77 / 228
赤髪の少女【7】
しおりを挟む
その日の宵、澪は絃の元を訪れていた。歩澄は甘味が好きで、時折持って行くと聞いていたからだ。温泉へ連れていってもらったお礼をしようと思ったが、鍛刀と剣術くらいしか得意なものがない澪。料理も稽古中に九重が拵えていたため、上達しなかった。
そこで、絃に甘味の作り方を教えてもらおうとやって来たのだった。
「自ら持っていくの? へぇ……いつの間にか歩澄様と仲良くなったの?」
「ち、違うよ! 仲良くとかではなくて……ただ、お礼に」
澪が口ごもると、絃はふっと微笑み「歩澄様はね、小豆がお好きなの。今宵は少し冷えるようだし汁粉を持っていってはどうかしら」と提案した。
澪は二つ返事で絃から汁粉の作り方を教わることに納得した。
共に汁粉を作り、暖かい内に歩澄の元へと向かった。今宵評定はないと伺っていたためまだ大広間にいるか不安であったが、中からは灯りが漏れていた。
澪は障子の前に一旦座る。
「……誰だ」
宵とあって警戒しているのか、隔たり一枚の向こう側から歩澄がそう尋ねた。
「澪です」
「……どうかしたのか?」
「甘味をお持ちしました」
「甘味? 入れ」
歩澄の声は、拍子抜けといった具合だった。中に入ると、丁子油の匂いがした。恐らく先程まで刀を手入れしていたのであろう。
澪は汁粉を歩澄に差し出し、「絃さんに作り方を教えていただきました。今日のお礼がしたいと思いまして」と一つほのかに微笑んだ。
その初しい澪の姿に、歩澄の胸はうるさい程音を立てた。
「これを、私に……?」
「はい。歩澄様は小豆がお好きだと聞きました。今宵は少し冷えるようなので、暖かいものがよろしいのではないかと絃さんに薦められました」
「……そうか」
「あ、毒など入っていませんよ?」
澪はキョトンとした顔で歩澄に宣言する。歩澄は口をへの字にし「わかっている。姑息な真似はしないのであろう?」と言いながら、器を持った。
まだ熱い程で、湯気が昇っている。歩澄はそっと口をつける。甘くて上品な味わいであった。絃の味付けは、幼い頃からの歩澄の好みを受け継いでいる。それでいて澪が拵えたというのだ。心が落ち着くような気がした。
「美味いな……」
「本当ですか!?」
「ああ」
「よかったあ……」
そう安堵したように、顔を綻ばせる澪。おぼんを胸元にやり、ぎゅっと両手で抱き締めている。その姿が何とも言えぬ可愛らしさだった。
歩澄は、体温が上昇していくのを己でも感じていた。耳まで赤くなった顔を隠すかのように、器を口元に持っていったまま澪の顔を覗き見した。
澪は嬉しそうに歩澄が食すのを見ている。まるで主人に相手をしてもらいたいと請う犬のようだと歩澄は思った。
歩澄は汁粉を平らげると、器と箸を置いた。そのまま視線を澪に移し、「美味かった。……その、明日も持ってこい」と言った。
澪は一瞬首を傾げたが、「わかりました。では、明日もご用意しますね」そう言って笑った。
翌日から澪は、毎日宵になると甘味を持って歩澄の元を訪れるようになった。誰かのために料理を振る舞うことなど今までなかった。ただ、一度だけ握り飯を美味しいと言ってくれた蒼のことは忘れられずにいた。
こうして歩澄の元へ甘味を運び、ほんの少しだけ笑みを浮かべてくれるようになった。それが嬉しくて澪は毎日欠かさず歩澄の元へと向かったのだった。
「歩澄様、今宵はかすていらというものをお持ちしました。噂では聞いておりましたが、作ったのはもちろんのこと、見るのも初めてでございます」
ある日澪は、そんな事を言ってかすていらを持ってきた。潤銘郷では十数年も前から食されてきた甘味である。異国から入って来たものだが、今となっては誰もが食べたことのある人気の甘味。
澪がじっとそれを見つめているものだから、歩澄はつい笑ってしまった。
歯を見せて笑う姿を、澪は初めて目の当たりにした。緩んだ目元は優しく、くしゃっと笑えば幼く見えた。
