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(き、既成事実……)

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 リナリと実質の同棲という事態になり、初めてハルトリードは狼狽えた。まったく頭に無かったのだ。
 まず、危険に晒さないよう事前にリナリを保護しなければ、両親に話をしなければ、とそれだけが頭を占めていた。
 フォード家の許しを貰い笑顔で送り出され、絶対に守る、と意志を固くした。

 リナリが両親に挨拶して、今後を話す内に。
(あれ、リナリが僕の家に……そうか、そうなるのか)
 ようやく気付いた。
 リナリと、一つ屋根の下で生活をするのだと。
(え、遅……)
 ハルトリードは自分に驚愕した。リナリはこの件をどう捉えているのかとそわそわする。
 そして、両親の思惑を後に悟った。

(隣の隣? 続き部屋になってるとこか……え?)
 ハルトリードは、ここでようやく思い至る。
(き、既成事実……)
 母親が冗談めかして言ったあれは実は本気だったのだと。
 両親は、ハルトリードの辛抱を、我慢を試している。「あって当然の間違い」を期待している。
 何も無ければそれでもいい。だが、あれば。

(やばい……いや、いいんだけど、リナリはそういうのどう思うんだろ)
 婚前交渉について悩むが、かなり際どい一線ラインまでリナリを味わっておいて、何を今更とも思う。
 これに関しては欲制の術をかけていても意味がない。結局、当人同士の意思次第。
(だって、リナリは……)

 ハルトリードは確信していた。
 リナリはハルトリードが誘えば、頷く。嫌々ではなく頬を染めて控え目に。少し俯きながら。
 その様子がありありと頭に浮かび、良識と欲望の狭間で揺れ動き、激しい動悸が止まらなかった。
(いや……大事なリナリを預かってる。ご両親に顔向けできない事は……いや、今更……)
 悶々と、しかし共に過ごせる嬉しさも大きかった。


 両親を交えリナリと4人での晩餐を終え、エスコートして部屋に戻る。
「何だか、不思議な感じです」
「ん……」
 二人での食事は何度かある。だが、同棲という特殊な環境下においてのそれはいつもと違った感覚を伴って、心が浮ついた。リナリも同じようで、何処か緊張を孕み頬が染まっている。
 いや、食事だけではない。
(これからこの部屋でリナリが寝る……)
 リナリに用意された部屋の前まで来た。

「ハルト様?」
 見上げたリナリの薄桃色が潤んでいる。
(可愛い。それ、弱いんだって……)
 ハルトリードは、気付かずリナリの手を少し強く握って離さなかった。
「あ、ごめ……」
「いえ……」
 思春期の少年少女のように互いにもじもじと、甘酸っぱい空気になる。

 先に動いたのはリナリだ。
「少しお話しませんか?」
「うん、する」
 即答だった。
 既成事実だとか理性の限界だとか頭にぐるぐる渦巻いていたものが、さっと消えた。
 ハルトリードは、リナリと一緒にいたかった。話をしたかった。

 急に決まったという事もあり、リナリは必要最低限の物しか持って来ていない。かさばる衣類などは型録カタログで取り寄せたり訪問販売を呼べばいいと言われ、頷いたからだ。
 荷ほどきはほぼ終わっているらしく、部屋は元々そうであったかのようにリナリの場所になっていた。

「こちらへ……って、ハルト様のお家なのに何だか変ですね」
「でも僕が言うのもおかしいと思う」
 リナリに薦められ、ソファに腰を下ろした。
「そうですね、ふふっ」
 リナリが笑うと、ハルトリードは、本当に周りに花が浮いているような気になる。暖かい日差しの中にいるような心地になる。

「そうだ、これから、というかリナリが僕の妻……になってから、社交の場なんかで宣伝してほしいって思ってる」
 ハルトリードは言いながら、対面に座ろうとするリナリを横に導いた。
「魔道具ですね。奥様もそうして営業しておられるって聞きました」
 リナリは大人しく隣に座る。
「リナリは多分上手くやれると思う。人の懐に入るのが上手いと言うか、相手が信用する雰囲気があるから」
 本人はあまり自覚がないのか、首を傾げている。
「そうですか? 少しでもハルト様のお仕事の助けになるならいいんですけど」
 正直、ハルトリードはリナリが傍にいてくれるだけでいいとすら思っているが、存外上手く、強かにやれるのではないか、という思いもあったりする。

「あと、あれ。知ってると思うけど家の信条で、縁故の特例は認めないっていうのがある」
「はい」
 詳しく話をしたことはなかったが、リナリは知っている。
「それこそ茶会とかで色々言ってくる人がいる。それをちゃんとかわせるか、断れるか。格上でも大丈夫なように一応マニュアルなんてもんがあるけど、基本的にその場の柔軟性が問われる」
「はい、頑張ります!」
 リナリは、しっかりとハルトリードを見て、真剣な顔で力強い返事をくれた。

「リナリの方は何かある?」
「そうですね……私側からはあまり。質問があるんですけど」
 うん、と頷く。
「ハルト様のお仕事に対しての守秘義務というか。明確な線引きというか……例えば、魔道具を見せられて、これを作ったのはハルト様かと聞かれたら答えてもいいものなんでしょうか?」
「ああ、それは」

 こうして。
 夜が更けるまで二人は真剣に話し合った。
 既成事実などすっかり頭から消えた。



 翌朝。
「おはようございます、ハルト様」
「うん、おはよ……」
 同じような時間に就寝したはずのリナリはさっぱりと朝を迎え、一方ハルトリードは眠そうに、のっそりと体を引きずるようにしてリビングに現れた。
 昨夜、二人の間には当然何も無かった。

(朝からリナリの顔が見られる……最高か)
 ハルトリードはすっかり目が覚めた。
 リナリは夫人から渡されたマニュアルや、様々な資料を読んでいたようだ。
 服は部屋着とまではいかず、しかし外行きよりも楽に、普段の彼女の様子が垣間見えるようで悪くなかった。
「かわいい」
「えっ」
 これはリナリ。
「えっ」
 周りにいる数人の使用人も思わず声を出した。

「も、もう、ハルト様……」
 てれてれと、まるでいつも、と言わんばかりに微笑みながら照れるリナリの隣に、ハルトリードが座る。
「服、かわいい」
「そうですか? 普通のワンピースドレスですけど」
「リナリが着てるからかわいい」
「あ、ありがとうございます。ハルト様も、その、寝起きでシャツが……普段着のハルト様が見られるなんて、幸せです」
 急にいちゃつきだした次期当主未来の夫妻に、使用人たちは目を逸らすしかなかった。

 数人の使用人が、「独身には目の毒です!」と現当主に対し、冗談のように苦情だか愚痴だかがあったそうだ。
 しかし当主からは。
「今が正念場なのだ。我慢してくれ」
 と真剣な顔でよく分からない事を言われたのだとか。

 当主夫妻の思惑などどこ吹く風で、渦中の二人は健全にいちゃいちゃしていた。
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