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四章 鞍馬山の大天狗
十八
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太郎はいつも腰から下げている鈴を取り出した。相変わらず、揺らしても音がしない。藍の持つ鈴と反応した時だけ、鳴るようだ。
「そう。だから太郎さんにも何かお礼しなくちゃいけないですね。ね!?」
あからさまなご機嫌取りだが、これ以外に機嫌を直す方法が咄嗟に思いつかなかったのだ。現に太郎は泣き叫ぶのをやめた。この調子でいけば、あるいはーー。
「でも、別にお礼なんて……あ!」
何か思いついたようだ。藍は、ちょっとだけ嫌な予感がしたが、立場を利用して無茶なお願いをしてくる人ではないことを信じて、太郎の言葉を待った。
「じゃあお言葉に甘えて、お願いがあるんだけど」
「はい……な、何でしょうか」
藍は、半分ほど、腹を括った。内心で祈りながら、何とか太郎から視線を逸らさずにいると、太郎はニッコリ笑った。
「煮っころがし、食べたいな」
「は、はい……承知し……へ?」
「煮っころがし。母君が、藍の方が上手だって言ってたじゃない。食べてみたいな」
藍が驚きのあまり瞬きを繰り返す中、太郎はずっと上機嫌でにこやかだった。とりあえず泣き止んだので良かったが、その条件に拍子抜けした。
「はあ……それくらいなら、喜んで」
「あともう一つ。おにぎりもほしい」
「おにぎり?」
怪訝な顔で聞き返したが、すぐに気付いた。それが、何を指すのか。
「僕、食べ損ねたから。あれは僕に作ってくれたんでしょ?」
「え、えーと……」
今更否定できない。だからといって、肯定もしたくない。
だがこの場で言えるのはどちらか一つ、それならどう答えるか……悩んだ末に、藍はがっくりと項垂れて答えた。
「はい、その通りです。おにぎりも作ります」
「ありがとう。あ、ついでにもう一ついい?」
「まだあるんですか!?」
藍の必死の叫びなど意に介さずに、太郎は人差し指を立てたまま言った。
「僕も、一緒に作りたい」
「えぇぇ……」
「ダメ?」
太郎の瞳が再び潤みだした。先ほどのような厄介な気配は感じないが、今日はもう、この目を見ると拒否できなくなってしまって言えた。
「わかりました……」
「よし! じゃあ早速共同作業に入ろうか」
「その言い方やめてください!」
太郎は嬉しくなると自分の世界に入って、藍の言うことすら聞かなくなるときがある。今がまさにその悪癖が前回のようだ。
藍の声も聞かず、さっさと立ち上がって居間を出ようとした。が、その時、突然太郎の姿が消えた。
「え?」
消えた、というのは勘違いだった。
太郎の姿はすぐ傍にあった。藍の目の前、それも足下で、突然床に倒れ込んでいた。
「た、太郎さん?」
どうしたのか、わからない。
先ほどまで浮かれた調子で歩いていたのに、話していたのに。顔を覗き込むと、まるで生気を感じない血の気の失せた顔色をしていた。そして何よりも、目を閉じて、呼吸を止めていた。
「太郎さん、どうしたんですか? 太郎さん!」
どれほど揺すっても、太郎は目を開けなかった。冗談だと言われれば、今なら許せる。だが、そうはならなかった。
玄関の方で音がして、治朗と母が駆け込んできても、藍は気付かずに太郎に呼びかけていた。
ずっと、ずっと、ずっと……。
「そう。だから太郎さんにも何かお礼しなくちゃいけないですね。ね!?」
あからさまなご機嫌取りだが、これ以外に機嫌を直す方法が咄嗟に思いつかなかったのだ。現に太郎は泣き叫ぶのをやめた。この調子でいけば、あるいはーー。
「でも、別にお礼なんて……あ!」
何か思いついたようだ。藍は、ちょっとだけ嫌な予感がしたが、立場を利用して無茶なお願いをしてくる人ではないことを信じて、太郎の言葉を待った。
「じゃあお言葉に甘えて、お願いがあるんだけど」
「はい……な、何でしょうか」
藍は、半分ほど、腹を括った。内心で祈りながら、何とか太郎から視線を逸らさずにいると、太郎はニッコリ笑った。
「煮っころがし、食べたいな」
「は、はい……承知し……へ?」
「煮っころがし。母君が、藍の方が上手だって言ってたじゃない。食べてみたいな」
藍が驚きのあまり瞬きを繰り返す中、太郎はずっと上機嫌でにこやかだった。とりあえず泣き止んだので良かったが、その条件に拍子抜けした。
「はあ……それくらいなら、喜んで」
「あともう一つ。おにぎりもほしい」
「おにぎり?」
怪訝な顔で聞き返したが、すぐに気付いた。それが、何を指すのか。
「僕、食べ損ねたから。あれは僕に作ってくれたんでしょ?」
「え、えーと……」
今更否定できない。だからといって、肯定もしたくない。
だがこの場で言えるのはどちらか一つ、それならどう答えるか……悩んだ末に、藍はがっくりと項垂れて答えた。
「はい、その通りです。おにぎりも作ります」
「ありがとう。あ、ついでにもう一ついい?」
「まだあるんですか!?」
藍の必死の叫びなど意に介さずに、太郎は人差し指を立てたまま言った。
「僕も、一緒に作りたい」
「えぇぇ……」
「ダメ?」
太郎の瞳が再び潤みだした。先ほどのような厄介な気配は感じないが、今日はもう、この目を見ると拒否できなくなってしまって言えた。
「わかりました……」
「よし! じゃあ早速共同作業に入ろうか」
「その言い方やめてください!」
太郎は嬉しくなると自分の世界に入って、藍の言うことすら聞かなくなるときがある。今がまさにその悪癖が前回のようだ。
藍の声も聞かず、さっさと立ち上がって居間を出ようとした。が、その時、突然太郎の姿が消えた。
「え?」
消えた、というのは勘違いだった。
太郎の姿はすぐ傍にあった。藍の目の前、それも足下で、突然床に倒れ込んでいた。
「た、太郎さん?」
どうしたのか、わからない。
先ほどまで浮かれた調子で歩いていたのに、話していたのに。顔を覗き込むと、まるで生気を感じない血の気の失せた顔色をしていた。そして何よりも、目を閉じて、呼吸を止めていた。
「太郎さん、どうしたんですか? 太郎さん!」
どれほど揺すっても、太郎は目を開けなかった。冗談だと言われれば、今なら許せる。だが、そうはならなかった。
玄関の方で音がして、治朗と母が駆け込んできても、藍は気付かずに太郎に呼びかけていた。
ずっと、ずっと、ずっと……。
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