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命乞い【8】
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梓月を見送った後、歩澄は「行くぞ」と言って馬を蹴った。澪は、自分の横を数十頭の馬が駆け抜ける中、今度こそ大きなため息をついて、地面を蹴った。足底には砂利の感覚を鮮明に感じた。
(ここで遅れれば、潤銘郷に入れないかもしれない。姿が見えなくなった私に対する嫌がらせとして、匠閃郷の民が酷い目に遭うかもしれないし……。宗方の惨事に民を巻き込むわけにはいかない)
本来統主は、郷の全ての民が安心して生活できるように存在する。その民が、統主のせいで生活を脅かすなどあってはならないことだ。
匠閃郷の統主、宗方憲明の娘である澪は、そこに対する責任を感じていた。
城内には居場所がなかった。実母側の家臣は、澪を殺そうとし、澪に懸賞金がかけられることもあった。
そんな中、庶民として暮らす祖父の九重浬は、優しく澪を迎え入れた。
九重は、元庶民出身である正室、伽代の父親である。つまり、澪の実母の父親に当たる。
伽代は統主、憲明に見初められて正妻へとなったが、きらびやかな城内では伽代をよく思わない家臣も多かった。
そのため、いつも肩身の狭い思いをしてきたのだ。
そんな中、子宝を授かり世継ぎができると伽代を見る周りの目は目に見えて変わった。皆が伽代に気を遣い、敬い、大事にされた。
しかし、産まれてみれば女児。ようやく手に入れた城内の暖かな手は、容易に離れていった。
そんな中、良家の姫が側室としてやって来た。美貌も教養も全て兼ね備えた麗しい姫だった。伽代よりも若く、美しい姫。そして、もともとの身分も憲明に相応しいことから、一時は伽代を持て囃していていた家臣や使用人のほとんどが憲明と側室の琴を祝福していた。
ただの庶民出身の伽代は、いつか捨てられるのではないかと気が気でなかった。
一方、琴の方は出身など関係なく伽代と仲良くしたいとも思っていた。それは、良家の娘としての余裕と恵まれた環境から生まれる感情であった。しかし、それすらも嫌味のように捉えてしまう伽代は、日に日に琴に対する劣等感と嫉妬からくる憎悪を膨らませていく。
憲明を慕っていた伽代は、澪を大事に育てた。良いものを着せ、舞を教え、楽器を教えた。庶民なりに努力して身に付けた賜物だ。
それに感化された家臣や使用人はもちろん存在した。澪のために優秀な講師を雇い、学問を習わせた。
しかし、澪が六歳になった頃、悲劇は起こった。
琴が男児を産んだのだ。これで、世継ぎは男児である右京に決定した。
最悪の展開が幕を開けた。そう思った伽代であったが、どうもがいても自分はたかだか庶民の出。今後はもう細々と暮らしていくしかない。そう、しおらしく、慎ましく生活を送っていた。
そんなある日、澪は高熱を出し寝込んだ。流行り病ではないかと騒がれ、生死をさ迷うこととなった。
憲明は慈悲深く、伽代のこととてしっかりと愛していた。憲明にとっては伽代を蔑ろにしていたつもりもなく、二人平等に接していたつもりだった。
澪のことも、我が子として大切にしており、新しい舞を覚えればそれを披露してもらうのを楽しみにしていた。
そんな我が子が、高熱で苦しんでいる。いたたまれない思いで、憲明は涙を流しながら澪の側を離れなかった。
統主として、世継ぎである右京を気にかけることは当然のことだ。どうしても、澪よりも右京と接する時間の方が多くなってしまった。
それを反省し、寝込む澪との時間を大切にする憲明。しかし、そんな憲明を見て抱いた伽代の感情は、歪んだものであった。
(旦那様が私の元に帰って来て下さった。こんなにも私の澪を想って。この子が寝込んでいれば、旦那様は私と澪の元へと戻ってきてくれる……)
そう考えた伽代の心は、どんどん蝕まれていった。
峠を迎え、すっかり元気を取り戻した澪。二、三歳の頃から跳躍力や体力に優れ、おてんばであった。走り回り、木刀を振り回し、もう少し成長すれば、勝手に木登りをしたり、池を飛び越えたり。
通常の幼子とは違うということを、伽代付きの家臣達は感じ取っていた。
その常識外れの体力が、澪を回復させたのだろう。それに伽代も憲明も大いに喜んだが、憲明の興味はまた右京へと戻っていった。
それから一月が経ち、悪戯好きの澪が誤って毒を舐めてしまった。
体は痺れ、泡を吹いて倒れたのだ。異変に気付いた家臣がすぐに措置をとり、薬師を呼んだことで事なきを得た。
しかし、その時とて憲明は心配そうに澪の側を離れなかった。
その様子を見て、伽代は確信する。澪が体調を崩せば、憲明は必ず澪のところに訪れると。
それを一番信頼していた部屋付きに相談した伽代。
「奥様……さすがにそれでは澪様が危険では……?」
良からぬことを察した部屋付きは、一度は伽代を止めたものの、幼い頃から可愛がってもらった恩義もあるため、彼女に協力することとなった。
