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第4章 祭りの前のひと仕事、ふた仕事
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「おい」
廊下を歩く中、さっと道を空けた役人に、リュシアンは声をかけた。声をかけられたその役人は、頭を下げたまま返事をした。
「何でございましょうか、王太子殿下」
「『祭り』について、どんな様子だ?」
役人は、なお頭を下げたまま、答えた。
「準備はすべてつつがなく、滞りなく進んでおります。殿下のお気を煩わせるようなことは、何も……」
「そうじゃない。私はこの国の王太子で、聖女の婚約者なんだぞ。国をあげての祭りについて、知っておく義務がある。詳細に報告しろ」
「……では、後ほど書類にまとめまして、お持ちいたします」
役人は恭しく、そしてスラスラと慣れた調子でそう言って、立ち去った。
あんな調子なのは、今に始まったことじゃない。いつものことだ。
リュシアンが祭りについて尋ねると、その場は躱され、翌日には詳細な数字の書かれた生類が届く。だが何度も聞いていると、数字が入れ替わっただけの同じような書類が届くようになった。
「……どうして……」
唇を噛みしめながらも、その先の言葉をリュシアンは飲み込んだ。今は誰もいないとはいえ、ここは王宮内の廊下。誰が見ているかわからない。
公の場で私的な感情の揺れを見せてはならない。そう、幼い頃から教わってきた。
だからリュシアンは、必死に堪えた。
(俺は、この国の国王になるんだぞ。それなのに、この侮られようはいったい……!)
そう、胸の内で毒づくだけに、なんとか留めていた。だが湧き起こる憤りは、胸の内に留めておいたら、やがて溢れ出す。
矛先が、なければならない。
(あの女だ。レティシア……! あいつが、あんなことをしなければ何もかも上手くいったのに……!)
リュシアンの足は、自然とレティシアとの宿命の場所に向かっていた。
向かった先は、大聖堂。王立学院の卒業式が華々しく執り行われた場所だ。
そして、リュシアンが偽聖女・レティシアに華麗に引導を渡してやるはずだった場所。
今は、誰もいない。リュシアン一人が、大聖樹からこぼれる木漏れ日を受けていた。
(あいつを次期聖女から引きずり下ろして、聖女に最も相応しいアネットをその座にすえて、俺とアネットで豊かな国を築いていく。そうなるはずだったのに……!)
また一枚、大聖樹から葉がはらりと一枚、落ちた。
聖大樹は再び、枯れ落ちようとしているせっかくアネットが花を咲かせてくれたというのに。
神からの授かり物である大聖樹の遺物を疎かに扱ってはならない。リュシアンは大聖樹の根元まで歩み寄り、そっとその葉を拾い上げた。
すると、どこからか、声が聞こえた。
この大聖堂ではない。次の間だ。卒業式の際は、生徒たちの侍従・侍女たちが控えていた部屋だ。
大聖堂での変事があった際に備えて、意外にも壁が薄く作られている。そのせいで、控えの間での会話がリュシアンの耳に流れ込んできた。
「……して、何も……」
(……この声は……?)
聞き覚えのある女性の声だった。それに対する返答もあった。
「こんなところで……んです」
こちらも聞き覚えのある、男性の声だ。二人の会話は、安穏とした空気とは言えない。
「私……私、やっとここまで来たんです」
「ええ、その努力は尊敬に値します」
「そんな言葉が欲しいんじゃない!」
「……お静かに」
その物言いに、心当たりがある。つい最近も、聞いたような。いや、言われたような気がしていた。
「あなたに課された役目はとても大きい。不安に駆られるのも無理からぬこと。だけどそれをおくびにも出さずに『聖女』を務めておられるあなたに、敬愛の念を抱かずにいられません」
(『聖女』? では、女の方は……)
リュシアンが、女性の声に思い当たったとき、女性も想像したとおりの声で語った。
「私は言われたことをこなしているに過ぎません。それもこれも、あの方やあなたのためです」
「アネット……困った人だ」
(やはり……では男の方は……?)
「私は……あなたから『敬愛の念』なんて言われても、嬉しくないんです」
「では、どのような言葉ならばご満足頂けるので?」
「言葉なんていりません。ただ、抱きしめて、頭を撫でてほしい」
「……申し訳ありませんが、私にはできません。我が主の想い人に許可なく触れるなど……」
男は、ため息の後にそう言った。
女性は、アネットだった。そしてアネットを『主の想い人』と呼ぶこの男は……
(間違いない、あいつは……!)
二人の声の正体に思い至ってしまうと、リュシアンの頭の中で早鐘が鳴り響いた。もう何も聞こえないくらいに、リュシアンをぐらぐら揺さぶる。
(まさか、あいつとアネットが……!)
