上 下
76 / 109
其の伍 紡ぐ思い、解ける時間(とき)

十二

しおりを挟む
「……手当は?」
「しました。まぶたが切れただけでした。でもすごい血で……痛いってずっと言ってて……私、怖くて……!」
「そんなに血ぃ流れてるところ見たら、誰かて怖いわ」
「でも私、何も出来なかったんです。自分のせいであの子が怪我したのに、動けなかった……! そのせいで、あの子はその後の試合を棄権したのに……!」
「……あんたは、その後どないしたん?」
「棄権しました。私だけ試合に出るなんて、とてもできないから」
「ほな、その子のお見舞いには行ったん?」
「行きましたけど、門前払いでした。会いたくないって……当然ですよね」
「……そうか」
 気づけば、百花が手ぬぐいを差し出していた。梅の模様が刺繍してある、冬の光景のような手ぬぐいだった。
 初名が受け取ろうか戸惑っていると、百花の手が伸びて、ちょんちょんと涙を拭ってくれた。もう片方の手は、初名の頬にそっと触れた。
「怖かったんやな、剣道するのが」
「怖いっていうか……」
「怖いんや。その子はできへんようになったのに、自分はやりたいことやってるていうことが申し訳のうて、他の誰でもない自分自身で責めとったんや、ずぅっとな」
 初名は、頷くとそのまま俯いた。これ以上、顔を見られたくなかった。だが、百花の言葉はまだ続いた。
「もう一つ、自分で気ぃ付いてるかはわからへんけど……ホンマは、その子にごめんて言うことも、怖いんとちゃう?」
「……え」
 顔を上げた初名の目に、百花の視線が刺さった。優しいが、厳しい視線だった。
「そうやろ。その子に謝ったら、自分はまた剣道に戻れる。心のどこかしらでそう思ってるんやろ。その子に謝って、安心してしまいそうなことが、怖いんや……違う?」
「あ……」
 そう言われて、ようやく気付いた。百花の言うとおりなのだ。
 どうして何度も謝りたいと思っていたのか。もちろん謝罪は当然の義務なのだが、そのためだけに同じ部で繋がりのある笹野にまで働きかけるのは、やり過ぎなようにも感じていた。それでも止めずにいたのは、それで”おしまい”にしたかったからだ。最低限の義務は果たしたと、言いたかったからだ。そうすれば、言い訳が立つからだ。
 そして、傷つけたくせにそんなことを考えている自分が卑しくて醜くて、怖かったのだ。
 再び百花がくれた手ぬぐいに顔を埋めた初名を、ふわりと柔らかな感触が包んだ。気付くと、初名は百花の腕にすっぽりとくるまれていた。
「アホやなぁ」
「……はい、私、とんでもなく馬鹿で……今になってもまだ震えてしまって……」
「そうやない。一人で抱え込んで、ずっと悩んで、でも他の人にはわからんように笑て……ホンマにアホや」
「でも私……悩むしか、してません……他には何も」
「十分やないの。その子は、痛かったやろけど、きっと慰めてくれたり心配してくれる人がようけ・・・いたと思うわ。そやけど、あんたはおらんかった。いても、あんたは逃げとったやろ。そやから、うちが言う」
 抱きしめられて、百花の顔は見えない。だが声が、とても柔らかく、温かな響きだった。
「辛かったなぁ。痛かったなぁ。ずぅっと、苦しかったなぁ」
「……あの子の方が、ずっと……」
 初名がそれ以上口にする前に、百花が初名の背中をぽんぽんと叩いた。。
「……アホ」
 百花は、そのままもう一度初名を両腕におさめて、背中を優しくなで続けた。その柔らかな感触に、初名は幼子のように、身を委ねていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

デリバリー・デイジー

SoftCareer
キャラ文芸
ワケ有りデリヘル嬢デイジーさんの奮闘記。 これを読むと君もデリヘルに行きたくなるかも。いや、行くんじゃなくて呼ぶんだったわ……あっ、本作品はR-15ですが、デリヘル嬢は18歳にならないと呼んじゃだめだからね。 ※もちろん、内容は百%フィクションですよ!

