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四章 鞍馬山の大天狗
十
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太郎の視線も声も、まるで研ぎ澄まされた切っ先のようだった。普通の人間ならば、竦み上がっていただろう。
だが、僧正坊は怯えないどころか、太郎の言い分を鼻で笑った。
「”どこにやった”か……まるで私が隠したかのような物言いだ」
「お前が隠したんだ、僧正坊」
「根拠を聞かせて貰おうか」
太郎が自らの憤怒の顔つきと対面しているのと同様、僧正坊もまた自らのすました笑みと向き合っている。
互いに、表情を変える気はないらしい。
「……藍の気が一瞬で消えた。僕の結界の中で、彼女を見失うなんてあるはずがない。誰かがより強い結界を張って、その中に閉じ込めたとしか考えられない。そんなことができるのは、ここには治朗と僧正坊の二人だけ。なら、自ずと答えは見える」
「……随分と信頼しているんだな、あの赤子を」
「もう赤子じゃない」
僧正坊は、そんな言葉すらも笑い飛ばした。
「まぁいい。彼はよくやっているしな。だがあの娘の方はどうだ。口だけは一人前だが、中身が全くと言っていいほど伴っていない。かの姫の足下どころかつま先にすら及ばんじゃないか」
「それが、どうした……!」
言葉と同時に、太郎の腕が伸びていた。僧正坊の胸倉を掴んで、揺さぶらんばかりの勢いでいる。
「姫であろうとなかろうと関係ない。今、僕の目の前にいるのは藍だけだ。藍を傷つける者は誰であっても許さない。誰であっても、だ……!」
静かに、だが烈しく語る太郎の瞳には、言葉と同じほどに熱い炎のような輝きが揺れていた。僧正坊はそれを、億劫そうに見つめていた。
「ふん、馬鹿馬鹿しい」
そう言い放つと、僧正坊は太郎の腕を振り払って、胸元を整えた。
「許さなければ何だと言うんだ? 彼女を傷つけたかもしれない私を、君はどうする?」
「……今ならば、ここには僕と君の二人しかいない」
「物騒だな。まだ彼女がどうなったとも言っていないのに」
そう言って、僧正坊は太郎のほんの数cm先を指さした。そこは先ほど、藍が座って教科書と向き合っていた辺りだ。
「藍が、ここに?」
「大人しくしていればね」
一見すると、そこは何もない居間の一部だった。藍はただ、そこから離れていったようにしか見えない。だが、そのように相手を認識できないように囲うのが結界というもの。本来は邪なものから身を守るために施すものだが、今回は悪用したとしか言いようがない。
「こんなところに閉じ込めて、何を……?」
「別に何も。ただ、ちょっとばかし荒療治をね」
「荒療治? いったい何の?」
「君の妻となるにふさわしい理解を得させようと思った。それだけだよ」
「理解って……まさか、僕と同じことを?」
「その通り。実際、この平和な世に生まれたあの娘には、それくらいしかできんだろう」
「僕を理解して、支える……それぐらいしか、と言う意味?」
僧正坊は頷いた。それを見た太郎は憤ると、僧正坊は思っていた。だが太郎は、小さくだが、笑った。
「この短時間なら仕方ないけど、君こそ、彼女の理解が足りないよ、僧正坊」
「なんだと?」
太郎は笑みを浮かべたまま、僧正坊に拳を向けた。殴るわけではなく、ただ、突きつけている。
「藍に痛い目を見させるつもりなんだろうけど……それなら、自分も痛い目を見る覚悟をしておいた方がいい」
不敵な笑みに、僧正坊の方の笑みが崩れた。眉がぴくりと跳ねて、不機嫌さが露わになった。
その表情を引き出せて、太郎は少し愉快になっていた。いや、感心していた。こんな表情を引き出してしまう藍に。
太郎はそのまま、藍が消えた場所に腰を下ろした。まるで、寄り添うように。
「痛い目だって? この私が、あんな小娘……に……!?」
僧正坊の言葉が途切れ、その顔がふいに歪んだ。歯を噛みしめ、胸元を押さえつける様は痛みに耐えているようだ。
それが”痛い目を見”たことだと気づいたのは、太郎の方が先だった。
