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ニ章
37話 祝いの席
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村の広場を純白の布が敷かれた大きなテーブル群が占領している。
中央には獣肉がどっしりと鎮座し、席にはそれぞれ一つの透明なグラスが用意されていた。
既に太陽の熱を十二分に吸収していて触れると火傷しそうだ。今、腰掛けている座席ですら熱い。
鬱蒼とした樹々に囲まれ茹だるような熱さと湿気が辺りを覆っている。
熱気は自然現象だけじゃなく、盗賊団から解放された彼ら獣人族からも発せられているような気がした。
「こちらの席は村の救い主様であられるニノ殿と闇精霊様の為に用意させて頂きました。どうかご遠慮なさらずに、おいっ、誰か、ニノ殿に飲み物を注がぬか!」
村の長である年老いた獣人が皺枯れた声で周りを焚きつける。
すると近くで控えていたのか、野外に設けられた簡易的な会場に次々と料理が運ばれてきた。
辺りに漂う香辛料の匂いはポートセルトの市場でも馴染み深いものばかり。
僕たちの味覚に合わせてくれたのか、街で仕入れた食材がふんだんに使われているらしい。
一人特等席に座らされ手持ち無沙汰だった僕は、その様子をじっと眺めていた。
喜び、悲しみ、怒り、恐れ。様々な感情がこの場で揺れ動いている。
人族に支配されたかと思えば、すぐに他の人族に救われたんだ。その心中は複雑ではあると思う。
僕たちに熱烈な歓迎を送る人もいれば、視線を感じただけで逃げ隠れる人もいた。
「ニノ殿、この酒は我が家に伝わる秘蔵の物でしてな、せっかくの祝いの席だ。ついに封を切る事にしましたよ」
「み、水で大丈夫ですよ。その、僕にはもったいないですし……」
「またまた、遠慮なさらず。どうぞグイッといってください」
「わわわ……」
グラスに注がれていく命の水。これで何度目だろうか。
お酒は冒険者の礼儀として、ある程度は飲めるように訓練している。
それでも流石に連続するとちょっと辛い。見ると真っ赤な顔が水面に映り込んでいた。
我慢して一気に飲み干すと歓声が沸き起こる。
「私の他にもニノ殿にお礼をしたいという者が多く控えております。是非、話を聞いてやってください」
「そ、そうですか。まだ続くんですね……ははは」
授かった恩は数倍にして返すというのが獣人族では一般的な考え方らしい。
レックさんは数百倍と言っていたけど、それは冗談にしても用意された祝いの席を見る限りかなり力が入っていて、小さな村の規模でできる精一杯の催しだった。
その思想自体は素晴らしいと思う。
ただ僕一人に対して村人全員から返されても受け止めきれない。物事には限度がある。
喉は十分に潤っているはずなのに自然と乾いた笑いが出てしまった。
「……一体何が不満なんだ。こちらは歓迎してやっているんだ。少しは喜べばいいものを」
「好意も度が過ぎれば恐怖に変わるんだよ。みんな親切心で接してくれるからそう無下にもできないしね」
「嫌なら嫌とハッキリ言えばいい。戦場では果敢に立ち向かってきた癖に、変に臆病な奴だな」
煌めく銀髪が視界に映り込む。獣人特有の尻尾と森妖精の長い耳が動いていた。
セレーネは椅子の上にちょこんと座ると視線を僕に向けながら頬杖をつく。
そして切り分けて食べやすくした料理を目の前に置いて、こちらに嫌らしい笑みを浮かべる。
「次は私からもお前を怖がらせてやろう。ほら、さっさと食え」
セレーネは片手でナイフを器用に操り肉を貫くと僕の口に運んでくれる。
彼女の性格からして裏がありそうな行動。もしくはお酒か場の雰囲気に酔っているのだろうか。
せっかくのご厚意なので素直に食べさせてもらう。
……うん、美味しい。食べ慣れている安心できる味だ。
「もしかして毒でも入っていると思ったのか? 時間をかけて噛んでいたな」
「案外普通の料理で驚いただけだよ。もしかして魔物の肉でも使っているのかと思ったんだけど」
「祝いの席にあんなマズイ肉を出すものか。あれこそ毒そのものだぞ。腹を下して死にかけた馬鹿もいる」
「へーそうなんだ」
つまりセレーネ自身も食べた事があるんだね。と指摘するとナイフが目の前に突き刺さっていた。
『黙れ』と、不機嫌そうに抜き取ると何事もなかったかのようにまた肉をこちらに寄越してくる。
意外と感情表現が豊かな子だった。”闇”妖精だけあって荒々しいところがフィアーにそっくり。
レックさん曰く、セレーネは人族換算だと十二歳くらいで僕たちよりも年下なのらしい。
長命な森妖精族からすれば生まれたての赤ん坊であり、人族の視点で見ても年若い女の子だ。
口調を強めて少しでも威厳を保とうとするところが特に子供っぽい。
なるほど、パパという呼び方も納得ができる。
「そこのお前、ここにある料理を取り分けて! 私の腕じゃ届かないの!」
「闇精霊様! どうぞこちらをお納め下さいませ!」
「よくやったわ、褒めてあげる」
「おいっ! 俺が先だぞ!! 抜け駆けするなよ!」
「闇精霊様、秘伝のお酒をお持ちしました! 今、封を切りますね!!」
「私に気に入られたければ、誠心誠意尽くす事ね。さすれば下僕にしてあげてもいいわよ」
離れた場所ではフィアーが若い獣人たちに取り囲まれている。
誰も彼もが彼女の為にいそいそと走り回っていて、気分はまさに女王様といったところか。
止める人がいなければ増長してどこまでも勢力を拡大していきそうだ。
「ふふーん。やーっと私の偉大さを理解できる子たちに出会えたわ。本当、どいつもこいつも私を子供扱いして。見てなさい……ここから私とニノの一大闇帝国を築き上げるのよ!」
フィアーは上機嫌で鼻歌を奏でていた。闇帝国はともかく、とても楽しそうだ。
これまで彼女はギルドでは闇精霊として恐れられ、街中では子供として扱われるのが殆どだった。
ここにきて初めて真っ当な評価を受けたのが胸に響いたらしい。うん、セレーネと同じくらい子供っぽい。
「フィア、ずうずう……しい。そういうの、よくない!」
「あら。これはまた可愛らしいお嬢ちゃんだこと」
「こちらにいらっしゃい、焼き菓子もたくさん用意してありますよ」
女王様扱いを受け悦に入るフィアーをトルは不機嫌そうに眺めていた。
頬を膨らませて黙々と料理を詰め込んでいる。その様子が愛くるしいのかお年寄りに受けていた。
「むぅ、子ども扱い……しないで!!」
「よしよし、そうね、お嬢ちゃんは立派な大人ですものね。はい、美味しいクッキーですよ」
「あり……がと。美味しい……けど。何か、違う……気が?」
「ぷぷぷ、子供の貴方にはお似合いの格好ね」
完全に孫を見る目で可愛がられているトルは簡単に言い包められ一人困惑し始める。
それが愉快だったのか、フィアーは鼻で笑いだす、子供扱いされたトルは怒っていた。
「フィアなんか……嫌い嫌い、大嫌い!」
「もう、私が何をしたって言うのよ。コイツらが自ずから進んで世話を焼いてくるだけで――ははーん。トル、貴方もしかして人気者の私が羨ましいのでしょう? 今回も目立った活躍ができなかったものね!」
「うぅ、いじわるいじわる!! いいもん。フィアがニノがいない間に服を盗ったの言いつけるもん!」
「そんな証拠がどこにあるって言うのよ。言いがかりはやめなさい、変な誤解されるでしょ!?」
「フィア、自分の部屋に……隠してる。同じの買って……誤魔化した、トル見てたもん」
「――ちょっと来なさい、取引よ。黙っていたら一着あげるから」
「二つ」
「貴方……ここぞとばかりに強欲ね。それだと私が一つだけになるでしょ!? 不公平よ!」
「ずるいずるい! トルが二つ!」
「駄目よ、あれは私の物よ!!」
いや、僕の物なんだけど。
せっかく買い揃えたお気に入りを三着も盗んだのか。
わざわざ新品と入れ替える工作をしてまで一体何に使うのか気になる。変な事に使ってないよね……?