積みかけアラフォーOL、公爵令嬢に転生したのでやりたいことをやって好きに生きる!

ぽらいと
ファンタジー
アラフォー、バツ2派遣OLが公爵令嬢に転生したので、やりたいことを好きなようにやって過ごす、というほのぼの系の話。 悪役等は一切出てこない、優しい世界のお話です。

ちょっと仕事辞めて実家に帰る~田舎ではじめる休活スローライフ

錬金王
キャラ文芸
田舎に住んでいた主人公、安国忠宏は親の反対を押し切って上京し、都内の大学へと進学した。 都内に夢を見た彼だが、大学を卒業後受かったのは小さなサービス企業。 しかもそこはパワハラ、サービス残業上等のブラック企業だった。 他に再就職できるあても自信もなく、親の反対を押し切った手前に辞めることすらできないでいた忠宏は、 ブラック企業で働き続けた。しかし、四年目でとうとう精神が耐え切れなくなる。 そんな限界的状況に陥った忠宏の元に、母からの電話が。 「仕事を辞めて実家に帰っておいで」 母の優しい言葉に吹っ切れた忠宏は、仕事を辞めて実家である田舎に帰る。 すると一週間後には従妹である、真宮七海がくることになり、疎遠だった友人たちとの緩やかで楽しい生活がはじまる。 仕事だけが人生ではない、少しくらいゆっくりした時間が人生にあってもいいと思う。

後宮にて、あなたを想う

じじ
キャラ文芸
真国の皇后として後宮に迎え入れられた蔡怜。美しく優しげな容姿と穏やかな物言いで、一見人当たりよく見える彼女だが、実は後宮なんて面倒なところに来たくなかった、という邪魔くさがり屋。 家柄のせいでら渋々嫁がざるを得なかった蔡怜が少しでも、自分の生活を穏やかに暮らすため、嫌々ながらも後宮のトラブルを解決します!

あやかし雑草カフェ社員寮 ~社長、離婚してくださいっ!~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 令和のはじめ。  めでたいはずの10連休を目前に仕事をクビになった、のどか。  同期と呑んだくれていたのだが、目を覚ますと、そこは見知らぬ会社のロビーで。  酔った弾みで、イケメンだが、ちょっと苦手な取引先の社長、成瀬貴弘とうっかり婚姻届を出してしまっていた。  休み明けまでは正式に受理されないと聞いたのどかは、10連休中になんとか婚姻届を撤回してもらおうと頑張る。  職だけでなく、住む場所も失っていたのどかに、貴弘は住まいを提供してくれるが、そこは草ぼうぼうの庭がある一軒家で。  おまけにイケメンのあやかしまで住んでいた。  庭にあふれる雑草を使い、雑草カフェをやろうと思うのどかだったが――。

京都式神様のおでん屋さん 弐

西門 檀
キャラ文芸
路地の奥にある『おでん料理 結(むすび)』ではイケメン二体(式神)と看板猫がお出迎えします。 今夜の『予約席』にはどんなお客様が来られるのか。乞うご期待。 平安時代の陰陽師・安倍晴明が生前、未来を案じ2体の思業式神(木陰と日向)をこの世に残した。転生した白猫姿の安倍晴明が式神たちと令和にお送りする、心温まるストーリー。 ※一巻は第六回キャラクター文芸賞、 奨励賞を受賞し、2024年2月15日に刊行されました。皆様のおかげです、ありがとうございます✨😊

その男、凶暴により

キャラ文芸
映像化100%不可能。 『龍』と呼ばれる男が巻き起こすバイオレンスアクション

あやかし店主の寄り道カフェへようこそ!

美和優希
キャラ文芸
人を寄せ付けないイケメンクラスメイトは、実は漆黒の狼のあやかしだった。 ひょんなことからその事実を知った高校二年生の綾乃は、あやかし店主の経営する“寄り道カフェ”でバイトをすることになって──!? 人間もあやかしもわけ隔てなく迎え入れる、寄り道カフェには、今日もここを必要とするお客さまが訪れます……! 初回公開*2019.08.07 アルファポリスでの公開日*2020.12.31 *表紙イラストは、たっくん様に描いていただきました。

処理中です...