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第十話

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 映画は話題の作品がずらりと並んでいて、正直どれを観ようか迷ってしまった。
 個人的にはアクションものにすごく惹かれたけれど、恋愛ものやキッズアニメも面白そうだった。

「どれ見る?」

 尋ねる僕に、彼女は答える。

「うーん、デートで恋愛ものはベタだよねえ」

 そういう考え方もあるのか、と思った。
 別にデートで恋愛映画観てもいいじゃないかとは思うんだけど。
 恋愛初心者の僕にはわからなかった。

 うんうんうなりながら悩む春野さんは、ピッと指差して言った。

「でもやっぱり恋愛ものかな!」

 異論はなかった。

「無難だね」
「うん、無難無難」

 そう言ってチケットを買う。
 さすがに日曜日だけあって家族連れやカップルが多かった。
 あまりお腹も空いていなかったので、ドリンクだけを買い、上映10分前に座席に着く。
 劇場内は思いのほか、満席だった。
 ドリンクホルダーにドリンクを差し込み、上映を待つ。

 大画面に映画の宣伝が流れている中、春野さんはそっとささやいてきた。

「秋山さん」
「なに?」
「あの……。手、つないでいい?」

 ドキッとする。
 春野さんとは恋人になったとはいえ、まだ出会って3日だ。僕にとってはまだ触れることすら怖かった。

「お願い。映画は大好きなんだけど、暗いところは苦手で……」

 訴えかけるような青い瞳に気おされて、僕は隣に座る彼女の右手を握った。
 柔らかくて、温かくて、滑らかな手だった。
 映画館の暗さも相まって、僕の緊張感が一気に高まる。

 春野さんは、僕が手を握った瞬間、手のひらを翻(ひるがえ)して指をからめてきた。

 ヤ、ヤバい……。
 これはヤバすぎる……。

 僕は心臓が口から飛び出るのではないかというくらい緊張してしまった。

 このままでは理性を保っていられないかもしれない。

 映画の宣伝が終わり、いよいよ本編が始まろうという瞬間、劇場内が一気に暗くなる。
 それにともない、彼女の手の握力が増した。

「ほわ」

 思わず声を出す。
 ああ、映画館でイチャつくカップルの心理がよくわかる。
 これはある意味……殺人級だ。

 けれども、僕は必死に理性を保ち、映画に集中した。
 幸いなことに映画はものすごく面白く、気が付けば僕は手をつないでいることも忘れて画面に釘付けになていた。隣で観ている春野さんも、ドリンクを飲むのを忘れて魅入っているようだった。

 それでも。
 映画が終わるまでの120分間、僕らは一度も手をはなさなかった。

 内容は大満足の出来栄えだった。
 ハッピーエンドで終わる、ちょっと切ない素敵なラブストーリー。
 エンドロールが流れる中、次々と観客が立ち上がって出ていく。僕は最後まで見る派なので、じっと席に座っていた。

 グス、という音が聞こえて春野さんに顔を向けると、彼女はあろうことか号泣していた。

「は、春野さん……?」
「あ……、うん、ごめん」

 そう言って、バッグの中からハンカチを取り出し、涙をぬぐう。
 確かに、すごく泣ける映画だった。
 実際、何人もの女性客がハンカチを目に当てている。
 けれども、春野さんはそれすら凌駕して号泣していた。

「あーヤバい。これヤバい」

 春野さんはハンカチを顔に押し付けてしくしく泣いていた。
 うん、確かにヤバい。
 あまりの可愛さに抱きしめたくなってくる。

 僕はあまりに号泣している春野さんがいじらしくなって、頭をなでてやった。

「くふぅ……」

 そしたら、またそのことで泣きだす春野さん。
 あ、キタコレ。
 ダメだ、完全に落ちた……。

 気が付けば僕は彼女の頭をしっかりと胸に押し付けていた。
 僕もけっこう涙もろいタイプだけど、どうやら彼女はそれ以上のようで、二人して抱き合ったまま映画館の中で泣いていた。



「ごめんね、なんだかみっともない姿を見せちゃって」

 映画館を出た僕らは、昼食がてら近くの喫茶店に立ち寄った。

「そんなことないよ。泣いてる春野さんも可愛かった」

 何気なくはなった一言に、春野さんの顔がボンッと赤く染まる。
 ぐうう、か、可愛すぎる。
 にやにやしながら見ていると春野さんは「もう、からかわないでよ」とむくれた。

「メニューはお決まりでしょうか?」

 喫茶店の女性店員が、メニューを聞きにやって来る。
 イチャつきやがって、とか思ってるのだろうか。笑顔の裏に隠された言葉は僕には見えなかった。

「あ、はい。えーと……ミートソーススパゲッティを」
「僕はこの和風パスタをください」

 女性店員は「かしこまりました」と言って去っていく。
 その後ろ姿を見送りながら、春野さんは言った。

「あの人、絶対店内でイチャつくなって思ってたよね」
「あ、春野さんも思ったんだ。僕も思った」

 お互いにささやき合い、ふふふと笑う。
 もう何もかもが幸せだった。


     ※


「すぐるさん……、すぐるって呼んでいい?」

 不意のストレートパンチが飛んできたのは、近くの公園を歩いている時だった。
 手をつなぎながら目的もなく歩いていると、急に彼女がそんなことを言ってきた。

「すぐる……」

 本名にも関わらず、親にも呼ばれたことのない呼び方にぞくりとする。

「だって、秋山さんって呼びづらいんだもの」
「そ、そう? まわりのみんなは秋山って呼んでたけど」
「私はあなたの彼女ですよー?」

 どん、と身体をぶつけてくる春野さん。
 おおうっふ、こいつぁまたすごいボディーブローだ。

「い、いいよ! すぐるって呼んで! お願いします!」
「やった。じゃあ、私は?」
「えーと……春野さん」
「えい! こいつめ!」

 またもやドンドンと身体をぶつけてくる。
 僕はあまりにおかしくて笑ってしまった。

「うそうそ。えーと、じゃあ、めぐるさん」
「めぐる……“さん”?」
「……めぐる」
「よろしい」

 そう言って頭をもたげてくる彼女がたまらなかった。

「めぐる」

 すっと、自然と肩を抱き寄せる。
 なんだか、今までの自分がウソのように大胆なことができていることに驚いた。

「すぐる」

 そうやって歩きながら、彼女は……、めぐるはポツリとつぶやいた。

「すぐるは優しいね。いつまでたっても」
「え、なに?」

 めぐるは立ち止まると、僕の顔をぐいと引き寄せて頬に唇を寄せてきた。
 同時に、柔らかい感触が頬に伝わる。

「……!!!!!」

 僕はバクンッと心臓が跳ね上がった。
 マジか、マジでか。
 僕の頬に……彼女の唇が……。

 あまりの衝撃に立ち尽くす。

 めぐるはすっと僕から離れて笑った。

「めぐるって名前で呼んでくれたご褒美」
「え、え、えーっ!?」

 僕は思わず叫んだ。
 呼び捨てにしただけでこんなご褒美くれるなんて!?
 なんて素敵なご褒美なんだ!

「もう一回! もう一回ご褒美ちょうだい! めぐるめぐるめぐるめぐる!」
「ダーメ、一回だけ」
「じゃあ、すぐるって呼んでくれたご褒美に僕からもキス……」
「いやー、襲われるー!」

 そう言って逃げ出すめぐる。
 ひ、人聞きの悪い!
 僕は笑って逃げ惑うめぐるをいつまでもいつまでも追いかけ続けた。
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