留守を預けるにあたって二人にはお小遣いを渡していたけど、この分だとかなり無駄遣いをしている気が。
「最近のトルはちょっと生意気よ。いい加減私の方が偉いって事を思い知らせてあげるわ。勝負よ!」
「フィアなんかに……負けない!」
フィアーとトルは同時に走り出すと、料理を片っ端から口の中に放り込んでいく。
次々と空になる皿。それが積まれて山を作り出す。あの小さな身体のどこに収めているんだろう。
最初は和やかに見守っていた獣人たちも、あまりの減りの早さに驚きの声を上げる。
食費に換算すれば恐ろしい金額になりそうだ。屋敷で過ごしている間でも見た事がない大喰らい。
もしかして今までも相当我慢していたんじゃ……。
健気に空腹を我慢して眠りにつく二人の姿を想像してしまった。
「僕たちの稼ぎが少なくてごめんね。いつかお腹いっぱいに食べさせてあげられるようになるからね……!」
「……? 何を一人で落ち込んでいるんだお前は……」
セレーネは訝しむ表情のままナイフを動かす。
冗談はさておき、そろそろ僕のお腹の方は限界が近い。
少女の手をやんわりと避け、それからすっかり注目の的になっている二人の方を指した。
「僕に構わずセレーネも混ざりにいけば? フィアーの事が気になるんでしょ? さっきからずっと見ているけど」
「……闇精霊様と軽々しく肩を並べるなど。そ、そんな、恐れ多い……!」
「うーん、そんなに畏まるような相手かな? 話せばすぐに打ち解けると思うけど」
「お前は感覚が狂っている……精霊は我々のような下々の者が関わっていい存在ではないのだぞ?」
「慣れって怖いよね」
ここまで酷くはなかったけど、僕も最初はセレーネと似たような感じだった。
それがフィアーたちの方から歩み寄ってくれたので、自然と今の形に落ち着いたんだ。
是非、この機会にセレーネにも知って欲しいと思う。
精霊として畏怖の念を抱くだけでなく、等身大の彼女たちも見てあげて欲しい。
規格外の力を持っている以外はただの普通の女の子たちなのだから。
「精霊の事は確かに気にはなるが……パパにお前の世話を頼まれているんだ。席を外す訳にもいかない」
「レックさんが?」
受けた恩を数百倍にして返すというあの約束の件だろうか。
セレーネは多分冗談が通じない子だろうし、この流れだと本気で約束を果たそうとしてくる。
父親として止めるべきではないのかと思う。……あの性格からしてどこかで楽しんで見てるかも。
「無理しなくても……レックさんが勝手に言い出した事なんだし。セレーネには関係ないよね?」
「たとえ口約束であろうと、一度誓いを立てたのなら義を持って事を成せ、だ。それにパパが関わっているのなら尚更娘である私も協力するしかないだろう……不本意であったとしてもだ」
獣人族に限らず、亜人の多くはそういった考え方の持ち主ばかりらしい。
下手な冗談でもそれが一生ついて回る事もあるから気を付けろよ。と釘を刺されてしまった。
それって相手から無理矢理交されたものであったとしても、適用されるのだろうか。
そういえば何人かの獣人たちから、娘と会ってもらえないだろうかと誘いを受けていた。
特に意識せずに丁重にお断りしておいたけど、一歩間違えれば……そういう可能性があったのだろう。
だとすれば今後は彼らとの付き合い方を考え直す必要がある。
僕もまだ身を固めるような年齢でもないし。そんな覚悟も持ち合わせていない。
というか日常の中にまで地雷を混ぜ込むのは勘弁して欲しい。
「これでも獣人族はまだマシな方なんだぞ。これが龍人族、鬼人族になってみろ。義を果たす為なら己の命、いや一族の命運すら簡単に投げ出す連中もいるんだからな?」
「今、僕は種族間の壁ってものを凄く感じてる……」
龍人族も鬼人族も、かつての戦争で歴史に大きな傷跡を残していった亜人たちだ。
個体数では他の種族に比べて大きく劣るが、その戦闘能力は凄まじく十人も集えば一晩で小国を落せるとまで称されているらしい。眉唾ものではあるけど龍人冒険者の活躍の噂は時々耳にするので、嘘偽りないと思う。
龍人族は人族にとって馴染み深く、魔族との戦争でも味方として戦ってくれた経緯がある。
どうも龍人は元来男が生まれない特殊体質であるらしく、よって龍人族の男性は須らく元人族だ。
今でも中央の大きな街に行けば、婿を求めて山を下ってきた彼女たちと出会う事もあるらしい。
対して鬼人族は魔族と密接した関わりを持つ一族だ。
優れた身体能力と魔力を留める為の器に魔族の肉体が最適らしく、その多くが魔族側についていた。
龍人族と違って種族としての戒めはないので稀に人族と子を成す者もいたみたいだけど、どうやら血の相性が悪いようで生まれてくる子供は鬼人としての能力は失われてしまうらしい。
龍人族と鬼人族、相反する種族に味方する両者が戦争でぶつかり合うのは当然の帰結ともいえた。
魔族が戦争に敗れその殆どが魔界に逃げ去った後も、鬼人族は世界各地に散り単身で戦い続けたという。
勝ち目がないと理解しながらも説得に応じず、子供から年寄りまで武器を手放さなかった。
ここ近年で最後の一人が討ち取られるまで争いは続き、彼らは歴史の舞台から姿を消してしまった。
それが仮に、セレーネの言う亜人の誓いによるものだとすれば、あまりにも惨い結末だと思う。
「約束か……」
僕も昔はよくフィリスと何の気なしに色々な約束を交していた覚えがある。
どうしてだか、その殆どが蜃気楼のようにぼやけ不鮮明で内容は思い出せないけど。
小さい頃の記憶って得てしてそういうものなんだろうと、あまり深く考えたりはしていなかった。
でも、僕にとっては忘れてしまうような取るに足らない内容だったとしてもだ。
彼女には違った意味合いを持っていてもおかしくない。時には生き方にだって影響を及ぼす。
亜人の約束に対する姿勢は極端すぎる気がしないでもないけど、その心意気は大切だと思った。
僕も少しは思い出す努力をするべきなんだろうか。
◇
「んんっー。ちょっとだけマシになったかも」
セレーネに酔いを醒ましたいからと理由を伝え、騒ぎから抜け出し村の中を散策する。
慣れない歓迎を受けて肩が凝っていたのか、少し伸びをしただけで全身から音が鳴った。
そういえばフィリスもケイシアさんもノート様もどこか別の場所で寛いでいるか姿を見かけない。
何となく幼馴染と話がしたくなったので探し歩く。
ここアズバール村はニブルクル樹海の一部を切り拓いた土地に小さな家が立ち並ぶだけの簡素な村だ。
村の大切な資源を生み出す畑などは見当たらず、その為に村全体を囲う柵もかなり短い。
徒歩でも数分もあれば周りきれるので、全員そう遠くない場所にいると思う。
「あそこにいるのはノート様かな?」
村の隅にある井戸近くに獣人の子供たちの姿が見えた。
輪の中心には岩の仮面を被った少女の姿。みんなで一つの本を読んでいる。
僕はすぐには近付かず遠くからその様子を眺めていた。この穏やかな空間を壊したくなかったから。
「そこに隠れているのは――ニノ? ……もしかして私を探しに来てくれたのですか? ふふっ、今は少し手が離せないの。この子たちに誘われて、よかったらニノも一緒にどうですか?」
「あっニノ兄ちゃんだ!」
「兄ちゃんも御本を読んでよ!」
「こっちこっち!」
「救い主様!」
「わ、わかったよ。わかったからあまり尻尾でくすぐらないで!」
ニーアとロットを含めた子供たちに取り囲まれ身体を揉みくちゃにされる。
獣人特有の毛で覆われた耳と尾が暖かくてくすぐったい。
ノート様と同じ輪の中心に座らされて一つの古い本を手渡される。
内容は至ってシンプルな一人の騎士が魔王に攫われたお姫様を救い出す物語。
小さな子供に読み聞かせるのに最適で、街でも簡単に手に入る品物だ。ちょっと年期は入っているけど。
「……もしかして文字が読めなかったりするの?」
