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第5章 聖女の価値は 魔女の役目は
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エルネスト=ディオン・ド・ルクレール。
現国王の第一王子……だった。王妃ではなく、側室の血筋だったため、王位継承権は認められないまま育った。
あらゆる学問を修め、並み居る豪傑たちを打ち負かし、そして身分など関わりなく公平に接する人徳者。
血筋の問題さえ無ければ、誰もが認める王の器だった。
あの、悲劇さえなければ――
「あの時、王妃とリュシアン王子の暗殺を謀った罪で投獄された俺を、リール卿……あなたが助けてくれた。本当に、礼を言う」
リール公爵邸の一室にて、アベルは再びリール公爵に向けて頭を下げた。格好はどう見ても田舎の小領主だが、応接用のソファに掛ける姿は優雅で、悠然として、そして威厳に満ちていた。
不思議と、側に控えて立つレオナールやジャンまでが、同じ空気を纏っているように見える。
正面に座ったリール公爵は、小さく首を振って、答えた。
「いいえ。助けられなかった者も、おります」
その視線は、一瞬ジャンへと向けられた。彼もまた、助けられなかった者の一人なのだ。
「リール卿、命があるだけありがたいと思うようにしている。あなたが母の縁者であるランドロー伯にとりなして、『アベル』と名を変えて、養子として迎え入れる算段をつけてくれなければ、俺たちは恨み言も泣き言すらも言えなかったのだから」
「……ありがたいお言葉、痛み入ります。ですが、それならば何故、再びこの王都に? あなたのことを記憶している貴族は多い。生きていると知れれば危険も及びましょう」
「……言っただろう。事は俺だけの問題じゃない。卿の娘御にも関係している」
「レティシアに、ですか。お話を、お聞かせ頂けますか」
アベルは頷くと、バルニエ領から持ち出した資料の束と共に、これまでの経緯を語った。もちろん、多少の脚色を添えて。
レティシアが毎日のように転移魔法で渡ってきていた事実は伏せて、当初の予定通り、『手紙で領地経営について指南していた』という話に徹底した。
「あやつめ……いつの間にこんなに文を……?」
レティシアが懸命に書いた『一人文通』の手紙の山を見て、公爵は眉をひそめていた。そんな素振りなど少しも見せていなかったのだから当然だろう。
だが確かなレティシアの筆跡を確認し、渋々納得したようだった。
「……まぁ、殿下が我が娘を気に掛けて下さる理由については、納得したことにしておきましょう。これから何をしようとしていたのかも……ね」
「話が早くて助かる」
「しかし……税の問題にしろ娘のことにしろ、国王陛下にお話ししても難しいかもしれません」
「宰相のあなたが言っても、か?」
リール公爵は、静かに頭を振った。
「今、私の発言に取り合う者はおりませんからな。まさかあの魔女の噂からそうだったとは考えもしませんでしたが。我々の想像以上に周到に事を進めていたようですな、大司教様は……」
「そのようだな。あの狸め……!」
「税のことはともかく聖女の祭りのためと押し切られました。娘のことは……『魔女などという惨い追求から保護するため』などと言われてしまえば、陛下でも手出しはできないでしょう」
「……アランはあの男の目論見を全て語ってくれたが、庶民の妄想と取り合わない者もいるだろうな。そうなると糾弾は難しい。あの男の真の目的を、あの男自身に語らせない限り、状況を覆すことは難しい……ということか」
それが、最も難しい。ここまで周到に計画してきた大司教が、わざわざ自分から話すはずがない。誰もが、そのことをわかっていた。
その時だった。
『私を、あなた方の手元に置くために、あんなことを?』
レティシアの声だ。
誰もがはたと顔を上げ、きょろきょろと見回した。だが、レティシアはいない。いるはずがない。
だというのに、声は確かに聞こえた。
その声が聞こえた方向を、全員が一斉に見た。
「え、わ、私……ですか?」
そこにいるのは、急に視線が集中して困惑している侍女のネリーだった。皆、首を傾げながら元の方に向き直ったが、アベル一人が、何かに思い至ったようだった。
「そうか……ネリー嬢、レティシアから何か受け取っただろう。青い石のペンダントを」
「は、はい」
『私を、あなた方の手元に置くために、あんなことを?』
また、声だけが届く。
「これは……紛うことなきレティシアの声だ。魔石を使って、ネリー嬢に向けてかろうじて送った彼女本人からの、メッセージだ。」
「何ですと……!? では、先ほどから誰かと会話しているかのような口ぶりなのは……」
「誰かとの会話を、そのまま送っているんだろう。そして、その相手はおそらく……」
アベルが頷くと、リール卿もまた頷いた。