澪の心の中にも、とくとくと鼓動を速める何かが存在し始めていた。
「そ、そんなに笑わなくてもいいではないですか……」
「ははっ、子供のように物欲しそうな顔をするものだからおかしくてな」
「そ、そんな! 物欲しそうなどとはっ!」
澪は顔を真っ赤にさせて否定した。統主の甘味を横取りしようなどと思ったわけではない。ただ、ほんの少し興味があっただけ。そう言いたいのだが、動揺した澪は何の言葉を発せずにいた。
「よい。今宵はお前が食べるといい」
そう言って歩澄は皿を澪に差し出した。
「め、滅相もない! これは歩澄様のために!」
「よいと言っているであろう。私なら毎日とて食せる」
そう言われてしまっては返す言葉もない。澪は、おずおずと歩澄を見上げ「よろしいのですか?」と尋ねた。
「ああ」
歩澄がもう一度頷いたのを確認し、澪はその皿を手に取った。輝くような美しい黄色に、上で存在感を放つ濃い茶色。薄い層が不思議で、楊枝でつつく。切り分けた時とは感触が違う気がした。
恐る恐るそれを口にする。甘くてしっとりとしていた。優しい香りが鼻を抜けていく。いつまでも口いっぱいに広がる味わい。澪は、驚いて言葉を失った。
「美味いか?」
歩澄がそう訪ねると、澪は目を輝かせて「美味しいです! こんなにも美味なものがこの世に存在するなどとは知りませんでした!」そう声を張り上げた。
実に幸せそうな表情で黙々とかすていらを頬張る澪。歩澄は、その姿を見て再び笑みが溢れた。
(甘味一つでここまで喜ぶのか……。匠閃郷の姫は不思議な女だ。しかし、姫でこれだ。他の民は食うものにも困っているのであろうな……)
歩澄は澪の姿に、匠閃郷の貧困についても真剣に考え始めていた。
そこで、絃に甘味の作り方を教えてもらおうとやって来たのだった。
「自ら持っていくの? へぇ……いつの間にか歩澄様と仲良くなったの?」
「ち、違うよ! 仲良くとかではなくて……ただ、お礼に」
澪が口ごもると、絃はふっと微笑み「歩澄様はね、小豆がお好きなの。今宵は少し冷えるようだし汁粉を持っていってはどうかしら」と提案した。
澪は二つ返事で絃から汁粉の作り方を教わることに納得した。
共に汁粉を作り、暖かい内に歩澄の元へと向かった。今宵評定はないと伺っていたためまだ大広間にいるか不安であったが、中からは灯りが漏れていた。
澪は障子の前に一旦座る。
「……誰だ」
宵とあって警戒しているのか、隔たり一枚の向こう側から歩澄がそう尋ねた。
「澪です」
「……どうかしたのか?」
「甘味をお持ちしました」
「甘味? 入れ」
歩澄の声は、拍子抜けといった具合だった。中に入ると、丁子油の匂いがした。恐らく先程まで刀を手入れしていたのであろう。
澪は汁粉を歩澄に差し出し、「絃さんに作り方を教えていただきました。今日のお礼がしたいと思いまして」と一つほのかに微笑んだ。
その初しい澪の姿に、歩澄の胸はうるさい程音を立てた。
「これを、私に……?」
「はい。歩澄様は小豆がお好きだと聞きました。今宵は少し冷えるようなので、暖かいものがよろしいのではないかと絃さんに薦められました」
「……そうか」
「あ、毒など入っていませんよ?」
澪はキョトンとした顔で歩澄に宣言する。歩澄は口をへの字にし「わかっている。姑息な真似はしないのであろう?」と言いながら、器を持った。
まだ熱い程で、湯気が昇っている。歩澄はそっと口をつける。甘くて上品な味わいであった。絃の味付けは、幼い頃からの歩澄の好みを受け継いでいる。それでいて澪が拵えたというのだ。心が落ち着くような気がした。
「美味いな……」
「本当ですか!?」
「ああ」
「よかったあ……」
そう安堵したように、顔を綻ばせる澪。おぼんを胸元にやり、ぎゅっと両手で抱き締めている。その姿が何とも言えぬ可愛らしさだった。
歩澄は、体温が上昇していくのを己でも感じていた。耳まで赤くなった顔を隠すかのように、器を口元に持っていったまま澪の顔を覗き見した。
