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四章 鞍馬山の大天狗
十二
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目の前の少年は、自らを『遮那王』と名乗った。同一人物であるはずがないが、見た目は確かに、時代劇などで目にする格好だ。
「あのぅ……つかぬことを聞いてもいいですか?」
「何だ?」
「弁慶っていう、刀をいっぱい集めてるお坊さんと会ったこと、ある?」
遮那王少年のあどけない顔に怪訝な表情が浮かんだ。
「誰だ、それは? 坊主が何故、刀を集める?」
「いえ、何でもありません。聞かなかったことにしてください」
「変な奴だな」
自分でも、変なことを言ってしまったと反省している。
遮那王は、怪訝な顔を向けながらも、手はしっかり離さずに歩いている。根っから親切のようだ。
「もう一つ、聞いてもいい?」
「何だ?」
「どうしてあそこにいたの?」
藍の質問に、少年はぴくりと動きを止めた。
明らかに、現実では起こりえないことが起こっている。そんな場所に、さっきまでいるはずもなかった者が現れたのだから、僅かなりとも疑うのは当然だった。案内すると言って、より危険な場所へ連れて行こうとしているのではないかと。
だが、次に牛若少年が見せた顔は、藍の想像とは違っていた。
「皆が……迷子になったからだ」
「……え?」
背を向けているから顔は見えないが、牛若は、ぷるぷる震えているように見えた。
「花見の会に呼ばれ出向いたが、気がついたら、皆いなくなっていた」
この言い方は、どこかで聞いたことがある。迷子自身が、よく口にする言葉だ。
つい先日も迷子を三人立て続けに面倒みた藍は、どうにかせねば、と思ってしまった。
「あ~……じゃあ、その……他の人を探す方を優先しましょうか。私は後でも大丈夫なので」
「いい。どうせ皆、私のことなど探してもいないんだ」
その声は、どこかふてくされたようだった。方々探し回ったが見つからなかったのだろうか。
「そんなことはないですよ。お花見って家族と一緒にですか? だったら……」
「家族などいない。平家一門の会に呼ばれたんだ。だが、皆帰ってしまったみたいだ。だから、もういい」
そう言って、藍より小さな手がぐいぐい力強く藍を引っ張っていく。
しまった、と思った。先ほど、僧正坊の”講義”で話していたというのに。
『生れた頃から敗将の子として育ち、年端も行かぬうちから母御と引き離された挙句に、良い扱いも受けていたとは言えないんだ』
目の前の少年が、明らかに今同じ時を生きている人間とは違うからといって、忘れていた。『遮那王』と名乗るからには、その生い立ちも同じかもしれないということを。
『家族の元に、帰りたいか?』
そう尋ねたのは、自分もそう思っているからなのか。
「……あなたも、会えるから」
藍はそう言って、遮那王が握る手を強く握り返した。驚いて振り返った遮那王の目と藍の目が、真正面で交差した。
「あなたも、いつかきっと、兄弟に会えるから」
「確かに兄はいるが……皆、離ればなれだ」
「それでも、会えるから」
藍は強く、言い切った。僧正坊から聞いた話ではあるが、この先起こることなのは確かだ。だからこそ、この少年の希望になれると信じていた。
もっとも、それが未来の出来事であると知らない遮那王は首をかしげるばかりだったが。だが、ほんの少しだけ笑って見せた。
「わかった。そう信じよう」
史実の遮那王を救えたわけではない。だが、目の前の遮那王はほんの少し救えたかもしれない。それいじょうがはできない藍にとっては、それで十分だった。
「それにしても、ひどいね。呼んでおいて、探しもせずに帰るなんて」
「仕方ない。いつものことだ」
「いつものこと? いつもそんな目に?」
憤慨する藍と対照的に、遮那王の様子はいたって落ち着いていた。受け入れているというより、諦めているようだった。
「寺でもよくあるのだ。私のことが気に入らない平家が置いて帰っても不思議ではない」
「寺でも……?」
預けられた寺でそんな目に遭うのかと、またも憤りそうになったが、どうも様子が違った。
「ほんの少し目を離すと、それまで傍にいた和尚が姿を消していたり、いつの間にか真っ暗な場所に入れられていたり……とにかく一人になってしまうことが何度もあった。今更、驚くことはないんだ」
(それって……)
それは、まさしく藍が先ほど経験した真っ暗な空間だ。
暗くて重くて寒いーー寂しい空間だ。藍は助言があったから、何とか持ちこたえた。だが、あの助言がなかったらどうなっただろうと考えた。きっと、寂しくて、どんどん悲しくなって、心が沈んでいったに違いない。
耐えられたのは、誰かのことを考えたからだ。母のこと、治朗のこと、そして太郎のことを。