太郎は、得意満面な顔で、僧正坊に言い放ったのだった。
「ほらね。僕の姫を甘く見ていると、手痛いしっぺ返しを喰うんだよ」
だが、僧正坊は怯えないどころか、太郎の言い分を鼻で笑った。
「”どこにやった”か……まるで私が隠したかのような物言いだ」
「お前が隠したんだ、僧正坊」
「根拠を聞かせて貰おうか」
太郎が自らの憤怒の顔つきと対面しているのと同様、僧正坊もまた自らのすました笑みと向き合っている。
互いに、表情を変える気はないらしい。
「……藍の気が一瞬で消えた。僕の結界の中で、彼女を見失うなんてあるはずがない。誰かがより強い結界を張って、その中に閉じ込めたとしか考えられない。そんなことができるのは、ここには治朗と僧正坊の二人だけ。なら、自ずと答えは見える」
「……随分と信頼しているんだな、あの赤子を」
「もう赤子じゃない」
僧正坊は、そんな言葉すらも笑い飛ばした。
「まぁいい。彼はよくやっているしな。だがあの娘の方はどうだ。口だけは一人前だが、中身が全くと言っていいほど伴っていない。かの姫の足下どころかつま先にすら及ばんじゃないか」
「それが、どうした……!」
言葉と同時に、太郎の腕が伸びていた。僧正坊の胸倉を掴んで、揺さぶらんばかりの勢いでいる。
「姫であろうとなかろうと関係ない。今、僕の目の前にいるのは藍だけだ。藍を傷つける者は誰であっても許さない。誰であっても、だ……!」
静かに、だが烈しく語る太郎の瞳には、言葉と同じほどに熱い炎のような輝きが揺れていた。僧正坊はそれを、億劫そうに見つめていた。
「ふん、馬鹿馬鹿しい」
そう言い放つと、僧正坊は太郎の腕を振り払って、胸元を整えた。
「許さなければ何だと言うんだ? 彼女を傷つけたかもしれない私を、君はどうする?」
「……今ならば、ここには僕と君の二人しかいない」
「物騒だな。まだ彼女がどうなったとも言っていないのに」
そう言って、僧正坊は太郎のほんの数cm先を指さした。そこは先ほど、藍が座って教科書と向き合っていた辺りだ。
「藍が、ここに?」
「大人しくしていればね」
一見すると、そこは何もない居間の一部だった。藍はただ、そこから離れていったようにしか見えない。だが、そのように相手を認識できないように囲うのが結界というもの。本来は邪なものから身を守るために施すものだが、今回は悪用したとしか言いようがない。
「こんなところに閉じ込めて、何を……?」
「別に何も。ただ、ちょっとばかし荒療治をね」
「荒療治? いったい何の?」
「君の妻となるにふさわしい理解を得させようと思った。それだけだよ」
「理解って……まさか、僕と同じことを?」
「その通り。実際、この平和な世に生まれたあの娘には、それくらいしかできんだろう」
「僕を理解して、支える……それぐらいしか、と言う意味?」
僧正坊は頷いた。それを見た太郎は憤ると、僧正坊は思っていた。だが太郎は、小さくだが、笑った。
「この短時間なら仕方ないけど、君こそ、彼女の理解が足りないよ、僧正坊」
「なんだと?」
太郎は笑みを浮かべたまま、僧正坊に拳を向けた。殴るわけではなく、ただ、突きつけている。
「藍に痛い目を見させるつもりなんだろうけど……それなら、自分も痛い目を見る覚悟をしておいた方がいい」
不敵な笑みに、僧正坊の方の笑みが崩れた。眉がぴくりと跳ねて、不機嫌さが露わになった。
その表情を引き出せて、太郎は少し愉快になっていた。いや、感心していた。こんな表情を引き出してしまう藍に。
太郎はそのまま、藍が消えた場所に腰を下ろした。まるで、寄り添うように。
「痛い目だって? この私が、あんな小娘……に……!?」
僧正坊の言葉が途切れ、その顔がふいに歪んだ。歯を噛みしめ、胸元を押さえつける様は痛みに耐えているようだ。
それが”痛い目を見”たことだと気づいたのは、太郎の方が先だった。
太郎は、得意満面な顔で、僧正坊に言い放ったのだった。
「ほらね。僕の姫を甘く見ていると、手痛いしっぺ返しを喰うんだよ」
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