伽代も、澪を殺すつもりなどなかった。死なない程度に少しずつ毒を盛り、体調が悪くなったところで薬師を呼ぶ。
その間、暫く毒を盛るのをやめ、回復したらまた毒を盛る。それを繰り返した。
(ここで遅れれば、潤銘郷に入れないかもしれない。姿が見えなくなった私に対する嫌がらせとして、匠閃郷の民が酷い目に遭うかもしれないし……。宗方の惨事に民を巻き込むわけにはいかない)
本来統主は、郷の全ての民が安心して生活できるように存在する。その民が、統主のせいで生活を脅かすなどあってはならないことだ。
匠閃郷の統主、宗方憲明の娘である澪は、そこに対する責任を感じていた。
城内には居場所がなかった。実母側の家臣は、澪を殺そうとし、澪に懸賞金がかけられることもあった。
そんな中、庶民として暮らす祖父の九重浬は、優しく澪を迎え入れた。
九重は、元庶民出身である正室、伽代の父親である。つまり、澪の実母の父親に当たる。
伽代は統主、憲明に見初められて正妻へとなったが、きらびやかな城内では伽代をよく思わない家臣も多かった。
そのため、いつも肩身の狭い思いをしてきたのだ。
そんな中、子宝を授かり世継ぎができると伽代を見る周りの目は目に見えて変わった。皆が伽代に気を遣い、敬い、大事にされた。
しかし、産まれてみれば女児。ようやく手に入れた城内の暖かな手は、容易に離れていった。
そんな中、良家の姫が側室としてやって来た。美貌も教養も全て兼ね備えた麗しい姫だった。伽代よりも若く、美しい姫。そして、もともとの身分も憲明に相応しいことから、一時は伽代を持て囃していていた家臣や使用人のほとんどが憲明と側室の琴を祝福していた。
ただの庶民出身の伽代は、いつか捨てられるのではないかと気が気でなかった。
一方、琴の方は出身など関係なく伽代と仲良くしたいとも思っていた。それは、良家の娘としての余裕と恵まれた環境から生まれる感情であった。しかし、それすらも嫌味のように捉えてしまう伽代は、日に日に琴に対する劣等感と嫉妬からくる憎悪を膨らませていく。
憲明を慕っていた伽代は、澪を大事に育てた。良いものを着せ、舞を教え、楽器を教えた。庶民なりに努力して身に付けた賜物だ。
それに感化された家臣や使用人はもちろん存在した。澪のために優秀な講師を雇い、学問を習わせた。
しかし、澪が六歳になった頃、悲劇は起こった。
琴が男児を産んだのだ。これで、世継ぎは男児である右京に決定した。
最悪の展開が幕を開けた。そう思った伽代であったが、どうもがいても自分はたかだか庶民の出。今後はもう細々と暮らしていくしかない。そう、しおらしく、慎ましく生活を送っていた。
そんなある日、澪は高熱を出し寝込んだ。流行り病ではないかと騒がれ、生死をさ迷うこととなった。
憲明は慈悲深く、伽代のこととてしっかりと愛していた。憲明にとっては伽代を蔑ろにしていたつもりもなく、二人平等に接していたつもりだった。
澪のことも、我が子として大切にしており、新しい舞を覚えればそれを披露してもらうのを楽しみにしていた。
そんな我が子が、高熱で苦しんでいる。いたたまれない思いで、憲明は涙を流しながら澪の側を離れなかった。
統主として、世継ぎである右京を気にかけることは当然のことだ。どうしても、澪よりも右京と接する時間の方が多くなってしまった。
それを反省し、寝込む澪との時間を大切にする憲明。しかし、そんな憲明を見て抱いた伽代の感情は、歪んだものであった。
(旦那様が私の元に帰って来て下さった。こんなにも私の澪を想って。この子が寝込んでいれば、旦那様は私と澪の元へと戻ってきてくれる……)
そう考えた伽代の心は、どんどん蝕まれていった。
峠を迎え、すっかり元気を取り戻した澪。二、三歳の頃から跳躍力や体力に優れ、おてんばであった。走り回り、木刀を振り回し、もう少し成長すれば、勝手に木登りをしたり、池を飛び越えたり。
通常の幼子とは違うということを、伽代付きの家臣達は感じ取っていた。
その常識外れの体力が、澪を回復させたのだろう。それに伽代も憲明も大いに喜んだが、憲明の興味はまた右京へと戻っていった。
それから一月が経ち、悪戯好きの澪が誤って毒を舐めてしまった。
体は痺れ、泡を吹いて倒れたのだ。異変に気付いた家臣がすぐに措置をとり、薬師を呼んだことで事なきを得た。
しかし、その時とて憲明は心配そうに澪の側を離れなかった。
その様子を見て、伽代は確信する。澪が体調を崩せば、憲明は必ず澪のところに訪れると。
それを一番信頼していた部屋付きに相談した伽代。
「奥様……さすがにそれでは澪様が危険では……?」
良からぬことを察した部屋付きは、一度は伽代を止めたものの、幼い頃から可愛がってもらった恩義もあるため、彼女に協力することとなった。
伽代も、澪を殺すつもりなどなかった。死なない程度に少しずつ毒を盛り、体調が悪くなったところで薬師を呼ぶ。
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