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第五章 Last Day Of The Month
第一夜 月の夜
しおりを挟む絶望したかのような彼女の顔が、印象的だった。
彼女では成し得なかった、獅道愁一の血統解放が目の前で行われる。彼女が行ったことは血統解放ではない。彼女と彼に魂送師と狩師としてのパスは繋がってすらいないのだと今更思い知ったのだ。ケイシー・セグシオン・フォンベルンは。
しかし、それを成し遂げた桜小路鏡一狼に対し向ける感情は間違いだ。嫉妬、憎しみ、怒り。
「どうして……」
おおよそ予想出来る表情で彼女は顔を歪ませる。
その瞬間、英治の持つ銃が銃弾を放つ。廃墟ビル屋上より遥か先、適当なオフィスビル屋上から真っ直ぐ銃弾は飛んだ。
「回収完了」
念のため、追跡回避用の誤射をノールックで同時に射撃する。しかし、桜小路鏡一狼が獅道愁一と組んだ瞬間に此方に敵対意識を向けるとは思えない。それは元、刀飾だという事実を持つ鏡一狼がする訳がない行動だからだ。
持って三ヶ月。あるいはもっと短いだろう。
しかし観察及び偵察するには充分で必要な時間だ。
目の前のケイは当然のように上杉英治を睨んだ。
ここは都内の上杉家の一室だ。英治の部屋だとも言っていい。
「一体、どういうつもりですか?」
まぁ、当然怒るだろうと予想していたので英治はさして驚かない。ライフルを片手に勉強机に腰掛けた。
「アンタと検体が一緒にいると色々と不都合なんです。しばらく離れて生活して下さい」
英治は無表情で言う。
「何故ですか、嫌です! 私は……」
「血統も解放出来ないのに魂送師な訳がないだろ」
「……え?」
彼女の綺麗な紫色の瞳が見開き、流れるように白金の髪がはらはらと数本落ちる。
「つうか、いい加減気が付けよ。ゲートさえ開けないんだぜ? 普通、違うと思うだろ」
苛立ちさえ感じられる英治の言葉にケイは項垂れる。
「ゲート、……さえ開けない?」
「今まで、アンタが開いていたゲートは全部俺が開いていた」
「何故、どうしてですか!」
彼女は英治の肩にすがる。
「獅道愁一の記憶が無いのに、なんで自分にはあると思った」
「……」
ケイの動きが止まる。簡単なことだ。今更思い出してみれば、ケイがゲートを開く時には必ず英治が側にいた。ケイの上司である名目上、そして高校生活においても側にいた。後輩として、ケイよりも愁一の生活をアシストしていたかもしれない。
ケイは魂送師の制服であるスーツを解いて立ち上がった。高校の制服に戻る。
「貴方は一体、何者ですか?」
「お前たち流に言えば黒幕。もしくは産みの親、もしくは共犯者」
「産みの親……」
ケイは鋭い瞳で英治を睨む。
「お前たちの記憶を消した、冥界直属の現世担当魂送師だ」
「記憶を消した……何故、私は」
「お前が、女神としての本分を誤り人間を復活したからだ」
一拍置いて英治は続けた。
「女神、ケイシー・セグシオン・フォンベルン」
その瞬間、彼女は気を失い背中に大きな羽が生える。しかし、飛べる訳ではなく、そのまま英治に向かって倒れた。
受け止め、しかし、霊力が既にほとんど限界まで枯渇していることに気が付く。
「今がタイムリミットだったんだ」
「どうして、……知っていたのなら、魂送師などに仕立て上げたのですか! 私は……一体」
「忘れていた方が幸せだったよ。いつでも。俺のことも」
「……?」
何故か、ケイはこれ以上怒ることが出来なかった。何故か、こんなことをしている英治の方が辛そうな顔をしていいた。その顔の造形は美しく、悲壮感に溢れていた。彼の漆黒の髪も、美しい切れ目の瞳も愁いに帯びていて、ケイの鼓動は脈打つ。何故か、愁一には感じたことのない男性的魅力を帯びていて、ましてや冗談だと思ったが、冗談には出来ない感情だった。
「アンタがやったのは女神の血を人間に与えるという禁忌。それによって誕生した兵器が愁一だ」
