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第一章 New Moon
第一夜 廃墟病院
しおりを挟むケイは試験とやらを受けると勝手に決めてしまった。愁一からすれば「?」のオンパレードだ。しかし、分からないので付いて行くしかない。
愁一は現世の廃墟病院の中に立っていた。
詳しくは立っていたらしい。
目が覚めた瞬間、目の前が真っ暗だったのだ。
こんな話があるのかと流石の愁一も怒りたくなった。
勝手に愁一を暗闇の中に突っ込んだ張本人は勝手に喋る。
「良いですか。狩師とは現世に蔓延る怨霊や悪霊を冥界に送る仕事人を指します。狩師は魂送師と常にセットで行動します。貴方が私の狩師なのです。我々魂送師はゲートを開いて狩師により悪質な力を失った純粋な魂を冥界に送ることしか出来ません。貴方が狩師としてどんな力を持っているのか見定めるのです」
何故か男性用の喪服を着る金髪美女は言った。
愁一に分かるのは、その美女の名前はケイという名の魂送師であること。
自分は彼女の狩師であること。
狩師は悪霊や怨霊を倒す力を持っていること、それだけだ。
それにしても力とはまた範囲が広すぎる。
そもそも目の前は真っ暗だ。
ケイに渡された十字架の小さな通信機らしき物が光った。
『……き……す…………の』
何かの声が聞こえた。
おそらく、あのケイという魂送師の声だ。
「! ちょ、聞こえない、聞こえないんだけど!」
ノイズ音が多くて何も聞こえやしない。ぶんぶん振っても無駄だ。
『あー、モシモシ、モシモシ?』
今度は鮮明に聞こえた。
あの黒髪の喪服の男、上杉英治の声だ。
「聞こえた」
『……ったく、あのポンコツ通信座標も特定出来んのか』
「座標?」
『まぁ、いい。アンタは初心者中の初心者ってことで初回サービスだ。アンタと組んだ魂送師は最悪も最悪。おそらく魂送師史上最もポンコツな魂送師だ』
「……え?」
『お前、悪霊は見えんの?』
「真っ暗でそれどころじゃないんだけど!」
『じゃあ、何で走ってんの?』
「それは何かが追いかけて来るからぁああ!!」
何かは分からない。
しかし何かが追いかけて来るのだ。
だどこを走っているかも分からない。
『なんだ。邪気は感じるんじゃん。ともかく今回の目標はソレを倒すこと』
「無茶言わないで!」
武器も何もないのにどうしろと言うのだろう。走っていると、またノイズが酷くなり通信は途絶えた。
どうやら行き止まりらしい。
後ろにはきっと大きな暗闇よりも暗く、蠢く、何かが迫っている。
乱れる呼吸。
一歩下がれば暗闇が蠢く。
何も聞こえやしない。
何も見えやしない。
このままだと確実に死ぬ。
何かが横腹にぶつかり、愁一は転がった。
「つっ……死にたく、ない」
地面を這う。
あの時と同じ様に。
暗闇の中、手を伸ばした。
何もない。
「死にたく、ない!」
『目で見るんじゃない。視るんだよ』
「……?」
どこからか声が聞こえた。
ケイの声でも、上杉英治の声でもなく、柔らかく、優しい声だった。
まるでチャンネルが切り替わったかのように頭に響くように。
その声は優しい男性の声だった。
「だ……れ?」
『今の状況ではあまりいい質問ではないな。手伝ってあげようか?』
「てつだう?」
『死にたくないんだろう? その手伝いをしようか?』
「君は魂送師なの?」
『いいや』
「じゃあ何故俺を助けるの?」
『後々の自分の為さ』
「……っ」
愁一は愁一なりに考えた。このままでは間違いなく死ぬ。
「魂送師じゃないのに俺を助けられるの?」
『少なくとも屋上の彼女よりはね』
このまま死ぬ。それだけは嫌だった。
まだ何もしていない。
マダナニモシテイナイ。
そしてまた……。
「力を貸して!」
『いいよ。君との縁を繋ごう』
その瞬間、目の前が広がった。
ここは朽ちた病院のエントランスだったのだ。
愁一はただの壁にぶつかり、もがいていた。
そして所々に見える暗闇のもやもやした存在が良くないものだ。
あれが彼らが言っていた悪霊なのだろうか。
こちらに気が付いて向かって来る。速度は遅い。しかし確実に向かって来る。
「うわっ!」
何かと思えば、人、ナースと思わしき人に足を掴まれたのだ。
振り向けば、そのナースが生きているのか、死んでいるのかさえ分からなかった。
首が180度曲がっている。
カカカカ、という音と共に歯軋りの音が響く。
「力が……」
『力……と言われてもね。範囲が広すぎるよ。……そうだ、これでどうだろう』
目の前が光る。
元々白色の床だったはずだが老朽化しているのだ。
茶色い廊下の一部分が光る。
綺麗な星形に。
「……なに」
『あれは君が望むようなモノに変化する。掴むんだ。あれは光ではない。モノだから』
「……モノ?」
這いつくばりながら目の前の星形の光に手を伸ばす。
後ろは暗闇。
周囲はナース。
そうするしかない。
生きるには、そうするしかない。
地を張ってでも。
暗闇から何かが出て来た。
あれは医者だろうか?