「少しだけならわかるよ。本当に少しだけだけど」
「村には学校もないし、父ちゃんも母ちゃんも毎日狩りに忙しいんだ」
「大人の中にも読めない人多いよ」
「読めなくても困らないしねー」
そう答える子供たちの身体は少し痩せ細っていた。
そういえばポートセルトでもこの村出身の獣人を見かける事は殆どない。
村を一通り見て回ったけど畑もなければ医者もいない。あるのは肉を貯蔵する蔵ぐらいか。
「……だとすれば、あの祝いの席で用意された料理はどこから……?」
「――当然、私が街で買い集めた食料ですよ。まったく、こちらの苦労も知らずに簡単に使い切って、村の連中には困ったものです」
「あっレックだー!」
「久しぶりだー!」
寝癖をつけた大柄の獣人がのそのそとやって来る。
レックさんは村の住人と口喧嘩でもしていたのか、少し不機嫌そうにしていた。
「ニノさんも気付かれたでしょうが、この村の問題はそもそも盗賊団ではありません。沼地の多い樹海では碌な畑も作れず食料の殆どが狩りに依存しています。そんな中で子供たちの教育も行き届くはずもなく。街へ買い出しに出向くたびに思い知らされますよ、どれだけ私たちの文化が遅れているのかという事をね」
やれやれと言った様子でレックさんは地面に腰を下ろした。
口数がいつも以上に多いのは、同じ話題で誰かと討論になったからだと思う。
本を読むのも忘れて全員が黙ってレックさんに注目する。
「昔、それこそ戦争のあった時代に私たちの先祖が街の人たちに匿われていた時期がありました」
レックさんの先祖の獣人たちは、元々はポートセルトの前身だった小さな街で生活を送っていたらしい。
戦争が始まっても戦いには参加せず、街の人たちと助け合って暮らしていたんだそうだ。
「ですが戦いが終わり、港として機能し始めると世界中から人々が集います。そうなると当然、獣人族に対してよくない印象を持った人族も現れました。戦争で魔族側についた獣人は世界には数多く存在しましたからね」
街が発展すればするほど人が増え、そして種族間での小競り合いも増える。
このままでは獣人族の立場が危うくなると考えた当時の町長が、樹海を切り拓きアズバール村を作り上げ、街の水源を守る水門を管理するという名分を与える事で彼らに安息の地を譲り渡したという。
「そして今になってもその時の誓いを守り続けているんです。我々は街の水を守る為に命を張っているんだと。馬鹿げていると思いませんか? もうその時代を生きた先祖は全員土の中です。私たちには何一つ関係ない。それなのにこんな不自由な生活を強いられている。わざわざ許可を取って街へ買い出しに行かなければ碌な食べ物にもありつけないんですよ」
村を捨てて盗賊団から逃げなかったのもそういった事情があったから。
今でも自分たちの存在が街の災いになると考え樹海の奥地に閉じこもっている。
レックさんはそれが納得できないという。
実際この村には足りない物が多すぎる、それは少し滞在しただけで簡単に理解できた。
「お腹空いたなぁ……」
「さっき魚を食べたとこじゃない」
「でも料理、おいしそうだったんだもん」
「ちょっとだけ貰えないかな?」
「父ちゃんに怒られるよ。兄ちゃんたちの為に用意されたんだから」
祝いの席に子供たちがいなかった理由も、もしかしたら僕たちに配慮しての事かもしれない。
空腹を我慢できず料理を喰らい尽くすとでも考えたんだろう、僕はそれでも構わないと思うけど。
でもそれだと礼儀を重んじる彼らの流儀に反してしまう。
あとで子供たちの取り分も残してあげないと。
今日だけでかなりの食料を消費しているはず、このままではあまりにも可哀想だ。
「……ノート様のお力で何とかできませんか? 土地さえ整えてしまえば今年は我慢するにしても、次の年には希望を残せるはずです」
せめて畑の一つや二つでもあれば多少はマシになると思っての相談だった。
土属性の力はそもそも戦いよりも人の暮らしを豊かにする為に使われる事が多い。
でもノート様は申し訳なさそうに静かに首を横に振るう。
「私が土地に力を与えたとしてもそう長くは……。力というものはより強い方へ流される性質があります。一ヶ所に留まり続けるのは稀です。ここから少し離れたウィズリィの土地に吸い寄せられてしまうでしょう」
「カーマイル泉はそれはもう、とても素晴らしい土地ですから。自然豊かで野生動物も多く住み着いていて、私たちの生命線にもなっています。……ただそこも年中資源に恵まれている訳ではありません。それに仮にノート様のお力添えがあったとしても土地を活かせるだけの知識も知恵も持ち合わせていない。結局のところ私たちの力だけでは限界があります」
「うーん。村を離れられないのが足枷になっていますね」
街の人たちの好意で受け取った村だ、彼らがそう簡単に手放すとも思えない。
それこそ飢え死にする人が現れたとしても最期まで守り続けそうだ。かつての鬼人族のように。
亜人としての誇りも関わってくるとなると、難しい問題だった。
「……そういえばニノさんは今回の宴の主賓でしたね。くだらない話を長々と申し訳ない。是非、楽しんでいってください」
「今の話を聞いて純粋に楽しめるとは思えませんけど……」
「いや本当に申し訳ない、先程の話はどうか忘れてください。私は一足先に小屋に帰るとしますよ」
「えーもう帰っちゃうの?」
「もっと村にいたらいいのに!」
「ここの空気はどうも私の肌に合わないのでね……。まぁ、気が向いたらまた来ますよ」
そう言ってレックさんは立ち上がる。
「――こんな村。いっそ洗い流されてしまえばよかったんですよ」
「えっ……?」
「あっ、いえ、これはその、ハハハ。ちょっとした冗談ですよ」
最後に微かに聞こえた言葉は彼らしくない恨み節だった。
本人も意識せずに出てしまったのか、頭を下げると逃げるように走り去ってしまった。
レックさんは終始居心地が悪そうにしていたし。過去に何かあったのかもしれない。
残された僕たちの間には気まずい空気が漂っていた。子供たちもただ茫然としていた。
「……本を読むのはここまでにしてみんなで料理を食べに行きましょうか。お腹を空かせているのでしょう?」
ノート様が気を利かせてそんな提案をしてくれる。
おかげで凍り付いた場の雰囲気が一瞬にして元通りになった。
「えっ? 精霊様いいのー?」
「やったあああああ!」
「わたしいっぱいお肉食べる!」
「でもでもあれは兄ちゃんたちに用意されたものだし……」
「僕たちに気を遣わなくていいよ。もうお腹いっぱいだから。ほら、残したらもったいないしね?」
「兄ちゃんも精霊様も大好き!!」
僕からもそう答えると全員に抱きつかれてしまった。
モフモフして苦しい。全身で喜びを表現する子供たちは力の加減が下手くそだった。
「ぐふぉ……い、痛い、死ぬ……!」
「もう……危なっかしい子たちですね」
瞬時にノート様は僕に強化魔法を施してくれた。
生身のままでは骨が砕け散っていたかもしれない。亜人の力は相変わらず恐ろしい。
「それでは……失礼して。ニノ、案内をお願いできますか?」
「もちろんですよ!」
「離れないように手を繋ぎましょうか」
ノート様は隣に立つと小さな手のひらで僕の指を優しく包み込む。
そしてこちらを見上げると仮面から覗かせる肌を赤らめて微笑んでくれた。
◇
ノート様と獣人の子供たちを引き連れ歩いていると、ケイシアさんとリディアさんを発見する。
二人は何かの作業をしている最中で視線が合うと手を振って応じてくれた。
「ニノさんに大地の精霊様じゃないですか。こんな所でどうしたのー?」
「それはこちらの台詞ですけど、あれ、もしかしてもう村を離れるんですか?」
リディアさんは怪我人を運ぶのに使われる担架に乗せられていた。
