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さようなら
しおりを挟む『リューも、リューも私をおいていくの?おかあさまみたいに、私をおいていくの?』
いつ頃のことでしたでしょうか。
まだ幼かった自分が、彼に縋るようにして泣きついた日。
私の視線の先には、平凡な栗色の髪の毛を持った一人の小さな女の子がいます。
その子は、暗い部屋の中で泣いていました。
その傍らには、ベッドの上に腰掛けた小さな男の子がいます。
その小さな女の子は、私で、その小さな男の子は、私の婚約者であった彼で、
確か、この時は彼が剣の授業で大怪我を負った時だったと記憶しています。
怪我のあまりの酷さに、彼が死んでしまったらどうしようという不安が込み上げた結果、泣いてしまったのです。
「──────」
まだ小さい彼が、ゆっくりと口を開いて何かを囁きます。
─────あの時、彼はなんと言ったのでしたったけ。
いくら考えても思い出せません。
けれど、安心しきった表情で眠りについた女の子が視界に飛び込んできたことで、それは杞憂であったことがわかりました。
また、場面が変わりました。
ここは、私の実家の屋敷···でしょうか。
懐かしい庭の風景が、私の目の前に広がっています。
『リュー、リュー、これはなあに?』
そう言って無邪気な声を発した子どもに、私の視線はゆっくりと向きました。
そこには先程、暗い部屋で見た時よりも少し大きくなった女の子がベンチに座っていました。
案の定、隣には女の子同様少し大きくなった彼がいて、女の子は絵本を彼の前に広げていました。
確かあの絵本は、お父様が出張先からお土産で買ってくれた物です。
『───────』
『ちゅー?ちゅーはほっぺたにするものでしょう?』
少年からの返事にキラキラとした瞳を一変、次に女の子は困ったように眉を下げました。
まだ純粋で、何も知らなかった幼少期。
この頃は、いつだって隣には彼がいました。
『──────────』
『くちびるにするなんて、へんなの』
優しく女の子の方を向いて何かを言う彼を、不躾にもじっと見つめてしまいます。
この時、彼はこんな顔をしていたのだと初めて知りました。
あの時は彼の答えが意外で、意味がよく分からなくて、食い入るように絵本を見ていたから気が付きませんでした。
『──でもほら、ふたりはしあわせそうでしょう?』
少し高めの彼の声が、私の耳に入ってきました。
彼と女の子が額をくっつけるようにして覗き込んでいる絵本に描かれているのは、結婚式の場面。
そこには綺麗に着飾った花嫁と、その花嫁を愛しそうに見つめる花婿の絵が描いてありました。
『しあわせそう?···たしかに、そうね!しあわせそう!』
きゃっきゃっとその絵本の絵をなぞるようにして笑った女の子の笑顔が、キラキラとしていて眩しいです。
ふと、思い出しました。
この場面、この年頃。
───ここで、ほら。
今の彼はとうに覚えていないであろう約束を彼としました。
私はずっと覚えているその約束は、
彼にとったらちっぽけかもしれないけれど、
私にとってはすごく大切なものでした。
『シャーリー、ボクとけっこんしようね』
『けっこん?···けっこんをすれば、リューとずっといっしょにいられるの?』
『うん。ずっと、ずっといっしょに』
『じゃあ、する!』
『やくそくだよ』
『うん。やくそく』
そう言って笑いあったあの頃が懐かしい。
私の、愛しくて仕方がなかった彼との大事な約束。
重い瞼を開けると、見慣れない天井が視界に入ってきました。
起きようと思っても起き上がることもできず、ただ怠い様な不思議な感覚が体に残っていました。
─────なんだか懐かしい夢を見ていたような気がします。
目元に少し滲んだ涙を拭おうと、手を持ち上げようとしましたが、何かが乗っかっているようで動かすことが出来ません。
少し顔をずらして自分の手元を見れば、最近は見ることを避けていた、見覚えのある人が顔を伏せて眠っていました。
私が横たわっているベッドに顔を伏せるようにして眠るその人に、少し驚いてしまいます。
───いえ、すごく驚きました。
「···っ!」
声を出そうにも、ヒューヒューと息の吐き出される音だけが虚しく部屋に響きます。
───どうして、ここにいるの。
寝ぼけた状態から一変、私の意識は覚醒しました。
───ああ私は、助かってしまったのでしょうか。
落胆にも似た気持ちが、心の内から這い上がってきます。
王女様を庇った時にこの命も同時に散ってしまえば良かったのに、とまで思ってしまいます。
この苦しい世界で、私はまだ生きなければならないのかとまで思いました。
それほど私の心には、
悔しさと、
虚しさと、
嫌悪と、
色んな感情が、
ごちゃ混ぜになって存在していました。
呼吸をする度ヒューヒューとなる喉がまた、悲しみを表してくれているようです。
嫌でした。
考えるだけでも、気持ちが悪くなりました。
意識を取り戻した直後なのに頭を使いすぎたのが、頭が痛くて仕方がありません。
私はそこで、意識を手放しました。
*****
次に目を開けると、私の手を握っていたあの人はいなくなっていて、大きな部屋には私一人だけでした。
