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命乞い【10】

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 澪は、母に斬られたとは言わなかった。今まで優しかった母が、自分を斬るはずがない。そう信じたかったからだ。
 
「知らない男が入ってきた」

 澪がそう言ったことで、城内の人間は疑われなかった。しかし、澪付きの家臣が増えた。

 そんな状態の澪とは反対に、伽代は傷を負った澪のもとに憲明が通う姿を見て、今度はもっと傷を増やそうと考えた。

 前回はやり過ぎた。そう考えた伽代は、力を加減し、細かい無数の傷を澪の背中に刻んだ。

「お母様、痛い。……許して」

 泣きながら許しを請う澪に、「怒ってなんていないのよ。澪が傷だらけになると、母様は嬉しいの」そう微笑んで傷を与えた。

 伽代付きの家臣や使用人は、薄々異変に気付いていたが、何も言わなかった。澪を庇えば、自分が犠牲になるかもしれない。統主の正室には逆らえない。そう思って誰もが口をつぐんだ。

 このままでは殺されてしまうかもしれない。そうは思うが、澪は母を手にかけることなどできなかった。
 それでも、殺されるわけにはいかなかった。彼ともう一度会うまでは。

 澪は、朦朧とする意識の中、幼い日を思い出していた。

 初めて城下に降りた日。元々庶民であった母に連れられ、六歳の澪は祖父の元へと遊びに行った。
 右京が産まれたことで気が滅入っていた伽代は、息抜きをするため実家に戻ってきたのだった。

 料理が得意だった伽代は、時に料理人ではなく自らが作った料理を澪に食べさせた。この頃の伽代は、まだ我が子を愛する優しい母親であった。
 料理をしたがった澪に一つだけ教えた料理。それは、伽代が育った村の名物である冬梅草とうばいそうと呼ばれる葉菜類をみじん切りにし、調味料と和えたものを白米に混ぜて作った握り飯だった。
 字の如く、冬にしか育たず微かに梅の実の味がすることからそう呼ばれていた。
 匠閃郷では、この村でしか手に入らない希少なものである。
 たまに実家に戻っては、この冬梅草を持ち帰ってくる母と共によく作った。

 この日も澪は、握り飯を持って出掛けた。城にばかりこもっていては、同じ年の子と遊ぶこともできない。時には身分など忘れて、子供らしく遊ばせてあげたい。そんな伽代の親心であった。

 家臣に澪を見張らせ、それを悟られないよう澪を自由にさせた。
 川のせせらぎにつられて河原へとやってきた澪。川を見たのも初めてであった。太陽を受け、細かい光の粒が水面に散りばめられている。点滅するかのように輝く水が澪を誘っていた。

 感激して、足を入れる。真冬の水に驚き、飛び上がった。思わず泣いてしまい、その場でべそをかいていると「どうかしたのか?」そう声をかけられた。

 年は澪よりも少し上だと思われた。見たことのない少年だったが、澪は同じ年頃の子と遊ぶのは初めてであり、好奇心からかすぐに彼と打ち解けた。

「お前、名前は?」

 そう聞かれ、澪と答えそうになりはっと息を飲む。身分を偽るため、村にいる時は澪と書いてりょうと名乗るようにと母にきつく言われていた。

「りょ、りょう……」

「なんだ、男みたいな名前だな」

「うん……。君は?」

あおい……」

「すごい、ぴったりだね」

「そう?」

 彼はそう言って、困ったように笑った。澪は、このやりとりは思い出せるのに、何がぴったりだったのかは思い出せずにいた。
 
 散々河原を一緒に走り回って遊んだ二人。疲れ果て、河原に仰向けで寝転んだ時、蒼の腹の虫がぐうと音を立てた。

「お腹空いてるの?」

「空いてない!」

 蒼は顔を赤らめて、そっぽ向く。その姿に澪は笑いながら、「おむすび持ってるよ。二つあるから一個ずつしよう」そう提案した。

 蒼は一度断ったものの、差し出された握り飯を前にして、固唾を飲んだ。おずおずとそれを受け取ると、遠慮がちに口に運んだ。

「……美味しい」

 蒼にとっては初めての味だった。歯応えのある茎と、仄かに香る梅の味。そして、芳ばしい香り。何かに似ている気はするが、記憶を辿っても何かが違った。

「美味しい? 嬉しい!」

 身内以外の人間に、何かを褒められるのは初めてであった。満面の笑みを向ける澪を見て、蒼は顔を赤らめた。
 笑顔の美しい少女だと思ったのだ。蒼の眼に映る澪の白い肌は、鮮やかな赤い髪に映えていた。

「あと二日この村にいる。……明日も会えるか?」

「うん!」

 澪は嬉しかった。すぐに蒼に惹かれ、日が沈む頃まで一緒にいた。これが澪の初恋である。
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