その両脇には屈強な獣人が控えている。そしてもう一つの担架には包帯を巻かれた男の姿も。
フィアーによって瀕死の重傷を負った盗賊団最後の生き残りだ。
「この村には医師も予備の常備薬もないと言われましたので……。私たちは治療の為に一旦ギルドに帰還しようと思います。報告はその際にこちらで済ましておきますね」
「……本来なら僕がすべき仕事だったのに、押し付けるような形になってしまって申し訳ないです」
フィアーが起こした問題は僕の責任でもある。後始末を任せるようで心苦しい。
「いえ、リディアの足の件もありますし、いずれにせよ村には長居するつもりはありませんでした。それに私たちはこれくらいしかお役に立てませんし……」
「ほーんと。最初から最後までニノさんたちに負んぶに抱っこだったもんね」
二人は乾いた笑いを零す。
僕たちは一つのパーティなのだから個人の功績なんて些細な問題だ。
無事に試験を突破した。その事実は誰に何と言わても揺るがないもの。
特にケイシアさんは初めて人を殺めたと聞いている。
中級冒険者として最初に立ちはだかる壁であり。ここで躓くようでは先はないとされている。
今は興奮して正常な判断ができないのかもしれない、それでもこうして気丈に振る舞えるだけ立派だった。
もっと自分に強く自信を持って欲しい。
彼女は決して本人が思っているほど、弱い人じゃない。
「僕の方こそ協力すると言って何もできませんでしたが……ケイシアさんはこれから必ず伸びますよ。傍でずっと見ていましたから。素直でそれでいて綺麗で……だから自信を持ってください!」
「えっ、き……綺麗……? ニノさん……!?」
「あー剣筋の事ですよ! も、もちろんケイシアさんはその、お美しいとは思いますけどね!」
「も、もうそれ以上は結構です! お、お気持ちは理解しましたから……!」
僕は何を言っているんだろうか。言葉足らずだった。
ケイシアさんは胸を押さえ気まずそうにしていた。リディアさんは変な笑みを浮かべている。
黙って成り行きを見守っていたノート様も一緒になって笑っていた。
「もー、ニノさんはケイシアばっかり褒めて……まぁすぐに怪我した私も悪いんだけどね」
「リディアさんも頑張ってくださいね。ユニオンは一人の力だけでは成り立たないんですから」
「当然、今度会った時は腰を抜かさせるくらい強くなってみせるから、楽しみにしておいてね!」
リディアさんの前向きな姿勢はユニオンに活気を与えてくれる。
そして常に一歩後ろを歩みがちなケイシアさんを必ず支えてくれるはずだ。
「私たちはより一層鍛錬を重ねて少しでもニノさんやフィリスに近付けるよう励みます。次に会う時は同じ冒険者として、いえ、友人として胸を張れるように……!」
その言葉に込められた熱い想いに僕の顔も熱くなる。
互いに高め合える仲間。それは昇格するよりも大切で得難い宝だ。
フィリスもこの場にいれば、一緒になって喜んでくれたと思う。
「あっそうだ、ケイシアさん。この辺でフィリスを見かけませんでしたか? ここに来てから一度も顔を合わせてくれなくて、どこに行ったのやら……避けられてるのかな」
「フィリスですか……私も先程まで探していたのですが時間が足りずに。リディアは?」
「ん? フィリスちゃんならさっき村の入り口付近にいたような……」
「どうしてそれを先に言ってくださらなかったのですか!」
「だって一人にして欲しそうな雰囲気だったし。私だってそれくらいの空気は読めるんだから」
「一人で、ですか……?」
いつも誰かと一緒にいる事が多いフィリスにしては珍しい。
盗賊団の首領との戦いの後に何かあったのか。結局、ウィズリィ様を見失ったと本人から聞いている。
もしかしたらそれで気が沈んでいるのかもしれない。会えるのを楽しみにしていたみたいだし。
普段は底なしに明るいのに一度落ち込むと酷く引き摺るから心配だ。
「ニノさんに頼まれていたというのに、目を離してしまった私の責任ですね……」
「いやいや、一人で勝手に突っ走ったフィリスが悪いんですよ。気にしないでください!」
「それでも……!」
「どうせすぐに元気を取り戻しますよ、前向きなのが取り柄みたいなところがありますからね」
何を悩んでいるのかもわからない以上、心配ばかりしていても仕方がない。
こういう時は全て本人に任せて、頼られた時に初めて話を聞いてあげるくらいで丁度いい。
幼馴染だからって何でも共有するものでもない。信頼しているからこそ、そっとしてあげるべきだ。
「んー、こりゃケイシアに勝ち目は薄いかなぁ。最初から戦う相手が悪かったねぇ」
「「……?」」
「あっ、お気になさらずー! それじゃ、そろそろ街に帰ろっか。獣人さんたちにも都合があるんだし」
「そうですね……最後にフィリスに会えなかったのは残念ですが。いずれまた機会はあります」
「お手紙も送るんでしょ? いいね、私も送ろっかなぁ。……おおっと時間だ! ――ニノさんまた会おうねー!」
「はい!」
担架が持ち上げられまずはリディアさんが運ばれていく。その後ろをもう一つの担架が続く。
「最後に……これだけは言わせてください。ニノさんは……確かに私の力になってくださいました。最初の模擬試合。あれがなければきっと私は成す術もなく殺されていたと思います。貴方は私の恩人です」
ケイシアさんはそう言って僕の手を取った。
あの一戦で何を得られたのかは彼女にしかわからない。だけど少しでも力になれたのなら嬉しい。
ゆっくりとその手を外し、もう一度お互いに重ねて強く握り合った。
「ではまたいずれ、どこかでお会いしましょう」
「次は好敵手として、ですかね?」
「ええっ!」
力強く頷き、走り去る彼女の背中が見えなくなるまでずっと手を振り続けた。
才ある冒険者は強いこだわりと信念の持ち主ばかりで、こうして相性のいい人と巡り合う機会は滅多にない。
ここで生まれた縁はきっと意味のあるものだと僕は信じている。
「……良き友人を得られましたね」
「そうですね。この出会いだけでも今回の試験を受ける価値がありました」
今も手のひらには彼女の温もりが残っている。
僕も街に戻ったら手紙を送ろうと思った。書き方をフィリスに教わらないと。
「ねーねー兄ちゃん早く早く」
「僕たちお腹空いたよー」
「ちょっとだけ我慢してもらえないかな? これから僕はお姉ちゃんを探さないといけないんだ」
とりあえず一応フィリスも誘ってあげないと、あとで恨み言を言われそうだ。
案外、お腹を満たしてしまえば悩みも吹っ飛ぶかもしれない。それは単純過ぎるかな。
「でもでも早くしないと闇精霊様が全部食べちゃうよ?」
「物凄い大食いだって聞いた!」
「もうっあの子は。自分の信徒たちの前で恥を晒して……!」
困った子ですねとノート様は苦笑する。
精霊としての威厳はそれだけ大切だという事だろうけど。
あの冷酷な姿を見せるよりは、少し抜けている方が愛嬌があって親しみが湧くと思う。
「ですが――――これはいい機会をもらえたと取るべきですか」
「……?」
ノート様は少し考える素振りを見せてから、名残惜しそうに僕から離れた。
「フィリスさんについては私に任せてください。ニノはこの子たちと一緒に祝いを楽しんできて」
「えっそんな。僕が探しますよ? ノート様の方こそ休んでいてくださいよ」
「フィアーが素直に言う事を聞くのはニノだけですよ。……すぐに合流しますから心配しないで?」
「あっ」
呼び止める間もなくノート様は早足で行ってしまった。
心配するも何もこの狭い村だ。二人で探せばそう時間はかからなかったはずなのに。
もしかしたらフィリスと二人っきりになりたい事情でもあったのかもしれない。
今も行方知らずのウィズリィ様についての相談か、もしくはフィリスを励ます為か。
どちらにしろ僕がいても邪魔になるだけか。ここはノート様に任せるしか――――あれ?
