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其の伍 紡ぐ思い、解ける時間(とき)

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 意気揚々と店を出た初名と百花は、僅か数歩で足を止めた。
 最初の目的地は、『仕立屋 太夫』のはす向かいに位置する古道具屋『やじや』だった。百花がしなやかな手つきで店の戸を開けると、中からは一斉に声が飛んできた。
「姐さんや!」
「姐さん、久しぶりや!」
「姐さん、どこ行っとったん?」
 やじやの商品もとい仲間たち……付喪神憑きの古道具たちだ。皆、意思を持って自分勝手に喋りまくる。
 おかげで百花が「ごめんください」と言った声など、たやすく押さえ込まれてしまった。
 だが、この光景を見るのが久しぶりなのか、百花は穏やかに目を細めて、店を眺めていた。
「あんたら、相変わらずやなぁ」
「お前もな」
 店内の全員・・に向けた言葉に、店の奥から返事があった。声の主は、すぐに暖簾をかき分けて店に現れた。
「やじさん、こんにちは。えらい男前が増したんやないの?」
「アホ言うなや。ずっとこんな地下におって何が変わるねんな」
「変わるもんは変わるやないの。ところで、これ……頼まれとった繕いもの、持ってきました」
「ああ、そうやったな。おおきに」
 百花が、風呂敷包みから何かを取り出し、弥次郎に渡した。それは紺地に店の名が白く染め抜かれた前掛けだった。
「店開いたって聞いて、頼んでみたんや。この前掛けもくたびれてきとったし、ちょうど良かったわ。ありがとうさん」
「どうも」
 慣れた様子でやりとりをする二人は、初名から見てとても絵になった。思わず圧倒され、一歩また一歩と後ろへ下がると、無遠慮に戸を開いて入ってきた人物にぶつかった。
「……何してんの、キミ?」
「辰三さん……!」
 その顔には、いつもの如く包帯がぐるぐる巻きにされていたため、初名は身構えてしまった。だがすぐに、百花のたおやかな声が響いた。
「いや、タツさん! ちょうど良かったわぁ」
 百花は辰三にも、風呂敷の中身を手渡した。見たところ、Tシャツのようだった。きれいに洗濯された上で、ところどころに空いていた穴に端切れが当てられていた。その補修箇所が多く、無地のTシャツが柄の布に埋め尽くされかねない。だが、その当て布のやり方が、単なるつぎはぎに留まらず、新たな柄を生み出しているようで、なんとも粋なシャツに生まれ変わっていた。
「ようこんなボロボロにするもんやわ。繕い物やのうて……なんて言うたっけ? 西洋の端切ればっかりで作る大きい……パッチワークみたいになってまうわ」
「それはそれでおもろそうやけど……まぁ、うん。ありがとうさん」
 辰三は思っていた以上の仕上がりに少し困惑しながらも、Tシャツを鞄にしまい込んだ。そして下を向いたとき、ふと初名の手に目をとめた。
「……怪我しとるやん」
「え? ああ、これは……ちょっと針で……」
 言葉を濁したものの、十分伝わったらしい。辰三は深いため息をつきながら、何やら鞄の中をごそごそとまさぐった。
「不器用もんが無茶するからや……ほれ、これ貼っとき」
 そう言って、絆創膏を差し出した。
 初名は受け取ろうとして、ためらってしまった。
「あの……これはお団子何本でしょうか?」
「人を何やと思とんねん。くれてやるから、いくらでも持っていかんかい」
 辰三がここまで言うことは珍しい。それならと、初名はありがたく何枚か頂くことにしたのだった。辰三の気が変わらないうちに。
 そしてそのうち一枚を、先ほど針を刺してしまった箇所に巻いていたら、何やら視線を感じた。辰三のものではなく、二人を遠巻きに見ていた、百花の視線だった。
「いやぁ……タツさん、えらい優しいなぁ」
「おお、俺もそう思とってん。あんだけ自分のメシ・・のことしか考えとらんタツがなぁ……」
 弥次郎と百花の視線は微笑ましいというものではなく、ニヤニヤとからかうようなものだった。辰三は、耐えられないとばかりにさっさと踵を返した。
「アホくさ。帰るわ」
 そそくさと立ち去る辰三を、弥次郎たちはクスクスという笑い声で見送った。初名は、乱暴に歩いていった辰三の気持ちが、ほんの少しだけ理解できた。
 そしてもう一つ、なんとなくわかった。
 弥次郎は百花とどこか共感できるらしい。そして辰三は、百花がどこか苦手らしい。
 人間模様は、やはり様々なようだ。
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