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16. 帝都近くの町で 

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「お疲れ様」

 旅の五日目。私たちは帝都に隣り合う領の外れの町に到着した。

 今日はここに泊まり、明日には帝都に入れるそうだ。

 この前のホームシック事件以来、私たちは増々気遣われるようになった。まるで触れてはいけない物のように、この関係をユリスさんは突っ込んでこなくなった。

 いたたまれなくもあり、申し訳なくも思う。

『その方が都合が良いじゃないですか』

 オーウェンはからっと言っていたが、また彼の心証が悪くなったと反省する。

「リーナは気にしすぎなんですよ。あいつが気にしてないなら良いじゃないですか」

 少しオーウェンに対して棘があるものの、ミアもこの茶番に巻き込まれているのに、動じない。

「母は強しなのかなあ」

 そんなミアを見習わねば、と溜息を吐く。

「ね、名前決めたの?」
「……まだです」

 すうすうと眠る赤ん坊を抱きながらミアは目を伏せた。

 彼女は私に言わなければならないことがあると言っていた。そのことが彼女の顔を曇らせるのだろうか。

 思えば出会ってから、彼女の笑顔を見ていない。

「ふふ、その子が目を開けるのいつだろうね」

 明るい話題を、と振ったつもりが、ミアの身体が強張るのがわかった。

(赤ちゃんのお父さん、だよね)

 ミアがずっと怯えていることといえば、それしか思い当たらない。

(まさか……? いやいや)

 再びバカ王子が頭に浮かび、否定する。万が一にもバカ王子との子供なら、国を揺るがすほどの問題だ。

「お嬢、宿に入りましょう」

 話していた私たちの元にオーウェンがやって来る。

 途端、近くにいた騎士たちがそわそわするのがわかった。そして、さあ~っといなくなる。

 もう気遣いすぎて、どうしていいのか向こうも困ってるんだと思う。

 宿はさすがにミアと私が二人部屋で、オーウェンは騎士たちと同室。

「すみません、この村は魔物の瘴気で川が穢れているんです。川の水には決して触れないでください。今は帝都から引いた水を村に配っています。宿はもちろんその水を使用しているので安心してください」

 ユリスさんの説明を受けて、私たちは宿に入った。

「お嬢、川を浄化しようなんて思わないでくださいね」

 ぐいっと私の腕を引いたオーウェンが耳元で話す。

 それを甘い空気だと勘違いした騎士たちがそそくさと去って行く。

「……先に部屋へ行ってるわね」

 それに慣れたミアも気にせず、宿の階段を上り、割り振られた部屋へと入って行った。

「お嬢? 約束してくださいね?」
「わ、わかってるわよ!」

 内緒話なので、いちいち距離が近くなるのは仕方ないけど、恥ずかしい。

「お嬢はすぐ無茶するからな~」

 信用が無い。

「ここの川を浄化したって一時的なものだってわかってる。騒ぎになりそうなことも。――でも」
「わかってますよ」

 全部言い切る前にオーウェンは笑って息を吐きだした。

「決行は、皆が寝静まった夜中に」

 いたずらを仕掛けるようなノリでオーウェンがにやっと笑って言った。

「釘を刺したいんじゃなかったの?」
「いや~、お嬢がじっとしてられない人なのはわかってますから」

 じゃあ何で最初に注意をしたのか。

 何故か嬉しそうに笑うオーウェンを見ながら、私は頬を膨らませた。

「ミアには説明しといてくださいよ。騒ぎになるのは避けたいので」
「……わかってる」

 笑うオーウェンは目を細めると、私の髪を一房掬い取った。

「オーウェン?」
「……騎士が見ています」

 オーウェンが小さな声で言った。私は顔を動かさず、目だけ廊下の端にやった。

 部屋から出て来ただろう騎士が二人、こちらを見て顔を赤くしている。これから村でも散策するのだろうか。

「愛しているよ、リーナ」

 騎士に気を取られていると、オーウェンが急に演技を始めた。

 驚いて顔を赤くした私を見て笑うと、オーウェンは手にしていた私の髪に口づけをした。

「?!」

 この甘い演技は必要なんだろうか。

 そんな私たちを見た騎士たちはそそくさと宿を出ていった。

「飲みにでも誘われたら面倒ですからね」
「…………」

 だからってこの甘い演技は必要なんだろうか。

「お嬢……自分で言い出した設定なんですから、いいかげん慣れないとばれますよ?」
「わ、わかってるわよ!」

 にいっと意地の悪い顔でオーウェンが言うので、私は思わず言い返す。

「じゃあ夜中に」
「はいはい!」

 私を見下ろすオーウェンが余裕なのが悔しくて、恥ずかしくて。

 ずっと姉弟のように育ってきた彼が急に『男の人』に見えて戸惑った。

 私は逃げるようにオーウェンと別れて宿の階段を駆け上がった。

 バタンと部屋のドアを勢いよく閉めて入ると、ミアが赤ん坊を寝かしつけていた所だった。

「あ……ごめ……」

 目が合ったミアにすぐに謝る。

 幸いにも、赤ん坊はすうすうと眠っていて、安堵する。

「リーナ、顔が赤いです」
「へっ?!」

 ドアの前に未だ立ち尽くす私は、慌てて顔を両手で覆った。

「リーナはヘンリー殿下の婚約者だったんですよね?」
「え? う、うん」

 思い出したくもない肩書きに触れられ、熱い顔もすぐに冷めた。

「殿下が他の女性とも懇意にしていたのはメイドたちの間では有名です」
「えっ、そうなの?」

 言われてみれば、城の自室にご令嬢を連れ込んでいるのだから、そこで働くメイドたちが知らないはずがない。むしろ、部屋付きなら……。

「ねえ、ミアは殿下の部屋付きのメイドだったの?」
「……………………はい」

 もしかして、と尋ねた私の言葉にミアは、唇をきゅっと結んだかと思うと、小さく返事をした。

 異様な空気にそれ以上聞けなくなる。

(それならバカ王子が言っていたという私の嘘話も耳に入るわね)

 納得した私はミアから視線を逸らすと、ベッドにぼすんと座った。今のうちに仮眠でも取っておこうと考えたのだ。

「あ、ミア、私、夜中にオーウェンとちょっと抜け出すけど、心配しないでね」

 ベッドに潜り込み、ミアに声をかける。

「……リーナは、あの人のこと、どう思っているんですか? 愛人と嘘をつくぐらいだから、実は前から好きだったとか?」
「ええ?! ない、ない!」

 驚いた私は思わずベッドから飛び起きた。

「ずっとそばにいて? 本当に?」
「……オーウェンとは姉弟のように育ったから……家族としては好きだけど、ミアの言う『好き』とは違うよね?」

 ミアは何故か神妙な面持ちだったので、私も真面目に答えた。

「そう……ですか。あなたが噂通りだったら楽だったのに……」
「ミア? どうしたの?」

 消え入るようなミアの声は最後の方が聞こえなかった。

「ほら、寝るんですよね、おやすみなさい」

 私の方まできたミアは私に布団をかけると、寝かしつけた。

「もう、私は赤ん坊じゃないよ」

 いつもの調子のミアに安心した私は、帝都についたらちゃんとミアの話を聞いてあげよう、と思って眠りに落ちた。
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