不意に、ある違和感を覚えてしまった。
どうして気付かなかったんだろう。フィリスの性格からしても不自然な行動だったのに。
ここ数日で色々あり過ぎて鈍感になっていたのかもしれない。
僕もフィリスも、普段からお互いの信仰する精霊様について話をする機会が多かった。
それは精霊術師としてだけではなく幼少の頃から自分たちの人生に深く関わっているからこそ、日常会話で家族の話題を出すかのような身近な感覚で、だから僕も直接関わりのないウィズリィ様の人物像をある程度把握していたりする。
それはフィリスだって同じだろう。
何度も僕の口からノート様の話を聞かされ続けていたんだ。
フィアーやトルが精霊様だと知ってもすぐに打ち解けられたフィリスが、ノート様と親しくなるのも時間の問題で……当然のものだと考えていた。
それなのに――――僕は二人が会話をしている姿を一度として見ていない。
「もしかして……避けられているのはノート様……?」
中央には獣肉がどっしりと鎮座し、席にはそれぞれ一つの透明なグラスが用意されていた。
既に太陽の熱を十二分に吸収していて触れると火傷しそうだ。今、腰掛けている座席ですら熱い。
鬱蒼とした樹々に囲まれ茹だるような熱さと湿気が辺りを覆っている。
熱気は自然現象だけじゃなく、盗賊団から解放された彼ら獣人族からも発せられているような気がした。
「こちらの席は村の救い主様であられるニノ殿と闇精霊様の為に用意させて頂きました。どうかご遠慮なさらずに、おいっ、誰か、ニノ殿に飲み物を注がぬか!」
村の長である年老いた獣人が皺枯れた声で周りを焚きつける。
すると近くで控えていたのか、野外に設けられた簡易的な会場に次々と料理が運ばれてきた。
辺りに漂う香辛料の匂いはポートセルトの市場でも馴染み深いものばかり。
僕たちの味覚に合わせてくれたのか、街で仕入れた食材がふんだんに使われているらしい。
一人特等席に座らされ手持ち無沙汰だった僕は、その様子をじっと眺めていた。
喜び、悲しみ、怒り、恐れ。様々な感情がこの場で揺れ動いている。
人族に支配されたかと思えば、すぐに他の人族に救われたんだ。その心中は複雑ではあると思う。
僕たちに熱烈な歓迎を送る人もいれば、視線を感じただけで逃げ隠れる人もいた。
「ニノ殿、この酒は我が家に伝わる秘蔵の物でしてな、せっかくの祝いの席だ。ついに封を切る事にしましたよ」
「み、水で大丈夫ですよ。その、僕にはもったいないですし……」
「またまた、遠慮なさらず。どうぞグイッといってください」
「わわわ……」
グラスに注がれていく命の水。これで何度目だろうか。
お酒は冒険者の礼儀として、ある程度は飲めるように訓練している。
それでも流石に連続するとちょっと辛い。見ると真っ赤な顔が水面に映り込んでいた。
我慢して一気に飲み干すと歓声が沸き起こる。
「私の他にもニノ殿にお礼をしたいという者が多く控えております。是非、話を聞いてやってください」
「そ、そうですか。まだ続くんですね……ははは」
授かった恩は数倍にして返すというのが獣人族では一般的な考え方らしい。
レックさんは数百倍と言っていたけど、それは冗談にしても用意された祝いの席を見る限りかなり力が入っていて、小さな村の規模でできる精一杯の催しだった。
その思想自体は素晴らしいと思う。
ただ僕一人に対して村人全員から返されても受け止めきれない。物事には限度がある。
喉は十分に潤っているはずなのに自然と乾いた笑いが出てしまった。
「……一体何が不満なんだ。こちらは歓迎してやっているんだ。少しは喜べばいいものを」
「好意も度が過ぎれば恐怖に変わるんだよ。みんな親切心で接してくれるからそう無下にもできないしね」
「嫌なら嫌とハッキリ言えばいい。戦場では果敢に立ち向かってきた癖に、変に臆病な奴だな」
煌めく銀髪が視界に映り込む。獣人特有の尻尾と森妖精の長い耳が動いていた。
セレーネは椅子の上にちょこんと座ると視線を僕に向けながら頬杖をつく。
そして切り分けて食べやすくした料理を目の前に置いて、こちらに嫌らしい笑みを浮かべる。
「次は私からもお前を怖がらせてやろう。ほら、さっさと食え」
セレーネは片手でナイフを器用に操り肉を貫くと僕の口に運んでくれる。
彼女の性格からして裏がありそうな行動。もしくはお酒か場の雰囲気に酔っているのだろうか。
せっかくのご厚意なので素直に食べさせてもらう。
……うん、美味しい。食べ慣れている安心できる味だ。
「もしかして毒でも入っていると思ったのか? 時間をかけて噛んでいたな」
「案外普通の料理で驚いただけだよ。もしかして魔物の肉でも使っているのかと思ったんだけど」
「祝いの席にあんなマズイ肉を出すものか。あれこそ毒そのものだぞ。腹を下して死にかけた馬鹿もいる」
「へーそうなんだ」
つまりセレーネ自身も食べた事があるんだね。と指摘するとナイフが目の前に突き刺さっていた。
『黙れ』と、不機嫌そうに抜き取ると何事もなかったかのようにまた肉をこちらに寄越してくる。
意外と感情表現が豊かな子だった。”闇”妖精だけあって荒々しいところがフィアーにそっくり。
レックさん曰く、セレーネは人族換算だと十二歳くらいで僕たちよりも年下なのらしい。
長命な森妖精族からすれば生まれたての赤ん坊であり、人族の視点で見ても年若い女の子だ。
口調を強めて少しでも威厳を保とうとするところが特に子供っぽい。
なるほど、パパという呼び方も納得ができる。
「そこのお前、ここにある料理を取り分けて! 私の腕じゃ届かないの!」
「闇精霊様! どうぞこちらをお納め下さいませ!」
「よくやったわ、褒めてあげる」
「おいっ! 俺が先だぞ!! 抜け駆けするなよ!」
「闇精霊様、秘伝のお酒をお持ちしました! 今、封を切りますね!!」
「私に気に入られたければ、誠心誠意尽くす事ね。さすれば下僕にしてあげてもいいわよ」
離れた場所ではフィアーが若い獣人たちに取り囲まれている。
誰も彼もが彼女の為にいそいそと走り回っていて、気分はまさに女王様といったところか。
止める人がいなければ増長してどこまでも勢力を拡大していきそうだ。
「ふふーん。やーっと私の偉大さを理解できる子たちに出会えたわ。本当、どいつもこいつも私を子供扱いして。見てなさい……ここから私とニノの一大闇帝国を築き上げるのよ!」
フィアーは上機嫌で鼻歌を奏でていた。闇帝国はともかく、とても楽しそうだ。
これまで彼女はギルドでは闇精霊として恐れられ、街中では子供として扱われるのが殆どだった。
ここにきて初めて真っ当な評価を受けたのが胸に響いたらしい。うん、セレーネと同じくらい子供っぽい。
「フィア、ずうずう……しい。そういうの、よくない!」
「あら。これはまた可愛らしいお嬢ちゃんだこと」
「こちらにいらっしゃい、焼き菓子もたくさん用意してありますよ」
女王様扱いを受け悦に入るフィアーをトルは不機嫌そうに眺めていた。
頬を膨らませて黙々と料理を詰め込んでいる。その様子が愛くるしいのかお年寄りに受けていた。
「むぅ、子ども扱い……しないで!!」
「よしよし、そうね、お嬢ちゃんは立派な大人ですものね。はい、美味しいクッキーですよ」
「あり……がと。美味しい……けど。何か、違う……気が?」
「ぷぷぷ、子供の貴方にはお似合いの格好ね」
完全に孫を見る目で可愛がられているトルは簡単に言い包められ一人困惑し始める。
それが愉快だったのか、フィアーは鼻で笑いだす、子供扱いされたトルは怒っていた。
「フィアなんか……嫌い嫌い、大嫌い!」
「もう、私が何をしたって言うのよ。コイツらが自ずから進んで世話を焼いてくるだけで――ははーん。トル、貴方もしかして人気者の私が羨ましいのでしょう? 今回も目立った活躍ができなかったものね!」
「うぅ、いじわるいじわる!! いいもん。フィアがニノがいない間に服を盗ったの言いつけるもん!」
「そんな証拠がどこにあるって言うのよ。言いがかりはやめなさい、変な誤解されるでしょ!?」
「フィア、自分の部屋に……隠してる。同じの買って……誤魔化した、トル見てたもん」
「――ちょっと来なさい、取引よ。黙っていたら一着あげるから」
「二つ」
「貴方……ここぞとばかりに強欲ね。それだと私が一つだけになるでしょ!? 不公平よ!」
「ずるいずるい! トルが二つ!」
「駄目よ、あれは私の物よ!!」
いや、僕の物なんだけど。
せっかく買い揃えたお気に入りを三着も盗んだのか。
わざわざ新品と入れ替える工作をしてまで一体何に使うのか気になる。変な事に使ってないよね……?
