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第3章 泥まみれの宝

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「こちらの枝を献上? 王都の聖大樹が、挿し木から生まれたものだということですか?」
「長きに渡って聖女の力を受けてきたんだ。それだけ大きく育ってもおかしくはない」
「でも、神より授かった地がここなら、どうして王都はあんなにも離れた場所に?」

 アベルは手近な椅子に腰を下ろした。手短と言いつつ、話を続けてくれるらしい。

「そもそも、聖大樹を授かったのは建国の折ではないという説がある」
「では、何の折に?」
「婚姻の儀だ」
「婚姻?」

 予想外の言葉に、素っ頓狂な声を上げたレティシアを、アベルは一瞬目を丸くして見つめていた。

「……こう伝えられている。建国以前、この地が未だ帝国からの独立戦争の最中、この地を治めていたランドロー伯爵のもとに一人の乙女が現れた。乙女は奇跡の力を以て傷ついた人々を癒やし、飢えに苦しむ人々を救った。騎士と乙女は手を取り合い、共に主君を助け、戦争を終結に導いた」
「初代聖女の伝説ですね」
「建国の運びとなり、ランドローはこの地の領主となり、乙女を妻に迎えた。この国の民を戦争の脅威から救った二人を祝福して、神は二人に聖大樹をお与えになった……とされている」

 そういえば、とレティシアは思った。

 初代聖女の功績は数多く残っているが、不思議と婚姻については耳にしなかった。てっきり他の聖女と同様、王妃となったのだと思っていたが、こうして聞くと色々と符合する。

「今、聖大樹を与えたと言ったが、正確には少し違う。この木は、はるか昔……まだ人々がこの地に住まう前からこの地を守ってきた。この地の真の主とも呼べる大樹の前で、ランドローと乙女は愛の誓いを立てた。すると、大樹が眩い光を放ち、花を咲かせたのだと言う。二人を明るく照らす太陽の如き金の花と、優しく包み込む月の如き銀の花をな」
「愛を誓って、花が……」
「ああ。そしてそれに呼応するかのように、国は緑に覆われ、豊穣が約束されたと言われている」
「そう、なんですか……」

 レティシアは、再び大樹を仰ぎ見た。
 聖女とは、聖大樹とは、この国を守る存在であると言われてきた。幼い頃からずっと。

 だがその始まりは、一人の女性の愛の誓いであり、その祝福だと言う。
 レティシアの信じてきたことと大きく違って驚きを隠せないが、不思議と嫌な驚きではなかった。

 そんなことを考えているレティシアは放心しているように見えたのか、アベルは困ったように言を継いだ。

「あぁ……まぁ何だ。あくまで言い伝えだ。どちらが正しいかはわからんし、どちらも正しくないかもしれん。確かなのは、この木は『かつて聖大樹だったかもしれない』というだけで、今はただの枯れ木だということだ」
「枯れ木……ですか」
「枯れ木は枯れ木。死人と同じで、何を成すことも出来ない」

 アベルの静かな声音が何を語ろうとしているのか、レティシアにはわからなかった。ただ、何故かこの木のことだけを指しているのではない気がしていた。

 そんな考えが浮かんだその時、アベルはくるりと振り返った。いつもより、やや険しい面持ちで。

「そんなことより、いいのか? 水くみは?」
「え」

 アベルが外を指さした。そこには先ほど持ってきた桶が放置されたままだった。

「……あ!」
「しっかりしてくれ。よく働いてくれた分、皆に美味い昼食を振る舞わねばならないんだからな」

 そう言うと、アベルは耕具を抱えて扉をくぐって行った。

 レティシアも桶を取りに戻ろうとした。だけど、もう一度だけ振り返り、今は朽ちた聖大樹の、その雄大であったであろう姿を思い浮かべた。

(……あれ? アベル様の話では、金の花と銀の花が咲いたってことだけど……あの卒業セレモニーの日にアネットが咲かせた花は真っ白だったような……?)

 聖大樹は長年花を咲かせていない。おそらく花が咲いたところを見た者は、今生きている者の中にはいない。

(やっぱり、伝説は人づてに伝わる間に脚色されてしまうのかしら……?)

 首を傾げながら踵を返し、レティシアは教会だった建物を、あとにした。
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