リュシアンは、最後に残った理性を振り絞って、静かに大聖堂を立ち去った。
廊下を歩く中、さっと道を空けた役人に、リュシアンは声をかけた。声をかけられたその役人は、頭を下げたまま返事をした。
「何でございましょうか、王太子殿下」
「『祭り』について、どんな様子だ?」
役人は、なお頭を下げたまま、答えた。
「準備はすべてつつがなく、滞りなく進んでおります。殿下のお気を煩わせるようなことは、何も……」
「そうじゃない。私はこの国の王太子で、聖女の婚約者なんだぞ。国をあげての祭りについて、知っておく義務がある。詳細に報告しろ」
「……では、後ほど書類にまとめまして、お持ちいたします」
役人は恭しく、そしてスラスラと慣れた調子でそう言って、立ち去った。
あんな調子なのは、今に始まったことじゃない。いつものことだ。
リュシアンが祭りについて尋ねると、その場は躱され、翌日には詳細な数字の書かれた生類が届く。だが何度も聞いていると、数字が入れ替わっただけの同じような書類が届くようになった。
「……どうして……」
唇を噛みしめながらも、その先の言葉をリュシアンは飲み込んだ。今は誰もいないとはいえ、ここは王宮内の廊下。誰が見ているかわからない。
公の場で私的な感情の揺れを見せてはならない。そう、幼い頃から教わってきた。
だからリュシアンは、必死に堪えた。
(俺は、この国の国王になるんだぞ。それなのに、この侮られようはいったい……!)
そう、胸の内で毒づくだけに、なんとか留めていた。だが湧き起こる憤りは、胸の内に留めておいたら、やがて溢れ出す。
矛先が、なければならない。
(あの女だ。レティシア……! あいつが、あんなことをしなければ何もかも上手くいったのに……!)
リュシアンの足は、自然とレティシアとの宿命の場所に向かっていた。
向かった先は、大聖堂。王立学院の卒業式が華々しく執り行われた場所だ。
そして、リュシアンが偽聖女・レティシアに華麗に引導を渡してやるはずだった場所。
今は、誰もいない。リュシアン一人が、大聖樹からこぼれる木漏れ日を受けていた。
(あいつを次期聖女から引きずり下ろして、聖女に最も相応しいアネットをその座にすえて、俺とアネットで豊かな国を築いていく。そうなるはずだったのに……!)
また一枚、大聖樹から葉がはらりと一枚、落ちた。
聖大樹は再び、枯れ落ちようとしているせっかくアネットが花を咲かせてくれたというのに。
神からの授かり物である大聖樹の遺物を疎かに扱ってはならない。リュシアンは大聖樹の根元まで歩み寄り、そっとその葉を拾い上げた。
すると、どこからか、声が聞こえた。
この大聖堂ではない。次の間だ。卒業式の際は、生徒たちの侍従・侍女たちが控えていた部屋だ。
大聖堂での変事があった際に備えて、意外にも壁が薄く作られている。そのせいで、控えの間での会話がリュシアンの耳に流れ込んできた。
「……して、何も……」
(……この声は……?)
聞き覚えのある女性の声だった。それに対する返答もあった。
「こんなところで……んです」
こちらも聞き覚えのある、男性の声だ。二人の会話は、安穏とした空気とは言えない。
「私……私、やっとここまで来たんです」
「ええ、その努力は尊敬に値します」
「そんな言葉が欲しいんじゃない!」
「……お静かに」
その物言いに、心当たりがある。つい最近も、聞いたような。いや、言われたような気がしていた。
「あなたに課された役目はとても大きい。不安に駆られるのも無理からぬこと。だけどそれをおくびにも出さずに『聖女』を務めておられるあなたに、敬愛の念を抱かずにいられません」
(『聖女』? では、女の方は……)
リュシアンが、女性の声に思い当たったとき、女性も想像したとおりの声で語った。
「私は言われたことをこなしているに過ぎません。それもこれも、あの方やあなたのためです」
「アネット……困った人だ」
(やはり……では男の方は……?)
「私は……あなたから『敬愛の念』なんて言われても、嬉しくないんです」
「では、どのような言葉ならばご満足頂けるので?」
「言葉なんていりません。ただ、抱きしめて、頭を撫でてほしい」
「……申し訳ありませんが、私にはできません。我が主の想い人に許可なく触れるなど……」
男は、ため息の後にそう言った。
女性は、アネットだった。そしてアネットを『主の想い人』と呼ぶこの男は……
(間違いない、あいつは……!)
二人の声の正体に思い至ってしまうと、リュシアンの頭の中で早鐘が鳴り響いた。もう何も聞こえないくらいに、リュシアンをぐらぐら揺さぶる。
(まさか、あいつとアネットが……!)
リュシアンは、最後に残った理性を振り絞って、静かに大聖堂を立ち去った。
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