留守を預けるにあたって二人にはお小遣いを渡していたけど、この分だとかなり無駄遣いをしている気が。
「最近のトルはちょっと生意気よ。いい加減私の方が偉いって事を思い知らせてあげるわ。勝負よ!」
「フィアなんかに……負けない!」
フィアーとトルは同時に走り出すと、料理を片っ端から口の中に放り込んでいく。
次々と空になる皿。それが積まれて山を作り出す。あの小さな身体のどこに収めているんだろう。
最初は和やかに見守っていた獣人たちも、あまりの減りの早さに驚きの声を上げる。
食費に換算すれば恐ろしい金額になりそうだ。屋敷で過ごしている間でも見た事がない大喰らい。
もしかして今までも相当我慢していたんじゃ……。
健気に空腹を我慢して眠りにつく二人の姿を想像してしまった。
「僕たちの稼ぎが少なくてごめんね。いつかお腹いっぱいに食べさせてあげられるようになるからね……!」
「……? 何を一人で落ち込んでいるんだお前は……」
セレーネは訝しむ表情のままナイフを動かす。
冗談はさておき、そろそろ僕のお腹の方は限界が近い。
少女の手をやんわりと避け、それからすっかり注目の的になっている二人の方を指した。
「僕に構わずセレーネも混ざりにいけば? フィアーの事が気になるんでしょ? さっきからずっと見ているけど」
「……闇精霊様と軽々しく肩を並べるなど。そ、そんな、恐れ多い……!」
「うーん、そんなに畏まるような相手かな? 話せばすぐに打ち解けると思うけど」
「お前は感覚が狂っている……精霊は我々のような下々の者が関わっていい存在ではないのだぞ?」
「慣れって怖いよね」
ここまで酷くはなかったけど、僕も最初はセレーネと似たような感じだった。
それがフィアーたちの方から歩み寄ってくれたので、自然と今の形に落ち着いたんだ。
是非、この機会にセレーネにも知って欲しいと思う。
精霊として畏怖の念を抱くだけでなく、等身大の彼女たちも見てあげて欲しい。
規格外の力を持っている以外はただの普通の女の子たちなのだから。
「精霊の事は確かに気にはなるが……パパにお前の世話を頼まれているんだ。席を外す訳にもいかない」
「レックさんが?」
受けた恩を数百倍にして返すというあの約束の件だろうか。
セレーネは多分冗談が通じない子だろうし、この流れだと本気で約束を果たそうとしてくる。
父親として止めるべきではないのかと思う。……あの性格からしてどこかで楽しんで見てるかも。
「無理しなくても……レックさんが勝手に言い出した事なんだし。セレーネには関係ないよね?」
「たとえ口約束であろうと、一度誓いを立てたのなら義を持って事を成せ、だ。それにパパが関わっているのなら尚更娘である私も協力するしかないだろう……不本意であったとしてもだ」
獣人族に限らず、亜人の多くはそういった考え方の持ち主ばかりらしい。
下手な冗談でもそれが一生ついて回る事もあるから気を付けろよ。と釘を刺されてしまった。
それって相手から無理矢理交されたものであったとしても、適用されるのだろうか。
そういえば何人かの獣人たちから、娘と会ってもらえないだろうかと誘いを受けていた。
特に意識せずに丁重にお断りしておいたけど、一歩間違えれば……そういう可能性があったのだろう。
だとすれば今後は彼らとの付き合い方を考え直す必要がある。
僕もまだ身を固めるような年齢でもないし。そんな覚悟も持ち合わせていない。
というか日常の中にまで地雷を混ぜ込むのは勘弁して欲しい。
「これでも獣人族はまだマシな方なんだぞ。これが龍人族、鬼人族になってみろ。義を果たす為なら己の命、いや一族の命運すら簡単に投げ出す連中もいるんだからな?」
「今、僕は種族間の壁ってものを凄く感じてる……」
龍人族も鬼人族も、かつての戦争で歴史に大きな傷跡を残していった亜人たちだ。
個体数では他の種族に比べて大きく劣るが、その戦闘能力は凄まじく十人も集えば一晩で小国を落せるとまで称されているらしい。眉唾ものではあるけど龍人冒険者の活躍の噂は時々耳にするので、嘘偽りないと思う。
龍人族は人族にとって馴染み深く、魔族との戦争でも味方として戦ってくれた経緯がある。
どうも龍人は元来男が生まれない特殊体質であるらしく、よって龍人族の男性は須らく元人族だ。
今でも中央の大きな街に行けば、婿を求めて山を下ってきた彼女たちと出会う事もあるらしい。
対して鬼人族は魔族と密接した関わりを持つ一族だ。
優れた身体能力と魔力を留める為の器に魔族の肉体が最適らしく、その多くが魔族側についていた。
龍人族と違って種族としての戒めはないので稀に人族と子を成す者もいたみたいだけど、どうやら血の相性が悪いようで生まれてくる子供は鬼人としての能力は失われてしまうらしい。
龍人族と鬼人族、相反する種族に味方する両者が戦争でぶつかり合うのは当然の帰結ともいえた。
魔族が戦争に敗れその殆どが魔界に逃げ去った後も、鬼人族は世界各地に散り単身で戦い続けたという。
勝ち目がないと理解しながらも説得に応じず、子供から年寄りまで武器を手放さなかった。
ここ近年で最後の一人が討ち取られるまで争いは続き、彼らは歴史の舞台から姿を消してしまった。
それが仮に、セレーネの言う亜人の誓いによるものだとすれば、あまりにも惨い結末だと思う。
「約束か……」
僕も昔はよくフィリスと何の気なしに色々な約束を交していた覚えがある。
どうしてだか、その殆どが蜃気楼のようにぼやけ不鮮明で内容は思い出せないけど。
小さい頃の記憶って得てしてそういうものなんだろうと、あまり深く考えたりはしていなかった。
でも、僕にとっては忘れてしまうような取るに足らない内容だったとしてもだ。
彼女には違った意味合いを持っていてもおかしくない。時には生き方にだって影響を及ぼす。
亜人の約束に対する姿勢は極端すぎる気がしないでもないけど、その心意気は大切だと思った。
僕も少しは思い出す努力をするべきなんだろうか。
◇
「んんっー。ちょっとだけマシになったかも」
セレーネに酔いを醒ましたいからと理由を伝え、騒ぎから抜け出し村の中を散策する。
慣れない歓迎を受けて肩が凝っていたのか、少し伸びをしただけで全身から音が鳴った。
そういえばフィリスもケイシアさんもノート様もどこか別の場所で寛いでいるか姿を見かけない。
何となく幼馴染と話がしたくなったので探し歩く。
ここアズバール村はニブルクル樹海の一部を切り拓いた土地に小さな家が立ち並ぶだけの簡素な村だ。
村の大切な資源を生み出す畑などは見当たらず、その為に村全体を囲う柵もかなり短い。
徒歩でも数分もあれば周りきれるので、全員そう遠くない場所にいると思う。
「あそこにいるのはノート様かな?」
村の隅にある井戸近くに獣人の子供たちの姿が見えた。
輪の中心には岩の仮面を被った少女の姿。みんなで一つの本を読んでいる。
僕はすぐには近付かず遠くからその様子を眺めていた。この穏やかな空間を壊したくなかったから。
「そこに隠れているのは――ニノ? ……もしかして私を探しに来てくれたのですか? ふふっ、今は少し手が離せないの。この子たちに誘われて、よかったらニノも一緒にどうですか?」
「あっニノ兄ちゃんだ!」
「兄ちゃんも御本を読んでよ!」
