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14 魔の森

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 そこは昼でも夜のように薄暗く、白霧が立ち込める場所だった。
 辺りの枯れた木々は静かに揺れていて、生き物の気配を感じさせない。
 セントラーズの南にある魔の森。オークの砦を避ける際に一度候補となった場所。
 
 俺たちはそんな僻地にわざわざ足を踏み入れていた。

 【灯火】

「足元に気を付けてくださいね! 私が先導しま――どうせ、姫乃様も使えるんですよね?」
「よくわかったな? 【灯火ライト】」
「もう慣れましたから。それでは一緒に参りましょう!」

 ニケさんと俺が生み出した光が周囲を照らし出す。
 地面はぬかるんでいて、油断すると足を取られそうになる
 【千里眼】の範囲内に魔物の姿はない。慎重に歩みを進めていく。

「ここにノムちゃんが住んでいるんだね! どこにいるのかな?」
「その子が咲に指輪をくれたんだよな?」
「うん! きれいでしょ~?」
「超高密度の魔力を秘めた指輪です……一体どれほどの価値があるのやら……!」

 咲はトパーズに似た宝石の指輪を空に掲げて眺めている。
 ノムという人物から受け取ったらしいが、高価な物を安々と人に譲るなんて怪しいものだ。
 そのうち知らない人に物で釣られて連れ去られそうで、お兄ちゃんは少し心配。

「大地の精霊様ですかぁ……どういった方なんでしょうかね? 味方だと嬉しいのですが……」

 ニケさんも詳しくは知らないのか、不安そうな面持ちだ。

 昨日、海運亭の女将さんが咲の指輪を見て心底驚いていたのが記憶に新しい。
 何でもこの辺りの土地を古くから守り続けている、大地の精霊の持ち物だとか。
 眉唾物だが街の人が嘘を言っているとは思えない。真意を確かめるべく森にやって来た訳だ。

「しっかし辺鄙へんぴな場所に住んでいるんだな。精霊って変わり者が多いのかね」

 森というより沼地と呼ぶべきか。
 精霊が住んでいる場所とは思えないほどに土地が死んでいる。
 本当にこれで守っていると言えるのだろうか。それともこれも戦争の影響か。

 ズゥオオオオオオオオオオ

 そんな愚痴を垂れ流した俺が悪かったのか。
 前方の大きな沼地から音を立てて何かが這い上がって来た。

 ひび割れた巨大な腕だ。
 続いて頭が、身体が、そして足が浮上する。
 全身が泥に塗れた無機物の人の形を象った物体だった。

「うおっ、これはまた面白いのが出てきたな……!」
「わわわ……ゴーレムです! 低級のマッドゴーレムですけど……さ、三体ですか……!?」

 これは歓迎されているのだろうか。
 とにかく敵意を向けられているのは確かだ。
 緩やかな、されど大きな足取りでこちらに近付いてくる。

「咲様、や、やっちゃってください!」

 ニケさんは咲の後ろに隠れてメイドらしく煽てだす。
 強大な力に慣れてくれたのは嬉しいが、ちょっと情けないぞ。
 咲は咲でぼんやりとゴーレムの方を眺めていた。

「この子、ノムちゃんのペットだよ? いじわるするのいやだなぁ」
「えっ……そんな、野生の魔物かもしれないんですよ?」
「ノムちゃんのペットだよ?」
「おーい、馬鹿やってたら潰されるぞ?」

 仲が良いのはよろしいが、状況を考えて行動しようか。
 ゴーレムとの接触まではまだ幾分か余裕がある。咲は戦いたくないらしい。

 俺も咲の嫌がる事をしたくない。仕方がない、ここは一旦引くか。

「よし、逃げるか――――って、足が動かねぇ!?」

 知らぬ間に足が鉛のように動かなくなっている。
 見ると大量の泥が足元を覆っていて、足枷となっているらしい。

「えっ、あっ、わ、私も動きませえええん!」
「咲も!」

 咲とニケさんにも同じ現象が起きているようだ。
 あっ、これはマズい。ゴーレムはもう目前まで差し掛かっている。

「ちょ、ちょっとタンマ! 止まれ、止まれ!」

 俺たちの頭上に影が重なる。大きな拳が振り上げられた。
 まともに喰らえば一巻の終わりだ。あれ、ここで本当に終わり?

