恋情を乞う

乙人

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幸福

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『幸せって、なんなのだろうね。』
 今や墓に入った人は、昔、そう言っていた。

「人の幸せを望むのって、大変ですよね、小姐ねえさま。」
 俐才人は言った。隣では、圓寳闐賢妃はいつもの通り、茶を啜っている。
「そうね、妹妹メイメイ。」
 謀反という、一大事件が起きたというのに、二人はいたって冷静であった。
「分からないわよね、人の心なんて。」
 賢妃は思い出すことがあった。

『人の幸せを願うのは、きっと、一番難しいことなんだわ。』
 母の七寚郡主が言っていた。亡くなる、直前くらいだっただろうか。まだ、毒殺されるとは夢にも知らなかった。
 父は、母の処には帰っては来てくれなかった。自分よりもあからさまに身分の高い母を、扱いづらいと思っていたのは分かる。だが、放ったらかしていたのは、違うと思う。
 彼女の味方はいなかった。強いて言うならば、まだ幼かった自分だけだ。そんな母は、自分の幸せを、誰よりも望んでくれた。
(私は、愚かだ。)
 茶を飲み終わった俐才人が、寳闐の娘、明媛公主をあやしている。
(誰の幸せも、望めない。)

 幸せな人間を見て、人は、どう感じるのだろうか。
 ある人が、二つだと言っていた。一つは、我が身の如く、喜ぶ者。もう一方は、人の幸せを憎む者。
 寳闐は前者を聞いたことがなかった。いや、一人、いる。旲瑓はそれに当てはまる様な気がする。
 寳闐が見てきた者は、皆、利己的だった。それは、仕方が無い。寳闐とてそうだ。
 復讐のために、我が娘に毒を盛り続ける、とても、非道な母親だ。それに対して、赦しを乞おうなぞ、微塵にも思わない。

「寳闐。」
 才人以外に、人が訪れることのない、圓寳闐の登花宮。いつも静かで、何処と無く、寂しい。
「お久しぶりで御座いますわね。」
 寳闐はゆったりと拝礼した。旲瑓だった。
 旲瑓は寳闐に立つように促す。立ち上がった寳闐は、旲瑓に茶を進めた。
「魖菫児廃后が、亡くなりましたね。」
「そうだな。」
 徳妃だったはずのこの人は、彼女のせいで、降格している。だが、それを、なんとも思っていないらしい。
「世間的には、魖菫児は極悪人だわ。でも、私はそう思えない。彼女は、最後の最後で留まれた。」
 旲瑓は首をかしげている。
「永寧大長公主様を暗殺しようとした証拠である魖闉黤を殺すことも出来たはず。いいえ、そうするべきでした。なのに、彼女はそうしなかった。本当は、情に厚い方だったのですよ。」
 旲瑓は寳闐の目を見つめる。黒曜石の様な、真っ暗な瞳。引き込まれてしまいそうな、深い色。
「身内-従姉妹-にあたってしまう私が申すことは、甘いのかもしれません。ですが、私には、廃后が哀れに感じられてならなかったのです。不思議なこと。太后だった頃には、考えたこともなかったのに。」

 妟纛。菫児。姮殷。三人の、男女。縺れに縺れた、彼等の恋模様。
『私は何方を選べばよかったのだ?』
 父は旲瑓に零した。
 -知らない。それは、妟纛自身が決めることだから。だが、旲瑓は思う。何方を愛しても、奈落に堕ちるのだと。
 人の幸せを、喜ぶことの出来ない、だが、それ全てを貶すことも出来ない。残酷になれなかった女達。
『私は、幸せよ。』
 永寧大長公主は笑っていた。だが、疲労しきった顔をして、瞳は、何処か遥か遠くを見ていた。
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