「こっちこっち!」
「救い主様!」
「わ、わかったよ。わかったからあまり尻尾でくすぐらないで!」
ニーアとロットを含めた子供たちに取り囲まれ身体を揉みくちゃにされる。
獣人特有の毛で覆われた耳と尾が暖かくてくすぐったい。
ノート様と同じ輪の中心に座らされて一つの古い本を手渡される。
内容は至ってシンプルな一人の騎士が魔王に攫われたお姫様を救い出す物語。
小さな子供に読み聞かせるのに最適で、街でも簡単に手に入る品物だ。ちょっと年期は入っているけど。
「……もしかして文字が読めなかったりするの?」
「少しだけならわかるよ。本当に少しだけだけど」
「村には学校もないし、父ちゃんも母ちゃんも毎日狩りに忙しいんだ」
「大人の中にも読めない人多いよ」
「読めなくても困らないしねー」
そう答える子供たちの身体は少し痩せ細っていた。
そういえばポートセルトでもこの村出身の獣人を見かける事は殆どない。
村を一通り見て回ったけど畑もなければ医者もいない。あるのは肉を貯蔵する蔵ぐらいか。
「……だとすれば、あの祝いの席で用意された料理はどこから……?」
「――当然、私が街で買い集めた食料ですよ。まったく、こちらの苦労も知らずに簡単に使い切って、村の連中には困ったものです」
「あっレックだー!」
「久しぶりだー!」
寝癖をつけた大柄の獣人がのそのそとやって来る。
レックさんは村の住人と口喧嘩でもしていたのか、少し不機嫌そうにしていた。
「ニノさんも気付かれたでしょうが、この村の問題はそもそも盗賊団ではありません。沼地の多い樹海では碌な畑も作れず食料の殆どが狩りに依存しています。そんな中で子供たちの教育も行き届くはずもなく。街へ買い出しに出向くたびに思い知らされますよ、どれだけ私たちの文化が遅れているのかという事をね」
やれやれと言った様子でレックさんは地面に腰を下ろした。
口数がいつも以上に多いのは、同じ話題で誰かと討論になったからだと思う。
本を読むのも忘れて全員が黙ってレックさんに注目する。
「昔、それこそ戦争のあった時代に私たちの先祖が街の人たちに匿われていた時期がありました」
レックさんの先祖の獣人たちは、元々はポートセルトの前身だった小さな街で生活を送っていたらしい。
戦争が始まっても戦いには参加せず、街の人たちと助け合って暮らしていたんだそうだ。
「ですが戦いが終わり、港として機能し始めると世界中から人々が集います。そうなると当然、獣人族に対してよくない印象を持った人族も現れました。戦争で魔族側についた獣人は世界には数多く存在しましたからね」
街が発展すればするほど人が増え、そして種族間での小競り合いも増える。
このままでは獣人族の立場が危うくなると考えた当時の町長が、樹海を切り拓きアズバール村を作り上げ、街の水源を守る水門を管理するという名分を与える事で彼らに安息の地を譲り渡したという。
「そして今になってもその時の誓いを守り続けているんです。我々は街の水を守る為に命を張っているんだと。馬鹿げていると思いませんか? もうその時代を生きた先祖は全員土の中です。私たちには何一つ関係ない。それなのにこんな不自由な生活を強いられている。わざわざ許可を取って街へ買い出しに行かなければ碌な食べ物にもありつけないんですよ」
村を捨てて盗賊団から逃げなかったのもそういった事情があったから。
今でも自分たちの存在が街の災いになると考え樹海の奥地に閉じこもっている。
レックさんはそれが納得できないという。
実際この村には足りない物が多すぎる、それは少し滞在しただけで簡単に理解できた。
「お腹空いたなぁ……」
「さっき魚を食べたとこじゃない」
「でも料理、おいしそうだったんだもん」
「ちょっとだけ貰えないかな?」
「父ちゃんに怒られるよ。兄ちゃんたちの為に用意されたんだから」
祝いの席に子供たちがいなかった理由も、もしかしたら僕たちに配慮しての事かもしれない。
空腹を我慢できず料理を喰らい尽くすとでも考えたんだろう、僕はそれでも構わないと思うけど。
でもそれだと礼儀を重んじる彼らの流儀に反してしまう。
あとで子供たちの取り分も残してあげないと。
今日だけでかなりの食料を消費しているはず、このままではあまりにも可哀想だ。
「……ノート様のお力で何とかできませんか? 土地さえ整えてしまえば今年は我慢するにしても、次の年には希望を残せるはずです」
せめて畑の一つや二つでもあれば多少はマシになると思っての相談だった。
土属性の力はそもそも戦いよりも人の暮らしを豊かにする為に使われる事が多い。
でもノート様は申し訳なさそうに静かに首を横に振るう。
「私が土地に力を与えたとしてもそう長くは……。力というものはより強い方へ流される性質があります。一ヶ所に留まり続けるのは稀です。ここから少し離れたウィズリィの土地に吸い寄せられてしまうでしょう」
「カーマイル泉はそれはもう、とても素晴らしい土地ですから。自然豊かで野生動物も多く住み着いていて、私たちの生命線にもなっています。……ただそこも年中資源に恵まれている訳ではありません。それに仮にノート様のお力添えがあったとしても土地を活かせるだけの知識も知恵も持ち合わせていない。結局のところ私たちの力だけでは限界があります」
「うーん。村を離れられないのが足枷になっていますね」
街の人たちの好意で受け取った村だ、彼らがそう簡単に手放すとも思えない。
それこそ飢え死にする人が現れたとしても最期まで守り続けそうだ。かつての鬼人族のように。
亜人としての誇りも関わってくるとなると、難しい問題だった。
「……そういえばニノさんは今回の宴の主賓でしたね。くだらない話を長々と申し訳ない。是非、楽しんでいってください」
「今の話を聞いて純粋に楽しめるとは思えませんけど……」
「いや本当に申し訳ない、先程の話はどうか忘れてください。私は一足先に小屋に帰るとしますよ」
「えーもう帰っちゃうの?」
「もっと村にいたらいいのに!」
「ここの空気はどうも私の肌に合わないのでね……。まぁ、気が向いたらまた来ますよ」
そう言ってレックさんは立ち上がる。
「――こんな村。いっそ洗い流されてしまえばよかったんですよ」
「えっ……?」
「あっ、いえ、これはその、ハハハ。ちょっとした冗談ですよ」
最後に微かに聞こえた言葉は彼らしくない恨み節だった。
本人も意識せずに出てしまったのか、頭を下げると逃げるように走り去ってしまった。
レックさんは終始居心地が悪そうにしていたし。過去に何かあったのかもしれない。
残された僕たちの間には気まずい空気が漂っていた。子供たちもただ茫然としていた。
「……本を読むのはここまでにしてみんなで料理を食べに行きましょうか。お腹を空かせているのでしょう?」
ノート様が気を利かせてそんな提案をしてくれる。
おかげで凍り付いた場の雰囲気が一瞬にして元通りになった。
「えっ? 精霊様いいのー?」
「やったあああああ!」
「わたしいっぱいお肉食べる!」
「でもでもあれは兄ちゃんたちに用意されたものだし……」
「僕たちに気を遣わなくていいよ。もうお腹いっぱいだから。ほら、残したらもったいないしね?」
「兄ちゃんも精霊様も大好き!!」
僕からもそう答えると全員に抱きつかれてしまった。