そして、その場にいる全員が口を閉ざし、魔石から聞こえてくる声に耳を傾けた。
一言も、聞き逃すまいという思いで。
現国王の第一王子……だった。王妃ではなく、側室の血筋だったため、王位継承権は認められないまま育った。
あらゆる学問を修め、並み居る豪傑たちを打ち負かし、そして身分など関わりなく公平に接する人徳者。
血筋の問題さえ無ければ、誰もが認める王の器だった。
あの、悲劇さえなければ――
「あの時、王妃とリュシアン王子の暗殺を謀った罪で投獄された俺を、リール卿……あなたが助けてくれた。本当に、礼を言う」
リール公爵邸の一室にて、アベルは再びリール公爵に向けて頭を下げた。格好はどう見ても田舎の小領主だが、応接用のソファに掛ける姿は優雅で、悠然として、そして威厳に満ちていた。
不思議と、側に控えて立つレオナールやジャンまでが、同じ空気を纏っているように見える。
正面に座ったリール公爵は、小さく首を振って、答えた。
「いいえ。助けられなかった者も、おります」
その視線は、一瞬ジャンへと向けられた。彼もまた、助けられなかった者の一人なのだ。
「リール卿、命があるだけありがたいと思うようにしている。あなたが母の縁者であるランドロー伯にとりなして、『アベル』と名を変えて、養子として迎え入れる算段をつけてくれなければ、俺たちは恨み言も泣き言すらも言えなかったのだから」
「……ありがたいお言葉、痛み入ります。ですが、それならば何故、再びこの王都に? あなたのことを記憶している貴族は多い。生きていると知れれば危険も及びましょう」
「……言っただろう。事は俺だけの問題じゃない。卿の娘御にも関係している」
「レティシアに、ですか。お話を、お聞かせ頂けますか」
アベルは頷くと、バルニエ領から持ち出した資料の束と共に、これまでの経緯を語った。もちろん、多少の脚色を添えて。
レティシアが毎日のように転移魔法で渡ってきていた事実は伏せて、当初の予定通り、『手紙で領地経営について指南していた』という話に徹底した。
「あやつめ……いつの間にこんなに文を……?」
レティシアが懸命に書いた『一人文通』の手紙の山を見て、公爵は眉をひそめていた。そんな素振りなど少しも見せていなかったのだから当然だろう。
だが確かなレティシアの筆跡を確認し、渋々納得したようだった。
「……まぁ、殿下が我が娘を気に掛けて下さる理由については、納得したことにしておきましょう。これから何をしようとしていたのかも……ね」
「話が早くて助かる」
「しかし……税の問題にしろ娘のことにしろ、国王陛下にお話ししても難しいかもしれません」
「宰相のあなたが言っても、か?」
リール公爵は、静かに頭を振った。
「今、私の発言に取り合う者はおりませんからな。まさかあの魔女の噂からそうだったとは考えもしませんでしたが。我々の想像以上に周到に事を進めていたようですな、大司教様は……」
「そのようだな。あの狸め……!」
「税のことはともかく聖女の祭りのためと押し切られました。娘のことは……『魔女などという惨い追求から保護するため』などと言われてしまえば、陛下でも手出しはできないでしょう」
「……アランはあの男の目論見を全て語ってくれたが、庶民の妄想と取り合わない者もいるだろうな。そうなると糾弾は難しい。あの男の真の目的を、あの男自身に語らせない限り、状況を覆すことは難しい……ということか」
それが、最も難しい。ここまで周到に計画してきた大司教が、わざわざ自分から話すはずがない。誰もが、そのことをわかっていた。
その時だった。
『私を、あなた方の手元に置くために、あんなことを?』
レティシアの声だ。
誰もがはたと顔を上げ、きょろきょろと見回した。だが、レティシアはいない。いるはずがない。
だというのに、声は確かに聞こえた。
その声が聞こえた方向を、全員が一斉に見た。
「え、わ、私……ですか?」
そこにいるのは、急に視線が集中して困惑している侍女のネリーだった。皆、首を傾げながら元の方に向き直ったが、アベル一人が、何かに思い至ったようだった。
「そうか……ネリー嬢、レティシアから何か受け取っただろう。青い石のペンダントを」
「は、はい」
『私を、あなた方の手元に置くために、あんなことを?』
また、声だけが届く。
「これは……紛うことなきレティシアの声だ。魔石を使って、ネリー嬢に向けてかろうじて送った彼女本人からの、メッセージだ。」
「何ですと……!? では、先ほどから誰かと会話しているかのような口ぶりなのは……」
「誰かとの会話を、そのまま送っているんだろう。そして、その相手はおそらく……」
アベルが頷くと、リール卿もまた頷いた。
そして、その場にいる全員が口を閉ざし、魔石から聞こえてくる声に耳を傾けた。
一言も、聞き逃すまいという思いで。
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