澪は嬉しそうに歩澄が食すのを見ている。まるで主人に相手をしてもらいたいと請う犬のようだと歩澄は思った。
歩澄は汁粉を平らげると、器と箸を置いた。そのまま視線を澪に移し、「美味かった。……その、明日も持ってこい」と言った。
澪は一瞬首を傾げたが、「わかりました。では、明日もご用意しますね」そう言って笑った。
翌日から澪は、毎日宵になると甘味を持って歩澄の元を訪れるようになった。誰かのために料理を振る舞うことなど今までなかった。ただ、一度だけ握り飯を美味しいと言ってくれた蒼のことは忘れられずにいた。
こうして歩澄の元へ甘味を運び、ほんの少しだけ笑みを浮かべてくれるようになった。それが嬉しくて澪は毎日欠かさず歩澄の元へと向かったのだった。
「歩澄様、今宵はかすていらというものをお持ちしました。噂では聞いておりましたが、作ったのはもちろんのこと、見るのも初めてでございます」
ある日澪は、そんな事を言ってかすていらを持ってきた。潤銘郷では十数年も前から食されてきた甘味である。異国から入って来たものだが、今となっては誰もが食べたことのある人気の甘味。
澪がじっとそれを見つめているものだから、歩澄はつい笑ってしまった。
歯を見せて笑う姿を、澪は初めて目の当たりにした。緩んだ目元は優しく、くしゃっと笑えば幼く見えた。
澪の心の中にも、とくとくと鼓動を速める何かが存在し始めていた。
「そ、そんなに笑わなくてもいいではないですか……」
「ははっ、子供のように物欲しそうな顔をするものだからおかしくてな」
「そ、そんな! 物欲しそうなどとはっ!」
澪は顔を真っ赤にさせて否定した。統主の甘味を横取りしようなどと思ったわけではない。ただ、ほんの少し興味があっただけ。そう言いたいのだが、動揺した澪は何の言葉を発せずにいた。
「よい。今宵はお前が食べるといい」
そう言って歩澄は皿を澪に差し出した。
「め、滅相もない! これは歩澄様のために!」
「よいと言っているであろう。私なら毎日とて食せる」
そう言われてしまっては返す言葉もない。澪は、おずおずと歩澄を見上げ「よろしいのですか?」と尋ねた。
「ああ」
歩澄がもう一度頷いたのを確認し、澪はその皿を手に取った。輝くような美しい黄色に、上で存在感を放つ濃い茶色。薄い層が不思議で、楊枝でつつく。切り分けた時とは感触が違う気がした。
恐る恐るそれを口にする。甘くてしっとりとしていた。優しい香りが鼻を抜けていく。いつまでも口いっぱいに広がる味わい。澪は、驚いて言葉を失った。
「美味いか?」
歩澄がそう訪ねると、澪は目を輝かせて「美味しいです! こんなにも美味なものがこの世に存在するなどとは知りませんでした!」そう声を張り上げた。
実に幸せそうな表情で黙々とかすていらを頬張る澪。歩澄は、その姿を見て再び笑みが溢れた。
(甘味一つでここまで喜ぶのか……。匠閃郷の姫は不思議な女だ。しかし、姫でこれだ。他の民は食うものにも困っているのであろうな……)
歩澄は澪の姿に、匠閃郷の貧困についても真剣に考え始めていた。
0
お気に入りに追加
198
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
虐げられた令嬢、ペネロペの場合
キムラましゅろう
ファンタジー
ペネロペは世に言う虐げられた令嬢だ。
幼い頃に母を亡くし、突然やってきた継母とその後生まれた異母妹にこき使われる毎日。
父は無関心。洋服は使用人と同じくお仕着せしか持っていない。
まぁ元々婚約者はいないから異母妹に横取りされる事はないけれど。
可哀想なペネロペ。でもきっといつか、彼女にもここから救い出してくれる運命の王子様が……なんて現れるわけないし、現れなくてもいいとペネロペは思っていた。何故なら彼女はちっとも困っていなかったから。
