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第一章

行き倒れ君 前編

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 青々とした空にまばらに浮かぶ白い雲がゆっくりと流れている。
 森の中を通り抜ける穏やかな風は葉を揺らし、まるでさえずっているかのようで心地よい空間を作り出していた。
 素晴らしい。
 こんな場所で食べる食事は最高だろうなぁ……ここで人が倒れてなければ。
 そう、採取の途中で良さげな場所を見つけたので休憩しようと思ったら人が倒れていました。
 まぁ、別に珍しい事じゃないんだけどね。
 こっちの世界だと冒険者や旅人が道中で亡くなる事は多いし、身元不明の遺体とかも結構ある。
 だけど、こんなに見事に倒れてるのは初めて見たなぁ。
 うつ伏せの大の字、わかりやすく言えば潰れた蛙のような感じで倒れているのだ。
 装備は真新しい革鎧レザーアーマーと腰に携えた小剣ショートソードは鞘に入ったままか。
 背嚢はいのうは少し使い古された感があるけど、荒らされた感じはない。
 襲われた形跡はないから行き倒れかな?
 どちらにしても、おそらくこいつは初心者の冒険者か旅人だな。
 採取依頼でも受けてやって来て、何らかの理由でここで事切れたんだろう。

「ナンマンダブ、ナンマンダブ……俺はこっちの宗教には詳しくないから、知ってるお経で勘弁な。安らかに成仏してくれ」

「ううぅ……」

 生きてた。
 死んでると思ったら生きてた。
 ピクリとも動かないからてっきり死んでるのかと思った。
 死んでたらギルドに報告するだけだけど、生きてるのなら助けるのが世の情けってやつだな。
 
「おーい、大丈夫か?」

「ううぅ……た、助けて……」

 その言葉は一番困る。
 助けてって言われても何をどう助ければいいかがわからないんだよ。
 うーん、このままじゃ埒があかない。
 悪いけど、緊急措置だと思ってくれよ。

「鑑定」

 魔法を唱えると行き倒れ君の個人情報が書かれた半透明のウィンドウが表れる。
 個人情報って知れれば便利って思うかもしれないけど、逆に知った事でマズい場合もあるから、なるべく人には鑑定魔法は使いたくない。
 そもそもこの世界ですら鑑定魔法は超希少能力だから、持っている事を知られた時点で俺は終わりだ。
 権力者に捕まっていい様に利用された挙句、敵対勢力には命を狙われる。
 そんな生活は死んでも御免だ!
 俺は現代社会で十分疲れたんだ!
 朝から晩まで働かされて給料は上がらないし、休みは増えないし、彼女はできないし!
 もうたくさんだ!
 だから、こっちの世界ではスローライフをすると決めた!
 だから、絶対権力者には……!

「うぅ……た、たすけ……」

 おっと、行き倒れ君の事を忘れていた。
 いかんいかん、どうしても社会に対する不満が時々爆発してしまう。
 これも現代社会の歪みかな?

「すまん。すぐに助けてやるからな。えっと……痺鼠パラライズラットの毒? お前、痺鼠にやられたのか? なんて間抜けな奴だ……」

 痺鼠は体長15センチ程の山に棲息する鼠だ。
 性格は温厚で人を襲う事は殆どないが、身の危険を感じると歯から痺れ毒を飛ばす習性がある。
 ちなみに毛皮は小くて質も良くないし、お肉も美味しくないので需要もないからギルドに持って行っても買取ってもらえない。
 そんな痺鼠から毒を喰らって行き倒れるとは……新人ルーキーって言うより敗者ルーザーって感じだな。

「聞こえるか? 痺鼠の毒は死に至るような毒じゃない。1時間くらいで動けるようになるだろう。解毒薬を使えばすぐ回復するけど、代金として小銀貨2枚は貰うことになるが、どうする?」

 行き倒れに金を要求するのは酷だと思うが、俺は小説の転生者みたいに金持ちじゃない。
 必要経費はきっちり請求します。

「げ、解毒薬を……」

 いるのかよ……まぁ情報を見る限りじゃ銀貨2枚は持ってるみたいだし、払えるからなんだろうけどね。
 
「ほれ、飲め」

 解毒薬の丸薬を行き倒れ君の口に放り込む。
 しばらくすると、行き倒れ君はゆっくり起き上がってきた。
 これでとりあえず行き倒れ君では無くなったな。

「はぁ……あ、ありがとうございました。なんと御礼を言ったらいいか……」

「いや、御礼はいいから金をくれ」

「あっ、すいません! えっと……小銀貨2枚ですよね? じゃあ、これで」

 差し出した手に元行き倒れ君は小銀貨2枚を渡してきた。
 ちょっと意外だな。
 ごねるかと思ったのに。
 まぁいいか。

「確かに。じゃ、気をつけてな」

「あっ! ちょ、ちょっと待ってください! お願いします!」

 立ち去ろうとする俺を縋るように引き止めてきた元行き倒れ君。
 なんか嫌な予感がするぞ。

「何か?」

「そ、それが……ここがどこかわからなくて……ここはどの辺りなんでしょうか?」
 
 これはとんでもない旅人もいたもんだ。
 現在地もわかっていないとはね。
 
「ここはドゥーエの森だよ。あっちの方角に真っ直ぐ進んで行けば街道に出られる。そこを道なりに行けばツヴァイに着く」

「ツ、ツヴァイ!? ツヴァイって沿海都市の? あの……僕はフィアからフンフに向かって旅をしてたんですけど……」

 ……何で?
 何でフィアからフンフに向かってツヴァイにいるの?
 完全に逆方向だよ!
 東京から大阪に向かったのに青森にいるくらい逆だよ!
 どうやったら正反対の方角に来るの?
 途中で気づかなかったのか?
 なんて方向音痴だ!
 
「おかしいなぁ……何処で間違えたんだろ?」

「いや、最初からだろ。でないとフィアからツヴァイに来るわけないんだから」

「そ、そんな……どうしましょう?」

「どうしましょう……って言われてもなぁ。とりあえずツヴァイに行って乗合馬車でフンフまで戻るしかないんじゃないか?」
 
「で、でも……そんなお金、僕には……」

 確かに。
 さっき見た限りだとこいつの残金は銀貨1枚と小銀貨8枚だ。
 乗合馬車でフンフまで行くなら、馬車代や途中の宿や食事代で最低でも銀貨7枚は必要だろう。
 ん? なんだ? 今の壊れた笛みたいな音は?
 
「あっ……すいません。ここしばらく水だけだったもんで……」

 こいつの腹の音だったか。
 極度の方向音痴で彷徨い歩いた結果、食料が尽きたわけだ。
 そんで痺鼠を狩ろうとして返り討ちに合ったと……なんか間抜け過ぎて哀れになってきた。

「俺はリョウ。お前の名前は?」

「えっ……ヨ、ヨハンです」

「ヨハンか。ここで会ったのも何かの縁だ。一緒に飯にしよう」
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