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参章 飯綱山の狐使い
七
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「兄者、藍は学校に行ったのですよね?」
先ほど出かけたはずの治朗が、もう帰ってきた。
優子に届ける昼食を用意していた太郎は、首をかしげた。
「そうだけど……どうしたの?」
太郎のそんな問いにも答えず、治朗は落ち着きなくキョロキョロと周囲を見回している。
「捜し物?」
「いえ、そうではなく……その……」
治朗はいつも物事をはっきりと言う。こんなに歯切れの悪い言い方をするのは相当に珍しいことだ。ちょっとしたことではなのだと、太郎も感づいた。
「藍に何かあったの?」
「……わからないのです」
「どういうこと?」
治朗はまた、黙り込んでしまった。それは、言葉を探しあぐねていると言うよりも、言おうかどうか、戸惑っているといった様子だった。
だが治朗は、意を決したように言った。
「兄者……藍の存在が、見えません」
「それはつまり、学校をサボっているってこと?」
「それならばいいのですが……」
この真面目な治朗がサボタージュを”良し”とするなど、まず考えられないことだ。太郎の眉が、眉間に寄っていく。
「そうじゃないというなら、どういうこと?」
「いつもなら、入れ違いになっていたとしても、気を探ればどこにいるか感じ取れました。ですが今日は、それが出来ないのです」
「藍の気が……?」
太郎は、唇を噛みながら俯いてしまった。その表情が読めず、治朗は焦燥感のあまりもう一度飛び出そうと踵を返しかけた。だが、その腕を他ならぬ太郎がしっかりと掴んで引き留めた。
そして、服のポケットにしまっていたものを取り出した。
「鈴……ですか」
太郎が、何百年もの間ずっと身につけていた鈴だ。藍に渡したものと形は同じになっている。ただ一つ違うのは、持ち手として結わえている布がかなりくたびれてしまっているということ。
太郎はその古びた持ち手を握り、そっと鈴を揺らした。
高く、澄んだ音が響くかと思いきや、鈴は少しも音を鳴らさない。そのことを、太郎はじっと見つめて確認していた。
「”返事”がない……」
「”返事”とは?」
「藍が持っている、対の鈴に合図を送ってみたんだけど何も返ってこない」
「気を送ってみたということでしょうか?」
太郎は小さく頷いた。その面持ちは普段の飄々としたものから、険しいものへと変わっている。
「これが繋がらないということは……考えられることは、二つ。一つは、感知できないほど遠くに行っちゃった。もう一つは……」
太郎が二本の指を立て、それを治朗が息をのんで見つめていた。
「誰かの結界に入った、ということ」
この言葉に、治朗までが息をのんだ。
「兄者、それは……!」
誰かの結界に入ったということ。それは、誰かに捕らわれたということに他ならない。
太郎が、手のひらをぎゅっと握りしめる。
そして、口を引き結んだまま、歩き出した。治朗も、それに続いた。
だがその足は、ふいに止まることになった。ゆったりとした、甲高い音が居間から響いてきたのだ。インターホンの音だった。
普段なら温厚に対処する太郎が、苛立たしげに応対に向かった。
「はい」
心なしか荒い声に、訪問者は怯えるかと思われた。だが、帰ってきた声は、少しも怯んだ様子がなかった。
「よう、太郎。久々に会いに来たぜ。なんか機嫌悪いなぁ」
太郎と反して機嫌の良さそうな声が、インターホン越しに届いた。
太郎と治朗は顔を見合わせ、返事の代わりにこう言った。
「ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
インターホンの向こうから、うっすらため息が聞こえてきた。
「……茶も飲ませずに、いったい何を頼みたいんだ?」
太郎は知っている。この人物がこんな風に尋ね返すときは、引き受ける気になっている時だと。
「実は……」
先ほど出かけたはずの治朗が、もう帰ってきた。
優子に届ける昼食を用意していた太郎は、首をかしげた。
「そうだけど……どうしたの?」
太郎のそんな問いにも答えず、治朗は落ち着きなくキョロキョロと周囲を見回している。
「捜し物?」
「いえ、そうではなく……その……」
治朗はいつも物事をはっきりと言う。こんなに歯切れの悪い言い方をするのは相当に珍しいことだ。ちょっとしたことではなのだと、太郎も感づいた。
「藍に何かあったの?」
「……わからないのです」
「どういうこと?」
治朗はまた、黙り込んでしまった。それは、言葉を探しあぐねていると言うよりも、言おうかどうか、戸惑っているといった様子だった。
だが治朗は、意を決したように言った。
「兄者……藍の存在が、見えません」
「それはつまり、学校をサボっているってこと?」
「それならばいいのですが……」
この真面目な治朗がサボタージュを”良し”とするなど、まず考えられないことだ。太郎の眉が、眉間に寄っていく。
「そうじゃないというなら、どういうこと?」
「いつもなら、入れ違いになっていたとしても、気を探ればどこにいるか感じ取れました。ですが今日は、それが出来ないのです」
「藍の気が……?」
太郎は、唇を噛みながら俯いてしまった。その表情が読めず、治朗は焦燥感のあまりもう一度飛び出そうと踵を返しかけた。だが、その腕を他ならぬ太郎がしっかりと掴んで引き留めた。
そして、服のポケットにしまっていたものを取り出した。
「鈴……ですか」
太郎が、何百年もの間ずっと身につけていた鈴だ。藍に渡したものと形は同じになっている。ただ一つ違うのは、持ち手として結わえている布がかなりくたびれてしまっているということ。
太郎はその古びた持ち手を握り、そっと鈴を揺らした。
高く、澄んだ音が響くかと思いきや、鈴は少しも音を鳴らさない。そのことを、太郎はじっと見つめて確認していた。
「”返事”がない……」
「”返事”とは?」
「藍が持っている、対の鈴に合図を送ってみたんだけど何も返ってこない」
「気を送ってみたということでしょうか?」
太郎は小さく頷いた。その面持ちは普段の飄々としたものから、険しいものへと変わっている。
「これが繋がらないということは……考えられることは、二つ。一つは、感知できないほど遠くに行っちゃった。もう一つは……」
太郎が二本の指を立て、それを治朗が息をのんで見つめていた。
「誰かの結界に入った、ということ」
この言葉に、治朗までが息をのんだ。
「兄者、それは……!」
誰かの結界に入ったということ。それは、誰かに捕らわれたということに他ならない。
太郎が、手のひらをぎゅっと握りしめる。
そして、口を引き結んだまま、歩き出した。治朗も、それに続いた。
だがその足は、ふいに止まることになった。ゆったりとした、甲高い音が居間から響いてきたのだ。インターホンの音だった。
普段なら温厚に対処する太郎が、苛立たしげに応対に向かった。
「はい」
心なしか荒い声に、訪問者は怯えるかと思われた。だが、帰ってきた声は、少しも怯んだ様子がなかった。
「よう、太郎。久々に会いに来たぜ。なんか機嫌悪いなぁ」
太郎と反して機嫌の良さそうな声が、インターホン越しに届いた。
太郎と治朗は顔を見合わせ、返事の代わりにこう言った。
「ちょっと頼みたいことがあるんだけど」
インターホンの向こうから、うっすらため息が聞こえてきた。
「……茶も飲ませずに、いったい何を頼みたいんだ?」
太郎は知っている。この人物がこんな風に尋ね返すときは、引き受ける気になっている時だと。
「実は……」
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