モフモフして苦しい。全身で喜びを表現する子供たちは力の加減が下手くそだった。
「ぐふぉ……い、痛い、死ぬ……!」
「もう……危なっかしい子たちですね」
瞬時にノート様は僕に強化魔法を施してくれた。
生身のままでは骨が砕け散っていたかもしれない。亜人の力は相変わらず恐ろしい。
「それでは……失礼して。ニノ、案内をお願いできますか?」
「もちろんですよ!」
「離れないように手を繋ぎましょうか」
ノート様は隣に立つと小さな手のひらで僕の指を優しく包み込む。
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◇
ノート様と獣人の子供たちを引き連れ歩いていると、ケイシアさんとリディアさんを発見する。
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「もー、ニノさんはケイシアばっかり褒めて……まぁすぐに怪我した私も悪いんだけどね」
「リディアさんも頑張ってくださいね。ユニオンは一人の力だけでは成り立たないんですから」
「当然、今度会った時は腰を抜かさせるくらい強くなってみせるから、楽しみにしておいてね!」
リディアさんの前向きな姿勢はユニオンに活気を与えてくれる。
そして常に一歩後ろを歩みがちなケイシアさんを必ず支えてくれるはずだ。
「私たちはより一層鍛錬を重ねて少しでもニノさんやフィリスに近付けるよう励みます。次に会う時は同じ冒険者として、いえ、友人として胸を張れるように……!」
その言葉に込められた熱い想いに僕の顔も熱くなる。
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「フィリスですか……私も先程まで探していたのですが時間が足りずに。リディアは?」
「ん? フィリスちゃんならさっき村の入り口付近にいたような……」
「どうしてそれを先に言ってくださらなかったのですか!」
「だって一人にして欲しそうな雰囲気だったし。私だってそれくらいの空気は読めるんだから」
「一人で、ですか……?」
いつも誰かと一緒にいる事が多いフィリスにしては珍しい。
盗賊団の首領との戦いの後に何かあったのか。結局、ウィズリィ様を見失ったと本人から聞いている。
もしかしたらそれで気が沈んでいるのかもしれない。会えるのを楽しみにしていたみたいだし。
普段は底なしに明るいのに一度落ち込むと酷く引き摺るから心配だ。
「ニノさんに頼まれていたというのに、目を離してしまった私の責任ですね……」
「いやいや、一人で勝手に突っ走ったフィリスが悪いんですよ。気にしないでください!」
「それでも……!」
「どうせすぐに元気を取り戻しますよ、前向きなのが取り柄みたいなところがありますからね」
何を悩んでいるのかもわからない以上、心配ばかりしていても仕方がない。
こういう時は全て本人に任せて、頼られた時に初めて話を聞いてあげるくらいで丁度いい。
幼馴染だからって何でも共有するものでもない。信頼しているからこそ、そっとしてあげるべきだ。
「んー、こりゃケイシアに勝ち目は薄いかなぁ。最初から戦う相手が悪かったねぇ」
「「……?」」
「あっ、お気になさらずー! それじゃ、そろそろ街に帰ろっか。獣人さんたちにも都合があるんだし」
「そうですね……最後にフィリスに会えなかったのは残念ですが。いずれまた機会はあります」
「お手紙も送るんでしょ? いいね、私も送ろっかなぁ。……おおっと時間だ! ――ニノさんまた会おうねー!」
「はい!」
担架が持ち上げられまずはリディアさんが運ばれていく。その後ろをもう一つの担架が続く。
「最後に……これだけは言わせてください。ニノさんは……確かに私の力になってくださいました。最初の模擬試合。あれがなければきっと私は成す術もなく殺されていたと思います。貴方は私の恩人です」
ケイシアさんはそう言って僕の手を取った。
あの一戦で何を得られたのかは彼女にしかわからない。だけど少しでも力になれたのなら嬉しい。
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「……良き友人を得られましたね」
「そうですね。この出会いだけでも今回の試験を受ける価値がありました」
今も手のひらには彼女の温もりが残っている。
僕も街に戻ったら手紙を送ろうと思った。書き方をフィリスに教わらないと。
「ねーねー兄ちゃん早く早く」
「僕たちお腹空いたよー」
「ちょっとだけ我慢してもらえないかな? これから僕はお姉ちゃんを探さないといけないんだ」
とりあえず一応フィリスも誘ってあげないと、あとで恨み言を言われそうだ。
案外、お腹を満たしてしまえば悩みも吹っ飛ぶかもしれない。それは単純過ぎるかな。
「でもでも早くしないと闇精霊様が全部食べちゃうよ?」
「物凄い大食いだって聞いた!」
「もうっあの子は。自分の信徒たちの前で恥を晒して……!」
困った子ですねとノート様は苦笑する。
精霊としての威厳はそれだけ大切だという事だろうけど。
あの冷酷な姿を見せるよりは、少し抜けている方が愛嬌があって親しみが湧くと思う。
「ですが――――これはいい機会をもらえたと取るべきですか」
「……?」
ノート様は少し考える素振りを見せてから、名残惜しそうに僕から離れた。
「フィリスさんについては私に任せてください。ニノはこの子たちと一緒に祝いを楽しんできて」
「えっそんな。僕が探しますよ? ノート様の方こそ休んでいてくださいよ」
「フィアーが素直に言う事を聞くのはニノだけですよ。……すぐに合流しますから心配しないで?」
「あっ」
呼び止める間もなくノート様は早足で行ってしまった。
心配するも何もこの狭い村だ。二人で探せばそう時間はかからなかったはずなのに。
もしかしたらフィリスと二人っきりになりたい事情でもあったのかもしれない。
今も行方知らずのウィズリィ様についての相談か、もしくはフィリスを励ます為か。
どちらにしろ僕がいても邪魔になるだけか。ここはノート様に任せるしか――――あれ?
不意に、ある違和感を覚えてしまった。
どうして気付かなかったんだろう。フィリスの性格からしても不自然な行動だったのに。
ここ数日で色々あり過ぎて鈍感になっていたのかもしれない。
僕もフィリスも、普段からお互いの信仰する精霊様について話をする機会が多かった。
それは精霊術師としてだけではなく幼少の頃から自分たちの人生に深く関わっているからこそ、日常会話で家族の話題を出すかのような身近な感覚で、だから僕も直接関わりのないウィズリィ様の人物像をある程度把握していたりする。
それはフィリスだって同じだろう。
何度も僕の口からノート様の話を聞かされ続けていたんだ。
フィアーやトルが精霊様だと知ってもすぐに打ち解けられたフィリスが、ノート様と親しくなるのも時間の問題で……当然のものだと考えていた。
それなのに――――僕は二人が会話をしている姿を一度として見ていない。
「もしかして……避けられているのはノート様……?」
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