これは夢ではないということが嫌でも分かり、私は死んでないということを深く自覚させられました。
気づけば、私の目の前にはお医者様がいて、体の診察をされていました。
人払いがされているのか、侍女や使用人の姿はなく、お医者様の淡々とした声だけが私の耳に入ってきました。
もう、満足に体を動かすことは不可能だそうです。
私が刺されたあの刃物には、案の定、強力な毒が塗ってあり、生きているだけでも奇跡なのだと言われました。
これから私は、ベッドの上で食べ物だけを消費する厄介な人へと成り果てるのでしょう。
不思議と体に大きな障害が残ったことに絶望感はなく、ただただ何故自分は生きているのだろうという虚無感だけがありました。
声は出せなかったので、お医者様には頷くだけの返事をしました。
「シャーリー」
窓の外をボーッと眺めていると、突然私に向かって声がかけられました。
けれど、そちらに振り向くのも億劫になってしまった私は、それに聞こえないふりをします。
だってそれは、私が聞きたくないあの人の────
「シャーリー!」
大きな声で呼ばれ、びくりと身体が震えます。
そっと顔だけをそちらに向ければ、顔を真っ赤にして怒った顔をした婚約者であった彼がいました。
何に怒っているのか、私にはよく分かりません。
だって私は、間違ったことは怒られるようなことはした覚えは無いのですから。
「君は、なんてことをしたんだ」
「···」
「死ぬところだったんだぞ」
彼が、顔を歪めて私に言います。
けれど私には、そうですね、という同調の気持ちしか湧きませんでした。
どうして生きているのか、
どうして私は彼の屋敷にいるのか、
どうして彼は私にそんな悲しそうな顔を見せるのか、
全て、分かりませんでした。
突然、彼が私の寝ているベッドの近くまで来ました。
そしてボスっと音を立てて私の手の横辺りに顔を埋めます。
「お願いだから、俺を1人にしないでくれ。お願いだから」
彼の言葉の意味が分かりません。
彼が私の手のひらをギュッと握ってきます。
何だか生暖かいものが私の掌に伝っているのは、気のせいでしょうか。
彼には王女様であるカロリーナ様がいます。
一人になるはずなんでありませんのに。
「全部、全部話すから謝るから、置いていかないで」
そう言って、彼が話し出します。
カロリーナ様との関係。
今は亡き彼の両親とは血が繋がっていないこと。
カロリーナ様とは、異母兄妹だということ。
彼をカロリーナ様の近衛騎士とするため、王命が下っていたこと。
婚約者である私には、その事を言ってはならないこと。
感情を殺し、王女を守れと言われたこと。
今回王女様が狙われたのは、想定内であったこと。
私が王女様の前に躍り出たことは想定外であったこと。
「···」
「こんなの言い訳だ。でも、俺と王女は兄妹で、それ以上でもそれ以下でもない」
縋るようにしてこんな私の手元でそう言った情けない彼に、私は自嘲気味に笑ってしいました。
──何を言っているのでしょう、この人は。
あんなに、私を蔑ろにしたのに。
仕方がなかったとしても、私より王女様を選んだのに。
王命でもないのに、王女様に命令されたとしても貴方には断る事が出来たにも関わらずリューという愛称を呼ばせることを許したくせに。
沸々と彼に対する文句と、愚痴とが心の中に溢れてきました。
けれどそれらはまるで、嫉妬していた自分を自覚させるような、滑稽で不愉快なものばかりでした。
醜くて幼稚な私の心がこんなにも悲しんでいたことを、突きつけられるようでした。
「本当にごめん」
彼が私の手を両手で包み、謝ってきます。
けれど、声を出すことも出来ない私は、無言でそんな彼を見つめていました。
──そうでした。
彼は、元々こんな性格でした。
何でも自分の中に塞ぎ持って、自分でどうにかしようとする。
そして、どうにもしてあげられなくなった末期に、打ち明ける愚か者だったのです。
それが彼の欠点で、彼の彼らしいところで、
私は彼から目を離し、そっと目を瞑りました。
私もまた愚かな女です。あんなにも王女様と彼が一緒にいる所を見て傷ついてきたのに、彼を許してしまいそうになっているなんて。
急に胸の当たりが苦しく、息がしずらくなりました。「・・・うっ」と呻くように息を吐いた途端、なんだか意識が遠のいていくような、深い闇に吸い込まれていくような、とても不思議な感覚がしました。
「シャーリー!」
彼の必死の叫びを聞いて、愚かにも私はそれを嬉しく思ってしまいました。
────次に起きた時には、しっかりと彼に愛を伝えましょうか。
こうして私のために泣いてくれて、私を必要としてくれる、可哀想で愛しい彼に、
リューという愛称ではなく、アンドリューと呼んでみるのもいいかもしれませんね。
私は彼にそっと笑いかけました。
先程までは生きていることが苦痛であったのに、今は、なんだか違う様な気がします。
どうか、彼と笑い合える日が来ますように。
叶うかも分からない未来に、そんなことを思います。
愛していました、さようなら。
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