1話完結のショートショートです。
虐げられた令嬢達も裏でちゃっかり仕返しをしていて欲しい……
という願望から生まれたお話です。
ゆるゆる設定なのでゆるゆるとお読みいただければ幸いです。
R15は念のため。
私はお母様の奴隷じゃありません。「出てけ」とおっしゃるなら、望み通り出ていきます【完結】
小平ニコ
ファンタジー
主人公レベッカは、幼いころから母親に冷たく当たられ、家庭内の雑務を全て押し付けられてきた。
他の姉妹たちとは明らかに違う、奴隷のような扱いを受けても、いつか母親が自分を愛してくれると信じ、出来得る限りの努力を続けてきたレベッカだったが、16歳の誕生日に突然、公爵の館に奉公に行けと命じられる。
それは『家を出て行け』と言われているのと同じであり、レベッカはショックを受ける。しかし、奉公先の人々は皆優しく、主であるハーヴィン公爵はとても美しい人で、レベッカは彼にとても気に入られる。
友達もでき、忙しいながらも幸せな毎日を送るレベッカ。そんなある日のこと、妹のキャリーがいきなり公爵の館を訪れた。……キャリーは、レベッカに支払われた給料を回収しに来たのだ。
レベッカは、金銭に対する執着などなかったが、あまりにも身勝手で悪辣なキャリーに怒り、彼女を追い返す。それをきっかけに、公爵家の人々も巻き込む形で、レベッカと実家の姉妹たちは争うことになる。
そして、姉妹たちがそれぞれ悪行の報いを受けた後。
レベッカはとうとう、母親と直接対峙するのだった……
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
私も処刑されたことですし、どうか皆さま地獄へ落ちてくださいね。
火野村志紀
恋愛
あなた方が訪れるその時をお待ちしております。
王宮医官長のエステルは、流行り病の特効薬を第四王子に服用させた。すると王子は高熱で苦しみ出し、エステルを含めた王宮医官たちは罪人として投獄されてしまう。
そしてエステルの婚約者であり大臣の息子のブノワは、エステルを口汚く罵り婚約破棄をすると、王女ナデージュとの婚約を果たす。ブノワにとって、優秀すぎるエステルは以前から邪魔な存在だったのだ。
エステルは貴族や平民からも悪女、魔女と罵られながら処刑された。
それがこの国の終わりの始まりだった。
(完結)私は家政婦だったのですか?(全5話)
青空一夏
恋愛
夫の母親を5年介護していた私に子供はいない。お義母様が亡くなってすぐに夫に告げられた言葉は「わたしには6歳になる子供がいるんだよ。だから離婚してくれ」だった。
ありがちなテーマをさくっと書きたくて、短いお話しにしてみました。
さくっと因果応報物語です。ショートショートの全5話。1話ごとの字数には偏りがあります。3話目が多分1番長いかも。
青空異世界のゆるふわ設定ご都合主義です。現代的表現や現代的感覚、現代的機器など出てくる場合あります。貴族がいるヨーロッパ風の社会ですが、作者独自の世界です。
三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! 幼な妻のたった一度の反撃
紫月 由良
恋愛
【書籍化】5月30日発行されました。イラストは天城望先生です。
【本編】十三歳で政略のために婚姻を結んだエミリアは、夫に顧みられない日々を過ごす。夫の好みは肉感的で色香漂う大人の女性。子供のエミリアはお呼びではなかった。ある日、参加した夜会で、夫が愛人に対して、妻を襲わせた上でそれを浮気とし家から追い出すと、楽しそうに言ってるのを聞いてしまう。エミリアは孤児院への慰問や教会への寄付で培った人脈を味方に、婚姻無効を申し立て、夫の非を詳らかにする。従順(見かけだけ)妻の、夫への最初で最後の反撃に出る。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる