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第零章 九尾のきつねの琥珀さんをご奉仕します!!
ご奉仕その二 衣食住。それと、お風呂です!
しおりを挟む朝、不思議な温度で目が覚める。
確かにぬいぐるみのような狐を抱いて寝たがこんな感触だっただろうか?
もふもふしていた毛が無くなっている。と言うか、すべすべしている。
「あら、やっぱり、そういう願望もあるんじゃないですか」
「……は?」
目の前には女の顔。目が大きい。睫毛は長い。
「なっ……うわぁあああ!!」
「ふふふ。初心な反応ですね」
その女は腕組んで俺の布団の中にいた。いや、そうだ……。
「……聡!!」
「さんは、夜、貴方を着替えさせて布団へ運び朝風呂に行きましたよ。その間はちゃーんとぬいぐるみのふりしてました! 偉いでしょう!!」
「……はぁ」
「しかし、その方も随分と世話焼きな。やはり貴方の徳が高いからでしょうか?」
俺は頭を掻き上げながら深いため息を吐いた。
こんな日々が訳も分からず続くと思うと先が思いやられる。
「んんー!! こんな清々しい朝は久しぶりです!!」
「そーですか」
「テンション低いですよ! 貴方のおかげなのに。こんなに清々しい空気。晴天にそよぐ風」
「そんなの、ここが山奥だからだろ」
「いいえ! 貴方は自分の持っているものの価値が分かってません!!」
「つか元に戻れ! 聡が戻って来たらどうするんだ!」
「それには……その、あれ……」
「は?」
「鈍い人ですね! 朝と言えば朝ごはんですよ!!」
「……まさか」
「はい!」
嬉しそうに二本になった尻尾を揺らして狐は言った。
等々、俺は頭を抱える。
「エロゲーかよ……」
「あら、そっちをご所望……」
「してません!!」
「聖人かよ……まぁ一回も二回も変わりませんって。人が来る前にちゃちゃっと済ませましょう」
「……」
その方が良さそうだ。今更ガタガタ騒いでも現状は何も変わらない。ならばさっさと、やるべきことを済ませてしまうに限る。
「分かったよ」
「あら協力的で感動」
「もう、黙れ」
「はい、はい」
二回目とは言え意識してすると流石に緊張する。ゆっくり目を瞑り、唇を添えた。
こういう時、一体何を考えれば良いのだろう。相手に対して、特に好意も邪心もないのだ。ほぼ、無心である。ただの肌の一部にしては長い。女の唇の角度が変わった瞬間、俺の拳が猛威を振るう。
「長い!」
「痛ったぁあ!!」
ゴンッと音がしそうなほどの拳。実際に痛そうに見えるが見えるだけだ。本気で殴っている訳ではない。
「だってぇ……お腹、空いていたんです」
「分かったから、もうもど……」
「あれ……誰かいるの?」
聡だ。俺は素早く、障子前に立つ。
「は、早かったな!」
「……いや、結構長風呂だったけど……」
「そういやお前風呂好きだっけ……」
「ねえ。何で微妙に傾いてるの?」
それは俺が傾かなければ狐の尻尾が見えるからだ。
それはまずい。
俺は後ろに『戻れ』と、ハンドサインを送る。あの狐女に伝わるかは謎だが。
「いや、ちょっと、なんで入るの邪魔するの!?」
「いや、ほら、盗塁の練習だ!!」
「今!? それより、水!!」
聡は強引に俺を退かして部屋に入る。そうだよな。風呂上がりは喉が渇くよな。
慌てて俺も振り向くが、ちゃんとぬいぐるみの狐に戻っていた。
「……はー」
「なんだ。何も無いじゃん」
と、何事もなく聡は備え付けの冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出す。
「いや、ちょっと虫がいた気がして……お前、苦手だろ?」
「……虫!?」
聡の眼鏡が反射したように光る。
「いや、気のせいだったみたいだ」
「本当だよな? まさかセミなんていないよな? 狐のぬいぐるみぐらいならいいが、トンボもカマキリも駄目だからな!! そんなオモチャは即刻……」
「ないない」
俺は何度か頷いた。
聡を誤魔化すのに使う手の一つであるが彼は本当虫が苦手なのでアフターケアもちゃんとしなければならない。座布団を捲っている聡の目はマジだ。