英治の手がするり、とケイの髪を数本救う。
「それは分かりました。理解した、とは言えませんが、言葉の意味は理解しました。それが何故、私が愁一さんを兵器にしたというのです」
ケイは震える声を必死に隠して言う。
「アンタの血の力で獅道は死んでも死にきれない人間になったからさ。つまり、冥界を通さない生死転生を繰り返す体になった。その時点で、冥界は獅道に冥界にとって都合の悪い、不始末を始末するという役目を与える名目で経過観察することにした。その第一責任者が俺だ」
ケイは話を完全に理解した訳ではない。言葉通り、言葉して頭に流れた。
「アンタはその時点で冥界の女王まで身を落としていた。しかし、獅道を生かしたことが偽善だったと信じて疑わなかった」
「……」
「獅道にとってはただのいい迷惑だった。死んでも死にきれない。死んでも直ぐに生き返る。死と生死が常に混在する。更に冥界の名目で敵を殺し続ける。そんなことが何百年、千年と続けば自我が崩壊する。自己が無くなる。本当に手も付けられない兵器になる。怒りはアンタに向かう。だからリセットした」
その英治の言葉には身に覚えのある言葉だった。飾り気のない事実であるがゆえにケイの胸に深く突き刺さる。
戦いの時。愁一が断片的に狂化した時に言っていた。
『俺は死んでも死にきれない。死んで、死んで、死んで、死んで同じだけ殺した』
「……けれど、私は……ただ、助けたいだけだった」
「そう。ただの同情だ。目の前の死に行く侍の死を受け止められず、その男の本当の『死にたくない』という意味を理解しないまま、同情した結果だ」
「だって、言いました。彼は……死にたくない、と」
ケイは叫ぶ。記憶がノイズを含んで蘇る。
そう、死にたくなかったはずだ。
「それは、死んで甦りたい、って意味じゃない。今、この時をもっと長く生きたかったって意味だ」
その言葉に、ケイは項垂れる。
「アンタにはそれが理解出来なかった。死に行く侍と女神のアンタでは生きる場所も意味も時間も違う。だからどうしてもアンタの記憶も弄る必要があった。その違いを一から理解させる必要があった」
「……だから、一から全て抹消したというのですか?」
「そうだ。リセットした獅道愁一とアンタを合理的に引き離し、合理的に側に置いて獅道愁一が暴走しないか観察するために。失敗すりゃ、アンタは殺される。女神を殺したとなれば獅道愁一は最終的に消去される。冥界に消去されるのはお前じゃない。お前達だ」
「私のせいで……」
「そのどうしようもない因果を解放するには記憶をリセットするしか無かった」
「……」
ケイはしばらく無言だった。
「今、直ぐに理解なんて無理だろう。しばらく好きにするといい。ただ、獅道愁一との接触は出来ない。血統解放が可能な状態で接触するのは危険だからだ。しばらく経過観察する必要がある」
それだけ、言い残し英治は部屋から出た。
結局、自分はどうするべきなのだろうと自問する。
羨ましい、と思った。
桜小路鏡一狼が。あれだけの霊力を放ち、ケイでは不可能だった愁一の血統解放を簡単にやってのけた。あの瞬間の愁一は月が満ちるように美しく、全ての力を手にした侍だった。ケイには無理だった。ひたすらに愁一を涸渇し、力など与えられず。ただ、無力だったのだ。
結局、己が悪かったのだろうか?
全て。全てが。
ケイは一夜考えた。フローリングの上、窓から月を見ながら。
しかし、考えても何も変わらない。
今更、愁一とパスを繋げた所で鏡一狼には敵わない。
また同じことを繰り返す。
「結局、私は何年経っても同じですね」
自然と涙が流れた。
同じ月を見ているのに、距離はこんなにも遠いのだ。
もう、重なった後だとは誰が言ったのか。
それにしても、上杉英治は何故、こんなことをしているのだろう。
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