最早、何かも分からない。
目の前の地面の上に光る。
星。
愁一はその星に手を置いた。
武器。
戦う武器。
切れる武器。
良く斬れる武器。
「―――っ、おぉおお!!!」
ソレは刀。
刀は武器。
刀は斬れる。
星形に光る地面から刀が出た。
そのまま刀を抜いて暗闇を断つ。
そうするとナースは動かなくなった。
そのナースはもう死んでから何年経ったのかも分からない。
ただの朽ちかけた死体だったのだ。
「……武器……」
手にあるのは、ただの刀だ。
刃が真っ黒な刀だった。
鍔も柄もない。
草臥れた包帯が風と刀に纏う。
愁一は刀を持ち、握りしめて呼吸を整えた。
『あの暗闇が怨霊だったんだ。あの死体はそれが原因で可笑しくなった、って所かな。分かるかい?』
「分かるよ。あの暗闇を倒せばいい」
『その通り』
刀は驚く程手に馴染んだ。
また何処からか通信が入る。
『き……聞こえますか、愁一さん。そのまま屋上に向かって下さい。そうすれば、悪霊を誘きだ……すことが可能です。今、病院の地図を送ります』
どうしたものか、色々な声が聞こえる。
「……はぁ……」
『解析完了。今、地図を送るよ。どうやら、君は悪霊と鉢合わせって所かな』
データのようなもので二枚の地図が送られた。一枚はここを拠点とした三階屋上からなる地図所々抜けていて、ただの薄い透明な板のような感じだ。
かさばるし触ったら割れてしまった。
もう一枚はここを拠点とした三階屋上からなる星形の地図だ。
光の薄い透明な壁のようで自在にサイズが変わる。
『良いですか、愁一さん……試験は……で……』
またヒドイノイズだ。
悪いとは思ったが愁一はその十字架の通信機をパキンと折った。
こちとら生きるか死ぬかの問題なのだ。
圧倒的に信用度に欠ける方は棄てる。
『どうかした?』
「いや屋上に行けばいいんだね?」
『そう。屋上に行くには二階の裏口から行くといい。なるべく引き付けて、魂送師のいる屋上まで連れて行くといい』
「分かった」
愁一は一気に走った。視界が広がっただけで、刀があるだけでここまで違う。
黒いもやもやしたモノが悪霊なのだろう。
斬れば消える。刃物を持った医者だろうが、ナースだろうが関係ない。
『見事な動きだ。そうだ。君のその刀はただの太刀だから、無名と名付けよう』
「君は何者なの?」
『悪くない質問だ。……そうだね、陰陽師とでも言っておこう』
陰陽師。
愁一は出来る限り陰陽師という言葉から出てくるイメージを想像した。
悪霊を祓うのが陰陽師。それぐらいのイメージしか浮かばなかったが。
『一応、ここは俺が先に依頼を受けてどうにかしようって話だったのさ。ほら所々星形があるだろう? あそこは結界だから受けたダメージぐらいなら治るんじゃないかな。それをあの魂送師に横取りされたんだ』
「えっと、ケイさんに?」
『んん? あの美人じゃ無理さ。上杉英治にだ』
上杉英治。ケイの上司だという黒髪切れ目の美形だ。
「ケイさんには無理?」
『ケイシー・セグシオン・フォンベルン。あのお姫様だろう。無理だね。彼女に結界が貼れる程の力はない。上杉はこの世界でも有名な一家だから仕方ないと言えば仕方ないけど』
「それで、怒ってるの?」
『いいや。俺は悪霊さえどうにか出来れば問題なし。その役目は君に背負ってもらうよ』
「分かった」
確かに電灯が所々点いている廊下には角に同じような星形がある。
上へ行けばいいのだ。
おそらく、この階段は職員用なのだろう。
暗く狭い。
