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19 レイアース峡谷

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「わぁー高い! お兄ちゃん、高いよ! 下が見えないねー!」
「そうだな。居眠りしている間に山を登っていたみたいだ。少し肌寒くなってきたか」
「咲はさむくないよ?」
「ちびっ子は体温が高いからな。天然のカイロだ」
「お兄ちゃんぎゅー。ほかほか」
「あぁ~咲は暖かいなぁ……!」
 
 雑誌やネットの中でしか見たことがないほどの大自然。
 断面がVの字型の深い谷があり、霧によって底が見えない。
 道幅もかなり狭く、カトプレパスが一匹通るだけでギリギリだった。

「……あわわ、道が崩れないか心配ですね。落ちないように慎重に進まないとです」
「グブブ、ブウウ! ヴオ!」
「黒いブタさんが任せろって言ってる!」
「聖獣の調教もマスターしたのか。お前ら本当器用だな」

 レイアース峡谷は港街セントラーズから内陸部にある村々を繋ぐ交易路であり。
 大戦前は利用者も多かったんだろう。道自体はしっかりとした地盤の上になっている。
 ただし現実世界でいう、ガードレールのようなものは皆無で、すぐ横が断崖絶壁である。

 俺は別に高所恐怖症という訳ではないのだが。
 生物としての本能が、危険だぞと警鐘を鳴らしているのがわかる。
 だったら魔物との戦いでも緊張しろよって話だが。女神の力もあべこべなのだ。

「……待ってください。空に複数の黒い点が見えるのですが、あれは魔物ではないですか?」
「ん、本当だ。よくあんなダニみたいに小さなものが見えたな」
「視力は昔から良かったもので――ってそうじゃなくて早く眼で確認してくださいよぉ!」
「はいはい」

 臆病なニケさんに急かされて、俺は【千里眼】を発動させる。
 前方の深い谷の上で翼を広げている連中。魔物だ、槍を携えた悪魔の顔を持っている。
 数としては二十くらいだろうか。特徴をニケさんに伝えると、彼女の額から汗が流れ出る。

「空の狩人ガーゴイルです。縄張り意識が強く、他の魔物も容赦なく襲う危険な種です」
「戦うにしても場所が悪すぎるな、避けて通るのは難しそうか?」

 少しでも道を踏み外せば、カトプレパスごと谷底に真っ逆さまだ。
 俺と咲、それからノム辺りは大丈夫かもしれないが。まず他の連中が助からない。
 ニケさんもそれは重々把握しているようで、すぐに対策を練り始める。

「とはいえ、いくら素行が悪いガーゴイルでも、今は魔王軍の一員として動いているはずなので。下手にこちらから手を出さなければ素通りできる可能性もあります。少々危険な賭けではありますが……!」
「俺たちは荷物の中にでも隠れて、あとはオークたちに誤魔化してもらうとかか?」
「はい。ハイオークさんに魔王軍の補給部隊であると伝えてもらいましょう」
「ニケさんにしては思い切った策だな」

 以前なら石橋をハンマーで叩いて渡るような慎重さを見せていたのに。

「私もご主人様に染まってきたという事です!」
「俺たちの責任にするとは、ニケさんは悪い従者さんだな」
「染められちゃいました……!」
「頬を赤らめるな。あとその言い方は誤解を生むからやめてくれ」
 
 こうして冗談に冗談を返す余裕もあるとは、随分と逞しくなったものだ。
 自分の役割を見つけて自信が生まれたんだろう。人は変わる時はすぐに変わるもんだ。

 ――話がズレたが。それでニケさんの策だが。

 末端の兵にまでしっかりと教育が行き届いているか不安なところがある。 
 将であるリヴァルホスがセントラーズで好き勝手やっていた事を考えると。
 魔王軍は寛容というか、放任主義な気もしなくもない。つまり分の悪い賭けだ。

「サクのお兄さん、どうするの? ボクは戦うも逃げるも、どちらでも構わないけど」
「お兄ちゃん、次は何して遊ぶのー?」

 暇を持て余したちびっ子たちが足をぶらつかせている。

 敵はすぐ近い。悩んでいる時間はないか。
 巨体のカトプレパスは後退させるだけでも一苦労だ。
 結局、引き返すにしたってガーゴイルには捕捉されるだろう。

「よーし、咲。これから空の狩人さんとかくれんぼするぞ」

 ◇

「ギィー! ギギギギ―!」
「ブォオ、ブウウウウ!」
「ギー! ギギャー!」
「ブオオォウオオオオ!」

 荷台の外で魔物たちの口論が続いている。既に十分ほど足止めを喰らっていた。
 オークとゴブリンが説得しても、ガーゴイルたちが頑なに通行を認めないといった感じ。
 そこはかとなく悪い空気が漂っている。咲親衛隊のハイオークがガーゴイルにキレていた。

