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「変な感じ? 持ってるもの?」
 スズは今、手ぶらだ。持っているものといえば、一つしかない。
「もしかして、これですやろか」
 スズは、袂に忍ばせていた守り袋を取り出した。
「ほぉ、それは……見せてもろても?」
 狸のご隠居がそう言うので、スズはそっと差し出した。ご隠居は、まじまじと袋を見つめている。
「これはまた……大事にしてはるんやなぁ。なんぞ、思い入れでも?」
「えぇと……子どもの頃からずっと持ってるんです。ちょっと訳があって、色んなお家で預かってもろてきて、そやから子どもの頃からずっと持ち続けてるものはこれしかないんです」
「ほぉ、良ければその『訳』いうんも、聞かせてもろてもええでっか?」
 スズは僅かに迷ったが、話すことにした。
「実は昔、この船場の久宝寺町に住んでたんです。親は、そこで小さな小間物問屋をやってました。他の店と比べて繁盛してるわけではありませんでしたけど、家族が暮らす分には何にも困らへんかったんです。そやけどある日、急に……親がうなってしもて……もう10年経つやろか。それで……」
「ああ、もうええ。もうええ」
 ご隠居はそう言い、スズの手にそっと守り袋を握らせた。ふかふかの毛が、温かかった。
「辛い話をさせてしもたなぁ。堪忍な」
「いえ、そんな……申し訳ありません」
 言いながら、涙がにじみそうになってしまった。話せなくなる前に、スズは静かに寿子の後ろに下がった。だが、もう一人の声が、それを押しとどめた。
「急に親が亡うなった理由は、何でっか?」
 善丸だ。ご隠居のような気遣う気配は感じられず、ただただ興味本位のように聞こえる。
「善丸! 控えぃ!」
 ご隠居がそう一喝するも、善丸は更に身を乗り出していた。
「ご病気でっか? それとも事故にでも?」
「善丸!」
 ご隠居の毛が逆立ち始めた。これでは寿子も困る上、この善丸が何か処罰を受けるかもしれない。
 スズは、二人の声を遮るように、言った。
「お……押し込みです。盗人に殺されてしもたんです。お父ちゃんも、お母ちゃんも、奉公人も……うち以外は、皆」
 スズが答えると、その場にも沈黙だけが残った。ご隠居や寿子が痛ましげに息を呑む声が聞こえる。
「……その盗人いうんは、捕まったんかいな」
「いえ、今もまだ……」
「そうか。そら……難儀なことやったなぁ」
 ご隠居は、もう一度スズの手を取り、またぎゅっと包み込んだ。
「辛かったやろ。自分だけ生き延びん方が良かったて、思うこともあるかもしれん。そやけどな、今のあんさんがあるのは、生き延びたからやで」
「はい。よう分かります」
「きっと今生きてここにおることを感謝できる日が来る。百鬼屋さんが、そうしてくれはる……あんたは信じて、精一杯務めなはれや」
「はい……!」
 狐の面の鋭い目元の奥で、寿子の声が震えているのがわかった。
 スズもまた、震えていた。まだ見習いゆえに面は受けていないが、今日ほど、民案皆と同じ面が欲しいと思ったことはない。少なくとも、今、涙を堪えきれない様子を隠すことが出来るから。
「頑張ります。それに今、十分嬉しい思てます。旦さんはなかなか捕まえられへんけど、このお店の人ら、好きです」
 涙を堪えていると、頭の上にふかふかした大きな手が、降ってきた。
「そうか。ほな、その守り袋をくれたお人にも、感謝せんとなぁ」
「これをくれたお人に、ですか?」
「そうや。確かなことは言えんけど、その守り袋が、あんさんのことを守ったんやと思うで。そのおかげで、わしらはこうして、あんさんに会えた。わしも、その守り袋をくれたお人に感謝しますで」
「ホンマに、そうでんな……」
 どうしてか、寿子までが同意していた。そしてご隠居と一緒に、笑みを交わしているように見える。
「ああ、今日は会えて良かったわ。おかげで祝言のやり直しに出るっていう楽しみができたわ」
「へぇ、ありがたいことです。そのためにも、あのアカンタレ……はよ捕まえませんとなぁ」
「ホンマや。そやけど坊が逃げたおかげで祝言がやり直しになって、わしが出られるようになったっちゅうのも確かやな」
「いや、ホンマですなぁ。感謝した方がええんやろか。なんや嫌やわぁ」
 泣き声は、いつの間にか笑い声に変わった。
 あれだけ困った人だと思っていた清一郎は、この場においては、涙を笑みに変えてくれた恩人となったのだった。
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