しかし案外あの暗闇ではなく……悪霊の数は少なく死体の数も少ない。
二階まで一気に行けそうだ。
手摺に手を付き、一気に飛び上がる。
『運動能力、動体視力は人並み以上なんだね。狩師に選ばれる訳だ』
「狩師……?」
『君のような悪霊が見えて狩れる存在を狩師と呼ぶのさ。まさか魂送師を付けてないの?』
「いるけど、……いると思うけど」
『上杉の狩師ではないんだね』
愁一は肩を竦める。
記憶もないのに突然、悪霊、狩師だなんてあんまりだと今更ながら思った。
あの金髪美人に言われるがままにこんな所に来てしまったが。
「どうして貴方は色々教えてくれるんですか?」
『そういう一種の呪いだから』
「じゃあ、貴方の名前は?」
『それはもう一度会った時。顔を合わせた時。教えてあげるよ』
通信は切れた。
そこからの己はほとんど記憶が無かった。
元々、記憶喪失だったが刀を持った瞬間に己が何をすべきか体が勝手に動いた。
一度下る。
そして地下の黒い靄を引き付けながら一気に駆け上がる。
屋上に行く。
そうは言えども行き方があるのだ。
職員用の階段のあまり大きくない悪霊を斬りながら一気に駆け上がり滑り込んで鍵を手にする。
幾つか大物がいたが無視してその鍵で裏口の扉を開き外付けの非常口用の階段で一気に上へ行った。
悪霊は蠢きながら付いて来ている。
外の悪霊も付いて来る。
愁一は階段を駆け上がった。
後ろは見ずに。
おそらく大量に付いて来ているであろう悪霊。愁一は素早く屋上に出た。
「愁一さん!」
ケイの声が聞こえた気がした。
「こりゃ、見事に大量に連れて来ましたね」
上杉英治の声も聞こえる。
愁一は刀を持ち直し、一気に駆け、悪霊に向かった。
「待って下さい、まだゲートが……」
知ったことか。
目の前の敵を倒さずして何になる。
そうでなければこちらが死ぬ。
愁一は刀を構える。
そして斬る。
黒い靄のようなものを連れた人間を斬って、斬って、斬りまくった。
これは人間ではない。
死体に別の霊魂が入った悪霊だ。
「……っ、うっ!」
ケイはその姿に怯んでいた。
「何してんだ、ゲート!」
遠くで声が聞こえた。
その声の後、天井が円形に開ける。
確かに空へのゲートのようだ。
愁一は跳び上がり暗闇を纏う死体の人形を刀で貫いた。
黒い靄が消えて逝く。
そして着地して刀を制服の内ポケットに入っていた懐紙で拭う。
ゆっくり立ち上がる。
後ろで大量に暗闇がゲートに吸い込まれて逝った。
愁一はそれを見ることなく英治に向き合う。
「それで俺は合格なのかな?」
「大いに」
上杉英治は頷いた。
病院の屋上は月明かりで明るい。
何故かケイが誇らしそうにしている。
給水塔の上にいた英治は下に降りて愁一と向き合った。
「しかし記憶がないとはどうしたもんか」
「記憶が無かろうが私の狩師です!」
そんなケイを無視して愁一は英治に尋ねる。
「それで俺はどうなっちゃうの?」
「一応、狩師として登録は完了したので現世の狩師として生活は保証されますよ」
「へぇ……」
「記憶喪失、もとい初心者ですので主に生活拠点は変更出来ませんが」
その言葉にケイが反応する。
「そんな! 私の国に帰れないのですか?」
「無理です。上杉が管理する都内及びその周辺で生活、そして魂送を行って頂きます」
「魂送って……?」
「さっきの悪霊退治です。詳しくは現世での生活拠点で話します。その方が早い。とにかく悪霊を狩れる限り、生活は保証されるということは覚えて下さい」
愁一は頷いた。