 ちなみに俺と咲は同じベッドの下に仲良く隠れている。ぬくぬくだ。
 隣のベッドにはニケさんが。ノムは多分、荷台下の車輪近くに納まってる。
 人の匂いを辿られないようオークの装備を傍に置いていた。夏場の剣道防具と同じくらい臭い。

「ひそひそ、お兄ちゃん、見つからないね?」
「鬼はお話しに夢中みたいだからな」
「探してくれないとつまんないよ?」
「あとでもっと楽しい遊びを考えてもらわないとな」

 例えばトンボとりとか。飛行敵に弓が有効なのはゲームでの話だな。
 こうして見つからないのはいいのだが。喧嘩が勃発しそうになっている。
 ニケさんは不安そうに視線を動かしてた。大きな胸を圧迫させて苦しそうだ。

「ギギギギー!」

 【千里眼】で外の様子を眺めていると、ガーゴイルの一匹が槍を振り回しだした。
 対抗してゴブリンが火を拭き放つ。目に火の粉が当たったのか、槍がすっぽ抜けた。

 ――ズドッ

「ひぃええええ!?」

 ベッドを貫通してニケさんの目の前に槍が生えた。
 視線が合う。彼女は口を押さえながら涙目だった。今のは運が悪い。
 ニケさんは首を振りながら泣いている。いや、誰も責めないから泣くなって。

「ギィ!? ギーギー!」

 人間の声に反応してガーゴイルたちがいきり立つ。
 やれやれ、かくれんぼもここまでのようだ。こっからはいつものゴリ押し。
 都合よく敵の一部は荷台の傍に張り付いている。俺はベッドの下から転がり出た。

「――許可を出す! 全員、目の前の障害をぶちのめしていけ!!」
「ブオオオオオオオオオ!」
「グギェエエエ」

 ハイオークがガーゴイルを拳で粉砕する。敵が谷底まで吹っ飛んだ。
 言葉は通じなくてもニュアンスで意思は通じる。コイツらは優秀な親衛隊だ。
 ゴブリンも呼応して矢を放っていく。こうして俺たちの奇襲から戦闘が始まった。

「おらおら、その邪魔な翼を叩き折ってやるよ!!」
 
 俺は荷台から飛び降りると槍の雨を躱す。反撃の【氷の槍】で貫いた。
 恐怖など感じない。頭が冴え渡っている。まるで戦う為に生まれたかのようだ。
 最近になって少しずつ強化された身体能力に脳が追い付いてきた。手足が自由に動く。

 もはや鈍器と化した錆びた剣で、ガーゴイルの脳天をかち割る。
 しっかし丈夫な剣だな。街では武器を新調するチャンスもあったのだが。
 結局、最後にはこれに落ち着くのだ。まさか呪いの武器だったりしないよな?

「ふははは、面白いようによく落ちるぞ!」
「お兄さん、その台詞は悪役じみているよ……! それに弱そう」

 ノムが石化で敵の飛行を妨害してくれるので、俺は抹殺に集中できた。
 咲も石を投げて援護してくれる。偶々近くを通過した三匹をまとめて消滅させた。 

「お兄ちゃん当たったよ! ほめてほめて!」
「上手いぞ、咲。でも俺の方がもっとすごい。もう十匹は落としたからな!」
「お兄ちゃんすごーい! 咲もまけない! えーい!」

 ガーゴイルが投げた槍を、咲の暴風を伴った石がまとめて弾き返す。
 その後、無防備なところをゴブリンたちの矢が殺到する。親衛隊との連携も完璧だ。

「また当たった! 黒ブタさんゴブちゃんほめて!」
「ブホホホ!」
「ウギィ! ウギギィ!」

 咲は真似したがり屋さんなので、俺たちがはりきると一緒になってはりきるのだ。
 んで、咲が頑張ると、咲親衛隊のハイオークとゴブリンたちの士気が爆上がりすると。
 そこから無限ループが始まって……そろそろ敵が可哀想になってきたな。 

「ふぅ……粗方片付けたか。いい運動になった。汗を拭くタオルをくれ」
「私のご主人様、ついに戦闘を運動と同義にしてしまっています……はい、こちらのタオルをどうぞ。姫乃様も咲様も返り血はしっかり拭いてくださいね。そのままにしておくと悪い病気になってしまいますから」
「お姉ちゃんふきふきして~」
「もう、咲様は甘えん坊さんですね」

 カトプレパスの周囲にいたガーゴイルは殲滅した。
 残りは逃げ帰っていく。さすがに翼がないので深追いはできない。
 とりあえず被害もベッドの損傷を除けばほぼ無し。全員で勝鬨を上げる。

