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妟纛
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真っ暗で、殺風景な離宮に、一人の青年が来ていた。壁に手を添えて、目を閉じると、逝ってしまった人の気配が、感じられる様だった。
先帝。太后の夫で、旲瑓の父とされている人で、名を、妟纛と云う。
世間的には、三十六となっているが、本当はもう少し歳をとっているらしい。
『遣る瀬無い感情が心を巣食って、欠けさせたの。』
櫖淑妃、姮殷は言っていた。姮殷は元々義理の母で、貴妃であった。
姮殷は、独りで寂しく死んでしまった。永寧大長公主を遺して。
永寧大長公主は、自分の娘として育てられた。十程にしか歳が変わらないのに、如何して騙し続けることが出来たのか、我ながら、不思議でたまらない。
永寧大長公主は哀れだ。
太后の元、下女珞燁として飼い殺しにしていたらしい。そのせいで、左半身を麻痺してしまったと聞いた。
宗室の人間にも遠慮しない太后を、愚かだと思った。
『呼ぶな、名が汚れる』と、言っていた。彼女は執着しているらしい。最早、価値のない、自分に。
生き甲斐のない、と、言っていた。
随分と昔、姮殷が、教えてくれた。
永寧大長公主が、幸せになることは、決して無い。
(私よりも若いうちに死んでしまうのか。)
それを聞いて、悲しくなった。
仮にも、東宮だった女だ、諡を決めておこうと思った。もう、決めてある。
『顕光大長公主』これが、永寧大長公主へ送ろうとしていた物だ。愛した人が、決めた。
永寧大長公主を見ていると、悲しくなる。否応なしに、母である姮殷を思い出してしまうから。
永寧大長公主は姮殷を超えて、新しい未来へと足を踏み入れている。それに、過去を求めるなぞ、無意味。
若い娘には無い、翳りや儚さ。永寧大長公主と姮殷は別の人間なのに。何故、似ているのだろう。
高貴な、薄幸の人間。評価されない、美しさ。私情を殺さねばならない立場。
後宮は、恐ろしい。
姮殷は、一歩道を踏み外してしまった。己を愛すことは許されない。妟纛は、誰かひとりの者にはなれない。
強いて言うならば、旲瑓もだ。永寧大長公主は叔母なのに、甥を愛してしまったらしい。分かっている。
これから、旲瑓がどうするのかは、分からない。妟纛と旲瑓は別人なのだから。
ただ、太后が後ろで手を引いているのは、間違いないだろう。
肉塊になりたくない。
それならば、強く、強かに生きてゆく他無い。
太后の王国になりつつある、この国では、太后に従う他ないのだろうか。己とて太后に弱みを握られてしまった。
「どうなるのやら。」
妟纛は床を見下ろした。
愛する人の余韻を感じようと、涙を流した。
細い手が、それに似合わない刃を振るった。
夢か現か幻か、分からない。
ただ、その先にあるのは、極楽か地獄か、そのどちらかだ。
先帝。太后の夫で、旲瑓の父とされている人で、名を、妟纛と云う。
世間的には、三十六となっているが、本当はもう少し歳をとっているらしい。
『遣る瀬無い感情が心を巣食って、欠けさせたの。』
櫖淑妃、姮殷は言っていた。姮殷は元々義理の母で、貴妃であった。
姮殷は、独りで寂しく死んでしまった。永寧大長公主を遺して。
永寧大長公主は、自分の娘として育てられた。十程にしか歳が変わらないのに、如何して騙し続けることが出来たのか、我ながら、不思議でたまらない。
永寧大長公主は哀れだ。
太后の元、下女珞燁として飼い殺しにしていたらしい。そのせいで、左半身を麻痺してしまったと聞いた。
宗室の人間にも遠慮しない太后を、愚かだと思った。
『呼ぶな、名が汚れる』と、言っていた。彼女は執着しているらしい。最早、価値のない、自分に。
生き甲斐のない、と、言っていた。
随分と昔、姮殷が、教えてくれた。
永寧大長公主が、幸せになることは、決して無い。
(私よりも若いうちに死んでしまうのか。)
それを聞いて、悲しくなった。
仮にも、東宮だった女だ、諡を決めておこうと思った。もう、決めてある。
『顕光大長公主』これが、永寧大長公主へ送ろうとしていた物だ。愛した人が、決めた。
永寧大長公主を見ていると、悲しくなる。否応なしに、母である姮殷を思い出してしまうから。
永寧大長公主は姮殷を超えて、新しい未来へと足を踏み入れている。それに、過去を求めるなぞ、無意味。
若い娘には無い、翳りや儚さ。永寧大長公主と姮殷は別の人間なのに。何故、似ているのだろう。
高貴な、薄幸の人間。評価されない、美しさ。私情を殺さねばならない立場。
後宮は、恐ろしい。
姮殷は、一歩道を踏み外してしまった。己を愛すことは許されない。妟纛は、誰かひとりの者にはなれない。
強いて言うならば、旲瑓もだ。永寧大長公主は叔母なのに、甥を愛してしまったらしい。分かっている。
これから、旲瑓がどうするのかは、分からない。妟纛と旲瑓は別人なのだから。
ただ、太后が後ろで手を引いているのは、間違いないだろう。
肉塊になりたくない。
それならば、強く、強かに生きてゆく他無い。
太后の王国になりつつある、この国では、太后に従う他ないのだろうか。己とて太后に弱みを握られてしまった。
「どうなるのやら。」
妟纛は床を見下ろした。
愛する人の余韻を感じようと、涙を流した。
細い手が、それに似合わない刃を振るった。
夢か現か幻か、分からない。
ただ、その先にあるのは、極楽か地獄か、そのどちらかだ。
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