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其の陸 迷宮の出口

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「小阪さん、ホンマにごめん!」
 講義の教室に入るなり、笹野はいきなり頭を下げた。あまりに大きな声だったものだから、教室内の視線が笹野に集まっている。
「笹野さん、ごめんて何が?」
 ひそひそ声で尋ねて、慌てて笹野も声を潜めた。
「あの子……都築な、この前は会いたいて言うてたのに、昨日聞いたら急に会いたくないって言い出してん」
「ああ……そ、そうなんだ」
 やっぱりか、と苦笑いを浮かべると、笹野にはそれが自虐の笑みに見えたようだ。がっしりと初名の腕を掴んで、揺さぶる勢いで言った。
「違うから! 小阪さんに怒ってるとかそんなんちゃうから! ここに来ていきなり会われへんとか意味不明なこと言い出してん、あの子。自分が会いたいて言い出したくせに。絶対引きずり出すから」
「あの……都築さんが嫌がってるなら私は……」
「何言うてんの! 大阪の大学受験してまで来たくせに! あんためっちゃ粘っこく食らいついてくる剣道しとったやんか」
「そ、それとこれはさすがに……」
 自分は”粘っこ”かったのか……と、ひそかにショックを受けていたが、そこは置いておくことにした。
「ち、違うの。昨日、実は偶然会っちゃって……そしたら都築さん、話す前に逃げちゃって……やっぱり嫌だったんじゃないかな」
「逃げた? 逃げたって、ホンマに? うそ……許されへん」
「え」
 笹野の顔が、どんどん憤怒の色に塗り変わっていく。こんな明王の仏像を、どこかで見たことがあった。
「だってあの子がうちらに言うたんやで。小阪さんは悪くない。そんな風に言うて避けるのはおかしいって。うちはいつでもどーんと構えてるし、むしろ会いたいって」
「そ、そんなことを?」
「そうや。だからうち間違っとったなぁて思たし、二人の繋ぎつけよて思たのに……自分が逃げ出すて何なん。あんたこそ逃げんなって言いたいわ」
 ますます以て、昨日の逃げた時の様子とはかけ離れたイメージになっていく。
 混乱する頭を抱える初名の耳に授業開始のベルの音が、響いてきた。
「待ってて、絶っっ対に連れてくるから」   
 笹野は口早にそう言うと、急いで自分の席に戻っていった。後ろ姿でも、まだぷんぷん怒っているのがわかる。
 それに対し、初名の胸の内は、憤りよりも苦い思いで溢れかえっていた。
(やっぱり、あんな怪我させた相手なんか怖いし、恨むよね……)
 
******

 大学に入ると、毎日の講義のスケジュールが日によって大きく変わる。午前だけで終わる日もあれば、夕方五時近くまで続くこともある。今日は、そのもっとも遅くなる日だった。 部活をしていない高校生ならば、とっくの昔に帰宅してしまった時間だ。何とか絵美瑠に会おうと、張り込みをしようと思っていたところだったのだが、完全に出鼻をくじかれてしまった。
 項垂れる初名の足は、梅田駅に着いた後、地下街に向かい、くるりと方向を変えて、地上へと向かった。昼間でも人通りは多い場所だが、暗くなり、いたるところで電灯がつきはじめると、一層賑やかさを増す。地下街の近くには大きな道路がいくつも走っているうえ、東通り商店街にお初天神通が大きく存在を主張している。
 その通りを抜ける間、様々な店から店員が出てきて、道行く人に声をかける。幸い、そういう客引きは複数人で歩く人に向かっていくので、一人で歩いていた初名には声はかからなかった。
 初名はそうして人と人の間を縫って歩き、素早く目的の場所までたどり着いた。
 いくつもの店が軒を連ね、賑わいを増す中、整然と佇む鳥居を、初名は見上げた。
『露天神社』の鳥居を。
 鳥居をくぐり、一番最初に向かったのは、大きな黒い牛が座っている撫で牛像の元だった。お賽銭を入れ、静かに手を合わせていると、ふわりと、背後に誰かが近づいた気配を感じた。
「よう来たね、初名」
 そう告げたのは、少年だった。
 優しく柔らかい空気を纏い、見守られているのだと、伝わってくる。初名は、深くお辞儀をして、その名を呼んだ。
「こんばんは……清友さん」
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