「……とりあえず、いなそうだ。そうだ。瀧臣も風呂、入って来いよ。もう一つの方、まだ行ってないだろ」
「あー……そうするか」
チラリと琥珀に視線を送る。一応、ぬいぐるみのふりをしている。俺は制服の着替えを取りながら近付いた。
『うごくなよ』
「おまかせあれ」
「何?」
聡は首を傾げている。
「いや、行ってくる。確か……露天じゃないんだよな?」
「そうそう。でも濁り湯でさ。まだ時間は早いから誰もいないんじゃない?」
「そっか、サンキュ」
簡単に聡と別れるが、俺は琥珀に視線を送りながら障子を閉めた。
正直、聡に話してしまうべきかは迷う。
旅館の中を歩きながら思った。
俺、一人では理解するのには現状、無理のある事態だ。多少アニメやゲームに詳しい聡の方が何か知っているかもしれない。
しかし、そうなると今度は聡も巻き込んでしまうのだ。このまま平穏に学校寮まで戻れればいい。俺は寮生だから狐のぬいぐるみの一つぐらいなら問題ないだろう。
だが聡に話して今度は二人であの狐を匿いバスや電車に乗るのだ。
絶対に途中でボロが出る。
「ま、とりあえず現状維持が無難か……」
俺は風呂の曇りガラスの扉を開きながらため息を吐いた。このまま無事に帰られればいいが。
風呂の中にはとりあえず誰もいなかった。脱衣場にもいなかったのだから当然である。
一人きり、になるのも久々だ。
常に他人といる、というのは疲れる。俺は体を洗ってゆっくり風呂に浸った。
「あー、やっぱ一人は楽だ」
寮生活をしていたら、すっかり一人でいることに慣れてしまった。
ぽちゃん、と水滴の落ちる音がする。
広がる波紋は濁り湯。
密閉空間は少し苦しい。
外は大きな透明ガラスになっていて外の風景が見える。きっと露天風呂の方が人気があるのだろう。ただの森が広がるだけの風景だった。
それでも静寂で悪くはない。
ゆっくり肩まで浸かる。
「えー、一人、寂しくないですか?」
何となく察していた。
湯煙の先に見える女体。
「うわぁああああ!!」
それでも俺は叫んでソレに思いっきり湯をかけた。
「ぶっ……酷いです!! 鼻に詰まりました!!」
「知るか!! 戻れ!」
「嫌ですー!! 私だってお風呂入りたいです!!」
「な……っ!!」
「こうして離れていれば見えません。見えませんから。ね? 数年ぶりなんですよー!」
「……分かったよ」
俺は諦めて項垂れた。
絶対に来る気はした。どう追い返そうか色々考えていた。
「貴方、弱いですねー」
「聡は」
「その方なら何やら手に持っている四角いおもちゃで遊んでいるので気が付きませんよ」
「ゲームか。じゃあ気が付かねーな」
しかし数年単位で入っていない、と言われると。そりゃあ入りたいだろう、とも追い返すのも可哀想か、とも思ってしまう。
「絶対に近付くなよ」
「分かりましたって。しかし貴方、駄目とは言いますけど、強制力無さすぎです。私ちょっと心配ですよー」
琥珀は嬉しそうに湯に浸かる。長い髪が簡単にまとめられているのを見ると嫌でも女性だと認識するしかない。
「今、みました?」
「見てない」
「ちょっとぐらい、いいんですよ? 私は貴方にお礼をしなければなりません」
「だからいいって」
「今更そう言わずに。そういう無欲な所も心配ですよ~」
普段はゆったり目の衣装のような服もなく中は普通の女体だった。湯けむりと濁り湯のお陰でほとんど見えないが。
「お前に心配されても」
「私は神です。まだ邪心は無いから、良いですけど邪狐だったらどうするんですか?」
「そういや狐っていたずらもするんだっけ? 俺はそういうのされたことねーな」
俺は湯に浸かりながら答える。実際にいるのなら、の話だが。
「貴方がしないからでしょう」
「そういうもんか」
ぽちゃん、と水滴が湯に落ちる音がする。
微妙な沈黙。
「私、体洗いましょうか!?」
琥珀は突然、話題を変えた。
「いや。俺はもう洗った」
「じゃあ、洗って下さいな!!」
「はー!? さっき、近づくな、って……」
「狐、狐の姿に戻りますから。ね?」
洗う。狐を洗う。もふもふを洗う……だと!?
