和様ですかね……」
「それは……」
伊吹は、自分の身に置き換えて想像してみた。己に隠れて大和と共に湯屋に行っていたことを知った時の事を。そんな些細なことで喧嘩など、子供じみている。つい最近の己なら間違いなくそう言ったであろう。然れど、今己の中に渦巻くのは大和に対する不信感と、嫉妬、不安、独占欲。悲しい程歩澄の気持ちがわかり、澪の味方をしてやれそうにはなかった。
「私が悪いのです。少しでも傷が薄くなればいいだなんて淡い期待を抱いたのですから……。歩澄様に打ち明けてみればよかったと今では後悔しています」
「……その湯の効能は確かなのか?」
「はい。肌はとても滑らかになりますし、色も白くなったように感じます」
「そ、そうか……」
その肌に触れてみたい、そう思った事など悟られぬよう、伊吹は平然を装って水を汲み始めた。
「今度はちゃんと歩澄様と行けたらいいな、と思います」
「だが……そなたは歩澄にその傷を見られたくなかったのだろう?」
「そうですね……見られてはいるのです。ですが、本当に気味が悪いので、歩澄様が気分を害するのではないかと」
「そんな筈はない! 愛しい者の姿がどんなふうであれ、気分を害するなどあるわけがないだろう!」
澪の言葉を遮り、伊吹はつい大きな声を出していた。己なら、澪のどんな姿でも受け入れるのに、そう思ったら自然と言葉が飛び出したのだ。すぐにはっと気が付き、「す、すまない……」と顔を伏せた。
「いえ……重臣の方にも同じ事を言われました。実際にそうだったから歩澄様は怒ってしまわれたのかもしれませんね……。何でも隠し事はよくありませんね」
澪が寂しそうに頬を緩めると、何とも言えぬ愛しい気持ちが込み上げてきた。たった一日共に過ごしただけでこんなにも夢中になるのだ。歩澄はさぞ気が気でないだろうと罪悪感も同時に感じた。
「そうだな……。私が歩澄でも、隠し事などせず何でも頼って欲しいと思うであろうな」
「そうですか……。気を付けます」
「俺も……何かあったらそなたの力になりたい」
伊吹はぽつりとそう言った。それだけならばちは当たらないだろうと思えた。せめて澪の役に立ちたいと思ったのだ。
「私の……ですか?」
一方澪は、何故力添えしてくれるのかわけがわからず首を傾げた。
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