何故かは分からないがケイと同じ喪服の青年なのに彼の言うことには従った方がいい気がした。
後ろでケイが不満そうにしている様子だが正直、愁一の中であまり彼女に対する信頼性はない。
おそらく説明が極端に少ないからだろう。
「藤堂高校で良かろう。あそこならお前もいるし寮もある」
強面の侍が言った。
「それはもちろん、そうですが。獅道という名で検索した所、一つヒットした土地と屋敷が都内にありました。使えるかは分かりませんが、記憶が戻るかもしれませんしそこの方がいいでしょう」
愁一は頷いた。
英治の言葉にケイがずかずかと近寄って突っかかる。
「私もそこに住みますからね!」
「えぇええ……」
「超嫌そうじゃん」
英治の言葉にケイに睨まれて愁一は微妙な笑顔を浮かべた。
「だ……だって、ほら、女性と二人きりは……」
「大丈夫でしょう。屋敷は広そうだし。むしろ別行動の方が面倒だ」
妙に説得力のある英治の言葉に愁一は度々頷いた。
「でも、どうやってそこに行けばいいの?」
「ふふん、ようやく私の出番です!」
ケイは伸ばした十字架のピアスを天に掲げる。
そうすると十字架はケイの愁一の身長を超える長さになった。
「これで上空での移動は楽々です! ……場所さえ分かれば」
一瞬、場が静まる。
英治は溜め息を吐いて髪を掻き上げた。
「はいはい、今、座標を送ります」
どうやら、その棒に乗って移動するらしい。愁一はケイに習って棒に乗った。
すると制服の端を英治に掴まれる。
「途中、貴方に助力した奴は何者ですか?」
その問いに背筋が寒くなった。
英治の瞳はただ黒く、何も写さない。
「分からないよ。声しか聞いてない。陰陽師、とは言ってたけど」
「……陰陽師」
愁一は素直に話した。英治は怪訝そうな顔をしている。
「行きますよ!」
その棒はふわりと浮いた。
いや、落下した。
「う、うわぁあああ!!」
愁一は都会の夜景を尻目に叫ぶ。
「また現世でごきげんよう」
英治の声が遠くに聞こえた。
頭の中はまだ夜景が回っているが愁一はとある屋敷に降り立った。
「酷い……酷すぎる……」
愁一の脳内にはまだ夜景がぐるぐると回っている。
「この程度で弱音とは情けない! ……で、ここは本当に貴方の屋敷ですか?」
確かに大きな屋敷だった。
愁一は見上げるが記憶にはない。
ただ柱に、獅道、という掠れた字が辛うじて読めた。
愁一はその文字を指で辿る。
ぽろぽろと木の破片が落ちた。
「ここは……」
「知っているのですか?」
愁一は首を振る。
その日は結局、寝ることしか出来なかった。
ケイは早々に自分の部屋を作って籠ってしまったし、他にやるにも時間も物も足りないのだ。
今日はもう寝るしかない。
愁一は寝る前に縁側を見て思う。
何故、記憶が無くなってしまったのだろう。
「何故だろうね」
その時、声がした。
聞いたことのある男性の声だ。
「知っているんですか?」
愁一は問う。殺気はないが起き上がり横に置いていた刀を持ち構える。
まだ刃は抜いていない。
月明かりの影で見えないが庭の何処かにいる。
気配がした。
ゆっくり近付いて来るが白い袴だけ見えて顔は見えない。
「良く考えた方がいい。何故、君に記憶がないのか」
病院で助けてくれた男性の声だ。
「貴方は……知っているのでしょうか?」
「それは今度会った時に。俺を見つけられたら教えてあげる」
気配はそっと消えた。
その夜は静かに終った。
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