「どうだ、俺たちの完勝だ。地上の生物を舐めるなよ!」
「ドッチボールは咲の勝ち?」
「ブホホホホ! ホォ!」
「ウギギ、ギギギィ!!」 

 溜まりに溜まった鬱憤を晴らせて、親衛隊たちも清々しい表情だ。
 戦利品の槍を掲げて全員で勝利の舞を踊る。カトプレパスは何事もなく動き出した。

「頼もしい兄妹なんだけど。この世界に順応し過ぎてて恐怖すら感じるよ……」
「ノム様、早いうちに慣れた方がいいですよ? 姫乃様と咲様はこれが日常ですから」
「……普通の日常って何だろう?」
「さぁ……? それにしても、今日も麗らかなお天気ですね。お洗濯物がよく乾きそうです」
「お兄さんの影響で従者さんまでおかしくなってない?」
「ニケさんがおかしいのはいつもの事だぞ?」

 後ろで遠い目をしていた二人も宴に参加させる。
 ニケさんの言う通り綺麗な青空の下、複数の黒い影が通り過ぎていく。
 
「ハッ、皆様、お気を付けください! 第二波が来ま――――きゃあっ!?」

 ニケさんの耳元に垂直に矢が落ちてきた。
 身体を縮こまらせて俺にしがみつき、半泣きになっている。
 さっきからつくづく運が悪いなこのメイドさん。俺まで不運に巻き込まれそうだ。

「ギギギ―! ギィイ!」

 上を見ると、ガーゴイルたちが高度を維持しながら武器を構えている。

「……アイツら、遠距離攻撃に切り替えてきやがった! 卑怯だぞ!」

 こちらの攻撃が届かない上空から、一方的に矢が降り注ぐ。
 距離があるので当たっても致命にはならないが、それでも徐々に被害が大きくなる。
 荷台に穴が開き物資が落ちていく。死者はまだ出ていないものの、怪我人も出始めた。
 
「ねーねードッチボールの続き?」
「咲、危ないから今は頭を下げような?」

 資材を盾にして矢雨をやり過ごす。ジリ貧が長く続いていく。
 やはり飛行敵は厄介だな。このまま峡谷を突破するしかないか。
 どうやら矢にはカトプレパスの体毛を貫けるほどの威力はなさそうだし。
 
「見て、サクのお兄さん。前方に敵の親玉がいるよ」
「ほぉ、慌てて本隊を連れてきた訳か」

 【千里眼】を使う。警告色である赤色のガーゴイルの姿が映った。
 その周囲で複数のガーゴイルたちが大型弩砲バリスタを持ち上げている。

 対象は――カトプレパスか。矢の先端には赤い魔力の奔流が見える。

「あれは上位種のキラーゴイル!? しかも装填されているのは――爆裂矢です!」
「名前だけでもヤバそうな響きだな。当たれば全員仲良く谷底か?」
「外れても衝撃で崖が崩壊して全員ぺしゃんこですよぉ!? どうしましょう姫乃様ぁ!」

 ニケさんに身体を揺すられながら。
 絶体絶命の状況化の中で、俺は【千里眼】を維持し続ける。
 
「サクとお兄さんだけでも逃げるんだ。せめて被害を最小に抑えないと……!」
「馬鹿、大将が先に逃げてどうすんだよ。あと予想だが、俺と咲は落ちても死なないと思うぞ?」
「そんな曖昧な感覚で危険を冒すのはどうかと思うけど――きっと、その通りなんだろうね……!」

 ノムは溜め息をつきながら呆れていた。
 文句があるなら強すぎる力を与えた女神にでも言って欲しい。

「どうせ死ぬのはここにいる私と魔物さんだけなんです……!」

 ニケさんも慣れた様子で拗ねていた。

「まぁ大丈夫だ。何とかなるさ」

 相変わらず降り続ける矢の雨を躱しながら。
 俺は雲一つない空を見上げていた。そろそろだろうか。

「いつもの事ですけどぉ! 姫乃様はどうして根拠もなく余裕でいられるんですかぁ!?」
「今回はしっかりとした理由があるぞ? どうやら――援軍が来てくれたようだ」
「援軍……? それってもしかして……!」

 察しの良いノムは気付いたようだ。同じように空を見上げる。
 先程から【千里眼】に、ガーゴイル軍団の背後を忍び寄る別の集団が映っていた。
 先頭に立つのはノムと雰囲気が似た少女であり。指示を出している姿がハッキリと見えた。

「シネッ、魔王軍ノ手先メ!!」

 翼の生えた人間たちが、爆裂矢を構えるキラーゴイルに飛び掛かっていた。
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