 ――――グチョ

「おー勇者の癖に死んでしまうとはー。情けなーい」

 女の子の声がした。生温い感触が全身を包んでいる。
 少し棒読みチックなのが気になったが、実に楽しげな声だ。
 てか、俺たち生きているのか。冷静になるにつれて気持ち悪さを覚えた。

「うぇっ、口の中に泥が……ぺっぺっ」
「服が……これはお洗濯が大変です……」
「あはは、お兄ちゃんも、お姉ちゃんも真っ黒だー! あれ? 咲もだった!」

 ゴーレムの一撃で俺たちは泥だらけになっていた。
 命に別状はないが、生暖かくてヌメヌメして不快だ。

「フフッ、皆、面白い格好をしているね。それが今の流行りなのかな?」

 諸悪の根源たる少女は悪びれもせずゴーレムを沼地に戻した。
 この人間離れした芸当は、件の大地の精霊で間違いないのだろう。

「君が、咲を助けてくれたノムって子か?」
「そうだよ、サクのお兄さん。こんな”辺鄙”な土地にわざわざようこそ」

 あぁ聞こえていたのか。もしかして怒ってる?
 見た感じ普通に笑っているが、感情が読み取りにくい子だ。

「精霊様はどうしてゴーレムを? 私たちが何か粗相でもしましたか……?」
「んー面白いから?」

 掴みどころのない少女だった。浮世離れしている。
 大きな土色の帽子を被り、ポレロを羽織っていて、咲と同年代に見える。
 だが、周囲に纏うオーラが常軌を逸している。油断すると飲まれてしまいそうだ。

 実際に会って見ると、精霊と呼ばれるのも納得ができる。あの女神と似た雰囲気だ。

「ノムちゃん、指輪ありがとう! おかげでお姉ちゃんのおサイフ見つかったよ!」
「どういたしまして」

 咲とノムが手を繋いでじゃれ合っている。

「咲に指輪を渡してまで俺たちを呼んだ理由はなんだ? ゴーレムでのドッキリか?」
「へー、よく気が付いたね。そうだよ、君たちをここに誘い出す為に指輪を渡したんだ」
「それぐらいしか理由がなかったからな」

 接点のない咲に指輪を渡した理由。
 それは間接的に俺に興味を持たせこの森に足を運ばせる為だ。
 今回はわざと引っかかってみたが、それも彼女の思惑の内かもしれない。
 
 ノムはじっと俺を見つめていた。

「ボクはね、いずれ来たる異世界の勇者に力を貸すよう、女神様から頼まれていたんだ」
「め、女神様がですか? 召喚者である私にも初耳です……」
「それは古い約束みたいなもので、何時、何処で、誰にとまでは明言されていないけど。実際、頼まれてから数千年以上は経っているし。ボクもちょっと忘れかけていたんだけど」

 つまり数千年も前からいずれ魔王が誕生すると女神は予期していた。
 何故そこで異世界の勇者になるのかは不明だが、そういえばこの世界の人間は適正がないんだっけ。 
 
 ノムは話を続ける。

「ボクたち精霊は女神様の分身みたいなもので、地上にあまり干渉できない本人に代わって世界の均衡を保つ役目を担っているんだ。まぁ他にも仕事はたくさんあるけど、主だった仕事がこれだね」
「しかし女神が力を与えすぎると相反する魔王が強力になるんだったよな?」
「細かい理屈は省くけど、ボクたち精霊は女神様とは別種族という扱いになっているよ」
「なるほど」

 女神って、そういえば初めに会ってからそれ以降まったく話題にもならなかったな。
 今でも十分力を貰っているが、更に貸してくれるのか。魔王を超えて破壊神にでもなれってか。

「風の噂で二人組の勇者がこの辺りを訪れたと聞いて、ボクも独自に情報を集め、こうして邂逅に至った訳だけど。どうも、見るからに危なっかしい子たちだったんだよね。一人は、恐ろしい力をその身に宿していて、それでも素直だし、どうとでもなりそうだけど。もう一人の方はというと……」

 うんうんと一人納得するノム。
 まぁ言いたい事はわかる。つまり俺の事だ。

「薄々勘付いているかもしれないけど、サクのお兄さん。君はこのままだと近い将来死ぬよ?」
「……そうだな。そうかもしれない」
「あれ、意外と素直に認めるんだね?」
「そこで虚勢を張る意味もないしな」

 今まで意識して避け続けてきた事実を、出会ったばかりの少女に突きつけられた。
 そうだ。確かに現状、俺たちは咲に依存した戦い方ばかりを続けてきている。
 咲の魔物を消滅させる力とは違い、俺の力は模倣だ。それ自体に敵を退ける力はない。
 
 リヴァルホスとの決闘でも、ニケさんの助けがなければ危うい場面があったのだ。
 また、咲も人間相手には無力であり。俺たちは異世界基準で強くはあるが、決して無敵ではない。

「フフッ、さっきのゴーレムが本物じゃなくて助かったね?」

 そう言われると返答に困る。これは既に一度死んでいると思えって事だよな。

「えーっとつまりまとめますと。精霊様は、姫乃様を強くしてくださるという事ですよね?」
「それは目的の一つかな」
「一つ? まだ何かあるのか?」

 さすがにこれ以上の課題は思いつかない。
 答えを尋ねるとノムは申し訳なさそうにして、頭を下げた。

「サクとサクのお兄さんに、この森に巣食う魔獣退治をお願いしたいんだ」
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