「仕方ねぇな、もう」
「ほらぁー!! 弱すぎです!」
「うるせぇ、自覚してら」
狐の尻尾が目の前で二本、ふりふり揺れていた。尻尾の先には赤い模様がある。
「数年って、その間はどうしてたんだよ?」
「そりゃあ川ですよ、川。冬もですよ? 神でも寒いものは寒いのです」
「ふーん」
神ならば川を温泉に変える事ぐらい出来そうなものだが。俺は持って来たスポンジに泡を立てて、狐の尻尾を洗った。
「ち、力も弱ってましたし。……ひゃー!!」
「変な声、出すな!!」
「だって久々なのですよ! この感じ!! ごしごし、強めにお願い致します!!」
「……なんか変な感じに聞こえるんだけど」
「気のせいです!」
まぁ気にせず俺はぬいぐるみだと心に言い聞かせて狐を洗った。ゆっくり湯をかけると狐は動物の動きで体の毛の水滴を払った。
「うわっ」
「サッパリしましたー!! ぬいぐるみのふりをするのはいいのですが、たまには水分をくださいね」
「分かった」
狐は桶に出した冷水を飲みながら言った。
その後、俺のついでにドライヤーで毛を乾かすと毛は完全に白銀色に輝く。
「どうですか? すごいでしょ!」
「もふもふ」
「貴方、本当に動物好きなんですねー。飼わないので?」
「寮だから無理だな。寮だからお前は置けるんだけど」
「それはいいです! お家ではぬいぐるみのふりをしなくても良いのですね!」
「……あー」
言うんじゃ無かった。
と、ガックリ俺は項垂れた。
移動は新幹線だったから比較的楽だった。聡は野球部のグループに行ってしまったので俺は基本、一人だし。優雅に駅弁を食べていたら案の定あの狐が俺の肩をつついた。
『動くな!』
「ちょっとだけ、ね? そこの銀杏とお茶が良いです!」
俺は周囲を見渡す。指定席だが、ほとんどがもう本来のグループからバラけて好きな所に行っている。
仕方なく銀杏を摘まんで箸で狐にやった。
「んー。美味しいです」
「飯、食うんだ」
「大量の清気があれば必要ありません。精進料理なら食べることも出来ます」
「精進料理、ね。野菜を中心に作ればいいのか?」
「貴方、料理も出来るのです?」
「一応。寮生活が長いからな」
廊下を見ると聡がこっちに戻って来ていた。
俺は動作で琥珀に静かにするよう指示する。
「あれ、今、誰かがこっちに来てた?」
「いや?」
「そっか。会話が聞こえた気がしたんだけど……」
「まさか!!」
俺はこの数時間で聡を誤魔化すのが上手くなっていた。
「なんだ。瀧臣が珍しいと思ったのに」
「そうか?」
「そうさ。普段、人とあんまり馴れ合わないじゃん。俺はお前がいいやつだって知ってるから良いけど」
「ああ。お前には助かってるよ」
「全くインタビューも全部代わりに答えたんだから。天城選手はどんな選手ですか? とか。周囲の女子とか、部員とか」
「いや感謝しています」
「別にいいんだけど、部員なんて皆、お前のこと孤高の天才バッターだと思ってるぜ」
「コミュニケーション、だろ? 分かってるって」
「言葉の意味だけ分かってても駄目なんだけど!?」
と、聡は眼鏡の位置を直しながら俺に言う。始まってしまった。聡のお小言タイムだ。これも上手く受け流して聡は戻って行った。
「それは案外間違いじゃないかもな」
「なぜ、他人を拒むのですか?」
「……ぶっ、ごほっ」
俺は飲んでいたお茶を詰まらせる。
「私、貴方のこと少し分かって来ましたよ」
「そうかよ」
その後も何度か騒ぐ琥珀を押さえて俺は何とか帰路に着く。今思えば、とても多方面に色々充実した修学旅行だった。
夕暮れ時、俺はやっと自分の部屋に辿り着く。
「はー、久々の我が家だ」
「此処が、お家……」
狐は俺のスポーツバックから顔を出してキラキラした瞳をしている。
「私も言っても良いですか?」
「……なんて?」
俺は家の扉を開く。長く部屋を空けたのだから、やるべきことはある。
「ただいまです」
「……おかえり」
久し振りに言った。おかえり、なんて言葉。隙間を開くと、するりと狐は家に入る。
「……心配です。やはり貴方。何か持ってるんでしょう?」
「いや、だから何も知らねぇよ!」
「良くもまあ、こんな無計画に私を貴方の領域に入れましたね?」
「……え?」
琥珀は突然、口調が変わった。
するり、と人間の姿に勝手に戻る。
「ちょ……」
「本当に。私が邪心を持って貴方に近付いていたら、どうなっていたと思ってるんですか?」
「……」
俺は琥珀を見上げる。鋭い目付き。首にかかる手。どこか、ぼんやり演技だなぁ、と思ってその白銀色の頭を撫でた。
「お前はそんなことしねぇよ。そこだけは信用している」
「家で暴れまくるかも」
「それは隣人が困るから追い出すな」
「貴方がいない間に悪さするかもしれませんよ。利用だけ利用して捨てるかも」
首を絞める手は震えていた。
「大丈夫だろ。悪さしたら拳骨だな」
「……貴方は本当に変な人ですねぇ~」
数分の間の後、琥珀はずるずると俺の肩に顔を押し付ける。思い出したが、ここは玄関だ。
「ちょ……」
「単に親切馬鹿か、と思えばそういう訳でも無さそうですし」
「失礼な!」
「貴方に言われると本当にそんな気がして来ます」
「……そうか」
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