『信じろ。向こう側にいると、信じろ』
あの助言は、そういうことだったのかと、ようやく納得した。
「あのぅ……つかぬことを聞いてもいいですか?」
「何だ?」
「弁慶っていう、刀をいっぱい集めてるお坊さんと会ったこと、ある?」
遮那王少年のあどけない顔に怪訝な表情が浮かんだ。
「誰だ、それは? 坊主が何故、刀を集める?」
「いえ、何でもありません。聞かなかったことにしてください」
「変な奴だな」
自分でも、変なことを言ってしまったと反省している。
遮那王は、怪訝な顔を向けながらも、手はしっかり離さずに歩いている。根っから親切のようだ。
「もう一つ、聞いてもいい?」
「何だ?」
「どうしてあそこにいたの?」
藍の質問に、少年はぴくりと動きを止めた。
明らかに、現実では起こりえないことが起こっている。そんな場所に、さっきまでいるはずもなかった者が現れたのだから、僅かなりとも疑うのは当然だった。案内すると言って、より危険な場所へ連れて行こうとしているのではないかと。
だが、次に牛若少年が見せた顔は、藍の想像とは違っていた。
「皆が……迷子になったからだ」
「……え?」
背を向けているから顔は見えないが、牛若は、ぷるぷる震えているように見えた。
「花見の会に呼ばれ出向いたが、気がついたら、皆いなくなっていた」
この言い方は、どこかで聞いたことがある。迷子自身が、よく口にする言葉だ。
つい先日も迷子を三人立て続けに面倒みた藍は、どうにかせねば、と思ってしまった。
「あ~……じゃあ、その……他の人を探す方を優先しましょうか。私は後でも大丈夫なので」
「いい。どうせ皆、私のことなど探してもいないんだ」
その声は、どこかふてくされたようだった。方々探し回ったが見つからなかったのだろうか。
「そんなことはないですよ。お花見って家族と一緒にですか? だったら……」
「家族などいない。平家一門の会に呼ばれたんだ。だが、皆帰ってしまったみたいだ。だから、もういい」
そう言って、藍より小さな手がぐいぐい力強く藍を引っ張っていく。
しまった、と思った。先ほど、僧正坊の”講義”で話していたというのに。
『生れた頃から敗将の子として育ち、年端も行かぬうちから母御と引き離された挙句に、良い扱いも受けていたとは言えないんだ』
目の前の少年が、明らかに今同じ時を生きている人間とは違うからといって、忘れていた。『遮那王』と名乗るからには、その生い立ちも同じかもしれないということを。
『家族の元に、帰りたいか?』
そう尋ねたのは、自分もそう思っているからなのか。
「……あなたも、会えるから」
藍はそう言って、遮那王が握る手を強く握り返した。驚いて振り返った遮那王の目と藍の目が、真正面で交差した。
「あなたも、いつかきっと、兄弟に会えるから」
「確かに兄はいるが……皆、離ればなれだ」
「それでも、会えるから」
藍は強く、言い切った。僧正坊から聞いた話ではあるが、この先起こることなのは確かだ。だからこそ、この少年の希望になれると信じていた。
もっとも、それが未来の出来事であると知らない遮那王は首をかしげるばかりだったが。だが、ほんの少しだけ笑って見せた。
「わかった。そう信じよう」
史実の遮那王を救えたわけではない。だが、目の前の遮那王はほんの少し救えたかもしれない。それいじょうがはできない藍にとっては、それで十分だった。
「それにしても、ひどいね。呼んでおいて、探しもせずに帰るなんて」
「仕方ない。いつものことだ」
「いつものこと? いつもそんな目に?」
憤慨する藍と対照的に、遮那王の様子はいたって落ち着いていた。受け入れているというより、諦めているようだった。
「寺でもよくあるのだ。私のことが気に入らない平家が置いて帰っても不思議ではない」
「寺でも……?」
預けられた寺でそんな目に遭うのかと、またも憤りそうになったが、どうも様子が違った。
「ほんの少し目を離すと、それまで傍にいた和尚が姿を消していたり、いつの間にか真っ暗な場所に入れられていたり……とにかく一人になってしまうことが何度もあった。今更、驚くことはないんだ」
(それって……)
それは、まさしく藍が先ほど経験した真っ暗な空間だ。
暗くて重くて寒いーー寂しい空間だ。藍は助言があったから、何とか持ちこたえた。だが、あの助言がなかったらどうなっただろうと考えた。きっと、寂しくて、どんどん悲しくなって、心が沈んでいったに違いない。
耐えられたのは、誰かのことを考えたからだ。母のこと、治朗のこと、そして太郎のことを。
『信じろ。向こう側にいると、信じろ』
あの助言は、そういうことだったのかと、ようやく納得した。
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